2005年11月24日

CoSTEPは御用学者養成講座?

大学教員の日常・非日常:余ったポスドクで大本営発表を読んで、
CoSTEPにも顔を出している身として少々首をひねる内容が多かったので感想をTBしてみようと思った。
 
 
 
余剰博士問題はつまるところ構造問題で、大学研究が求める能力と企業側が求めるそれのミスマッチ、分野ごとの求人数の制限が存在する以上決して解消されないわけで、
少しでもその解消を目指そうと思ったら、ミスマッチの解消、受け皿の創設、供給を絞るというあたりの対策を考える必要がある。

日経あたりが能力別、分野別の人材需給バランスシートでも作って、院生が就職先を選ぶ際に自分の能力ならどの分野がいいかとか、どの分野に行くにはどんな能力が求められるかとか、どの分野は今供給過多だから別のところも考えた方がいいだとか、そういう判断材料になる情報を提供してくれないかなと思うが、それはまた別の話になるので脇に置く。

ここで問題にされているのは供給過剰による(私は配分ミスが大きいのではないかと思っているが)博士の失業問題に国が対策を施すことの是非だが、私は博士の輩出に多額の国費がかかっている以上、"元が取れる公算があるならば"積極的に行うべきだと思う。
永井氏も「『無駄な』公共事業」とわざわざ限定しているので、意味があるならば構わないということなのだろう。

そして永井氏は無駄な公共事業の例として「科学技術コミュニケーター」に白羽の矢を立てるのだが、ここからどうも論がおかしくなっていく。
私は潜りで時々授業をのぞいている程度の人間だが、言うに事欠いて御用ジャーナリスト育成とは随分突拍子もないことを思いつく人もいるものだなと感じた。
もちろん、それでも就職できない、生計が立てられない博士が出てくるでしょうけれども、失業している博士を皆無にするために、無駄な公共事業を行うことは、断じてあってはならないと思います。現在政府は、科学ジャーナリストに金をばらまいて、彼らに大本営発表をさせる計画を立て、その準備として、ジャーナリストを育てる博士課程を作っていますが、こうした御用ジャーナリストを育成する公共事業も、百害あって一利なしです。
余剰博士の就職について:永井俊哉ドットコム

かれこれ一月半ほど講座を受けて来たが、なんとそれらは御用ジャーナリストを作り上げるための準備だという。
少なくとも私は一度も国のいうことを無条件に信じるような教育をされた記憶がないのだが、
ひょっとして私がサボっているときに限ってこのような洗脳教育が行われているのだろうか?
およそ自分の頭でものの是非を考える人間ほど御用ジャーナリストとして不向きな人材はいないと思う。
そして、科学技術コミュニケーターはこうした判断力をつけるための授業も受けさせられるわけだ。
こうした教育をわざわざ施すのは御用ジャーナリスト養成には少々不向きなように見える。
それとも「科学ジャーナリストに金をばらまいて」とあるからにはこれから札びらで頬を叩かれるような展開がやってくるのだろうか?

しかし国が科学技術コミュニケーターの受け皿として金を出して科学ポータルを作ったところで、それは今現在の官庁の広報と何ら変わらない。
大本営発表というからには報道の統制を考えているのだろうが
洗脳した記者を各新聞社の科学部に配置してとかそんな馬鹿げたことはありえない。
独裁国家並の言論統制社会ならば、かつてのソ連のルイセンコ事件のように不可能でもなかろうが
今の日本ではあまりに非現実的な考え方ではないだろうか。
CoSTEPの教員や生徒、各マスコミを非常に馬鹿にした論理だと思う。


ちなみにこの「科学技術コミュニケーター養成」事業は
「科学技術を素人にもわかりやすく説明できる“通訳”の養成」という意味では面白いが、
余剰博士の失業対策という意味では効果は皆無に近いと思う。
何故かといえば、もともとこういった分野に興味がある人間しか集まらないし、
第一科学技術コミュニケーターの受け皿が社会にほとんど存在しないからだ。
(マスコミが科学記者を専門採用してくれるわけでもなく、サイエンスライターも需要は低い)
教員も受講生もその辺は心得ていて、講座を受けていようが科学技術コミュニケーターとして活躍したいのであれば結局のところ自分の腕一本で道を切り開いていかなければいけないと言う話はよく出て来る。


この事業は公共事業というよりもむしろベンチャー投資に近い性格のものであり。
失敗しても構わないがうまくいったら儲けものといった類の実験的なプログラムである。
(無論成功のために最大限の努力はされるし、失敗したらしたでその理由が詳しく分析され次に生かされる)
ゆえに「無駄な公共事業」とか「御用ジャーナリズム」とかいうのはそもそもこの事業の意図を誤解しているのではないだろうか。
こういう予算の使い方には賛否あるだろうが、私はこれはこれで面白いのではないかと思う。
まだアメリカほどではないが、日本でもこういう挑戦的な試みを続けて欲しいものだ。


posted by 黒影 at 17:01 | Comment(1) | TrackBack(3) | サイエンストピックス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
  1. 通りすがりですが、失礼します。
    御用ジャーナリストは確かに無茶苦茶な言い分ですが、正直な話、科学コミュニケーターは不必要である、というのが私の意見です。
    今回の福島原発の件で特にそう感じます。
    Costepさんも放射線に関する電子書籍を作って配布していらっしゃいますが、読んでみたところ、嘘ではないものの、かなり危ういことを書かれています。
    例えば、実効線量と等価線量の違いが分かってない、もしくは分かっていてあの書き方をしているならば、誤解を生む可能性を考慮されていない。
    他にも、挙げれば色々ありますが、ICRP2007年勧告を読まれているにも拘わらず、あの書き方は無いです。
    あれでは既存の科学ジャーナリストとなんら変わらないでしょう。
    結局のところ、「伝える」ための技術を学んでいるだけの話で、「内容」を理解する能力に欠けているとしか感じられませんでした。
    受け皿云々、予算云々、という話は同意できますが、Costepに限らず、科学コミュニケーションに携わっている方達には疑問を呈さざるをえません。
    一体何を持ってして、あの電子書籍が是であるとされたのか、理解に苦しみます。
    ある程度分かり易く書かれているからこそ、一般人へ与える誤解が大きいのも罪深いと思います。
    あれなら、まだ専門用語だらけで分かりづらい方がマシかもしれません。
    Costepに関わっていらっしゃる方のようですので、何卒あの電子書籍の一時差し止め及び修正した後の再配布をされることを望みます。
    最低限、ICRP2007年勧告の内容を理解されてから再配布すべきです。
  2. Posted by 通りすがり at 2011年04月20日 10:12
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