"Appeal to Consequences"(結果への訴え)というものがある。
最近は最初からエクスキューズとして持ち出すのもよく見かける。
"Appeal to Consequences"とは、要は
「このお話を信じれば/このお話が正しければ、こんなにいいことがあるんだよ。だからこのお話は正しいんだよ」
という言説の事である。
対になる言説として、
「このお話を信じれば/このお話が正しければ、こんなに悪いことがあるんだよ。だからこのお話は間違ってるんだよ」
というパターンもある。
どちらの論理展開も疑似科学ウォッチングをしていると飽きるほどよく見かける。
無論「このお話を信じれば/正しければ云々」という仮定と、その話の正否には何の関係もない。
こんなものは単に希望と現実を取り違えたドリーマーの類の言説か、相手を騙すための詭弁にすぎない。
先ほど「忘却からの帰還」のKumicitさんがID論者の"Appeal to Consequences"についてエントリを書かれていた。
忘却からの帰還: 詭弁"Appeal to Consequences"
読んでいて「これってうちのブログで過去にとりあげてきたID論ビリーバーや水伝ビリーバーにまんま当てはまるよな」と思ったのでエントリにしてみる。
まず第一弾は、やはり日本のID論第一人者、渡辺久義氏をおいていないだろう。
幻影随想: インテリジェントデザイン理論(ID理論)にはまっちゃった産経新聞
ID論の特徴として「このお話を信じれば/このお話が正しければ、こんなに悪いことがあるんだよ。だからこのお話は間違ってるんだよ」型詭弁の典型例が何度も出てくる。
#水伝の場合「こんなにいいことがあるんだよ。」タイプの論理展開の方が多いので、この辺は面白い傾向の違いと言える。
#水伝に比べるとID論がさっぱり流行らない原因の一つに、「こんなにいいことが」と訴えられるプラスのポイントが無いというのがあるのかもしれない。
#水伝に比べるとID論がさっぱり流行らない原因の一つに、「こんなにいいことが」と訴えられるプラスのポイントが無いというのがあるのかもしれない。
それではまずこれを。
――米国では親の教育権とも関連して進化論批判の歴史がありますが、日本の教育界に持ち込もうとすれば「非科学的」と猛反発されます
宇宙に目的も方向もあり得ないとする唯物論、機械論が正しいなら、ダーウィンの進化論以外に全く考えようがなくなります。「どこが間違っているのだ」と食い下がるダーウィニストにとって、理論と証拠の不一致は関係がなく、初めの前提で答えが出ているのです。「科学的」「非科学的」を口論する前に、自分の立っている足場を確認する訓練をしなければなりません。IDが正しいかどうかより、思考訓練のきっかけを与えてくれるという意味で重要なのです。教科書に書くなら「ダーウィンの進化論に沿って考えるならば」と、仮説の紹介にとどめるべきです。
宇宙には目的があって神が人類を導いてくれるんじゃなきゃやだやだ。と駄々をこねる渡辺氏。
そんな風にしか取れない進化論なんて間違ってる!と否定に走ります。実に微笑ましい。
続いてインテリジェントデザインを学校で教えるべきかと記者に質問させた答えがこれ。
――日本の学校でも教えるべきですか?
思考訓練として教えるべきです。でないと日本人の頭は硬直したままです。それに「生命は無生物から発生した」「人間の祖先はサルである」という唯物論的教育で「生命の根源に対する畏敬(いけい)の念」(昭和四十一年の中教審答申「期待される人間像」の文言)がはぐくまれるわけがありません。進化論偏向教育は完全に道徳教育の足を引っ張るものです。
道徳のためにならないから進化論は間違ってると主張する渡辺氏。
#無論の事ながら、上記エントリ内ではきっちり思考訓練させていただいた。
彼はついでとばかりにお仲間の言説まで引用して来る。
進化論偏向は道徳教育にマイナス 日本の識者も主張
「人間の祖先はサルだという教育は、生物の授業の仮説ならともかく歴史教育や道徳教育にはマイナスだ」「進化論はマルクス主義と同じ唯物論であり、人間の尊厳を重視した教育を行うべきだ」という議論は日本でも多くの識者から主張されてきた。
マルクス主義の影響を最も強く受けているとされる日本書籍の中学歴史教科書は平成十三年度使用版まで、見開き二ページを使ってダーウィンの進化論と旧約聖書の創世記、戦前の歴史教科書の日本神話を対比させて聖書や神話を否定的に受け止めるよう誘導していた。
このような教育に対し、日本神話の再評価を訴えている作家・日本画家の出雲井晶さんは「道徳の上では人間は人間、獣は獣。人間を獣の次元に落とす進化論偏向教育が子供たちを野蛮にしている。誰が日本人を作ったのかというロマンを教えるべきだ」と話す。
中川八洋筑波大教授は著書『正統の哲学 異端の思想』でダーウィンを批判。創造論、進化論の双方が非科学的だとしても「文明の政治社会の人間の祖先として『神の創造した人間』という非科学的な神話は人間をより高貴なものへと発展させる自覚と責任をわれわれに与えるが、『サルの子孫』という非科学的な神話(神学)は、人間の人間としての自己否定を促しその退行や動物化を正当化する」と論じている。
これが典型的な「こんなに悪いことがあるんだよ。」言説であることは言うまでもないだろう。
無論進化論を否定する何の根拠にもならないが。
この主張がいかにトンデモかという点については引用元の批判記事に書いたので今回は省略。
日本には元々右翼的な反進化論というのがあって、中川氏らはそっちの系統だ。言っている内容は変わらないけれど。
そんなわけで第二弾は皇国史観による反進化論から
幻影随想: 皇国史観による反進化論
簡単に進化論をうけとる人は、人は猿から発達したようにいいやすいのですが、猿はいつまで経っても猿です。動物園の猿の子が、人になって生れてきた例がありますか。猿は猿、人は人、別のものです。それを誤解して、猿こそ我々の先祖であるとすれば、祖先崇拝は出てきますまい。先祖の恩徳を感謝する厳粛な祭は行われますまい。我々日本民族は、その祖先は神であったと信じ、敬い、そして祭ってきたのです。すなわちその生活は、奉仕の態度であって、「つつしみ」「うやまい」を正しいとし、「おごり」「たかぶり」を善くないとしてきたのです。
――平泉澄『物語日本史』(上)(講談社学術文庫、1978), p. 41
中川氏らの思想の源流に当たるのがこの平泉という人。
彼の思想を一言でまとめるなら、「天孫に非ずんば人に非ず」となるか。
彼の言説をそのまま受け取るなら、彼は「人以外の存在は敬意を表する価値なぞない、ヒトの始祖たる神以外なぞ知るか」と言っているも同じであって、私にはこれこそ傲慢以外の何物でもないように見える。
そしてこれも典型的な「こんなに悪いことがあるんだよ。」言説だ。
この程度の根拠薄弱な言説が80年間も生き延びる保守論壇は、かなり末期症状なのではないだろうか。
主に論理性の欠如とか批判精神の欠如という点で。
第三弾は水伝の御本尊こと江本氏。
水伝系のビリーバーは、
「こんなにいいことがあるんだよ」だから信じたいじゃない/信じたっていいじゃない
という反応をすることが多い。
御本尊からしてそうなのだから、ビリーバーが右に倣うのは当然かもしれない。
「水からの伝言」江本氏の主張
水からの伝言はポエムだと思う。科学だとは思っていない。僕は科学者ではない。単なるロマン的なこと、ファンタジー。宗教と紙一重なので、誤解いただくこともあるが、宗教家ではない。少年のまま大きくなった普通の人間。ただ、科学でわかっていることはほんの数%、95%はわからない。今後、周りの研究者によって科学的に証明されていくと思う。
結晶の撮影は本来は温度や湿度のコントロールができた部屋でやるべきでしょうが、中小企業なので限界がある。ネガフィルムなので、改竄はない。ご要望があれば公開したいが、科学者からは無視され、インチキと言われている。撮影者には、こういうことをした水だという情報を与えている。水は心の鏡だという。撮影者の意識が働いてきれいなものになるということはある。それは別に非科学的ではないと思う。量子力学の世界ではそうなっているようだ。内容を知らせていなくても、良い言葉では良い結晶が多い、そのへんは謎だ。
思いついたきっかけは、水を使って健康相談に応じていたら、すごいことが次から次に起きたからだ。水が情報を運びうるんだ、その情報は微細な振動だと自分なりに推理した。それが波動だった。とても大事なことなのに誰も信じてくれない。あるいは理解できない。それで、僕のような素人がたまたま手をつけた。
波動の理論は、僕の中での常識。著書に書いた「108の元素が108の煩悩に対応している」ことも常識だ。常識を発表していけないことはない。
1999年に琵琶湖に350人が集まって祈る運動では成果を収めた。それ以来、琵琶湖はきれいになった。
祈りでハリケーンを消すことができるか?出来ると思うが、人数がいっぱい必用でそう簡単に出来ない。そのためにも世界を講演して歩いています。
信じたいことと現実がごっちゃになった水伝ビリーバーに典型的なパターン。
別に夢を見ることを止めはしない。信じたいなら好きにすればいい。
しかし夢と現実の区別がつかないようになったらそれはただのトンデモさんだ。
【疑似科学・ニセ科学・オカルト・トンデモの最新記事】
トンデモさんはちょっと措いといて、進化論と倫理学というのは興味深いテーマではありますね。
例えば、進化論への確信度合いと社会規範の遵守性の相関とか(進化論の理解度も含めたほうが良いな)、社会学あたりの研究でないのかしらん。
「倫理学 進化論」でぐぐると、進化論を土台にした倫理学なんてのは、まだまだ入り口段階の様子?
進化心理学の方面なら、進化的なバックグラウンドからそういう研究を行っていますよ。
まだ比較的若い研究分野だから玉石混淆で、素人が迂闊に手を出すと火傷しそうですが。
#ゆえに私もあっちの方面にはあまり手を出しません。
進化心理学を突き詰めたら、いずれは心理歴史学に到達するかもしれませんね。
>唯野さん
進歩史観的な人だと優生学な方向に行きやすい気がします。
「動物と同一視するなんて」みたいなのは一神教でしょうか。
どちらもヒエラルキーの頂点にヒトを置きたがるという点では良く似ていますが。