なんか初めと随分違うことを言っている気がするというか、
前エントリと、そして今回のエントリ内でさえも論理の不整合を起こしているように見える。
彼の本意はどのへんにあるのだろう?
今回のエントリで前半部分は概ね同意できる内容だと思う。
違和感を覚えるのは後半部分、具体的にはここからだ。
(引用A)
それゆえ、政府から金をもらっている科学ジャーナリストばかりが増えるという事態は、好ましくないと私は考えます。政府から独立した、多様な考えを持ったジャーナリストが在野に多数存在する方が望ましいでしょう。さもないと、科学技術の国家プロジェクトを批判する科学ジャーナリストがいなくなってしまいます。
多様な考えをもったジャーナリストがいた方がいいというのは全く同意なのだが、
(無論例外はある。似非科学を科学と混同する人間にいられては堪らない)
「政府から金をもらっている科学ジャーナリスト」という言葉には、どうにも違和感を覚えて仕方が無い。
将来的にどうなるかは知らないが、現在のところCoSTEPは無料の公開講座である。
基本的に希望者は誰でも参加することが出来る。
参加者はそこで科学技術コミュニケーターの何たるかを学ぶことが出来るが、
参加したからといって国から仕事を紹介して貰えるわけでもなければ金を貰えるわけでもない。
講義の費用が国持ちだという点では広義のスポンサーと言えない事もないかもしれないが、別に受講する側はそれで国に対して何か義務を負うわけでもない。
そんなことを言い出したら市民講座を受ける人間は残らず国の言いなりにならなくてはいけない。
そんな馬鹿な理屈は無いだろう。
永井氏はエントリ冒頭でこう書いているわけだが、
金を出すスポンサーが政府であれ民間企業であれ何であれ、書き手は、仕事を失いたくないのなら、スポンサーに配慮せざるをえません。当然のことながら、その言説にはバイアスがかかります。
雇ってくれるわけでもなく仕事の斡旋をしてくれるわけでも金をくれるわけでもない政府が、科学技術コミュニケーターにそんな大きなバイアスをかけられるという理屈が分からない。
CoSTEPは始まったばかりで評価も定まっていないため、この講座を取ったからと高く評価されるわけでもない。
少なくともCoSTEPに通っただけで政府のひも付きになることはありえない。
就職先のバイアスを考えるにしても、どうせ皆ばらばらに就職するので「特定のバイアスがかかった言説ばかりが増える」というのも的外れである。
そんなわけで、なぜ「政府から金をもらっている科学ジャーナリスト」という言葉が出てくるのか私にはさっぱり理解できないのだ。
この続きの部分はさらに謎である。
(引用B)
多分、この人は、国家と大学あるいは、国家と個人という関係だけで権力関係を考えているのでしょうが、私は、日本の場合、むしろ大学内部の権力関係に大きな問題があると思っています。日本の大学で、若手が教授を公然と批判する自由がどの程度あるでしょうか。多くの若手は、保身のために、自分の教授を批判しません。これも立派な言論統制です。日本のアカデミズムでは、師弟関係を媒介とした間接支配が行われているのです。
エントリ前半の内容をお忘れですか、と。
引用Aの部分に示されるように、さらに言えばそもそも前エントリ(引用C)で永井氏自身が「国家と大学、国家と個人」という権力関係の構図から科学技術コミュニケーターを語りだしたのである。
(引用C)
現在政府は、科学ジャーナリストに金をばらまいて、彼らに大本営発表をさせる計画を立て、その準備として、ジャーナリストを育てる博士課程を作っていますが、こうした御用ジャーナリストを育成する公共事業も、百害あって一利なしです。
余剰博士の就職について:永井俊哉ドットコム
私はそれに応じて「それは違うのではないか」といっているのであって、
私が言い出しっぺのように言われては話がまっ逆さまである。
まったく勘弁していただきたい。
おまけになぜかここで唐突に、それまで触れられていなかった大学内部の権力の話が飛び出してくる。
ここまで政府との関係で語っていながらなぜ話が飛ぶのだろう?
それ自体は確かに大学の構造問題として正しいだろう。しかしこの場に持ち出す必然性が全く感じられないのだが…
まあいい、お付き合いするとしよう。
研究室において若手がボスに逆らえないのは生殺与奪の全権を握られているからである。
しかし果たしてそれはCoSTEPの教授と生徒の関係にもそのまま当てはめられるものだろうか?
CoSTEPの教授と学生の関係は、通常の講義での教授と学生の関係と変わらない。
研究室のそれとは違い、大して強い関係ではない。
しかも多少なりとも権力を振るえるのがたった半年の短い期間では、同じように考えるのは無理だと私は思うが。
まして講座終了後は何をかいわんやだろう。
これが教授陣の志向によって生まれる各CoSTEPの"色"に染められるというのであればまだ分かるのだが…
(実際北大CoSTEP講義陣にも"色"はある。生徒側も容易に染まらなそうな曲者ぞろいだが。)
続く部分も、前エントリと対にして並べると面白い。
(前エントリ)現在政府は、科学ジャーナリストに金をばらまいて、彼らに大本営発表をさせる計画を立て、その準備として、ジャーナリストを育てる博士課程を作っていますが、こうした御用ジャーナリストを育成する公共事業も、百害あって一利なしです。
(今回エントリ)納税者が、自分たちの税金を使って行われた科学研究の成果を知りたいと思うことは当然であり、その媒介役としてサイエンスライターが必要だと政府が判断は間違っていないと思います。ただ、特定のサイエンスライターに税金を使うというやり方は不公平です。
これをまとめるならば、サイエンスライターは必要だが科学技術コミュニケーター養成講座は御用ジャーナリストを作るだけだから間違っているという主張になるのだろうか。
サイエンスライターが必要という点では双方認識にずれはないようだ。
しかし御用ジャーナリズム云々は何度も言うように誤解だし、無料の公開講座を指して「ただ、特定のサイエンスライターに税金を使うというやり方は不公平です。」というのも間違っているだろう。
地域差や距離の壁の問題を考えることもできるが、それならむしろ積極的に養成講座を広げろという主張をすべきであると、反対の為の反対に予防線を張っておく。
まとめると、永井氏は前エントリ(引用C)において、
「博士卒の失業対策としての科学技術コミュニケーターは間違いだ」
「科学技術コミュニケーターが政府によって御用ジャーナリストにされる」という論理でCoSTEPを批判した。
それに対して私は、そもそも科学技術コミュニケーターは博士の就職対策の為に行われているものじゃないし、御用ジャーナリスト云々も的外れだと批判した。
その返事の今回のエントリでは、永井氏は「国による影響力が問題」「教授の影響力でその言論活動が妨げられるから」などという論理を持ち出してきたが、論拠の弱さは否めない。
これらに対する批判は上に書いたとおりである。
最後に、「サイエンスライターが必要だという政府の判断」については認識が一致しているので、
後は「科学技術コミュニケーター養成講座は御用ジャーナリスト養成講座でも博士卒の就職対策でもない」という点と
「科学技術コミュニケーター養成講座でそれほどバイアスの無いサイエンスライターを養成できる成算がある」という点で合意が得られれば、コンフリクトはなくなると思うのだがいかがなものだろう?
あと、余計かもしれないが永井氏には政府の教育政策を批判するのであればもう少し別の切り口を選択されることをお薦めしておく。













「政府が金を出した先が、受講生」と考えていらっしゃる永井氏には若干分が悪いかなぁと思いつつも、「受講料が無料なら、受講生も恩恵にあずかっている」と考えるのかなぁ…と思わなくもないです。根拠としてはかなり(控え目)弱いですね。