2005年11月19日

10分で分かる韓国の生命倫理問題

前エントリでも少し触れた韓国で起きている生命倫理問題に関して、
調べてみたことを簡単にまとめてみようと思う。
 
 
 
まずは幹細胞研究について軽く説明。
幹細胞とは、受精卵やごく限られた体細胞から得ることが出来る、あらゆる臓器に分化する能力を持った細胞のことである。
この細胞はその能力ゆえに機能が失われた臓器の治療(再生医療)に利用することが出来ると考えられており、
アルツハイマーや脊椎損傷など、現在の医療技術では治癒不可能な病気・怪我の治療法となりうると期待されている。
しかし幹細胞研究は一方で生体クローニングとも密接な関わりを持ち、また幹細胞が受精卵という「ヒト」になりうるものを壊して作られることから、倫理的な面からの反対の声も根強い。


今回起きた騒動を語るには、まずファン・ウソク(黄禹錫)教授という人物について説明しなければならない。
彼はソウル大学の教授で、長年家畜のクローニングの研究を行ってきた人物なのだが、そこで一山当てて以来、ヒト幹細胞研究へと進出して次々に素晴らしい業績を上げてきた。
BSE耐性牛のクローニング成功に始まり、ヒトクローン胚からの幹細胞抽出、イヌクローンの成功、幹細胞ハブの立ち上げなど、並みの研究者なら一つ成功すればいい方だといえるような大きな研究成果を次々に手中に納めている。
決して独創的ではないが、非常に優秀な研究者だ。
「単に流行の先端を追うのがうまいだけ」という声もないではないが、5年程前までは彼の研究室も乏しい予算を遣り繰りしていたことを考えれば、成功者へのやっかみといっていいだろう。
「成果→名声アップ→予算ゲット→更なる成果」の正のフィードバックをうまく回すその研究室運営はうちの研究室も見習いたいくらいだ。

韓国の科学界にこのようなヒーローが出現したのは初めてのことで、ファン教授はもうほとんど英雄崇拝に近い状態にまで祭り上げられている。
大韓民国が「黄禹錫シンドローム」:Japanese JoongAngIlbo
しかし、おだて上げられて天狗になったのか、それとも元々そういう人なのか、足元が随分とおろそかになっていたようだ。
去年の5月、Natureにある告発が寄せられた。


(1)Korea's stem-cell stars dogged by suspicion of ethical breach : Nature
 倫理違反の疑惑に追われる韓国のスター幹細胞研究者

(2)Ethics of therapeutic cloning : Nature
 治療目的クローニングの倫理

(3)Stem-cell research : Crunch time for Korea's cloners : Nature
 幹細胞研究:韓国のクローン研究者の試練の時



この疑惑の内容をかいつまんでまとめると、次のようなものだ。(1)

・ファン教授らはどうやってこのように大量の卵子の提供者を集めたのか(金で買っていたのではないか)。
・この研究にファン教授の研究室の大学院生から採取された卵細胞が使われている。
・卵子を提供した学生が論文の共著者として載せられている。

これだけでは何が問題か分かりづらいので、もう少し詳しく解説する。


◆卵子の入手経路の問題
卵子を得るには排卵誘発剤やホルモン剤などを用いるため、ドナーの女性の体にかかる負担がかなり大きい。
ゆえにドナーに対しては十分な説明とケアが必要である。
さらに受精卵を実験に用いる倫理面での難しさもあって、幹細胞の研究者はどこの国でも実験に使う卵子の確保に頭を悩ませている。
一種の幹細胞を得るために女性16人のドナーと242個の卵子を使うというのは、他国の幹細胞研究者を驚かせるのに十分な浪費だったわけだ。(2)
「どうやってそれだけのドナーと卵子を」というのは自然な疑問である。

さらに先日報じられたニュースが示すように、韓国内では利益目的の卵子の売買が行われている。
卵子売買女性20人を刑事処罰:Japanese JoongAngIlbo
そしてファン教授らがドナーからの卵子採取を行った病院では、違法売買卵子を用いた不妊手術が行われていた。
そのため卵子の入手経路に疑惑が存在するというのがまず一点。
(さらにドナーに対する説明やケアも十分ではなかったのではないかともNatureの記事に書かれている。(2))
「卵子売買」の火の粉,黄禹錫社団に飛ぶか ─東亜日報 11/08(ハングル)
【卵子売買】ワニ博士の場合: ノーベル賞が先か刑務所行きが先か:♪すいか泥棒 日曜版日本語訳


◆学生から卵子を採取する問題
次に学生から卵子を採取することの問題点について。
これはアカハラ、パワハラの問題である。
学生からしてみれば、ネイチャーサイエンスクラスの論文をバンバン出している教授というのは神である。
絶対権力者である。
言いつけに逆らうなんてとんでもない。
むしろ神の言葉とホイホイ従う者もいるだろう。

しかし自らの権威、権力を嵩に着て学生にこういったことをさせるというのは立派な倫理問題、パワハラである。
ゆえに幹細胞研究の倫理規定で「統制権限を持つ人が部下から卵子を提供されることを禁じている」のである。
パワハラの問題点は一見すると下のものが自発的にやっているように見えるところ。
圧力をかけている本人にその自覚がないことが多いのである。
ましてや、さすがにそれはないとは思うが「学位が欲しいだろう?」なんてやっていたとしたら…これがアメリカなら首が飛ぶだけでは済まないだろう。


◆卵子を提供した学生が論文の共著者になっていることの問題
論文の著者となることは、その研究者のキャリアを示す何よりも重要な要素である。
論文の掲載誌がネイチャー・サイエンスクラスともなれば、その論文に名前が載るか載らないかは新米研究者にとって、その後の研究人生を左右しかねないほどのインパクトをもたらす。(それくらい論文は研究者の職歴で重視されるのだ)
上とも少し関連してくる話だが、ネイチャークラスの論文になることが確実な研究の共著者にすることをエサにちらつかせられれば、打算よりも倫理を優先できる人間など少ない。
要は利益と引き換えに卵細胞を提供させたんじゃないかという疑惑もあるというわけだ。

ファン研究室側の説明が二転三転していることも疑惑を深めている。
卵子を提供したと語った学生は、後にそれは「言葉の壁によって生じた誤解だ」と発言を翻した。
しかし以前に行われたインタビューで卵子の提供を行った病院の名前を挙げ、「既に二人の子供がいるから喜んで卵子の提供を行った」と語った人間が言葉を翻したところで、圧力があったんだなとしか思えないわけだが。

さらに言うと、ファン教授は1年半前には学生がドナーとなったということを否定していた。
Hwang denies that Koo was among the donors.(2)

しかし一方でこんなことも言っている。
シャッテン教授「黄禹錫教授との協力関係終わった」:朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)
 黄教授は去年、このような報道に対し、女性研究員が他の研究用の目的で卵子を提供することに同意したとし、いかなる倫理規定の違背もなかったと述べている。

なんともお寒い言い訳だ。


◆一年半後の不発弾炸裂
さて、1年半前の一件はファン教授側の出した反論(になってない反論)によってうやむやながらも一応収束した。
(なぜあの程度の穴だらけの説明で今まで問題にならずに済んだのかいまいち良く分からんが)
しかし問題は確実に不発弾として地下に残り、こうして再び炸裂することになったのだ。

疑惑の情報自体は一年半前のまま変わっていなかったのだが、
なぜか誰も気付かないままで疑惑が凍結されていたのでファン教授にとっての致命傷になりえたというわけだ。


炸裂させたのはアメリカのシャッテン教授。
US scientist quits top stem-cell team over ethics - Yahoo! News
彼はファン教授の共同研究者で、幹細胞ハブを立ち上げる際の協力者でもあった。
アメリカの幹細胞研究者にとって、この手のスキャンダルに巻き込まれることは致命的だ。
(何せ保守的なキリスト教徒の影響が強まっているご時世だからね)
単なる幹細胞ハブの利用者だというだけならともかく共同研究者ともなれば、とっとと手を切ってむしろ叩く側に回らないと自分まで槍玉に挙げられてしまう。
彼の判断は間違っていないと言える。
(今までこの疑惑を知らなかったというのも変な話だが)


哀れなのは一人でババをつかまされたファン教授。
1年半前とは違って時の人になってしまった今では、スキャンダルの広がりも伝達速度も桁違いだ。
栄光の絶頂から急遽疑惑の人へと転落してしまった。
しかもその疑惑はほぼ黒確定と来た。


無様なのは韓国のマスコミ。
これまで手放しで絶賛してきたものだから叩くに叩けず、
「彼は英雄でなければ困るのだ」と記事にまで狼狽が現れている
ジャーナリズムを名乗るならこういうときこそ率先して真実を明らかにしていただきたいものだが、
残念ながら彼等が英雄偶像崩壊のショックから覚めるには今しばらく時間がいるようだ。


◆科学コンプレックスの国に逆戻り?
韓国は近代化が遅かったために未だに科学分野でのノーベル賞受賞者を出していない。
そのためにノーベル賞コンプレックスともいわれる、自国の科学分野を卑下する傾向がかつては見られた。
それがファン教授という科学界のスーパーヒーローの出現によって、ちょっと有頂天なくらいに自国の科学に自信を持つに至った。
(まあこれもコンプレックスの裏返しなんだろうが)
幹細胞天狗の韓国にやっと冷や水 [ EP: end-point 科学に佇む心と身体]
このリンク先を見ると、ファン教授がノーベル医学・生理学賞を受賞する様を夢見る韓国の期待の現れが良く分かる。
ノーベル賞コンプレックス

しかしもしファン・ウソクなかりせば、韓国には他の有望な人材が今のところいないようだ。
後続も今のところ期待薄と。
「学者の卵が足りない」 うなだれる科学界:朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)

そして、この疑惑でファン教授のノーベル賞受賞は残念ながら大きく遠ざかった。
なんせこういう疑惑を嫌うからな。ノーベル賞選考委員らは。
期待の星が潰えたと韓国が気付いたとき、彼等が変なルサンチマンと共に再び科学コンプレックスの底に沈むのではないかと他人事ながら少し心配してみたり。
お隣さんはどうも極端から極端に走る国民性があるからなぁ。


それはそうと我等日本の科学者としては、隣国のこの騒ぎを他山の石とするよう肝に銘じるべきだ。
日本も立派なガイドラインはできてはいるが、その遵守となると怪しいところが多いだろう。
彼等の轍を踏むことがないよう気をつけよう。


<追記 12/07>
続報も合わせてご覧下さい。
◆関連エントリ(Related Entries)
10分で分かる韓国の生命倫理問題(Summary of South Korean Researcher's Bioethical violation.)
韓国の生命倫理問題に関する急展開について(Bioethics scandal of South Korean Cloner Developed into the Suspicion of Fabrication.)
黄教授による論文データ捏造確定(Looking into the Duplication of ES Cell Photos.)
DNAフィンガープリントを眺める(Weird accordance of DNA finger print patterns.)
posted by 黒影 at 04:20 | Comment(5) | TrackBack(8) | バイオトピックス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
  1. 案の定というか、こんなニュースが出ているようですね。
    日本の新聞でももっと取り上げてくれりゃいいのに。

    世界科学誌、黄禹錫教授研究に相次いで問題提起
    http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=69825&servcode=300&sectcode=330

    黄禹錫教授、24日国民向け謝罪声明発表へ
    http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=69947&servcode=400&sectcode=400
    今日謝罪だそうですよ。

    黄禹錫教授「研究員2人卵子提供知っていた」
    http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=69961&servcode=400&sectcode=400
    asahi.com: 卵子提供の16人に金銭渡す ソウル大ES細胞研究?-?社会
    http://www.asahi.com/national/update/1122/TKY200511210432.html
    ES細胞:生成成功のソウル大チーム、卵子提供者に金銭 「補償金」1人15万円−科学:MSN毎日インタラクティブ
    http://www.mainichi-msn.co.jp/science/kagaku/archive/news/2005/11/20051122dde041040064000c.html
    嘘吐き決定

    下の記事や以前のサイエンスでの主張と内容を比べてみると、よくもこうも白々と嘘をつけるものだなと。

    黄教授インタビュー「卵子疑惑もたなくていいです」
    http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=69720
  2. Posted by 黒影 at 2005年11月24日 12:50
  3. ちょっと頭痛がしてきそうな記事がありました・・・
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051128-00000175-kyodo-int
    http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/11/27/20051127000011.html

    あまりにもぶっ飛びすぎてネタかと思いましたよ。
  4. Posted by 蒼月 at 2005年11月28日 21:48
  5. >蒼月さん
    彼等も薄々このスキャンダルがもたらすものは気がついているんですよね。
    でもそれを認めることが出来ないから、こうやってねじくれた形で鬱憤が吹き出す。
    あまりにも予想通りに事が展開しているので、あきれながら見ていました。

    どうせ自分達の言動が海外からどう見られるかなんてこれっぽっちも考えていないのでしょう。
    欧米メディアと韓国メディアの温度差なんて見ていて笑えてきますよ。
    まあいつものことなので生暖かく見守っています。
  6. Posted by 黒影 at 2005年11月29日 00:13
  7. 初めまして。TBさせて頂きました。今回の捏造の一件で今後しばらくかの国からのノーベル賞はもしかしたら候補すらも出なくなるかもしれませんね。
  8. Posted by tak at 2005年12月18日 12:14
  9. 慈悲深い私からせめてもの癒しのため韓国国民に
    ノーベル賞飴を差し上げましょう。
    http://www.asahi-net.or.jp/~sa8k-fjkw/kanban/shokuhin/nobelsho_ame.htm
  10. Posted by 天才BAKAPON at 2006年02月14日 15:37
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック

幹細胞天狗の韓国にやっと冷や水
Excerpt: 【お返しトラバですm(__)m】アメリカの科学者、韓国の倫理感覚とハラスメントに呆れて韓国との共同研究から離脱 ファン・ウソクは自分の研究室に勤める女性から卵子を採取していた! しかも卵子を金で買って..
Weblog: [ EP: end-point 科学に佇む心と身体]
Tracked: 2005-11-19 16:05

コリアウォーズ Episode??  ?? クローンの攻撃 ??
Excerpt: スターウォーズ風にエピソード??と名付けてみましたが、クローン狂騒も新たな展開を迎えました。 以下、読売新聞の記事です。
Weblog: ピーノの独り言
Tracked: 2005-12-07 10:47

韓国の生命倫理問題に関する急展開について
Excerpt: 半月ほど前に取り上げた韓国の生命倫理問題が予想外の進展を見せている。 倫理問題だけで終わるかと思っていたら論文データに続々と疑義が生じ始めているのだ。 この問題について手っ取り早く知りたいという人は..
Weblog: 幻影随想
Tracked: 2005-12-08 12:13

お隣韓国の捏造疑惑話<幹細胞編>
Excerpt: 黄教授捏造を認める??存在しなかったクローンES細胞?? <幻影随想> 予想のはるか斜め上を行く展開に。 ざっと経過を述べると、韓国の黄禹錫ソウル大教授はヒト幹細胞研究で大きな成果をあげて ..
Weblog: とらとら日記
Tracked: 2005-12-16 21:51

クローン細胞ねつ造報道
Excerpt: 韓国ソウル大黄禹錫(ファン・ウソク)教授の発表した、人クローン細胞の発表がねつ造
Weblog: 親鸞会 きょうの出来事
Tracked: 2005-12-20 11:54

韓国/黄禹錫教授ES細胞論文捏造
Excerpt: 「韓国ならでは」? やはり捏造―。韓国民はもとより、黄教授の研究に期待と希望を寄せていた世界人類にとって、残念な結果となってしまった。この問題では、「なぜ黄教授が捏造行為に走ってしまったのか」という点..
Weblog: ブログ界の正論
Tracked: 2005-12-25 20:42

ES細胞スキャンダルから学ぶこと
Excerpt: 韓国の黄禹錫ソウル大教授グループが起こした人クローンES細胞研究のスキャンダルは想像以上に酷い状況だったようだ。この問題をどう見たらいいのだろうか?この問題から学べることは??
Weblog: 陽が当たるひととき。
Tracked: 2005-12-30 12:31

コリアウォーズ Episode??  -クローンの攻撃-
Excerpt: スターウォーズ風にエピソード??と名付けてみましたが、クローン狂騒も新たな展開を迎えました。 以下、読売新聞の記事です。
Weblog: ピーノの独り言
Tracked: 2006-01-30 14:34
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。