正直言ってこれ自身には興味を引かれなかったのだが、いくつかの関連エントリを読んでいて気になったことがあったのでそれを書いてみることにする。
◆なぜ彼らはそう考えるのか
疑似科学批判批判者の多くに共通して見られる反応の一つに、
「疑似科学批判者は科学を絶対視している」
というものがある。
参考例:ニセ科学批判者は科学を絶対視しているか? - NATROMの日記
しかし批判者側の反応は往々にして「はあ?意味不明」「んなわけないだろ」というニュアンスのものに留まり、なぜ彼らがそう感じているのかという点にまで踏み込んだものはまだ見たことが無い。
#これはまあ当然だ。「科学というモノサシ」を持っている人間にとっては、これは同じものを持っている人間の間なら判断基準を統一できる、客観的モノサシの一つにすぎない。別に科学者だからと言って科学以外の物事にまで同じモノサシを当てはめるわけじゃない。逆にいえば、科学に関する事柄について語るときには、このモノサシを持たない者は話をする資格は無いというか相手にされないわけだが。
例えば上記エントリ内でNATROMさんは、批判対象の論宅氏に対し、以下のように書いている。
ニセ科学が、科学が唯一絶対的な正しい真理であるという暗黙の(そして誤った)前提に支えられていることには同意する。ニセ科学の提唱者が、科学を自称したり、あるいは科学と誤認されやすい提示を行ったりするのは、世間一般の科学に対する信頼を利用しているであろう。もし科学が信頼されていないのなら、科学を自称するメリットはない。では、ニセ科学批判は、科学が唯一の真理であるという前提に立っているのだろうか?まさか、そんなことはない。別に科学が真理だとは思っていなくても、科学でないのに科学だと自称する主張をニセ科学だと批判することは可能だ。(それとも、「ニセ科学批判は、ニセ社会学に立脚している」という主張は、社会学が唯一の真理と思っていないとできないのか?)
<中略>物語を物語として受け取り、野暮なつっこみをしないのが、私の信条です。ちなみに、私は進化論も物語として受け取っています。そういう意味では、私の中では、神による創造論と進化論は同列です。
とも言った。mercaさんは、科学についてあまり知らないくせにメタ議論に口を出したがる知ったかぶりか、でなければ、「科学だけが正しいとは限らない」どころか「科学的に否定された仮説も証明された仮説も同列である」と考える極端な相対主義者なのだろう。mercaさんに、地動説と天動説についてどう思うか尋ねてみたいものだ。知ったかぶりでなければ、地動説と天動説も同列だと答えてくれるだろう。
「んなわけないだろ」型反応の一つの例である。
たしかにこれはこれで正しい認識だと思うのだが、両者の間にある根源的な溝はもっと別のところにあると私は認識している。
それをきちんと把握しないことには、「疑似科学批判批判者」の言うことをきちんと理解できたことにはならないと思う。
相手の言うことを理解しきることなく批判しても、それは相手に届かないだろう、とも。
何人もの「疑似科学批判批判者」が判で押したように同じ事を言うのだから、彼らにそう思わせる何かがあるはずなのだ。
そんなわけで、この部分を少し分析してみることにした。
◆科学というモノサシの欠如
さて、私の認識している疑似科学批判者とビリーバーの間にある最大の溝とは、「科学というモノサシの欠如」である。
「科学というモノサシ」とは何かと問われれば、要は検証されたデータと数字、そしてそれに基づく理論の事である。
あるいは単に客観的評価基準としても良いかも知れない。
我々がビリーバーと呼ぶ人達は、別にそれが「科学的だから」疑似科学を受け入れる訳ではない。
確かに疑似科学に特有の「科学っぽいフレーズや数字」が、彼らが疑似科学を受け入れる理由の一つとなっているのは間違いない。
それは確かに彼らに疑似科学を受け入れやすい「雰囲気」を作り出している。
しかし「科学っぽいからみんな信じる」というのはあくまでもこちら側から見た時の主観であって、あちら側の心象的な理由とイコールなわけではない。
なぜなら彼らは科学というモノサシを持っていないのだから。
彼らが疑似科学を受け入れるのは、それが彼らなりの何らかの主観的モノサシに適ったからである。
#例えば誰それが勧めてくれたからとか、雑誌やテレビで取り上げていたからとか、試してみて効いた気がするから等等。無論科学っぽいからというのも一部に含まれてはいるだろうが。
そして疑似科学批判は、彼らにとって、
・よく分からんモノサシを問答無用で押しつけられた揚句
・そのモノサシによって自分の信じたものを否定され、
・さらには自分のモノサシ(価値判断基準)まで否定された
に等しい暴挙なのである。
だからこそ彼らは、疑似科学批判者が「科学という絶対的モノサシ」を押し付けてくると感じるのである。
少し前に起こった「水からの伝言」のボヤで、ぶいっちゃん氏やその取り巻きが批判に反発した理由がこれである。
左のほうの「水からの伝言」騒動を観察する - 玄倉川の岸辺
NATROM氏が取り上げている論宅氏の宣言も同じだ。
社会学玄論 : 「水からの伝言」
物語を物語として受け取り、野暮なつっこみをしないのが、私の信条です。ちなみに、私は進化論も物語として受け取っています。そういう意味では、私の中では、神による創造論と進化論は同列です。
というのは、別にメタ理論でも相対主義でもないのだ。
これは、「お前らのモノサシなんて知るか!おれはこれからもおれのモノサシでやっていくんだ!」という、単なる「科学のモノサシ」の拒絶なわけである。
#無論「科学のモノサシ」を拒絶する以上、彼に科学について云々する資格はない。
#彼は単に自分の主観的モノサシでもって科学について何かを語ったつもりになっているだけであり、それが私が彼にまるで興味が湧かない理由でもある。
#彼は単に自分の主観的モノサシでもって科学について何かを語ったつもりになっているだけであり、それが私が彼にまるで興味が湧かない理由でもある。
◆まとめ
疑似科学批判者にとって、疑似科学批判とは「科学」の領域に属するものである。
「科学というモノサシ」を適用したら科学の枠外に外れるからこその「疑似」なのだからこれは当然だ。
しかし不幸にして批判対象は往々にしてその事を理解していない。
そして「自分のモノサシ」を手に「疑似科学批判批判」を行っている。
「疑似科学批判」と「疑似科学批判批判」がまるでかみ合わない理由がここにある。
「科学のモノサシ」という客観的な屋台骨を持つ疑似科学批判を前にしては、
個々人の主観的モノサシによる「疑似科学批判批判」は単なる個人的反発の域を出ないのだ。
「疑似科学批判批判」とは、
突如「科学のモノサシ」を押しつけられ、自らのモノサシが否定されたと感じた彼らの、
「比較対象間違ってませんか!?あなたの物差しはそれですか!?」
「絶望した!科学のモノサシに絶望した!」
という彼らなりの異議申し立てであり、悲鳴なのである。
<連絡事項 01/28 20:00>
只今Seesaaの障害発生のため、ブログのTOPページにこのエントリが反映されていない状態です。
また、コメント機能も障害を起こしており、コメントをポストしていただいても表示されません。
ご迷惑をおかけしますが、なにとぞご了承ください。
<連絡事項 01/29 01:00>
障害が復旧したようです。
【疑似科学・ニセ科学・オカルト・トンデモの最新記事】
科学に限らないけど、
自らのモノサシが否定された = 自己が否定された
で逆切れされても困るね。どんだけちっぽけな自己なんだよ、とつっこみたい。
蓋然性という考え方が全くない極端な相対主義者っぽく見えますが
「私はあなたの言っていることにムカついております」
と反発する際の理屈として良く出てくるだけであって
別に、ビリーバーさんが元々相対主義者という訳では無いと。
(そういう素質は充分にあるとしても。)
なるほど、参考になりましたが、ビリーバーさんに届く批判となると、これは難題でしょうね。
この二つは厳密に分けられるとは限らないと思いますが、少なくとも「生活のための単なる手段」と言い切るなら、それは「科学」では無いでしょう。
まさに、今回のエントリーで言及されている「絶望した!科学のモノサシに絶望した!」という悲鳴そのまんまで吹きました。
疑似科学批判批判の中の人は、何がうれしくて晒さなくても良い恥を晒しに来るのかな。
科学は、さまざまな仮定・仮説の上に成り立っているから、この世界で起こるすべてのことを説明できるわけではない。
我々の生活、人生のほとんどの部分は科学とは そんなに縁のないものだと思う。
疑似科学の中には、中核となる仮定が受け入れがたいものが多く、従って導き出された推論も受け入れがたいことが多い。
ココのコメント欄を見てるとエントリーの実例がそのまま出てくるので
非常に具体的で判りやすいですw
では「科学」をモノサシ=ツールとして測る物は何でしょう?
こんな解説も入れておかないと、疑似科学批判批判者には通じにくいんじゃないかなと思いましたね。
道具の使い方を学ぶ気が有ればすぐに埋まる溝だと思うんですが、何故か深くて埋まらないようです。
過去ログを見ていましたらイラクの人質事件に触れた記事で
幻影随想: 香田さんの死を政治利用しようと企むものがいる
http://blackshadow.seesaa.net/article/947716.html#more
16:42 追記
前回の人質がどんな人間だったのかを示すいいものを見つけたので
ついでにここに張っておこう
東長崎機関 イラク関連Index
おすすめは人間の盾団の裏側1あたりか。
開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。
まじめに心配していた人間がこれを読んでどう思うかが是非知りたい。
とあり、リンクされているのを見ましたが、これは
イラク関係のあくまでも参考資料として取り上げたのですか。それとも、こんなにどうしようもないんだよ「この手の方々というのは」という実証としてあげたんでしょうか。
あの事件から時間がたち、もうあの時代の空気も忘れてしまっているため、この取り上げ方がどちらによるものかいまいち判断がつきません。
あの時代の怒りと今の怒りの性質は異なるかも知れませんが、よろしければ解説をお願いできませんか。
以前、微生物を使ってプラスチックを分解する研究が行われていると(確かここで)読んだ覚えがあるのです。それに関連することです。
どこかの記事かはもう忘れたのですが、環境科学の講演か何かで、ある学者が「プラスチックは将来もっとも深刻な人体被害をもたらすだろう、なぜなら分解されず、ただ微細化するだけのプラスチックは、水中などの魚を起点に食物連鎖を通じて濃縮され、それが人間の胃に入る時、もっとも危ない形で人体に蓄積されるからだ。だからプラスチックなど使うべきではないのだ」
一見確かにその通り、とその時点では(新聞記事か何かだったか、Blogの引用だったのか)頷いたのですが、一連の記事をさっきから読み返してみると、果たしてこれも疑似科学なんじゃなかろうか、と考え込まされます。
素人には、全ての科学分野で基礎知識もないものだから、なにが正しいのか簡単には判断がつきません。
どこかにソースがあったらお見せしたいんですが、これらプラスチックの微細化による自然蓄積と人体への公害的な影響というのはそちらの業界でも取りざたされていることなのですか。
>「疑似科学批判批判」とは、
>突如「科学のモノサシ」を押しつけられ、自らのモノサシが否定されたと感じた彼らの、
>「比較対象間違ってませんか!?あなたの物差しはそれですか!?」
>「絶望した!科学のモノサシに絶望した!」
という彼らなりの異議申し立てであり、悲鳴なのである。
私自身は、ちょっと違って、「科学のモノサシを使う気のない人に、科学のモノサシを押し付けるなんてことしなくていいのに…」と思うのです。
>「科学のモノサシを使う気のない人に、科学のモノサシを押し付けるなんてことしなくていいのに…」
「疑似科学」ってどんなものだか分かっていますか?
科学のふりをしているけれど、その実態は科学的でない主張を疑似科学というのですよ。
科学の衣を被って妄言を撒き散らしていれば、科学者サイドから「科学のモノサシ」を押し付けられて批判されるのは当然だと思うのですがね。
>自らのモノサシが否定された = 自己が否定された
主義信念が絡む問題だと珍しくも無い気がします。
>名無し農学板の住人さん
>ビリーバーさんに届く批判となると、これは難題でしょうね。
物差しがどうこう以前に他人に計られる事自体に反発する人もおりますしね。
万人に届く言葉などありはしないので、ケースバイケースでよく相手を観察し言葉を選んで行かなければならないのでしょうが、ものすごく大変そうです。
>タタールさん
エントリの内容を体現するようなコメントをありがとうございます。
おかげで考察の方向性が正しかったという自信が持てました。
>デイウォーカーさん
私もここまで「そのまんま」なコメントが来るというのは予想外でした。
>くらさん
>我々の生活、人生のほとんどの部分は科学とは そんなに縁のないものだと思う。
現代人は生まれてから死ぬまで常に科学によって生活を支えられているのですが、
別に科学を意識せずとも生きていけるから、その事を自覚していない人は多いですよね。
#正確には科学技術ですけど。
>huginさん
今回ばかりは本当に意図してなかったのですけどね。
>あらいさん さん
モノサシでもって何を測るかですか。
確かにいつも使っている人間にとっては自明なので省略しましたが、
書いておいたほうがいいでしょうか。
>道具の使い方を学ぶ気が有ればすぐに埋まる溝だと思うんですが、何故か深くて埋まらないようです。
どうしてこの溝はこんなに深いんでしょうね?
>ふゆゆさん
かなり前なので定かではありませんが、両方の意図で取り上げたと思います。>東長崎機関
>プラスチックの微細化による自然蓄積と人体への公害的な影響
ビスフェノールAみたいに環境ホルモンとの絡みで研究されているものは聞きますので、多分それの事でしょうか?
元微生物屋として一言言わせて頂ければ、プラスチック分解菌などどこにでもいます。
だから少なくとも「なぜなら分解されず、ただ微細化するだけのプラスチックは」というのはダウトですね。
分解しやすさに差はあれど、基本的に炭化水素なら何でも環境中の微生物によって分解されます。
ダイオキシン問題だって最近誰も口にしなくなったのは、結局のところ勝手に分解していくのでよほど高濃度に汚染された場所でもなければ放っておくに限ると分かったからですし。
>ふまさん
お久しぶりです。
>私自身は、ちょっと違って、「科学のモノサシを使う気のない人に、科学のモノサシを押し付けるなんてことしなくていいのに…」と思うのです。
例え「科学のモノサシなんて知らんもんね」という人であっても、
その人は「科学のモノサシ」で測られたものに囲まれて生活しているわけで、
たとえ自覚がなくても少なからず「科学のモノサシ」の影響を受けています。
#だからこそ疑似科学を商売にする人は「科学っぽい」売り文句を使う訳です。
ゆえに、「絶望した!科学のモノサシに絶望した!」という人に対しては、まずその人自身の持っている「科学っぽいモノサシ」に気づいてもらうところからはじめ、それを「科学のモノサシ」にバージョンアップしてもらうというのが正道かなあと、このエントリを書いていて思いました。
>デイウォーカーさん
>科学の衣を被って妄言を撒き散らしていれば、科学者サイドから「科学のモノサシ」を押し付けられて批判されるのは当然だと思うのですがね。
「売り手」に対してはまあそれでもいいかと思うのですが、
「買い手」に対してそれをやるとエントリ内でも書いたように話が平行線をたどるので、別のアプローチを考える為に相手の心理を分析してみる。というのが今回のエントリの趣旨です。
わたしはほんとはてんさい(てんさい)
けれどもあつかいぞんざい(ぞんざい)
わたしの都台にぴったり(ぴったり)
そんな科学はないかしら?
かくて疑似科学が生まれる、という訳ですが…後はおなじみのパターンですね。
我々は幸福なことに凄く無知であっても、快適な生活を送ることに不自由しません。冷暖房のエアコンと冷房のみのクーラーはどう違うか?自動車のクラッチペダルなしの変速機AT、CVT、SMTはどう違うか?知らなくても別に困りませんよね。リモコンやアクセルで動かすだけですから。
問題はその知らなくてもなんとかなるということによる一種の万能感だと思います。車のチューニング業界がいい例でパイプにステッカーを貼ると燃費向上とかホントに書いてますからね。そこでまあいらぬおせっかいを焼くと鬱陶しがられる、いい歳して不勉強をなじられるのは誰だって不愉快ですよね。
逆に言えば不勉強でもなんとかなるような業界こそ疑似科学の花が咲くというか。オーディオなんかも凄いですよね。
原理は全然わかってないけど、とにかくうまくいってる、なんか文句ある?とここまで来れば立派なビリーバー、騙されるのは構わないけど・・・周囲への影響が馬鹿にならないことでうしょね、問題は。
前者の方はあの写真等を見れば、それに応じての受け取り方も色々なのだろうな、と受け取っておきます。
問題は後者の方です。
プラスチックはよく分解されない、形が残る、保存性が良すぎると聞くのですが、分解される、自然に帰る格好なのだというのなら、市販されているプラスチック、何でもいいのですが一例としてあげれば子供向けの弁当箱などが地中にゴミと埋められた場合など、土壌にもよると思いますが大体これくらいで土に帰る、という基準のようなものは、そちらの学界や、取り扱う業界などではあるのでしょうか。
ゴミ問題などではダイオキシンなどの土壌汚染よりも、確かこれらプラスチックが「残る」問題の方が深刻に扱われていた時期の方が長かったように思うのです。
元が化石燃料で作られたものである以上、確かに帰りそうな感じはするのですが、お答えを聞く限りだと、時間を長く取ってみたばあい、プラスチックも生ゴミと同じ感覚で土壌に埋めておける、という考えで問題ないと受け取ってもよろしいのでしょうか。
やはり疑似科学ネタ、盛り上がるみたいですね。
私が思うに、疑似科学批判批判に対抗するには、科学的な間違いを追及しつつ、議論する場合も
「私は、あなたの説を全面否定するつもりはない。ただ科学的に正しいかどうかだけを議論したい」
と議論を科学的側面に絞ったうえで、科学的には正しくないことだけを認めてもらう。
という線で攻めていくしかないと思います。
そうすれば、相手としても、科学的には正しくないが自分の理論(物語)そのものは間違っていない、という逃げ道を作れますから。
もともと、疑似科学批判批判な人たちは科学的な議論をしたいわけではないのですから、ある程度その辺の心情は認めてあげて、適当なところでお引き取り願う、といった感じでしょうか。
そしてこと日本においては、科学的に正しくないことさえ認められてしまえば、その説があまり普及することはないと思います。
>「科学っぽいモノサシ」に気づいてもらうところからはじめ、それを「科学のモノサシ」にバージョンアップしてもらうというのが正道かなあ
科学啓蒙という観点からは、そうでしょうね。
とむけんさん
>科学的側面に絞ったうえで、科学的には正しくないことだけを認めてもらう。
>そうすれば、相手としても、科学的には正しくないが自分の理論(物語)そのものは間違っていない、という逃げ道を作れますから。
私も科学面以外のことをあまり持ち出すと、疑似科学の人は不信感を抱くだろうな、と思います。
細かい話なのかもしれませんけど
> 原理は全然わかってないけど、とにかくうまくいってる、なんか文句ある?とここまで来れば立派なビリーバー、
原理が分からなくてもうまくいっているのなら問題ないんだと思います。問題なのは、本当に「うまくいってる」の? 「うまくいってるような気がする」だけじゃなくて? というところじゃないでしょうか。
たとえうまくいってても、原理を少しでも突き止めよう、考えようという心が科学ですよね。
そうじゃないといざ問題が起きた場合どうにもならなくなる、自分も仕事場でよく言われますw
>一例としてあげれば子供向けの弁当箱などが地中にゴミと埋められた場合など、土壌にもよると思いますが大体これくらいで土に帰る、という基準のようなものは、そちらの学界や、取り扱う業界などではあるのでしょうか。
海中に投棄されたような場合は、完全に分解するまで十〜百年、土の中に埋めた場合は数十年〜最長千年単位といったところかと。
下に挙げたような例もあるので、あるいは環境によってはもっと早いかもしれませんが。
基本的にプラスチックの分解速度というのは表面積によって決まるので、様々な物理的化学的作用で細かく砕かれる海中の方が分解は早いです。また、ビニール袋のようにペラペラな物は分解も早いですが、弁当箱のように分厚い物は分解にも時間がかかります。
ちなみに実験室条件なら最短数か月で完全分解します。
参考例:幻影随想: ペットボトルを完全分解する微生物
http://blackshadow.seesaa.net/article/2675518.html
>プラスチックも生ゴミと同じ感覚で土壌に埋めておける、という考えで問題ないと受け取ってもよろしいのでしょうか。
環境負荷が高いのは確かなので同じ感覚とまではいきませんが、先のコメントで書かれていた「プラスチックは将来もっとも深刻な人体被害を〜」みたいなのは杞憂かと。
>とむけんさん
おひさしぶりです。
>議論を科学的側面に絞ったうえで、科学的には正しくないことだけを認めてもらう。
確かに「科学」の側面だけで見た場合、その対応で正しいんですよね。
ただこれだと「社会」の側面の問題が手つかずのまま残る訳で、そこら辺どうしたもんかと考えています。
それに、
>「私は、あなたの説を全面否定するつもりはない。ただ科学的に正しいかどうかだけを議論したい」
だけだと、江本氏みたく「現在の科学の枠組みの中で正しいとは言えないだけで、科学の枠の外では正しいのだ」という逃げ道が残って結局相手は何も変わらないというパターンも多いですし。
>よしきさん
「社会」の側面の問題をどうするかという話ですよね。
>科学面以外のところでもシニカルに無視したりはせずに言うべきことは言っていくべきだという意見もあると思います。
私もその意見に賛成です。
「誇大広告等の規制(経済産業省)」
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=7937
ニセ科学の一部である「宣伝に使われるニセ科学」については、「科学のモノサシ」の適用を拒否した場合の効果が、消費者と事業者では異なるということの指摘です。
どうもです。エントリ拝見しました。
確かに事業者に対しては様々な法的縛りがありますね。
てか、こんなんで詳しいことになる訳?そりゃ、ニセ科学にも騙されますわな
きくち April 12, 2008 @20:08:06
>AGLA氏は物理に詳しいし、少なくとも物理科学については僕よりよくわかっていそうなのですが、残念ながらマルチハンドルだしコメントの手口がふま君と同じなので、このブログでは議論の相手にできません。
http://s04.megalodon.jp/2008-0412-2059-01/www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1207487014
まあ、そういう図式だよね。
ついでに 2008/05/14 23:57
「俺はホームランを打つ!」って、野球ゲームで対戦相手にそれくらいのことは言うでしょうよ。
そんなことしても 2008/05/15 16:56
野球ゲームは好きだけど、野球は嫌いって人間を増やすだけでは?
http://d.hatena.ne.jp/raurublock/20080522/1211468319#c1211625117
コピペコメントを繰り返して一体何がしたいのか知りませんが、
いい加減自分の馬鹿さ加減を曝け出しているだけだと気が付いたほうがいいですよ。
悪行リストをさらに伸ばしたいというのであれば構いませんが。
もっと休むに似ている:「比ヤング」「ふま」「夫馬」「うま」「トロッコ」「室井健亮」→?
http://gallerytondemo.blog.shinobi.jp/Entry/66/
http://d.hatena.ne.jp/alice-2008/20080621/1214012442
と、いうふうなことを小林秀雄が言ってます。
「脳の機能」と「精神」は絶対平行しない、ともいっていて、昨今の精神医学のいびつさ(ドパミンやセロトニンの定量で全て説明しようとする)を予言しています。
なぜ写メに記録する事にしたか(動機)は、あまりに連続するから。
記録上は40回のうち16回が大吉で(6回連続、4回連続、2回連続*2、バラが2回)ですが(公称値は14%〜ぐらいでしょうか)それ以前には8回連続がありましたね。
なお、震災後は19回連続大吉が出ませんでした。自分の運気はなにに通じてるんでしょう。
と書いたら「あり得ない」の一辺倒の反応を喰らう。でも事実なんだよな。「因果関係は認められません。」人知ではね。
黒影のようなカスもいるという一つの例
PNASという三流科学誌に掲載された論文?(感想文と言った方が良いだろう)で大騒ぎして墓穴を掘った黒影くん、原菌株とCit+の個体のゲノム配列の比較、その解析結果を知っているのかな^^
進化が現在進行形で行われているって^^いやしくも現役の分子生物学者にこんなお馬鹿な主張をされては、ため息を付くしかないよね。何度このお馬鹿なセンテンスに肩をすくめたことか^^
黒影のようなカスもいるという一つの例
PNASという三流科学誌に掲載された論文?(感想文と言った方が良いだろう)で大騒ぎして墓穴を掘った黒影くん、原菌株とCit+の個体のゲノム配列の比較、その解析結果を知っているのかな^^
進化が現在進行形で行われているって^^いやしくも現役の分子生物学者にこんなお馬鹿な主張をされては、ため息を付くしかないよね。何度このお馬鹿なセンテンスに肩をすくめたことか^^