サブタイトルは「メディアリテラシーを磨くのに最適な産経新聞のID論翼賛記事」ってことで。
産経Web【教育を考える】:「反進化論」米で台頭 渡辺久義・京大名誉教授に聞く
の内容をトンデモウォッチャー的に見るという趣旨です。
「思考訓練として必要」だなんて、言ってる本人と記者に一番足りて無さそうな気がしますが
それはそれ、これはこれ。
折角ですので早速思考訓練として楽しませてもらうことにしました。
(日本におけるインテリジェントデザイン理論の背後関係なんかについてはこちらを参照のこと。)
では早速…
まずのっけから記者が思い込み全開で飛ばしています。
ダーウィンの進化論を批判する「インテリジェントデザイン(ID)」論を学校教育に取り入れる動きが米国で広まっている。IDとは、人間の存在は進化論では説明できず、何らかの「知的存在」がデザインしたという理論で、従来の反進化論と違って多くの科学者が支持。ブッシュ大統領も、進化論以外も学校で教えるべきだとの姿勢を示している。日本で早くからIDを紹介している渡辺久義京大名誉教授に聞いた。(渡辺浩)
先日チンパンジーの全ゲノムが解読され、どの遺伝子がヒトと違っているか明らかになりました。
今後両者が分岐後にどのような進化の過程を歩んできたかが明らかになり、
何がヒトをヒトたらしめているかの解明もそう遠くないと見られているのですが
彼等の頭の中身は未だに前世紀のままで思考停止しているようです。
それとも記者は自分の頭で考えることを放棄しているのかな?
アメリカが〜、多くの科学者が〜、ブッシュ大統領が〜、
権威にすがる前に根拠薄弱な論を何とかした方がいいですよ、と。
それでは具体的に中身を思考訓練していきましょう。
これは科学
――IDを分かりやすく説明してください
米国ではあらゆるメディアで激論の対象になっていますが、ブッシュ発言でさらに認知度が高まっています。IDとは、この宇宙自然界の成り立ちを目的も計画もない機械的な力だけで説明しようという無理なことはやめて、自然的要因としての「必然」(自然法則)や「偶然」のほかに「デザイン」という要因を科学として認めようではないかという理論です。英語の「デザイン」は、構想、計画、設計、意図、意志、目的といった概念すべてを含みます。長年、科学の約束となってきた自然主義(唯物論)、つまり自然界の謎は自然界の内部で解決できるはずだという前提を揺さぶるものなので、特にダーウィニズム陣営からの反発が強いのです。
――推進しているのはキリスト教右派とされています。旧約聖書に基づく創造論の「神」を「知的存在」に言い換えているだけでは?
もしそんなものであるなら、これを支持する科学者は一人もいないでしょう。米国の記者もよく「何で早く神と言わないのだ」と質問しますが、ID理論家はあくまで科学的実証から出発するわけで、彼らは、自然的要因からは生じえない「デザイン」の事実が厳密に実証できるのだから、従ってデザインの主体、デザイナーの存在が推論できるのだと言っているのです。神から出発するのではないのです。キリスト教右派だとか宗教勢力の画策などというのは、そういうふうに見たがる人の言うことです。
第一段落、キャプションがすごいです。
「これは科学」
のっけから断言が出ました。すばらしい。
さぞかし立派な証拠が示されているのでしょう。
思考訓練のし甲斐がありそうです。
が、中身を読んでみると…あれ、おかしいな?
科学的根拠の欠片も提示されないどころか、かつて創造論者が言っていた内容と、「神」が「インテリジェントデザイナー」に変わっただけで他の部分が大差無いような気がするのですが…
Googleで「創造科学」を検索してTOPに出てきたこのサイトと比較してみましょう。
創造論(創造科学)とは、世界とすべての生物は進化によってではなく、聖書に記されたような仕方で 特別に創造されて出現したと考えたほうが、様々の科学的事実をよく説明できるとする学説である。
「創造論」(創造科学)は、これまで科学的に無理が多いと言われながら長く信じられてきた「進化論」 に代わり、世界と生命の起源を的確に説明する科学上の新たな理論である。 現在では科学者や知識人の間に、進化論の欠陥を認め、進化論を捨て去る人々が増えている。また同時 に、一方で創造論を支持するようになった人々が増えている。
日本ではまだあまりその実情が知られてい ないが、「進化論の証拠はもはやなくなった。進化論は実質的に崩壊している」 と述べる科学者たちが増えているのである。驚く人も多いかもしれないが、これは単に宗教者たちがそ う唱えているというのではない。大学教授や、科学的分野の博士号を持つ人々、また研究所の科学者たち がそう唱えているのである。医者や、高校の科学の教師らもいる。そうした科学者たちが、創造論(創造 科学)のさらなる研究と普及のために、世界各地に団体を形成している。
他の理論との比較は思考訓練の基礎過程。
まるでかつて創造論のリプレイを見せられているかのような言動です。
こんな底の浅い議論で創造論とは違うのだと言われても説得力がありません。
おまけにその主張の根幹が昔の神学者が主張した神学理論なのに神から出発したのではないとか、
今もID主張者のほとんどがキリスト教右翼なのに宗教とは関わりないとかいうのは性質の悪いジョークです。
個別に見ていっても
「無理なことはやめて」と言っても今のところ別に進化論の根幹を危うくするような事実は出てきてませんし。
それどころか逆に補強証拠が山のように積まれているわけですが。
「自然的要因からは生じえない」というのも嘘ですし。
(NATROMさんのところに参照リンクを貼っておきます。うちの記事を見てもらっても面白いかもしれません。)
もしそんなものであるなら、これを支持する科学者は一人もいないでしょう。
創造科学とやらの時でさえ支持表明する困ったさんはたくさんおりましたが、何か?
トンデモ学者を集めてみたところで説得力はありません。
上に紹介した創造科学のサイトがいい証拠です。
キリスト教右派だとか宗教勢力の画策などというのは、そういうふうに見たがる人の言うことです。
インテリジェントデザイン論がキリスト教から生まれ、今もキリスト教右翼におんぶにだっこなのは上に書いたとおり。
さらに言えば統一協会と深い関係にあり、更にその軒を借りている団体の人間がそんなことを言ったところで説得力皆無です。
自分の立ち位置を考えて発言されたほうがよろしいかと。
あともう一つ、かつて創造科学を唱えていた連中が口を拭ってインテリジェントデザイン論に参入してきているのは見ない振りなのでしょうか?
軽くウォーミングアップのつもりで思考訓練してみたら
何だか滓も残らない状況になったような気がしますが、
気にせず次に行きましょう。
異説紹介を
――米国では親の教育権とも関連して進化論批判の歴史がありますが、日本の教育界に持ち込もうとすれば「非科学的」と猛反発されます
宇宙に目的も方向もあり得ないとする唯物論、機械論が正しいなら、ダーウィンの進化論以外に全く考えようがなくなります。「どこが間違っているのだ」と食い下がるダーウィニストにとって、理論と証拠の不一致は関係がなく、初めの前提で答えが出ているのです。「科学的」「非科学的」を口論する前に、自分の立っている足場を確認する訓練をしなければなりません。IDが正しいかどうかより、思考訓練のきっかけを与えてくれるという意味で重要なのです。教科書に書くなら「ダーウィンの進化論に沿って考えるならば」と、仮説の紹介にとどめるべきです。
――しかし進化論は「公認の学説」になっています
進化論には疑いようのない化石による証拠とか実験での証明は何もないのです。「公認の学説」とは異説を唱える学者は認めないということでしょう。それだけでも鉄槌(てっつい)を下す意味があるではないですか。例えばある教材に「その後生物は複雑化し、多細胞生物へと進化しています。五億三千万年前ごろには、海の中には、多様な生物がすむ世界になっていました」とあります。五億三千万年前といえば、前身となる生物の化石なしに多くの生物が(地質学的に言って)「一夜にして」出現したといわれる「カンブリア爆発」の起こった時期です。ダーウィン進化論にとって都合が悪いからこんなふうに書く。私は素人ですが、これはたちの悪い虚偽の記述だと言ってよいと思います。
――では、生命体はどうやって生まれたと考えますか?
それは分からないとID派の学者たちは答えています。ダーウィニストは、分からないことでも分かっているように言うのが科学的だと考えています。「分からない」「神秘だ」と正直に言う方が知的に誠実ではないでしょうか。
この部分に関しては、記者の質問にまず目を疑いました。
前提条件を疑うのは思考訓練の第一歩です。
おかしいと思った部分はここ。
米国では親の教育権とも関連して進化論批判の歴史がありますが、
さてさて、これは全て原理主義的なキリスト教信者による創造論教育を求める動きだったわけですが。
しかも全てが失敗に終わってきたという歴史を持っています。
それを隠してこんな質問をするなんて、記者の中の人がこぼれてますよ(笑)
それとも質問も全部インタビュー相手に用意してもらったのかな?
事実を構成する要素から重要な部分を意図的に隠して提示する事で、相手の思考誘導を図るというのは、洗脳の初歩テクニックです。
さすがは日本のID論の第一人者。いい仕事をしています。
この辺の歴史に関して言うなら中岡さんのエントリが分かりやすくまとまっていますかね。
アメリカでは過去に宗教勢力の手によって一旦進化論が教科書から消える事態まで起こっています。
進化論教育が復活したきっかけがソ連との科学技術競争にあるというのも笑えませんね。
インテリジェントデザインを主張する人間達は、IDをさも突如表れた科学理論のように装っていますが、
その中身はかつて創造論者が、創造科学論者が主張してきた内容の延長線上に過ぎません。
進化論裁判 - Wikipediaこちらにはさらに詳しい話も載っています。
続く渡辺氏の返答がまた振るっています。
宇宙に目的も方向もあり得ないとする唯物論、機械論が正しいなら、ダーウィンの進化論以外に全く考えようがなくなります。「どこが間違っているのだ」と食い下がるダーウィニストにとって、理論と証拠の不一致は関係がなく、初めの前提で答えが出ているのです。
この答えこそ、渡辺氏が科学というスキームを全く理解していないことの何よりの証拠でしょう。
まず事実があり、それを元に反証可能な仮説が立てられ、検証の積み重ねで仮説の真偽が判断される。
進化論はこの科学のプロセスを通過してきたからこそ正しいと認められているのですが、
さすがにトンデモさんは違います。まず目的ありきでそれに当てはまる理論を作ろうとは。
科学的思考は、思考訓練において何よりも大事です。
「理論と証拠の不一致は関係がなく、初めの前提で答えが出ているのです。」
という部分はそのまま渡辺氏とこの産経記者に当てはまりそうですね。
そもそも渡辺氏はID理論の科学的根拠を聞かれたくせに
まったく根拠を説明することが出来ずに話をそらして済ませようとしています。
挙句の果てに「IDが正しいかどうかより〜」と、科学としての正当性などどうでもいい、
そんなことよりもまずIDを教えることに意義があるのだといわんばかりの、
科学的正当性など意識の彼方にすっ飛んでしまったらしい言説を披露してくれています。
こんな詭弁に騙される人はよっぽど科学的思考能力に欠けている人くらいでしょう。
「風が吹くと桶屋が儲かる」という小噺があります。
論理の飛躍をさす言葉なのですが、
渡辺氏の意見は「風が吹くのは桶屋を儲けさせるためだ」と言うくらい
さらに突拍子もない方向にずれていますね。
この段落はもう突っ込みどころしかないといっていいような内容なので、
片っ端から思考訓練して行きましょう。
「科学的」「非科学的」を口論する前に、自分の立っている足場を確認する訓練をしなければなりません。IDが正しいかどうかより、思考訓練のきっかけを与えてくれるという意味で重要なのです。
トンデモさんの言動の特徴の一つとして、主張がブーメランとなって自分自身に跳ね返るという点があげられます。
この部分などはまさにその好例です。
どう見ても自分の足場をきちんと確認できているようには見えませんね。
自説の根拠はまったく説明することが出来ず、バックグラウンドも疑惑の固まり。
進化論に対する批判も間違いだらけでまったく意味をなしていない。
こんなレベルの低い詐欺師に引っ掛かる人がいるのが信じられません。
もっと厳しく科学的思考の訓練をしてもらわないと。
また「IDが正しいかどうか」が大事なのに、その確認を脇に置くのもいただけません。
正しくない理論など教科書には載せるわけには行きませんしね。
渡辺氏の態度は教育を語る資格もないほど詭弁にまみれています。
さくさく刻んでいきましょう。
知ったかぶりもまたトンデモさんがよくやる行為です。
思考訓練に先立って、幅広い知識を身に付けておくと見破りやすいです。
進化論には疑いようのない化石による証拠とか実験での証明は何もないのです。「公認の学説」とは異説を唱える学者は認めないということでしょう。それだけでも鉄槌(てっつい)を下す意味があるではないですか。例えばある教材に「その後生物は複雑化し、多細胞生物へと進化しています。五億三千万年前ごろには、海の中には、多様な生物がすむ世界になっていました」とあります。五億三千万年前といえば、前身となる生物の化石なしに多くの生物が(地質学的に言って)「一夜にして」出現したといわれる「カンブリア爆発」の起こった時期です。ダーウィン進化論にとって都合が悪いからこんなふうに書く。私は素人ですが、これはたちの悪い虚偽の記述だと言ってよいと思います。
渡辺氏が進化論について全く理解していないことを象徴するコメントです。
猿人から現代人類まで続く進化の過程を示す化石や、遺伝子に残る進化の痕跡、さらには現在も進化の過程が観察可能なことなどは全て無視ですか。
「公認の学説」とはそれだけがっちり証拠固めが出来ているということです。
あとダーウィンはその著書の中できちんとカンブリア爆発に触れ、それがその当時の進化論では説明できない現象だと書いています。
ちなみに現在のDNAを元にした研究で、カンブリア爆発の数億年程前にはもう多細胞生物に共通の遺伝子はほとんど揃っており、後はその遺伝子のセットをどう使うかで大きな形態の変化が起こったこと、DNAの変化量と形態の変化量は必ずしも連動していないことなどが明らかになっているため、カンブリア爆発は別に進化論の否定材料にはなりません。
ゆえに都合が悪いから隠すなどという言い方はまったく外れています。
Special Story:ゲノムから進化を探る研究-BRH - JT生命誌研究館
進化論を批判しようというのにその程度のことも知らない、
あるいは知っていてもこのようなことを言っているのであれば、
渡辺氏のコメントは「たちの悪い虚偽の記述」といってよいと思います。
鉄槌はあなたにこそ下されるべきですね。
仮にも既存の学説と矛盾する説を唱えて学会を立ち上げようというのであれば、
その程度のことはきちんと知っておいて欲しいものです。
そろそろ疲れてきましたが、次の思考訓練に進みましょう
――では、生命体はどうやって生まれたと考えますか?
それは分からないとID派の学者たちは答えています。ダーウィニストは、分からないことでも分かっているように言うのが科学的だと考えています。「分からない」「神秘だ」と正直に言う方が知的に誠実ではないでしょうか。
おっとこれは思考訓練以前ですね。
ダーウィンは彼が進化論を発表した時点で、分からない事、説明がつかないことを全て列挙していました。
ゆえに後の学者はほとんど彼の残した課題を片付けるだけで済み(DNA関連は別ですが)、
その意味で進化論はダーウィンの手によって6割方完成されていたとすらいえます。
ちなみに現在残っている課題も、進化論の教科書を読めばちゃんと書かれているはずですけどね。
彼の進化論理解の浅さから、私は読んでない方に賭けますが。
それにしても判らないことはちゃんと判らないと書いていたダーウィンと、
自説の論拠も示せず、相手への批判はデタラメもいいところな渡辺氏、
一体どちらの方が知的に誠実な態度なのでしょうか?
やっぱりブーメラン返しになっちゃいますね。
あと二つです。
学会を設立
――日本の学校でも教えるべきですか?
思考訓練として教えるべきです。でないと日本人の頭は硬直したままです。それに「生命は無生物から発生した」「人間の祖先はサルである」という唯物論的教育で「生命の根源に対する畏敬(いけい)の念」(昭和四十一年の中教審答申「期待される人間像」の文言)がはぐくまれるわけがありません。進化論偏向教育は完全に道徳教育の足を引っ張るものです。
――その認識を日本で広めるために、どんな取り組みを行っているのですか?
ID運動に呼応する形で、今私は同志とともに、啓蒙(けいもう)的な学会活動を始めています。われわれの文化の唯物論的体質が学問の世界から発しているのだから、学問の世界から矯正していこうという運動です。この学会とIDについての詳細はホームページ(http://www.dcsociety.org)をご覧ください。
思考訓練としてID理論を取り上げる。
逆説的ですが、これはいい考えかもしれません。
ここまでデタラメな理論というのはそうそう存在しません。
生徒に科学的思考と批判能力を身につけてもらうための格好の素材になるでしょう。
身を挺してトンデモ科学の実例を示してくださる渡辺先生に尊敬の念が溢れてやみません。
是非とも大きく取り上げて欲しいと思います。
名残惜しいですがいよいよラストです。
進化論偏向は道徳教育にマイナス 日本の識者も主張
「人間の祖先はサルだという教育は、生物の授業の仮説ならともかく歴史教育や道徳教育にはマイナスだ」「進化論はマルクス主義と同じ唯物論であり、人間の尊厳を重視した教育を行うべきだ」という議論は日本でも多くの識者から主張されてきた。
マルクス主義の影響を最も強く受けているとされる日本書籍の中学歴史教科書は平成十三年度使用版まで、見開き二ページを使ってダーウィンの進化論と旧約聖書の創世記、戦前の歴史教科書の日本神話を対比させて聖書や神話を否定的に受け止めるよう誘導していた。
このような教育に対し、日本神話の再評価を訴えている作家・日本画家の出雲井晶さんは「道徳の上では人間は人間、獣は獣。人間を獣の次元に落とす進化論偏向教育が子供たちを野蛮にしている。誰が日本人を作ったのかというロマンを教えるべきだ」と話す。
中川八洋筑波大教授は著書『正統の哲学 異端の思想』でダーウィンを批判。創造論、進化論の双方が非科学的だとしても「文明の政治社会の人間の祖先として『神の創造した人間』という非科学的な神話は人間をより高貴なものへと発展させる自覚と責任をわれわれに与えるが、『サルの子孫』という非科学的な神話(神学)は、人間の人間としての自己否定を促しその退行や動物化を正当化する」と論じている。
道徳教育は進化論の存在によって危うくなる。
だからこそ進化論は駄目なんだそうです。
ラストがしょぼいのはちょっと残念ですが、これも思考訓練の素材にはちと不足ですね。
子供が口げんかで勝てなくなってくると
「○○が言ってたから正しいんだぞ!」とかいうのと同レベルです。
科学論で破れて価値論、精神論に逃げるのはトンデモ科学の常ですので覚えておくと良いでしょう。
あ、ちなみに生化学者の端くれとして誓いますが、自然の中で暮らす人々、農林水産業など生き物相手の仕事をしている人達の次くらいには、研究者は自然に対する畏敬の念を持っていると思います。
こんな風に人間至上主義で凝り固まっている人たちなんかに比べればはるかにね。
なんせ生命の精巧な仕組み、その進化の歴史を知れば知るほど、自然の偉大さを思い知らされますので。
まあ個別に取り上げるなら、
「道徳の上では人間は人間、獣は獣。人間を獣の次元に落とす進化論偏向教育が子供たちを野蛮にしている。」とか
「文明の政治社会の人間の祖先として『神の創造した人間』という非科学的な神話は人間をより高貴なものへと発展させる自覚と責任をわれわれに与えるが、『サルの子孫』という非科学的な神話(神学)は、人間の人間としての自己否定を促しその退行や動物化を正当化する」とかいう勘違いさんの言説ですかね。
アホなことを言っているとは思いますが、それがどうアホなのか言語化することは、
思考訓練としていいトレーニングになるでしょうし。
まず一つ目。
進化の系譜を辿れば同じ祖先にたどり着くとはいえ、
現状で別々の存在である以上両者を同一視しなくてはならない理由はないですが、
他の動物に比べて人間がより進化しているというわけではありません。
誤解されやすいのですが、全ての動物は皆それぞれの方向に進化しています。
人間はたまたま知性を発達させる方向に進化する機会に恵まれたというだけの話です。
また、進化論上でも人間は人間、獣は獣であり、両者は別物ですが、
人間を獣の次元に落とすなどというたわけた主張をする人間に道徳を語らせることは論外です。
子供っていうのは思考が柔軟だから動物にも人間にも同じように接します。
そこにまるで「人間は下等な動物とは違うのだ」と言わんばかりの差別感情を吹き込んでどうするのです?
誓ってもいいですが、動物を見下す人間は、他の人間に対しても同じように見下しますよ。
子供に差別感情を教え込むことが「道徳」なのですか?
この人の主張に関しては「教科書が教えない日本の神話」にその全てが凝縮されているので、
読んでみると面白いかと。
二つ目。
この人の場合、人間が類人猿の子孫だと自分のアイデンティティが崩壊するそうです。
さらには退行して動物化するそうですが、なんてちっぽけな自尊心だろうと思います。
おまけに神が人を作ったと考えないと人は更なる高みを目指さなくなる?
この人も一人目と同じく人間をえらく見くびってくれたものだなと。
そんなに「人間が他とは違う特別な存在」でないとアイデンティティが保てませんか?
そんな傲慢で差別的な考えを持つ人間が道徳を語らないで欲しいものです。
先祖がサルだろうが単細胞生物だろうが、
それはヒトのヒトとしての尊厳をいささかも損ねることにはならない。
我々は、今こうしてここにいる。
こうして思考を操れる存在として生きている。
それだけで十分すぎるほど素晴らしいことじゃないか。
などと私などは考えるのですが。
神の存在を前提に、「神に作られた特別な存在である人間」というアイデンティティを持つ者と
別に進化論に関係なく「偉大な自然によって作り上げられた生物の一種である人間」というアイデンティティを持つ者とでの思考の違いですかね?
まあこの二人自身はともかく、こんな主張をわざわざ引用してくる渡辺氏も、
その道徳観念の底が知れるというものです。
さらにはこんなトンデモ記事を教育面で大きく取り扱う産経新聞の底抜けの批判能力のなさもね。
渡辺氏はおそらくもう更生不可能でしょうが、
こんな記事を書いた産経新聞には猛省してもらいたいものです。
記事内容の検証はこれでおしまいですが、それにしても思考訓練って楽しいですね!
是非ともこの産経の記事を使った思考訓練を、全国の中学高校くらいでやって頂きたいです。
何よりいい科学リテラシー教育になりますよ。
デザート代わりにスパゲッティモンスター説とインテリジェント落下理論を紹介。
トンデモ理論に疲れた人に一服の清涼感を与えてくれるウィットの効いたジョークです。
あいにく両方とも英語ですが、調べてみたらスパゲッティモンスターは日本語のWikiが出来ていました。
・Evangelical Scientists Refute Gravity With New 'Intelligent Falling' Theory | The Onion - America's Finest News Source
・Intelligent Falling - Wikipedia, the free encyclopedia
IF理論。重力理論は間違いで、インテリジェント落下説こそが正しいというIDの変種。
Fallingがダブルミーニングになっている洒落た皮肉。
果たして落ちゆくものとは?
IF理論に関しては児童小銃 .456さんのところが追いかけているのでリンク。
・Church of the Flying Spaghetti Monster
インテリジェント・デザイナー=スパゲッティモンスターとするIDの一説。
子供の書いたスパゲッティモンスターの絵が楽しい
当ブログでの言及記事
空飛ぶスパゲッティ・モンスター教 - Wikipedia 爆笑。
ついでにこれも
◆関連記事リンク
・インテリジェント・デザイン論(ID論)関連記事を振り返る
・30億文字のスパゲッティコード
9月30日23:30追記
<2007/04/01 リンク切れの修正>
【疑似科学・ニセ科学・オカルト・トンデモの最新記事】
進化論の証拠や、論拠が危うくなって、残るはID理論しか存在しない羽目になっても許容できるかどうか、現在の科学者に問うているだけの事ではないでしょうか。また、大の皇妃様のファンなので、科学者の方に早く、仇をうって頂きたく思います。大昔の人でなく100年前に、いた人物で、その文献は、簡単に入ります。100年もすれば、心霊科学は発展していると思ったのでしょうか、未来に人に、と題して、詩をたくさん書き残したのですが、残念ながら、何一つ進歩してないのです。皇妃の存在は、霊魂が、存在する根拠、証拠には成らないが、論拠にはなるなでは、ないでさようか、もういいと、言われそうなので
当分、お休みします。
進化論が絶対に正しい?と言う論理にはついていけません。それこそ独断と思います。
先入観なく、偏見なくみるのが正し見方ではないでしょうか?
インテリジェントデザイン理論がもっと紹介され、偏見なく議論されるよう希望します。
>進化論はあくまでも推論であり、進化の法則ではないと思いますが、違いますか?
違います。進化論は既に単なる推論ではありません。
化石、遺伝子、生態観察等の数多くの実証に支えられた理論です。
ここの記事を一通り読んでからもう一度どうぞ。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/index.html
>進化論が絶対に正しい?と言う論理にはついていけません。それこそ独断と思います。
現在最も確かな理論であり、特に反証が見当たらないのが進化論だと言っているだけです。
進化論が間違っていると思うのであれば、その証拠を持って来ればいいのです。
根拠のない(あるいは間違った)主張は何ら意味を持ちえません。
>先入観なく、偏見なくみるのが正し見方ではないでしょうか?
あなたこそ、先入観のためにID論に対するひいきの引き倒しが過ぎるようです。
インテリジェントデザイン論者の問題点はその主張が崩壊するレベルまでひどいものですが
あなたはそれを見ない振りでこんなことを言っている。
>インテリジェントデザイン理論がもっと紹介され、偏見なく議論されるよう希望します。
インテリジェントデザインをもっと客観的に見て、偏見なくその論理性の欠如を直視されるように望みます。
正統の哲学異端の思想は既読だったので、少々補足。まぁあれだけ極論の人を擁護する気も無いんですが。
この本で該当する箇所の主張は、”進化(進歩)論が政治に転用されると左になるからイクナイ!!”で、スペンサーだけじゃなくてこんな主張を始めたダーウィンもけしからんと、中川氏はお考えのようです。自由ゼロの社会・共産主義の世の中では道徳がなくなるというのが中川氏の主張ですので、渡辺氏はこの辺りから歴史・道徳教育の件についてインスパイヤされちゃったんじゃないかと。
中川氏による”生物学における進化論批判”も以下に引用する同書P265を見ると、確信犯的な気もするんですが。
どうなんでしょ。
『また、現在の生物学では人間の祖先をネアンデルタール原人や北京原人など、サルではなく「原人」とする。生物学であれば間違いではないが、政治哲学においては健全ではないし間違いとすらいえる。』
本文に対する遺伝子的にはネアンデルタール人が直接の祖先ではないというツッコミは、初版が96年ってこともあって大目に見てもいいのかなと。
この文を見る限り、著者は科学と政治を混同すんなといってる気も。渡辺先生も読んでるはずなんですがw
私は全く専門家ではないのですが、アメリカに住み始めてIDのことを知り、こうした現象を大変興味深く観察していました。
それにしても、日本にもこんなに熱心な提唱者がいるとは驚きです。私もですが、日本人はキリスト教のことをよく知らないので、中途半端な報道によってIDを擁護するような人が出てきそうで心配です。
私のブログではアメリカの新聞の社説を翻訳しています。今回ロサンゼルスタイムズでこの関連の意見が載っていたので翻訳しました。TBさせていただきました。
平成十三年度までの歴史教科書がどうなってたのかは知らないけれども、進化論と旧約聖書の創世記と日本神話を「対比」させてたこと自体おかしいし(誘導云々がいいとか悪いじゃなくて、そもそも同列に並べて比較していいものじゃないって意味です)。
話は本筋からズレるけれども、日本の歴史教育で教えなきゃいかんのは、「為政者が如何にして史書において血塗られた戦争政争を騙って自らの正当性を訴えてきたか」でしかないですよ。リンク先の「教科書が教えない日本の神話」も読みましたが、出雲井晶いい加減にしろとしか言えない。古事記の「拡大解釈」どころではなく、自分の信じている(信じたい)妄想を表現するために古事記を悪用してるだけじゃないの・・・道徳教育やりたければ別次元でやれ。
話を戻すと、進化論の政治的な利用を批判するのはいいとして、それを批判するのにもっとアヤしい言説を政治的に利用するのはどうか、ってまとめでいいんですかね?
TD自体をどうこう書けるだけの知識が無いので、周辺(道徳教育云々)にポイントを置いて書いてみました。まあ、黒影さんの記事があれば、それで充分ですね。
今後ともよろしくお願いします。
%通りすがり wrote
>絶滅させまくってる
人間のすることは、すべて神様の御心にかなうことなのです。人間以外のすべての生物は人間の踏台として創造されたのです。何億年もかけて苦労して進化させてきた生物を人間に絶滅させることは、神様版のポトラッチなのです。
宗教などのカビの生えた過去の遺物が自然科学に口を出すべきではないよ。
もし、こういった妨害活動で研究が滞ったら、その研究で助かるかもしれない患者が、一番迷惑するんだぞ。カルトども。
カルトたちは患者を殺しているのも同然なんだ。人殺し!
はっきりいうが、神様なんてどこにもいない。
いるとしても(いないけど)、聖書や神話よりDNAの塩基配列の方が神様近い存在だよ。
わかったか?カルトども。
「名無し」は科学と言う宗教、DNA信仰者とお見受けしました。貴方もカルト?
でしょう。で、私から一言いうと科学と宗教は
全然別ものです。「科学教」は宗教ですが。
よくいわれる「反証可能性」云々でも分かるように
間違った理論に基づいて機械を設計しても全然もの
にならないし、間違った理論を主張しても現実に
その主張と反対の、紛うことなき事実が出てくれば
おしまいです。しかし宗教は、それを信じきっている
人たちには常に真実であり続けます。当初の予言が
はずれたとしても別に「真実の理由」を考えつけば
良いだけなので。
黒影さんのいうようにIDをまともな人間が取り上げない
のは出発点からして科学としての体裁をなしていないから
です。「進化の背後にある偉大な存在の顕われ」を、
少なくともウォーレス(ダーウィンほど慎重でなくて
良いから)レベルで、仮説として顕示できるような証拠を
持ってきてくれないと話は始まりません。この手の話で
いつも思うのは疑似科学側の知的不誠実さ、知的怠慢さです。
書き込みして失礼いたしました。
といっても、要領がよく分からないので、URLを貼り付けただけに近いのですが、一応お知らせした方が失礼がないだろうと思い、書き込ませていただきました。
こういうトンデモ話は大好きですが、自分自身は「思考訓練」が苦手なので、
理論的に批判なされているところがすばらしいと思います。
失礼いたしました。
自然科学者でも進化論カルトでない人もいるんじゃないの?
韓国中学生の絵画の時以来ですね。
黄教授に関する記事、とっても分かりやすかったので、あれこれ読みふけっているウチに、面白い物を発見してしまいました。
統一教会が、未だにこういう形で策動しているのはなんとかしてもらいたいものです。
トラバも頂いていきます。
今日はじめてIDの存在を知って
面白く記事を読ませていただきました。
言論の自由といいたいところですが
R18指定にしたいですね
私は大学で物理学を専攻しているのですが、自然界において、とても人間の知能では理解できないような美しい秩序の存在を感じざるを得ないし、実際学者は皆「自然界は美しいものであるべきだ」と根拠無く(根拠無いのもちゃんと承知で)信じ、”あるに違いない(と信じたい)美しい理論”に向かって研究しているわけです。美しいというのは、完璧な秩序を持つとかそんな意味です。
なのでなんとなく私にとっては、量子力学が権力を持った今でもなお、デザイナーの存在を主張するお話は魅力的です。
進化論に限らず科学とは仮定の積み重ねであることは間違いなく、ただ、こう考えると今のところ矛盾はないんだよ、と言えるだけです。
しかし学校教育の場では科学=真実という教え方をしていて、これは大変間違っていて傲慢な態度です。
だから今回の問題に関して言えば、進化論があたかも真実であったような教育には強く反発を感じます。
でも、教育法がおかしいのであって、進化論が真に正しいか間違っているかは人間にはわからないのですから、教育の場で進化論を否定する態度は逆にまたおかしいわけです。
学会で進化論を攻撃するのはいいけども、これを教育しろって張り合うのがなんか嫌な感じ。そういう意味でID論者の態度は非科学的な印象を与えます。
んー、だから問題は、進化論=真実みたいな雰囲気でしょうか。だから許せない、うちらだって!みたいな気分になっちゃったんですね。
結局科学=真実っていう「教育の」問題になるような。
デザイナーの存在を考えることは、科学であってもよいと思います。宗教家が科学をしたっていいと思うのです。偏見こそが思考のパワーになったりもしますし。科学っていうのは動機ではなくて、考えて主張するプロセスのことだと思うんです。
なので、宗教的な動機を持つから科学ではないというのはおかしいと思います。
だから創造論そのものは、科学的な仮説として認めてもいいと思います。
ID論という名前になったのは、やっぱり、キリスト教徒ではない、純粋な研究者のなかで、自然界にひそむなんらかの絶対的秩序の存在を感じる人がいるということではないでしょうか。
うーん…科学してれば自然な感情だと思うけどなぁ。
科学信者をなくす必要はあると思う。そのことを考えれば十分かと。
変に道徳とか持ち込まないでほしいですね。
せっかく魅力的な理論なのです。科学の土俵で戦わないと。
なぜ他の土俵を用意するのか理解できません。その非科学的な部分が「逃げ」っぽく感じられて、研究者や、とりわけ宗教家に対していらだちます。(だって、神が創ったのなら、科学が神を裏切るはずがないのだから科学の土俵で戦うべきでしょう。誠実な信仰などではなく、神の面子じゃなくて自分の面子を保つ手段に感じられて嫌気がさします。)
すんごく長くてすみません。
●物理の勉強していると純粋にデザイナーの存在を感じてしまうことがあるのだ(まぁ、物理学はキリスト教から生まれたんですけど…。ただ、今のところ一番自然界をうまく説明できてますよね。)ということを知ってください。
●科学=真実
進化論=真実
っていう印象を与える教育がそもそもわるいんだ。
ということが言いたかったのです。
幻影随想、興味深く拝見しております。
>aaa-s様
ID論もまた、おっしゃるところの「美しい理論」なのではないでしょうか。
しかも、証拠がなくとも「かくあるべしとデザイナーが作ったのだ」
一言であらゆる反論を封じ込める意味で無敵(=結論ありき)といえます。
進化論、少なくとも現代の進化論はダーウィン以来の数多の批判と証拠とに
さらされ、叩き上げられ説得力を向上してきた、相当にタフなものです。
それでも決定的な否定の証拠が出てくればまた検討され、
「その証拠に基づいて」新たな理論が主流になるのでしょう。
私のような初登場の人間に言及されると黒影さんもご迷惑かなと思いますが(笑)、
そのあたり先刻承知の上でID論に「足腰鍛えて出直して来い」と言ってるのではないでしょうか。
科学は間違うが、疑似科学は間違わない。
科学は真実への手段であって真実そのものと直接イコールで結びつく言葉ではない……
進化論はデザイナー抜きで成立します。進化論が否定される証拠があったとしても、
それがデザイナーを必要とする証拠とはかぎりません。
ID論は不思議なことに、進化論否定の向こうに自動的にデザイナーが登場します。
デザイナーとは何なのか、を説得的に展開できる証拠が出てこないかぎり、
ID論がまっとうな議論の土俵に上がることはできないのでしょうね。
逆に言えば、「証拠と検証プロセスが本当にまっとうであるならば」
そのうちちゃんと議論になるでしょう。
「真実であるなら」デザイナーを脳内補完せずとも、証拠も見つかるでしょう。
そして(物理ご専攻とのことで、可能性としては低いかな、と思いますが)
「科学はどうせまっとうな証拠とプロセスであっても認めやしないのだ信用ならん」
とお考えなら、そんな信用のないものに認められなくても幸せのはず。
いずれにしてもまあ、そうかりかりなさらなくても(笑)
現在、進化は自然淘汰説だけで説明するべきでなく、生物と生物との自然との共生、生物と自然との共生で論ずるべきとされつつあります。
創造説についても聖書の7日を文字通り人間世界の日と考えるか象徴的な段階と捉えるか、また、デザイン(構想の比喩)と創造と考えれば創世記2章、1章も進化学的結論からも完全に対立的記述でもありません。
量子論では物質は粒子性と波動性を持ち合わせた確率でしかあらわせない存在という結論が出た現在、機械的説明のみで生物の説明を試みるのは正しいとは言えないのではないでしょうか?
進化学で今後、進化に必要な環境的に用件や生物の共生的な相互作用はますます研究されて、真実に近づくでしょうが、どうしてこのような用件がすべてうまく揃ってしまったのだろうか?また、なぜ、ここはこうもうまく言ったんだろうかとなることはほぼ間違いないでしょう。
ここで厳密に唯物論的な進化の見方に誤りがないか検証するID理論を構築すべきであるとの流れが生じたのである。
ID理論は、生命体や宇宙には、知的原因の干渉があればこそ最も納得のいく生成過程があり、自らそれを語っているようなものが沢山あると考える。この理論は、時間をかけての変化と定義された進化の概念、あるいは共通 の先祖という観念にすら反対しない。しかし、生物学的変化の原因が完全に盲目的だという考えには共鳴しない。
たとえば、自然選択が生物の「還元不能の複雑性」を持った機能を「選択」あるいは保存するとしたら、それは機能する全体ができてからであって、そもそもの初めに「還元不能の複雑性」を持つ生命の有機的な合目的的組織を組み立てるのに何の力も貸すことはできない。これを突然変異の累積性で説明するのもある一時期に急速な進化過程があったとする現在の進化学に反するものである。
IDが知的存在のデザイン体系を構築し、新しい創造論のあり方を提示するのか、デザイナーの可能性のみを論じる段階で終わるかはわからないが、楽しみにしているところである。
IDは聖書の神の創造を主張するのでなく、生物のデザイン性を理論的に検出し、データを集めて知的存在の可能性を検証し、さらにそのデータの傾向を将来的に分析しようとするものなので=従来の創造科学とするのは偏見と思います。ある意味ID論は生物が機械的なものかそうでないかを知りたいという人類の意見の代弁だと言えるのではないでしょうか。
化石については中間化石が得られないのは言い分が進化側にあるにせよ。「疑いようのない」完全な証拠とはなりえないことは事実と言えます。
ヒトゲノムとチンパンジーのゲノムの差はわずかで「人類がどれほど特別で、どのように地球を支配したかを考えると、われわれのゲノムに大きな違いがあるという確固たる証拠が見つからないことには、やはり驚きを感じる」と科学者がいうように、わずかな違いがどうしてこれほど文明や科学を発展させた人間との差になるかが疑問視されている。
この解明がどうなるかは注目すべき内容だとは私も思います。
IDの今の理論が完全ではない発展段階のものであるにしても唯物的科学の発想だけで全てだとは言い切れないと言うことを知って物事を考える価値は高いというのを思考訓練と渡辺氏は紹介したのだと思う。(それは、一般方に分子生物学を学びなさいと言うのは難しいと言う思いもあったかも知れません)唯物論者はそれ=トンデモだというが、ID論者は科学的な説得力を持たせるために条件を制限する努力をして、客観性を持たせようとしている。IDは反証されながら、研究を重ね理論をより発展させていることは科学的プロセスを踏みながら発展していると言えないのでしょうか。
カンブリアの生物進化についても様々な条件がそろってはじめてなったはずです。IDは進化のようなプロセスの全てを否定するのではなく、全ての条件が揃うこと自体もある意味環境にデザインがあったともいえなくも無いですし、DNAの組み替えも淘汰圧だけで説明されるかは疑問です。まだ、IDは方法論として完全でないにせよ知的作用が無いかと言うのを探求することは必要なことと思います。ですから、それに過程があった即、IDはありえないという結論にするのは時期尚早であり、研究の価値がないとは私には思えません。
このようなことから、渡辺氏への批判は発展性のない揚げ足取りの批判と思わざるを得ませんでした。
今度は筑波大の名誉教授の村上和雄酸という人でした。
産経は好きなんですけど、こういうのはちょっと勘弁してもらいたいです。
ただの進化論否定と様々な機能をもつものが微調整された配列を持ちそれでしか成り立たない一つの機能を形成しているものを示してデータを集めることが同じかは皆さんの判断に委ねる。
偶然にできた秩序が生物を作ったという進化論の中に唯物論信者が多いのはどうだろう。
客観的なのが科学というなら知的存在の有無は進化論は主張できないはずだ。
自然淘汰も様々な環境変動がありその理由を全てを説明できないし、縦横無尽の計算が必要である。
普通は自然=神が創ったものという考えもあって自然=偶然=盲目的というイデオロギーで説明してしまうからおかしなことになる。このイデオロギーが問題だから進化論が問題視されるただそれだけのことだ。
>客観的なのが科学というなら知的存在の有無は進化論は主張できないはずだ。
進化論はそもそもそういった議論ではないのではありませんか?進化論は知的存在を否定も肯定もしていないのでは?ただ、居るというのであればなんらかの証拠をみせてくださいって。
>宇宙意思によって与えられて進化したと進化論が主張していれば
宇宙意志ってなんですかー?
それって神とどうちがうんですかー?
>普通は自然=神が創ったものという考えもあって自然=偶然=盲目的というイデオロギーで説明してしまうからおかしなことになる。このイデオロギーが問題だから進化論が問題視されるただそれだけのことだ。
いったいどうして自然=神というのが「普通」となってしまうのか無知無学なわたしにはまったくわかりません。ご自分のみの「常識」は常識ではなく「自分ルール」というのです。
いままでのみなさんのコメントや黒影様の記事にたびたび書かれていますが、証拠や証明ができなければ科学ではなく、それを
『机上の空論』
というのです。
愚問です。進化論は神を偶然によって出来た盲目的な自然と言う概念にダーウィンが置き換えることから始まったのです。
ダーウィンはもともと神学を学んだ人で穏やかな人であったのですが、娘の死と彼のみた種の普遍性に対する疑問は彼に神を否定する理論を作ろうとする原動力になり、彼はなるべく神を排除するための理論を構築したのでした。
宇宙意思と言う場合、単に宇宙に方向性があるということを言っているだけであり、それがどういうものかは科学研究の結果なので一宗教の神ではありません。
科学が進みどんなに論じても「知的作用としか思えない」と言うデータが何を物語るかは常識で判断してくれという言うだけの理論がIDであり、IDはそのデータから可能性の高いものを指摘したにすぎない。
ただ、信じる上で客観的に検証可能な事象を重視するのか、それとも自らの主観に依拠し、それを貫くのかで宗教者と科学者が区別されるのでしょう。そしてあたかも検証可能なフリをしながら、根っこのところで都合が悪くなると、極めて特異な例外にのみ過大な論拠を与え(針小棒大と人は言う)、物理法則を超越した存在だとかアッチの世界に文字通り飛んで行ってしまう訳です。
トンデモさんはいつも、進化論が単なる仮説であり、しかし凡百のトンデモ理論よりも遥かに多数の第三者、それこそ信仰も人種も異なる人々による検証と言うプロセスを経て、高い蓋然性を有する仮説であると認識されるに至ったと言う事実を都合よく忘れ去ってしまうんですね。
ダーウィンだけを悪者にすりゃあそれで済むほど底の浅い議論じゃないし、彼が死に臨んで信仰に回帰したなんてデッチアゲ話で自己満足しているような場合でもない。よしんばそのウソ話が何がしかの真実を含んでいたとしても、進化論と言う仮説の蓋然性には微塵も影響を与えないと思うんですけどねえ。
進化論はすでにダーウィンの手を離れている、と言えるのかもしれませんね。
「唯物論的ダーウィニスト」という言葉が、一人歩きしてるのな、という印象を受けますが。
「仮想敵」として便利だからなのかな……などと。失礼、これは脱線でした(笑)
そう離れてくれれば問題ないのです。ところがまだその信者がいてその思想を引きずっているそれが問題です。
>物理法則を超越した存在だとかアッチの世界に文字通り飛んで行ってしまう訳です。
IDがどこからと言えばそうなりますが、IDはそのようなものが存在する可能性があるか、デザインというものから見出せるかを検証しようというものです。
私にはID論者は十分な証拠をあげはじめているから話題騒然になっているようにも見えるが進化論者はそれは偶然だ!自然の産物だ!と主張してやまないわけです。
だからこれはイデオロギーの戦いになっていることが誰が見てもわかります。
ようするにどっちもどっちで単なる偶然でなくIDが主張するように知的存在の関与があることは進化論では否定しきれない現在の科学をもってしても自然は神秘的であると教科書にのせればよいだけの話じゃないですか?
ただし、インテリジェントデザインはデザイン性の研究であるので、どちらかというとその研究法は進化論の研究と変わりない方法で行われ、その結果デザイン性が見出されるかということになるから科学的結論を優先する理論です。その点聖書を優先する創造科学とは異なる。
インテリジェントデザインはデザイン性に知性を見出すのであって過程探求をあきらめるものではない。単純化できない複雑さと言う意味も1つの機能を達成するために各機能は必須であるかどうかというだけで、最終的な1つの機能はデザインがあったことを示すが、その部分である各機能が別々の形成過程を経たことは否定しない。
まあ、IDが出たおかげで進化論側はより厳密な理論を構築せざるを得ない。でも、そうするとまた神秘が見出される。このような相乗作用はよいことではないでしょうか?
ただし、インテリジェントデザインはデザイン性の研究であるので、どちらかというとその研究法は進化論の研究と変わりない方法で行われ、その結果デザイン性が見出されるかということになるから科学的結論を優先する理論です。
インテリジェントデザインはデザイン性に知性を見出すのであって過程探求をあきらめるものではない。
単純化できない複雑さと言う意味も1つの機能を達成するために各機能は必須であるかどうかというだけで、最終的な1つの機能はデザインがあったことを示すが、その部分である各機能が別々の形成過程を経たことは否定しない。
まあ、IDが出たおかげで進化論側はより厳密な理論を構築せざるを得ない。でも、そうするとまた神秘が見出される。このような相乗作用はよいことではないでしょうか?
ただし、インテリジェントデザインはデザイン性の研究であるので、どちらかというとその研究法は進化論の研究と変わりない方法で行われ、その結果デザイン性が見出されるかということになるから科学的結論を優先する理論です。その点聖書を優先する創造科学とは異なる。
インテリジェントデザインはデザイン性に知性を見出すのであって過程探求をあきらめるものではない。単純化できない複雑さと言う意味も1つの機能を達成するために各機能は必須であるかどうかというだけで、最終的な1つの機能はデザインがあったことを示すが、その部分である各機能が別々の形成過程を経たことは否定しない。
まあ、IDが出たおかげで進化論側はより厳密な理論を構築せざるを得ない。でも、そうするとまた神秘が見出される。このような相乗作用はよいことではないでしょうか?
お手数おかけしますが、消しといてください。
管理人様。
「私にはID論者は十分な証拠をあげはじめているから話題騒然になっているようにも見えるが進化論者はそれは偶然だ!自然の産物だ!と主張してやまないわけです。」
この決め付けそのものが、既にして科学的手法から逸脱していると言う事に貴方は気付いていますか?
科学とは、このような予断を極力廃して、より信憑性の高い仮説を取捨選択するところに、その意義があるのです。
揚げ足を取るつもりはありませんが、貴方の論法の欠陥を指摘しましょう。
「私にはID論者は十分な証拠をあげはじめているから話題騒然になっているようにも見える」これはつまり、貴方の主観に過ぎません。
その「十分な証拠」が本当にデザイナーの存在を裏付けるものであるなら、科学者はそれを新たな蓋然性の高い仮説として謙虚に受け止めるでしょう。しかし検証の過程で、デザイナーの存在を仮定しなくても、現象に対する合理的説明は付くのではないか、との反論が提示されている訳です。
反論が提示されたら、デザイナー論者は再反論を試みれば良いだけの事。「それは偶然だ!自然の産物だ!と主張してやまない」と客観的論拠に基かない感情的な反論をしてみたところで、所詮第三者の同意を得る事は出来ないのですよ。
「だからこれはイデオロギーの戦いになっていることが誰が見てもわかります。」そう思っているのは、理論に対して理論で反論できない、すなわちインテリジェントデザイナー論者の、自己の論拠に対する自信の無さの裏返しでしょう。
単純な確率論の問題をイデオロギー論にすり替えているのは、インテリジェントデザイナー論者の側なのではありませんか?
「インテリジェントデザインはデザイン性に知性を見出すのであって過程探求をあきらめるものではない。」
まさに「物は言いよう。」ですね。知性に重きを置いて「デザイン性」を森羅万象の中から見出そうとする、まさに順番が逆でありましょう。
「デザイン」に知性の介在を想起させる何かがあるのなら、それを予断を廃して他の現象と比較検討し、最終的に知性の介在を認めざるを得ないと言う結論が得られればそれに従うべきなのです。最初から「知性に重き」などと言う予断を与えて検討すれば、自ずと結論も予断に引きずられ得るのだと、何故貴方は考えないのですか?
一つインテリジェントデザイン論の欠陥を指摘するなら、我々のような名も無き人々が知的な会話を楽しめるようになったのは、たかだか半世紀にも満たないし、インターネットに限って言えば、それこそ10年のスパンでしかない。人類が文字によって後世に知的作業を残せるようになってからの歴史に限ってみても、そのギャップはあまりにも大きい。
インテリジェントデザイナーが本当に居るとするなら私は問うてみたい。「なんでまた、わざわざこんな手間の掛かる事をしてはるんでっか?」とね。
黒影さんもさぞ退屈されてるでしょうな〜。
もう少し目新しい話をしないと、いつまでたっても構ってもらえないですよ。>インテリジェントさん
ダーウィニスト、ダーウィニズムという言葉が本来の意味を離れて
創造論・ID論批判者への単なるレッテルとして濫用されていることにつき
「独り歩き」という言葉を使い、かつ、本筋と離れたお話だとお断りした上で、
別の方へのコメントとして申し上げたのですが……
ご自説に牽強付会されても、少々戸惑ってしまいます。
これはデザイナーは単に機械や空想的な世界を作ったのでなない。空想的な世界は孤独だ。人間は自ら考え助け合い発展する。もしかしたらそこにヒントはあるかもしれない。・・これは科学じゃないけどね。
ある目的の機能がきわめて確立の低い有利な突然変異を繰り返しが蓄積されてそれを支援する各機能が発達し、完全に近づいていくという構図は、紙飛行機を飛ばし続けていたら、ラジコン飛行機になったと言う例えに近いものです。
紙飛行機が空を飛ぶと言うアイデアの概念的な延長上にラジコン飛行機はあるかも知れませんが、そこに至るには様々な設計と技術が必要です。そういう計画があれば、紙飛行機はそのアイデアを広げるための初期計画であると言う点で連続性が出来ますが、知的計画を除いては何の連続性もありません。
すべて偶然の自然の秩序の淘汰圧がこれを生み出し残していくと言えるのでしょうか?太陽が昇って沈み、地球が自転すればこのような機能が長い間かければ出来るのでしょうか?今、説明されている過程はどれも大雑把な結果からの推論的経路でそれがそうなるべき必然性を納得できるよう説明したものは見当たらないのではないでしょうか?
欠点が現在の科学にあったとしても現在発見されている物理法則を崩すような論理まで立ててこじつけをするということはしません。ただ、通常の研究で可能性のある範囲内のことはその応用として主張することはあるでしょう。
創造科学と進化論で研究した結果とどちらに見方につくかは理論的に正しい方の主張をとります。進化側もかなりでっちあげも多かったと思いますし、創造科学も現代科学と食い違った時に聖書の原意の見直しなどの努力は最低すべきなのに頭が少し固いようです。
鞭毛や織毛等においても進化側でよく研究されているのはわかっていますが、IDが主張された時もかなり多数の研究論文はあったようなので本当に主張が論破されているかはもう少し確認の上、このことも気になるなようは書こうと思います。
…「自分で頭使って考えるのは難しいから、デザインがあるってことにしちゃう方がラクじゃん。」と言っているように思えるのは私だけ?(笑)
20世紀のはじめ、「エホバの証人」と言う新興宗教が、聖書を独自に解析した結果、地球はもうすぐ破滅すると言いふらして、1907年だったか、具体的な年号を指定し、その予言が見事外れるや、再度年号をして赤っ恥の上塗りをしでかした挙句、「まだ真実は明らかになっていないのだ。」と言い訳にもならない言い訳をカマして居直った事がありました。
「本当に主張が論破されているかはもう少し確認の上」って台詞も、追い込まれたトンデモさんが良く使う逃げの一手に見えますな。
紙飛行機がラジコンに進化した云々のくだりに至っては、何が言いたいのやらサッパリわかりません。
「一定のデザインあってこそ、紙飛行機もラジコンも空を飛ぶことが出来るのだ。」これはまあ、正しいでしょう。
しかし、「従って一定のデザインあってこそ、生命の進化も説明がつくのだ。」と言いたいのなら、謹んで一言ご忠告申し上げたい。
「そりゃ論理の飛躍ってんだよ。飛ばすならせいぜいラジコンくらいにしときな。」(笑)
どんどんお笑いの方向に話が飛んでますぜ、この辺が潮時じゃないかと思いますがねぇ…。
共生進化にしても複雑系がくっついたに過ぎないとはじめからその理論の弱点は指摘されているようです。
また、科学が神を排除したのは宇宙が無限だからという理由だったそうですが・・この宇宙は有限・・今は神を多次元論理として研究しているとも言える。
IDはデザイナー手段は進化の研究と同じです。創造科学のイメージが強いからそこらへん勘違いしているようですね。進化は知的干渉があれば創造なのです。
聖書の神の創造は古い地球という観点では自然史と見解がほぼいっちしており、(見る視点とヘブル語の原意というのを照らし合わせると)すでに95%ぐらいは証明されたといってよい。
あとは聖書全体の年代の問題だがは聖書は信仰的意味が優先であるので数字にも意味があり、それが文字の日数そのままであることを信じる必要は特にない。日数、年月の計算は英国で行われた解釈からはじまったにすぎないというような歴史経緯もある。
インテリジェントデザイン側から見ればこのような観点から神がデザイナーである可能性は高い見る。
進化側は自然淘汰、利己的遺伝子と主張するがこれらは思想性を強く感じる。
「デザイナーによる計画の存在」→「デザインの存在、成立」→「現象の観察」と言うのが貴方のアプローチ。
普通の科学では、
「現象の観察」→「仮説の構築」→「仮説の再検証」と言うプロセスを辿ります。もちろん、その仮説の中にデザイン仮説も当然に含まれますが、それが検証の過程でふるいに掛けられ、より蓋然性の高い仮説に落ち着いていると言うのが現状なのですが、そもそも「デザイナーによる計画の存在」説が先入観としてこびりついている貴方にはそれが認められない。
ところが貴方のアプローチにも大きな欠陥がある。
「デザイナーによる計画の存在」の前に、当然あるべき一つのプロセスが抜け落ちている。それは、「デザイナーの存在証明」です。
私は以前から言っている筈です。「IDと言うアプローチそのものは否定しない。それが、IDの存在を証明する議論に発展、ないし前提にする限りにおいては。」と。
以前の発言で貴方は、「デザイナーの候補は言うように聖書の神が科学の創造過程に近いことが書いてあるので筆頭にあがるが、単に科学の結果に近い解釈が可能だからです。」と書いている。
レトリックでカバーしようとしているが、結局居るのか居ないのか、そもそも可知なのかどうかは貴方自身にも判らない。それでいて、「デザイナーによる計画の存在」を真実と主張する。これで「私の…理論の否定になっていない」と胸を張られてもねぇ(笑)。
別のアプローチの揚げ足を取っているヒマがあったら、その情熱をデザイナーの存在証明に注ぐべきでしょうな。
「IDはデザイナー手段は進化の研究と同じです。」って、悪いんだけどもう少し日本語の表現方法を勉強してくんない?ってツッコミもあるけど、そう言う前提を疎かにした「言ってみただけ」の議論はもうお辞めになるべきでしょうな。
デザイナーが何かは(同定)その後の話です。
ただ、第一原因の神と仮定するならそれを科学はいったん排除しましたが、今はその排除手続きが正しくなかったことがわかっています。それで唯物思想的科学になったわけですが、それが現象を客観的に正しく理解すると言う本来の科学の目的を果たしているかは疑問な点が多いわけです。
「イデオロギーの戦い」なんぞとおどろおどろしい物言いをして、いったい貴方は何のために誰との戦いを気取っているのでしょうか。
ID説も仮説、進化論も仮説なら均等に扱うのが筋。ダーウィニストは唯物論者だから攻撃する、なんてのは単なる言いがかりに過ぎなかったというのがこれで明らかになりましたね。
これは要するに進化論は知的存在の否定から始まったのは事実と言うことです。また、今も主流派においては、その姿勢は変わらないと言うことです。ただ、「否定も肯定もしていない」と言う姿勢を進化論側が持ってくれることは良いことと思います。
>これは要するに進化論は知的存在の否定から始まったのは事実と言うことです。また、今も主流派においては、その姿勢は変わらないと言うことです。
>ただ、「否定も肯定もしていない」と言う姿勢を進化論側が持ってくれることは良いことと思います。
いったい、何を根拠にそういった断定をし続けていらっしゃるのか、根拠となるものを呈示して頂けますか?
否定から始まり、「否定も肯定もしていない」となると、そのわずか2行で矛盾が生じていますがー
何度も申し上げますが、進化論はまさに「否定も肯定もしていない」のです。否定から始まっていませんよー
どうも新しく書いた記事を読んでくれていないようなので誘導入れておきますね。
ID論の創造論内における分類学的位置付け
http://blackshadow.seesaa.net/article/14613608.html
ID論者が犯した3つの過ち
http://blackshadow.seesaa.net/article/14644617.html
>これは要するに進化論は知的存在の否定から始まったのは事実と言うことです。
こんな勘違い発言を堂々としているようではあなたの知識の底の浅さが透けて見えますよ。
進化論を提唱するまではダーウィンは敬虔なキリスト教信者でした。
彼が進化という現象に気付いたことで神の存在に疑問を抱き、無神論者に鞍替えしたという有名な話をご存知無いのでしょうか?
それから以前I氏の時にも言いましたが、
何か主張する時は本でもサイトでも論文でも結構ですので出来るだけその情報源・論拠を書くようにして下さい。
科学では裏づけのない主張は意味を持ちません。
何か得るものがあるかもとこれまで黙認してきましたが、いい加減中身の無いコメントの繰り返しにうんざりしてきましたので。
>インテリジェント様
>これは要するに進化論は知的存在の否定から始まったのは事実と言うこと
の根拠を教えていただきたいのです。無学な私にはこの深い世界をそっと覗いているにすぎず、そういった記述や相当する箇所を発見することができませんでしたので。お願いいたします
> 分子生物学で現象を観察した結果、自然界には人間の理性で判断すれば人間のような知性がデザインした可能性の高いものがあることがわかりました。そこでインテリジェントデザインという仮説は構築され、自然界のものが知性なしにどれだけの確率でそうなるかということを様々な実験で検証しているというのが、今のインテリジェントデザインのやり方です。
”可能性の高いものがある”という見解自体は、インテリジェントさんやID説を主張している人たちによる、観察結果を踏まえての「予想」にあたります。これはまだ科学的作業に入る前段階にすぎないということを念のため申し上げておきます。
検証可能な仮説を構築することができれば、それがまず科学的作業の第一段階となることでしょう。そして、検証とそれに伴う仮説の再検討、と続くことになります。ですが、”自然界のものが知性なしにどれだけの確率でそうなるかということを様々な実験で検証”することをどれだけ繰り返しても、インテリジェントデザイン仮説の検証にはあたりません。ここにおける論理面でのインテリジェントデザインの問題については黒影さんのエントリ
ID論者が犯した3つの過ち
http://blackshadow.seesaa.net/article/14644617.html
をご覧ください。
余計なお世話だったかもしれませんが、インテリジェントさんの書き込みや他のID説を支持している書き込みを読んでいるうちに、上記「予想」の部分を科学に含めているような節が感じられましたので、書き込みさせて頂きました。
------------------------------------------------------------
それとは別に、インテリジェントさんへ。
> 第一原因の神と仮定するならそれを科学はいったん排除しましたが
この記述は、いつの時代の誰のどのような主張を指しているのでしょうか?
> 今はその排除手続きが正しくなかったことがわかっています
上記を踏まえて詳しい説明をお聞かせ願えればと思います。
> 進化論は知的存在の否定から始まったのは事実
他の方も指摘していますが、どのような歴史的事実を指しているのでしょうか?
科学の世界に身を置き科学史にも興味を持っている一人として、根拠のない記述であれば見過ごせませんし、根拠のある記述なのであれば興味があります。説明を頂けたらと思います。
管理人さんの新着記事にすら目を向けずに
ひたすら自分の主張だけを通そうとする。
「どうとらえますか?」って知らんがなそんなもん。せめて誰に宛てた発言かだけでも示してくれないものか。
一応確認させていただきますが、アナタ、ニホンゴ、ワカッテマスカ?
進化論に対する典型的な誤解が生じるポイントだと思っています。
ドーキンスが「盲目の時計職人」でその誤解を解くべく丁寧に説明している部分でもありますが。
以前別の方への返答に書いたエントリですがこれでもどうぞ。
進化のアルゴリズム
http://blackshadow.seesaa.net/article/4413334.html
ついでに彼は利己的な遺伝子と言う説明で共同体の自己犠牲的行動は利己的遺伝子のコピーによる生き残りを効率よくするために過ぎないという利己的な合理主義が生命の根幹であると信奉している方でもある。
>デザイナーを排除することを目的として書かれたものです。
違います。ID論者、創造論者の間違いを批判するために書かれたものです。
この本が排除することを目的としているのはデザイナーではなく"誤った論とそれを展開するデザイナー論者"です。
この本を読んでデザイナーが排除されると感じるならば、それはあなたがこの間違った論の先にしかデザイナーが存在し得ないと誤解しているからに過ぎません。
そこのところを混同しないようご注意ください。
ぶっちゃけて言うとドーキンスにしろID論者にしろ、その信仰なぞどうでも良いのですよ。
問題は主張が正しいか否か、科学的事実に即しているか否かです。
少なくともドーキンスの主張は近年の分子生物学・集団遺伝学の成果という科学的事実に即したものです。
あなたがドーキンスの主張を科学的事実によって否定できない時点で何を言っても無意味なのです。
ついでに『利己的』というのはドーキンスが遺伝子の働きを擬人化した比喩に過ぎません。
自己のコピーを残しやすい形質を持つ遺伝子は残りやすいという原則を分かりやすく言っているに過ぎませんから。
良く勘違いする人がいますが、「生命の利己的な合理主義」が彼の主張したいことだと捉えるのは誤りですよ。
下のリンク先のこちらの質問に対する答えもよろしくお願いしますね。
http://blackshadow.seesaa.net/article/14644617.html#comment
私も普段別のことで頭を使う仕事をしており専門家ではないので書き込める時間や考える時間、資料をまとめる時間はかなり限られているのでペースは少し落とすのでよろしくお願いします。
とりあえず、神を否定した背景にはビックバン理論や相対性理論以前の科学に対する唯物論者的な哲学的理解、啓蒙思想などによる科学の定義づけが尾を引きずっており、単に現象を客観的に理解する目的の科学が奇跡や超常現象などははじめからないものとして唯物的のみで理解しようとする方式が定着し、その背景にある科学理論の新発見により神と言うのは一時持ち上がったが、科学の定義の中には奇跡、超常現象は科学ではご法度との意味合いはそのままとなったと概略としてはこのようなことです。
最近は、おっしゃるように中立説を含んだり、ゲノム解析を含んだりすると言う話はちらほら聞いていましたが、それが正式見解とは知りませんでした。
あなた、インテリジェント・デザインの事、
本当に分かってるんですか?
ですから、インテリジェントデザイン論者とは言えません。ですが、それなりに価値を感じているのでここの内容に反発を感じただけです。
ただ、進化論者から言えば渡辺氏の発言ももう少し気を使ってあげたら良かったと思います。進化学は様々な大学で研究されていると思います。ですから、中立説など立派に検証されたものを批判する気なんて毛頭御座いません。しかし、私は進化論と言う哲学には批判的立場です。進化学は実証された内容がありますが、進化論は実証されていないと言うのが私の立場です。
インテリジェントデザイン自体はGapを指摘することよりも調整されていること、デザインされていること、それが重要と思っています。今の進化論のGapを指摘すると言うやり方はデザインを考えさせる1つの手法でありそれがなければ成り立たない理論ではないと思います。調整されたデザインのこの世界の全てのデータが証拠になるのであり、物理・化学的に必然であることが説明できないものがあれば、よりデザイン性がはっきりするというだけでこれも絶対条件では本当はありません。
デザイン論的観点から出る疑問点は最終的には答えなければなりませんが、デザイン性の検出段階の話をしている時にそれを持ち出しても意味の無いことです。結局、アメリカと言う大きな国で進化論を批判されているものだから、進化論を擁護しようとする焦りのような感情を感じます。
私は所詮無知なもので、インテリジェントデザインの理論そのものをそれほど絶対視しているわけでもありません。そういうことを解明する理論が必要と思っているだけです。ですからここで書き込みしたことは大人気なかったと思いました。では
これには期間とか確率とか価額で扱える範囲で片が付くか言うことは検討すべきと思われます。これは、Gapというレベルの話ではないと思うのですが・・。
私の今の知識ではこれに決着をつけるほどの内容はございません。まあ、アメリカのサイトにでも直接乗り込んで議論した方が良いかも知れませんね。
価額で扱える⇒科学で扱える
あと、偶然として扱えず必然でもないものかとか・・
(特定の複雑性)
私は、IDと言うのは1つのデータをもってしてこうだというものではないと思うのですが、(たぶん、ダーウィンのブラックボックスの反響がおおきすぎた)その考え方が私の言うデータと言う意味でいわゆる工場での傾向管理的なデータ集めのイメージなのですが・・。私の考え方も伝わりそうもないね。ここでは・・。サラバ
「インテリジェントデザイン自体はGapを指摘することよりも調整されていること、デザインされていること、それが重要」
言い訳をすればするほど本音が漏れる。貴方ってある意味正直な人だ。
結局、「誰が」「いかにして」デザインしたのか、それを棚に上げたままデザインの存在だけを強調したい。自分のアタマで考える事は放棄して、万能の力を持つ「誰かさん」に判断を預けて安心したい。
「調整されていること、デザインされていること、それが重要」この言葉には、貴方の本音が極めてストレートに表れているね。
私は貴方にそれ以上を求めようとは思わない。何を言おうが既に手遅れだろうから。しかし、事象に対して考察を深めることそれ自体を否定し去る行為を蔓延させることには断固として反対する。
貴方の言っている事は、要約すれば結局こうだ。
「鞭毛モーターの構造って不思議だよね。でもIDによってデザインされているんだから、ま、いっか。」
「石垣島の海底構造物って不思議だよね。でも「神々の指紋」だから、ま、いっか。」
「ネズミ取りって誰が作ってあんな複雑なものになったんだろう。でも誰かがデザインしたんだから、ま、いっか。」
しかも、その論拠はと言えば、「人間の知性と還元不能な複雑性とは似ている」から、と来たもんだ。
「物理・化学的に必然であることが説明できないものがあれば、よりデザイン性がはっきりするというだけでこれも絶対条件では本当はありません。」こんな物わかりの良さそうな事を言っておきながら、舌の根も乾かないうちに直後に負け惜しみを言わずにはいられない。
「還元不能の複雑性という理論はデザインの一要素の検出であって、これが至る所で環境の中で適切に機能しながらあるとなると偶然性では少なくても片付けられなくなります。それで自然淘汰だけでそこまで出来る必然性があるのかという話になると思います。」
結局、最後の拠り所は「偶然じゃ説明できない」即ちGapsに頼ってるじゃん。
何をどのように糊塗しようとも、「定義が合致していれば事実で反証可能性は無い。」と言っておきながら前提条件一つ満足に提示できなかった貴方に、そして未だにその事について一言の反省も無い貴方の言うことに信憑性など皆無さ。
さて、またゾンビのように三日と我慢できないんだろうな…。
しかし、宇宙の全体の調査、検討がなされずにどうして自然科学は神を排除し、無神論的原理を持ち込んだのであろうか?それは、ニュートン自身はキリスト教徒として神を証明しようとしていたが、ニュートンの「絶対時間・絶対空間」と物理学における「空間の絶対性」の仮説が、結局、「自存する宇宙の無限性」として理解されて神を排除する科学的根拠はその基礎となった。
その他、古代から中世にかけて、「大地は平たく、宇宙の中心」とする神学が支配的だったが、それが、コロンブスやマゼラン、コペルニクスやケプラーなどによって打ち破られていた。天動説と地動説において、大地は宇宙の中心であるはずだという神学があったが、それは間違えがわかったなどもあった。
ラプラースは「宇宙の初期条件と境界条件が与えられれば、その後の全ては決定論的に認識できる」と主張し、よく知られているように宇宙を説明するのに「神という仮説は要らない」とナポレオンに向かって豪語したが、そこにはニュートン力学による機械論的自然像が皮肉にも科学的根拠の役割を果たし、唯物論を導いたのである。
そうして、19世紀の思想家、マルクス、レーニンやダーウィンの進化論によって、神は科学から排除されてしまったのである。
しかし、20世紀の新たな科学革命を通過した現在の科学では宇宙空間は絶対的でも無限でもない。
現在定説とされている「ビッグバン宇宙論」では、「宇宙は無から生成され、時間と空間に始まりがあった」とされ、それらは誤りだったのである。
また、一般相対性理論に基づいたビッグバン宇宙論は、宇宙の曲率の程度を測定して、この宇宙が果てしなく膨張していくのか、それともいつか収縮に転じてビッグクランチに向かう時が来るのか、明らかにしようと、銀河集団間の距離を測り、我々の3次元の空間を除く残りの多次元空間は、ビッグバン以降、そこにエネルギーが入り込めなかったため成長できずに縮まったままの空間のあらゆる箇所には、残りの多次元空間が隠されていると言われている。
すなわち、物質宇宙の無限自存性に創造の位置を奪われ存在まで奪われた神を排除した科学原理は、第一原因と多次元空間が存在する現代の科学では、間違いだったのである。
さらに、決定論的な議論は、量子力学における「原理的な偶然」の発見や、ポアンカレなどから始まったトポロジー幾何学や、非線型幾何学およびカオス理論などによって、現在では通用しない。
したがって、19世紀における科学が神を排除したのは、超空間と第一原因の存在に気づかなかった当時のユークリッド幾何学的宇宙観の時代的制約によるものだったのだ。すなわち全く無効の科学的手続きだったのである。
私が書いたのは私なりの知性に対するアプローチの可能性の考察レベルでしかないが、これらの具体的研究はもう止まることはないだろう。
私は、黒影様が進化側が行っている主張に偏って判断していることを感じた。少なくても私より生物の専門家であるはずの黒影様がIDの知識はホームページの一部しか読んでおらず、ほとんどが進化論側の批判内容だけを読んでいるだけとさえ感じた。それで、かなりの時間とスペースを割いて私の文章の批判をするなどという意味のないことをしている。私としてはありがたいのだが・・相手にしていないのなら中途半端な批判は専門家でない私ならともかく専門家の黒影様がすべきことではないと思いますが・・。
まあ、このブログはインテリジェントデザインには何の影響もない。私の書き込みも・・かな。
世間に認めてもらいたくて、エントリをちょくちょく変えては負け惜しみを書き散らす。もう来ない、もう書き込まないと、これで何回言い続けたかねえ。
「進化論の証拠はインテリジェントデザインの否定にはならないことが何を示すのか?」そんなの簡単さ、インテリジェントデザインの側が持ち出す証拠のことごとくが、進化論でも説明できるような代物ばかりだからさ。
「インテリジェントデザインの証拠は進化論の否定にはならない。」こう書けば納得してもらえるかな?
キリストにしても父なる神がするのだと語っている。この辺の理屈はあまりここでは場違いだからやめておこう。
貴方のつっこみが激しいものだから、話がずれてしまったが聞かれた以上答えねばなるまい。
>「インテリジェントデザインの証拠は進化論の否定にはならない。」こう書けば納得してもらえるかな?
それは、これから現象を理解するにはどちらが合理的かを判断する証拠が与えられることによって変わっていくだろう。ともかく、歴史的に見れば、唯物論的思想が生み出されたのは、キリスト教神学の解釈の失敗と機械論的宇宙観が重なった一時の風潮によるものだった。
時代がどう傾くかは今がまたどうやら転換期で花井かと思う。
転換期で花井かと思う。
転換期ではないかと思う。
>存在は形態的なあるタイプを持ってしまうとそのタイプの中で活動しなくてはならないのですべてをコントロールするには無形なる根本存在にすべてを帰属させなければならない。
全てをコントロール出来るということは、即ち全能ということですよね?
「近所のおっさん」として現れるだけでコントロールに制約が生じるのでは、これはもう全能とは言えないですよ。
「全てをコントロール」出来る存在が何故そのようなケチな制約に囚われているのですか?
功島様、「近所のおっさん」お借りしました。
コントロールに制約が生じると言うより、その個性的実体がなせることは限られ、無形なる存在がコントロールはなしているのだと言うことです。接続されていることは可能だが、その個体として勝手なことが出来るというわけではないと言うことです。
「コントロールに制約が生じると言うより、その個性的実体がなせることは限られ、無形なる存在がコントロールはなしているのだと言うことです。接続されていることは可能だが、その個体として勝手なことが出来るというわけではないと言うことです。」
貴方がそう主張する根拠は?何を証拠にそのような事を断言するのですか?
いいですか、万能の存在に出来ない事は無いのです。この広大な宇宙を一瞬にして創製できるだけの力を持つ存在に、「個体に接続してコントロールするだけ。」などと制約が生じると考える方がおかしい。
私も他の皆さんも、貴方の揚げ足を取るつもりは無い。ここでの目的はただ一つ、インテリジェントデザイン論の抱える根本的な欠陥を炙り出すことにあるのです。すなわち、この世界を超越した万能の存在を想定してしまうと、その存在は万能であるがゆえに、この世のあらゆる事象がいっぺんに説明可能になってしまう。
万能の説明性とは、それ以上何も考えなくて良い(思考停止)と言うことと同義なのです。
万能の根本存在が「近所のおっさん(版権フリー(笑))」に変身出来ない証拠を出せ、と言われても、「そんな無茶な。」としか言いようが無いでしょう。
もともとあるか無いか判らないものの能力を計る尺度など、どこにも存在しない。それこそが「悪魔の証明」なのです。そしてID論こそ、その悪魔の証明の罠に首までどっぷり漬かっているのだと私は考えます。
ここで言う「近所のおっさん」は即ち「万能の根本存在」です。そんな万能性を持つ存在に、我々人類の発想法が援用できるかどうかは知りませんが、少なくとも「個性や独立性を与えたい」と言う動機が働くとは思えませんね。
そんな事より貴方は一体「万能の根本存在」を何から守りたくて意味の無い議論を繰り返しているのですか?万能の存在、の万能性を認める事がどうしてそんなに怖いのですか?
そもそも「万能の根本存在」の意思を貴方が代弁している事からして、おかしいのではないですか?
いいですか。個別体と言うとは限定されていてこそ個別体です。そして時間的秩序で整理循環している体が合ってこその生物です。
だから、例え、神様がこの地に肉体を持って現れたとしてもこの世界をコントロールし続けながらするならそのバランスを考えながら崩さない範囲の奇跡のようなものなら起こすでしょうが。この世界をいっぺんに壊してしまったら、その時間秩序性まで全て再現しなおさなければならないわけです。
別に万能性を否定はしません。ただ、そのような万能性を主張する存在がいれば、我々にあるのは死どころか消滅です。そして我々は意味なきただのおもちゃ以下の存在になるということです。
それだけのことです。
時間的秩序のある世界で成長するもの以外は自分とは違う存在になれない。いくら博愛をもった存在でも1人では博愛を実現はできない。全能でも万能でも1つだけ他者がなければ出来ないことは愛することである。
なんて話を誰かに聞いたことがある。完全に宗教の話になってしまったがこれでエンドしよう。
「貴方の言う近所のおっさんではそもそも宇宙全体をコントロールする全能性はもてません。(中略)個別体と言うとは限定されていてこそ個別体です。そして時間的秩序で整理循環している体が合ってこその生物です。」
「物質宇宙の無限自存性に創造の位置を奪われ存在まで奪われた神を排除した科学原理は、第一原因と多次元空間が存在する現代の科学では、間違いだったのである。」
どっちも貴方の主観のみに基いた、何の証拠も裏付けとなる論拠も無い、ただ「言ってみただけ」の発言です。こうして見比べてみると良く判りますね。
自分の主観だけに依拠した議論が、どれほど有害な物か、貴方にも少しは理解できたのではありませんか?
さてそこで、とどめの一言を言わせて貰いましょう。
「私は、根本の知的存在は万能であるがゆえに、近所のおっさんに化身する事が出来ると思います。個別体と言うことは限定されていてこそ個別体である、とは思いません。何でもお望みのままに、一瞬で作り、時空を超越できるがゆえにタイムパラドックスにも縛られる事はありません。『このあたりは反証可能性があるか否かが問題ではなく、信じるか信じないかの問題だと思います。』」
どうかね?カギ括弧の中身はそっくりそのまま貴方の受け売りだ、反論出来るものならしてみるがいい。だがどんな反論であれ、それはすなわち貴方が自分自身で言った『このあたりは反証可能性があるか否かが問題ではなく、信じるか信じないかの問題だと思います。』を自分で否定することになるって事だけは忘れちゃいけませんぜ。
「なんて話を誰かに聞いたことがある。完全に宗教の話になってしまった(後略)」
全くその通り。つまり貴方が愛してやまないインテリジェントデザイン論が、科学と言うより宗教である、と言うことが、貴方自身の議論スタイル、言っている内容をそのまま用いる事で、かように明確に論証出来ると言う次第なのですよ。
全体をコントロールするのはあくまでも無限な存在しか原理的に不可能。ただ、無限存在は無限と言う観点から個別体をコントロールしながら無限の世界からコントロールすることは可能だ。
個別体が近所のおっさんなら近所のおっさんは近所のおっさんとしか移らない。ようするに無限な世界から指令を受けるような形となって世界をコントロールすることなら可能であるが、そのようなおっさんにそういう使命を無限存在が与えるかどうかが問題だ。
与えたとすれば成り立つがそれを信じるものがいるかはその人の行動いかんだろうね。
>全体をコントロールするのはあくまでも無限な存在しか原理的に不可能。ただ、無限存在は無限と言う観点から個別体をコントロールしながら無限の世界からコントロールすることは可能だ。
要するに、例え全能で万能で無形で無限なる存在でも、人としての実体を持ってしまうとその能力は限定されてしまう、
コントロールされたとしても出来ることは人の能力の範囲を超えるものにはならないということですよね?
私が理解出来てないのか、貴方が「全能で万能で無形で無限」ということの意味を理解されていないのか分かりませんが、
こう考えたら如何でしょう?
「全能で万能で無形で無限なる存在が、貴方の視覚や触覚等に働きかけて、実際に存在するかの如く見えるよう貴方の脳をコントロールしている。」
全能ですから、これくらい朝飯前です。
私の言った「近所のおっさん」として現れるとはこのような意味だったのですが、少々説明不足でしたかね。
さて、メデタクも全能性を保ったまま貴方の前に現れたおっさんですが、
>与えたとすれば成り立つがそれを信じるものがいるかはその人の行動いかんだろうね。
などと言っている場合ではありません。
全能なるおっさんは貴方の主観的判断とは関係無く現れうる訳ですから。
有限な存在である貴方に、全能なるおっさんの行動を判断出来る訳も無いですしね。
そのおっさんが、「ワシが世界を造ったんじゃけん」と言い出しても、貴方には否定する術が無い訳ですが、それでも良いのですか?
インテリジェントデザインや貴方の主張はまさにこれなのですよ。
もうそろそろ御理解頂かないと、完全に宗教と思われてしまいますよ。
インテリジェント氏曰く。「万能の存在は個別体を存在させられるし、その個別体をコントロールできるが個別体は個別であるがゆえ、個別体としての個性を持って思考する。」
無知氏曰く。「全能で万能で無形で無限なる存在が、貴方の視覚や触覚等に働きかけて、実際に存在するかの如く見えるよう貴方の脳をコントロールしている。(略)有限な存在である貴方に、全能なるおっさんの行動を判断出来る訳も無い」
功島曰く。「根本の知的存在は万能であるが故に近所のおっさんの姿を借りて実体化することが出来る。万能なんだから人としての姿をしていても能力に一切制約はない。」
三者に共通するのは、三者なりの主観に基づいた判断を下している。と言うことと、その判断を各々は信じている、と言うことだけ。
さてそこで私功島は、別にインテリジェント氏や無知氏の判断に従う必要はない。
それどころか、彼らの主張を理解する必要すらない。なぜなら、彼等の判断は彼等の主観にのみ依拠しているのであり、三者の見解を調整するなり修正するなりするための、客観的判断基準はどこにも存在していないからである。
お判りかな?
「このあたりは反証可能性があるか否かが問題ではなく、信じるか信じないかの問題だと思います。」コレを言っちゃうと、その時点で客観的な検証は放棄されてしまうのであり、以後に後付けでどんなに高尚な解釈なり定義を加えようと、「科学」としては成立し得ないのさ。
平たく言うと、私が仕掛けた「悪魔の証明」の罠に、まんまとインテリジェント氏は嵌ったと言う事。
「どうやら、私の言っていることをご理解いただけてないと思われる。」理解して欲しかったら簡単な話、信じるに足るだけの証拠を出しなさいっつーコトでもありますな。
くだらないところで話が終わっているようだ。
全能の存在が近所のおっさんを中心的なこの地球の人間たちの情報を集める存在として利用することができたとてべつに不思議ではない。そういう意味では全人類がそうかもしれない。
ただそれが直接的に全能性を発揮するのに意味あることなのかどうかと考えれば、近所のおっさんどうのこうのということは議論以前の問題となるでしょう。では
4月23日の発言ですが、数ヶ月ってずいぶんあっという間に過ぎるんですね。
そうです。議論以前の問題なのです。議論の大前提として証拠と根拠の提示をお願いいたします。
それからインテリジェントさんにたびたびお願いしております質問への回答と。
それら一切を無視していることこそ「くだらない」の最たるものなのですが・・・・
>有辺様
>4月23日の発言ですが、数ヶ月ってずいぶんあっという間に過ぎるんですね。
GWでしたから、きっとすでにお勉強を終えていらっしゃるのだと思います。そしてさらにID関連の記事を再読されてから戻っていらしたのでは?過去に何度も何度も「もう来ない・しばらく来ない」と言い続けていらっしゃることですから。
話をはぐらかそうとしてもムダです。つまり貴方は「インテリジェントデザイナーについて定まった定義が無く、誰かが「自分こそIDである。」と言えばそれに反論することは出来ず、従って知性の定義なるものも、IDを自称する者が恣意的に野放図に決める事が出来る。」と認めた訳ですね。
>久しぶりに見てみた。
>くだらないところで話が終わっているようだ。
はあ、私は単に貴方の論法を忠実にトレースしているだけですが。ともあれ自分で自分の論法をくだらないと認める事が出来るようになったのは、この数日間精進なさったお陰でありましょう。誠にもって慶賀の至りですな。
まだ、資料も集め終わっていないし、いかんせん家計に響くのだ。ただ、進化学の本は結構高い、ただ、学問として進化学はようやく成立するに至ったが真相はまだまだわかっていないと言うのが、私のとりあえずの進化学への感想と言うところです。(中立説は表現型に直接結びつかないなど)ただ、生物学者への浸透は予想以上に深いものだとは感じました。
宇宙物理学者のヒューロスは確かに聖書を信じているが、彼の著書によれば、彼は科学的研究で否定しようとして完全な矛盾点を発見できず。それどころか多く、現代科学の主張をダイジェストで書いたかのような記載があることに魅入られたというのである。
そのような彼の宇宙物理学の解釈はインテリジェントデザイン論のファインチューンと呼ばれる理論に適用されており、偶然とは思えぬ絶妙なタイミングと条件の重なり合い地球が出来、その条件の下でしか生命はできないことを論じている。
彼の聖書解釈も一部の保守的立場の人を除けば順に読んでいけば十分納得できるものだ。
ただし、私は惑星に心の場があるとか、そういう理論もIDと思っているのでID=聖書の信仰に基づく創造論という立場は正確でないと断言できる。
デザインと進化は現象解釈であるが、双方を学んでいるが(どちらかと言うと進化論または進化学の資料が多い)私は偶然から出来た自然プロセスの秩序による進化という考えは懐疑的である。
論法をトレースですか?私はもし、近所のおっさんなる物理的空間内の個性がそれを超えるには超越性が必要で超越性が必要と言うことは無形的存在から発せられていると言うことであり、物理的空間内の個性である近所のおっさんなる考えをすでに超えており、その時点で近所のおっさん説は無効だといっているのです。
これは、単に受け答え程度です。
相変わらず他人の話を聞いていないねぇ。でも、また良いサンプルを提供してくれたみたいだね。
私は「万能の存在」が物理的空間を超越した力を発揮して「近所のおっさん」に化身出来ると言ってるのであって、「近所のおっさん」が「超越性を備えた無形的存在から発せられる力(?)を受けて物理的空間内の個性を超える」とは一言も言ってないんだよね。そこんとこ、自分に都合の良いように勝手に捻じ曲げて順序を入れ替えないでくれる?ま、いつもの貴方の悪い癖だけどね。
「全能の存在が近所のおっさんを中心的なこの地球の人間たちの情報を集める存在として利用することができたとてべつに不思議ではない。」これはさしずめ4月15日の「無知」さんのコメントを捉えて言っているんだろうけど、見りゃ判るけど「無知」さんもこんなこと言ってないんだよね。
貴方の脳内フィールドで勝手に「万能の存在」と「近所のおっさん」は別物、と結論付けた上で議論を進める。貴方のコメントはいつもそう。いつも主観だけに頼り、客観的裏付けなんざあった試しが無い。何故こうなるかと言えば理由は簡単。まず結論を先に持ってきて、証拠の方を適当にパッチワークのようにあっちこっちからかき集めて来る。それだけでは足りず、他人の言っている事を捻じ曲げたり順序を入れ替えたりしてまで自説を糊塗しようとする。
貴方のやっている事は、創造デザイン学会がやっている事と本当に瓜二つだよ。彼らもネズミ捕りの「還元不能な複雑性」のところで、ネズミ捕りを構成する部品がいずれも効率は悪いがネズミを殺傷する機能自体を持っていると言う事実を伏して、あたかも部品に分解したらネズミ捕りとして機能しないかのような議論を組み立てて墓穴を掘った。
ハンマーも大きくすれば自重でネズミを潰せる。針金はフックにしておけばネズミの走るスピードを利用して引っ掛ける事が出来る。
だがいずれも効率が大変に悪いので、小さなハンマーでもすばしこいネズミを確実に殺せるよう、バネの力を利用する事を思いつかせ、それを確実に動作させ、かつまた仕掛ける場所を自由に変えられるよう、頑丈な板を土台に使うようになった。素人でもこのくらいの事は簡単に判るのに、なぜ創造デザイン学会は敢えて墓穴を掘るような真似をしでかしたのか?
これも、彼らに「鞭毛モーターはタンパク質の部品に分解する事は出来るが、分解した部品は全く別の機能しか持たない。」と言う結論が先にあったからさ。特定の結論を導き出す事にだけ集中するあまり、例える対象が間違っていた事には気付かなかった。もしくは、反論者の力量を甘く(それにしちゃ甘すぎるが)見たってことだわね。
その尻馬に乗った貴方もつくづく乗せられ易いお方だと思ったけどね…。
で、改めて質問なんだけど、こう言うのはどう?
1)根本の知的存在が、我々の住む物理的世界に干渉し、人間そっくりな「器」を作る。但し、その器となる体に独立した「個性」は無い。
2)知的存在は、器となる体に自ら遠隔操作で自我を与え、我々の五感で捉える限り、その器は普通の人間であるとしか判断できない。
3)こうして成立した「人間モドキ(懐かし〜)」の自我は、当然ながら「根本の知的存在」と同一である。
言わば遠隔操作のロボットと言う事だね。これなら、貴方の言う原理原則を曲げることなく、更に私の言う「根本の知的存在が、近所のおっさんに化身。」も実質的に可能となる訳だ。また、無知さんの説にもある程度は近づくことになるね。
さて、インテリジェントさん、よーく考えて回答してね。あらかじめ言っておくけど、いつものように脊髄反射でその場しのぎの回答をすると、これまたいつものように自分で自分の首を絞めることになるから充分気をつけるようにね。例えば貴方は自分で「全能の存在が近所のおっさんを中心的なこの地球の人間たちの情報を集める存在として利用することができたとてべつに不思議ではない。」と言ってるよね。
と言う事は、「根本の知的存在が、我々の住む物理的世界に干渉」する事は可能であると自ら認めているって事だけど、返答次第じゃ自己矛盾を起こすことになるよ。まあ、そうなっても別に驚きはしないけどね。
そうそう、逃げるのは無しよ。
そういう存在は、知的存在の使命を人間という形で行うものであるけれど、超越的な無形的存在がそのようにさせていると考えられ、その外見は創造物である。ただもし、その知的存在の願い通り行動するなら、キリストのような存在というわけですが・・ずっと近所のおっさんのままだったら、別に意味がないし、超越者はそんなことしなくても情報は集められます。
映画のオーゴットのケースみたいなことを言っているのですか?突然、近所のおっさんが神がかりな知恵と行動を見せたならそうかも知れませんが・・別に、そういう存在がどこかにいるかもと思って生きても悪くはないでしょう。
「近所のおっさんという限定した個性のままでは超越者はそのおっさんから超越者としての力を発揮できはしないというわけです。」
今ここに、2台のコンピュータがあるとしましょう。どちらも全く同じ部品を使い、かつ理由は判りませんがシステムを同定するシリアルナンバーは消されてしまっています。管理も万全で外観にはシミも傷も無く、見かけ上、2台のコンピュータは全く見分けが付きません。
実は1台のコンピュータは既に数年使用されており、各種のソフト類がインストールされています。一方、もう1台の方は全く何のソフトもインストールされていない、まっさらな状態です。
今は便利なツールが世の中には溢れてましてね、古い(と言っても便宜的な言い方ですが)方からバックアップした環境を、まるごと別のPCに移植する事が可能です。そうやってバックアップを取った後、今度は古い方を完全に破壊してしまいます。ただ、バックアップした時にOSだけは新しい物に交換されており、しかも同様にOSを入れ替えた痕跡は全く残されていません。
これを秘密裏に、誰にも知られないようにやってしまえば、次に第三者がそのPCを使用したとしても、彼の目には以前と全く同じPCであるとしか映じないでしょう。
私が言っているのはこう言う意味です。「近所のおっさんという限定した個性」じゃなくて、貴方の知らないうちに、一瞬にして古い「近所のおっさん」は消去され、いま貴方の目の前に居る「近所のおっさん」は複製物と言う訳です。
「肉体の複製時に、個性もそっくり再現される。」とでも言うつもりですか?しかし証拠もなしにモノを言うのは貴方のお家芸であるとしても、いくらなんでもそいつを証明する事は不可能でしょう。
一方で、能力に限界のある我々人間でさえ、そっくり同じPCを複製する事は可能だと言うのに、我々よりも遥かに高等な能力を有する万能の存在に、「人間の複製」と言う似たような(でもちょっぴり高等な)事が出来ないと断言するのであれば、その根拠も示さなければなりませんね。
「近所のおっさんがもし特別な知識や力を発揮してしまったらもう単なる近所のおっさんじゃなくなるわけです。」
貴方の「意見」は判りました。しかし証拠がどこにも無いので、私には貴方の言う事が真実であるかどうかは判断する事ができません。しかも続けて、「別に、そういう存在がどこかにいるかもと思って生きても悪くはないでしょう。」と貴方自身が言っていると言うことは、貴方や私の限られた能力ではこの問題は証明不能であると言う事を、貴方自身が認めていると言う事に他なりませんね。
「それから、人間とまったく同じにするには物質的な形を持たせなければならないからタイプを持ちます。だから、個性がないというのは不可能なのですね。すなわち、形にする以上個性を利用して、人間に表現したいものを表すと考えられます。」
論拠を示さないヨタ話に私は全く興味がありませんので、あしからず。
しかし、いわゆる知識的なものや利他性、利己性などのソフト的側面は同じハードを使用しても変更可能であり得ます。根本的超越存在によってでなくても似たような現象は各地で見られます。ただ、問題は近所のおっさんという人物そのものが超越存在でなく超越存在がそのように見せかけることは可能と言うのが私の主張で、近所のおっさん自体を超越存在とみなすことと、ここで私が主張したいこととは関わりがない。
私が主張したいのは現在の科学はこの三次元世界の情報は別次元から書き込まれた(比喩的表現であるが)ものと考えることが妥当だという主張が少なくてもあり、インテリジェントデザインもその一つだということである。
ついに意味不明なことを言い始めたね(笑)悪魔の証明の罠、その怖さが身に沁みるかね?
貴方に聞いているのは「個性をどう捕らえるか」なんて一般論じゃない。「個性というのはどうしても物質的側面に限定される」なんて何の裏付けも根拠も無い駄弁でもない。
「貴方の目の前に居るおっさんが、ある日突然「俺は昨日までの俺とは違う!根本の知的存在の力を得て生まれ変わったのだ。この世界の創造者はこの俺様だ!」と叫び始めたとしても、インテリジェントデザイン説を肯定する限り、貴方にそれを「理論的に」否定する術は無いのだ、と言う事を思い知って欲しかったのさ。
神掛かったおっさんに、「身体的側面の個性というのはどうしても物質的側面に限定される。」などと説いても時間の無駄だ。「俺が創造主なんだから、俺の言う事は正しい。こいつは信じるか信じないかの問題だ!」と言い返されたらグウの音も出まい。
さて次。
「近所のおっさんという人物そのものが超越存在でなく超越存在がそのように見せかけることは可能と言うのが私の主張」
ついに、そう言わざるを得ないところに追い込まれたようだね。しかし、「私の主張」はあくまでも貴方個人の主観から導かれた結論に過ぎず、「超越存在がそのように見せかけ」ているか、それとも本当に超越存在そのものなのかは、貴方に証明する事は出来ない。
もちろん私にも証明できない。誰にも証明なんざ出来っこないのだ。
だから科学者は仮説を立て、それを裏付けるために可能な限り実験等で検討を加え、「言ってみただけ。」の疑わしい情報を排除して、最後にもっとも合理的と思われる仮説を残そうとするのさ。
「可能性がある」以上は門前払いするのはおかしい!と貴方は力説するが、「近所のおっさん」一人にこうも振り回されているようじゃ、いくら自説に都合の良い本を、家計を圧迫してまで買い漁ったところで先行きは限りなく暗いと言わざるを得ないね。
「近所のおっさん自体を超越存在とみなすことと、ここで私が主張したいこととは関わりがない。」
おいおい、今さら逃げ出そうったってそうはイカンザキ(?)
超越存在が知性を定義し、その定義が正しければ事実となって反証可能性は無い。と豪語したのはどこの誰だ?何度も言ったろ?自分の言った事にくらいは責任を持て、とね。超越存在が持つ万能性、その範囲の定義も出来ないくせに、知性の定義だの反証可能性が無いなどとは笑わせてくれるわな。
「現在の科学はこの三次元世界の情報は別次元から書き込まれた(比喩的表現であるが)ものと考えることが妥当だという主張が少なくてもあり、インテリジェントデザインもその一つだということである。」
再度言う。「論拠を示さないヨタ話に私は全く興味が無い。」とね。
超越性をもって無形的全ての存在に偏在しているからこそ、すべてがコントロール可能なわけです。ただ、そのおっさんの判断の視点で根本知性の超越者が世界をどうするかを決めたと言うなら、ある意味そのおっさんが超越者の判断と等しいことになるが、私はこれを言葉尻で判断しない。その人の行動や言動が本当に納得行くものであるなら、そういう立場のものと判断する場合があるかもしれない。ここでのそういう可能性と判断は別なものでただ言いはじめたら否定できないと言うものではない。
コレに対する答えはとっても簡単。
「万能の存在が想定する個性とは何か、そんなこと有限の存在である我々の理解が及ぶところであるはずが無い。むしろ有限の存在であるインテリジェント氏が、自らの尺度で個性なるものを一義的に定義しようとするのだとしたら、それこそおかしいと思うのではないかな。」
要するに、あなた、自分の常識が世界のルールだと思い込んでません?
「私はこれを言葉尻で判断しない。その人の行動や言動が本当に納得行くものであるなら、そういう立場のものと判断する場合があるかもしれない。」
笑わせんな、と言いたい。これまでさんざっぱら主観でモノを言ってきた貴方こそ、「言葉尻で物事を判断」ばかりして来たではないですか。
「進化論は唯物論」「これはイデオロギーの論争」「インテリジェントデザインをトンデモと言うなら、進化論もトンデモ」等々、例を挙げればそれこそ枚挙に暇が無い。
「超越性をもって無形的全ての存在に偏在しているからこそ、すべてがコントロール可能なわけです。」などと一方では無限の知を求めておきながら、「その人の行動や言動が本当に納得行くものである」などと、その場しのぎで実証主義的な立場を取ろうとする。コロコロと良くまあ判断基準が変わるもんだと呆れ果てるばかりですよ。
ほんと、いい加減にしたまえよ。
「つまり、功島様は体は体でその体を利用した物理的法則は一切使わずに奇跡のオンパレードでまったく違う個性をだしたっていいじゃないかと言うわけですね。ある意味、その姿、形のみが唯一の個性と言うところか・・・。」
功島いわく。
「つまり、インテリジェント氏は「知性の定義」なるものはIDが物理的法則とは一切掛け離れた世界から遠隔操作のオンパレードでまったく勝手、適当に定義したっていいじゃないかと言うわけですね。ある意味、インテリジェント氏が信じる知性の定義のみが唯一の定義と言うところか・・・。」
ほら、貴方自身の論法をそっくりそのまま用いて貴方の主張を再現する事が出来るねえ。
どう?反論できないでしょ?
知性が介在したと言うのはすべて生命が完全でなければならないと言うことでなく、合目的性を備えて調整されたことによってはじめて存在が成立すると言うような現象があると言うことである。これは、天文学的分野であると数多くの内容があげられている。
地球の環境を整えるだけでも大変な調整がされなければならないし、そのうえ生物が誕生するにはちょうど良い時期に隕石が落ちなければならないなどとも言われているし、すべてが絶妙にかみ合わさらなければならない。・・まだ、細かいことは書くには時期尚早なので書かない。
つか、人に物言う前にもっと勉強しろっつの。
定義に客観的が無いと言う事は、定義そのものが存在しない、と言う事と同義である。ゼロにいくら数字を掛けても答えはゼロであるがごとく、根本に欠陥を抱えた理論にいくら屋上屋を重ねたところで、「合目的性」なるものが客観的に立証できるはずは無い。
ともあれ、インテリジェント氏自らが、今回のコメントで自説の根幹部分に客観性が皆無であると言うことを自ら認めた以上、以後インテリジェント氏が何を述べようと、客観性を重んじる立場の人々には受け入れられまい。
長きに渡った論争ではあったが、インテリジェントデザイン説の持つ根本的な欠陥。すなわちIDの定義そのものが信者の盲信に基くものである、と言う事実が白日の下に晒されたと言う一点のみ、有意義であったと言えるだろう。
少なくとも妄信(盲進)するID信者さんがどういうものか、
という実例としては、たいへん興味深いコンテンツですね。
科学的に言えば不確定なはずのところに必要な法則性があることの発見、合目的性、秩序性の発見が様々なされている。そうなれば生物が誕生する可能性があがると科学的に結果から見て解けるが、そこにはそれを成立させる要件が必要であり、それは知性的な働きとしか考えられない。まず、それが必要であると理解できるデータを集めるところからはじめる。
次に目的性と言っても生物や物質の一個体の機能維持だけの目的性もあるだろうが、創造したものがいるなら、共通的にある目的は見出せるだろうか?となる。このような段階を何も前提におかずにすぐ結論が出るような議論をしたところで無意味である。
形勢圧倒的に不利、を受けて慌てて書いたのは判るけどさ、いかんせん内容が全く意味不明なんだよね。今回の書き込みの内容を理解できる人が果たして居るのかどうか…
ま、一応いくつか突っ込みを入れておきますか。
「科学法則を決めるための知性」ってそもそも何なのさ(笑)私も貴方の「言ってみただけ」のデッチアゲにはいい加減免疫が出来ていたと思っていたけど、ここまで根拠も不明なら意味も不明な「知性の定義」ってのはさすがに聞いた事が無いなあ。
しかも直前に「知性の定義については勝手に決めて構わない。」って言っちゃっているからねぇ。するてぇと何ですかね?まずインテリジェントデザイナーってのが居て、そいつが「科学法則を決めるための知性」ってのを勝手気ままに定義して、でもってその知性(インテリジェントデザイナーの下級霊?使い魔?それとも使徒?)が決めた「科学法則」に我々は従っていると、こう言うことですかい?
いや答えなくても良いよ。どうせ口からデマカセにデマカセの上乗せをしているだけなんだろうからね。
「私が言った定義とは知性の定義そのものではなく(中略)合目的性や微調整などそのものが知性を発見するための定義であり、知性と言うものに対しての発見にはそれ以上定義をしても第一段階としては意味はない。」
一方で、ここには見逃せないポイントが隠されているね。「合目的性や微調整などそのものが知性を発見するための定義」ってやつがソレだ。はい、またしても語るに落ちたと言う次第。
つまり、「知性を発見する」ために「合目的性や微調整など」を必死こいて自然界から見つけ出そうとするって事が、図らずも本人の口から明白になったと言う訳だ。客観性など最初から微塵も存在しないと言う事を、本人がはっきり認めたと言うことですな。
その文脈で行けば「科学法則を決めるための知性」ってのもスンナリと腑に落ちるよね。「知性を発見する」事がそもそもの目的だから、科学法則でさえもが「誰かがあらかじめ作って与えた。」と言う、およそ科学とは相容れない結論に帰結していく訳だ。
最初にゴールがあって、全ての理屈はそのためにつまみ食いされたり捻じ曲げられたりして無理やり当てはめられていく。「合目的性や微調整などそのものが知性を発見するための定義」いやまったく、ここまでハッキリ認めて貰うといっそ、その狂信者ぶりが際立って爽快ですらありますな。
以下の段略は、正しく貴方の信仰告白としてスンナリ理解できるところです。しかも最後に「まず、それが必要であると理解できるデータを集めるところからはじめる。」と、一事が万事でバイアス掛かりまくりである事を自ら認める充実ぶり。いや、恐れ入りましたよ全く。
「次に目的性と言っても生物や物質の一個体の機能維持だけの目的性もあるだろうが、創造したものがいるなら、共通的にある目的は見出せるだろうか?となる。このような段階を何も前提におかずにすぐ結論が出るような議論をしたところで無意味である。」
無意味かどうかは、とりあえずは「根本の知的存在が近所のおっさんに化身できる。あるいは、貴方の目の前に居るおっさんの個性が根本の知的存在に取って代わられている。」かどうかを合理的に説明してから取り掛かっても遅くないと思いますが、いかがですかな?他人に厳しく、自分に限りなく甘〜いインテリジェントさん?
何であろうと発見したものに対して評価できるようにするのに人がわかるようなデータ集めと体系化が必要である。
意外に思われるかも知れないけど、このコメントに関して全く異論は無い。インテリジェント氏の言う通りである。
異論は無いが、付け加える事はある。すなわち、直感で立てた仮説であろうと何だろうと、仮説は検証を重ねる事でその信憑性を高めて行く。ゆえに、「科学の様々な事実が知性の存在を経験値として必要としているのだ。」と言う断定を、充分な検証も経ないまま軽々しく行うべきではないのだ。
そしてこうした軽率な断定は、必ずその根拠が厳しく問われて来るものだと言う事を、これほどの長時間を掛けても貴方は一向に了解できないらしい。そこが何とも不思議であり、また残念でならない。
貴方は以前、インテリジェントデザイン説が正しい可能性があるのに全否定するのはおかしい、と言う趣旨の事を言った。
黒影さんは、このエントリのコメント欄でこう言っている。
「”可能性の高いものがある”という見解自体は、インテリジェントさんやID説を主張している人たちによる、観察結果を踏まえての「予想」にあたります。これはまだ科学的作業に入る前段階にすぎないということを念のため申し上げておきます。」
私もこの見解に同意する。それゆえに、「可能性がある」だけで排除すべきではない、と言う貴方の発言を逆手に取って、「近所のおっさん説」を大真面目で提起することで、単に可能性がある、と言うだけで、数多くの検証作業を経て蓋然性が高いと思われる進化論と、前提となるID、その能力に関する定義でさえあやふやなインテリジェントデザイン論を同列に扱え、と言う主張の荒唐無稽さを際立たせる作戦に出たのだ。
なんとなれば、この私自身、「近所のおっさん説」は馬鹿馬鹿しいレトリックに過ぎないと言う事を自覚している。
だが、インテリジェントデザイン論に「成り立つ可能性」がある、と言うなら、当然ながら万能のIDは万能であるが故に近所のおっさんに化身できる、あるいはおっさんを複製して成り代わる、はたまた「無知」さん説のように、おっさんを認識している貴方の脳を遠隔操作でコントロールして、あたかも実在するかのように見せ掛ける。これらいずれの説にしても「成り立つ可能性」があるのだから同列に扱ってしかるべきであろう。
だが、このレトリックの借用に対して貴方は「合理的に説明可能な内容しか残れない」などと言いながら、その実「合理的な反証」を一切行えなかった。この事実から貴方が「合理的」と言う言葉を正しく理解しているかどうか激しく疑義が生じるところではあるが、少なくとも合理的と言う以上、全く関係の無い第三者が主張を理解し、貴方と同じ結論を予断無く確実に導き出せる事が重要となってくる。すなわち一言で言えば、合理性とは客観性の有無、に直結すると言う事くらい、いかに貴方でも理解しているであろう。
しかるに貴方の反論はと言えば、「ちょっと考えればすぐ判る。」と言うだけのもの。しかもその考察の内容も明らかにしない、となれば、これは負け犬の遠吠えと言われても仕方が無かろう。
そもそも、遠隔操作で何でもお気軽にコントロール出来ると言う「超常識」を一方で無条件に肯定しておきながら、自分に都合の悪い意見に対しては「常識論」を振りかざして否定しようと言うのは、これも何度言ったか知れないがご都合主義の最たるものである。
「思いついた内容を検討して見る。そして、それを相手にどうやって伝えるかと言うことでデータをさらにまとめて整理して検証作業に学術的な色をつけていく。」Beheの例を引くまでも無く、インテリジェントデザインの言う「証拠」はいずれも進化論の仮説を用いても説明が付くものばかりである。
しかしそれでもインテリジェントデザイン論が正しいと思うなら、なるほど貴方の言うようにデータを集めて検証してみたまえ。しかし、それならそれで、進化論を唯物論と同義で語ったり、インテリジェントデザイン論がトンデモなら、進化論もトンデモ。などと言う強がり、負け惜しみは却ってインテリジェントデザイン説の根拠薄弱ぶりを際立たせるだけだから、今後一切慎まれるが良かろう。ましてや、「科学の様々な事実が知性の存在を経験値として必要としている」などと言う決め付けは厳に慎むべきである、と申し上げたい。
IDについてはアメリカの状況などをすこし知っている程度でしたが、日本でもやばめの人たちが出てきてますね。
大変わかりやすい説明で、差別主義者やバックラッシャーがIDとやたらと親和性が高い理由が、よくわかりました。
>誓ってもいいですが、動物を見下す人間は、他の人間に対しても同じように見下しますよ。
まったくその通りだとおもいます。
渡辺氏の発言
>それに「生命は無生物から発生した」「人間の祖先はサルである」という唯物論的教育で「生命の根源に対する畏敬(いけい)の念」(昭和四十一年の中教審答申「期待される人間像」の文言)がはぐくまれるわけがありません。
は、どうして「はぐくまれるわけがない」のかわたしにはまったく謎です。
どう見てもこれは渡辺氏自身が自分を含む人間は、無生物やらサルやらいもむしやらタンポポやらより上等だと考えているためでしょう。
そしてこの場合、自分を含む「人間」の定義はどこまでなのでしょう?
アメリカの奴隷制の元では黒人は人間ではありませんでした。ナチスドイツではユダヤ人は人間ではありませんでした。例はもっともっとあるでしょう。女性史を学ぶとすぐわかりますが、そもそも人間の定義に女性は含んでいませんでした。
医療の問題をとっても、痴呆老人や障害者、顕著な例ではハンセン氏病患者など人間扱いされなかった例もあります。
これらはどれも悲惨で解決しなきゃならない問題ですが、ID論者が超越者とかデザイナーの大いなる意思とか言った時、問題を温存したまま、解決への行動すら封じる結果になりまねません。
まして、こういったトンデモの人たちは「中立」といいながら、他の意見をすべて封殺する傾向がありますから、なおさらです。
ついでに道徳をいうにも科学の皮をかぶる必要はありません。
スパゲッティ・モンスター教は爆笑しました!
どうもID論者の皆さんは人間ってぇものが(IDを除けば)至高の存在であると勘違いされているようなんですね。でも、minさん指摘の通り、人間が「人権」なる権利に目覚めて、それを声高に主張し始めるようになったのは、ごく最近のこと。それも、経済活動の発展により、世界の総人口から見れば、ほんの一握りに過ぎない「その日の食事をどうやって入手するか悩まないで済む人。」だけに許された特権でしかない。
その範疇から外れる膨大な数の人々からしてみれば、「てめぇら安全圏にヌクヌクと安住しているくせに何言ってやがる。」と言うのが正直な感想でしょう。
私に言わせれば、人類がこの程度のところに辿り着くだけでも数え切れないほどの犠牲を強いてきたのがIDだとするならば、その能力はどう考えても大したこと無いと思うんですがね。
だからやっぱりスパゲッティモンスター様っすよ!ラーメン。
>「その日の食事をどうやって入手するか悩まないで済む人。」
銀河ヒッチハイクガイドによれば進化の三つの形態は
「いかにして食べるか? なぜ食べるか? ランチをどこで取ろうか?」
この3つ目にたどり着いてるのは地球上でほんの一握りということですね〜
ラーメン!
はじめまして。
アメリカと違って日本のありがたいところは、宗教色が薄いため一部の人たちを除けばID論なんてただのネタにしかならないところでしょう。
少なくとも一国の元首が表立って擁護発言するようなやばい事態にはなってませんから。
あっちは一時期本当に洒落にならない状況でしたからねぇ。
その一番やばい時期にあちらから来た余波がこのエントリの元ネタだったと思っています。
水際で叩けたのは何よりでした。
ところでminさんもパスタファリアンとして帰依なさるのですか?
では同輩としてご挨拶を。ラーメン!
単に大学で理学部を専攻しただけの一般人に過ぎないが、
ここまで来てなぜエントロピーの法則が一言も出てこないのだろうか?
ブログの著者が意図的にその意見を抹消しているのだろうか?
これはもともと物理化学の理論で生物学ではあまり出て来ないが。
エントロピー則とは、「放って置けば物事は無秩序に向かう・・・」という法則である。
ある物をより秩序ある状態にするにはその外にはるかに多くの秩序の崩壊?が起こる。
それが見られない場合はただ一つ、秩序を創造した者の存在が外にいるということである。
そしてID論がなかなか科学らしく無いのは内から観測不可能な外の事を語っているからでしょう。
別の言い方で言えば科学では必ず入力よりも出力が少なくなる。
進化というのはそれに逆行している。
生物学者がそれをあまり意識しないのはあまりにも秩序だった世界を常日頃みているからで、
実はそれこそが奇跡である。確率論で言えば、10の何十乗乗分の1(1/10 X10乗)という「有り得ない」状態に慣れているから。
彼が物理学者ならばこの事を理解しやすいと思う。
生物化学者にもわかりやすく言うならば、
「偶然完成された被造物の背後には天文学的な量の失敗作の化石があって然るべきなのに、
実際には比率にすると皆無と言えるほど存在しない。」
消去法的ではありますが、これが状況証拠といえないでしょうか?
ここまでの意見に対しての反論はございますか?
中間化石の有無などID理論にとってはどちらでも良いのだ。
そして失敗作だったように見えるものも、その後別の目的があったとさえ考えられるのだ。
進化論とID理論が現象や証拠が全く同じでもID論者にとっては問題は無い。
ただ、そこに方向性と意志があるというだけの違いだから。
進化論者にとってはパクリだと言われるかもしれないが。
要は進化に方向性と意志があるということだけ付け加えればID理論はいいのである。
ただそれは古典的創造論とは異なる。
彼が「自然の力に対して畏敬を感じている」と書いてあるが、まさにその『力』こそが、
入力よりも出力が多くなるように見える原因であり、その『力』の元にある『方向性』を見ようと
ID論者はしているはずなのだ。
ただ単なる唯物的進化論者との違いは「『方向性』の中に秩序を生み出す畏敬すべき意志がある。」といっているに過ぎない。
そしてその高度に導かれた方向性(ベクトル)の元をインテリジェンスデザイナーと呼んでるのではないだろうか?
東洋的な感性を持つ、唯物的ではない進化論者であるブログ者は、既にこの事を感じているようにお見受けする。
ただID論者が、「純粋に科学的な手法を通じてIDの存在を証明する」等と傲慢な事を言っているからその鼻をへし折ってやろうと
しているだけのようにも見える。
私は有神論者であり、古典的ではない創造論者であり、無神論に対しては怒りを感じ、
ID理論に対しては大して詳しくないのですが、このブログ者の真摯な態度には尊敬の念を持ちます。
すみません先ほどこれが抜けておりました。
人類の役割は宇宙をより進化させることではないでしょうか。
これってもしも宇宙人様が地球を作ったのなら「自然が偉大」なんていえるんですかねぇ
あ、宇宙人様を作ったのは自然だ、とか言うんですかね?
そこまで推されると進化論として
それこそ思考を押し付けられてる感じがします。
私は何も否定も肯定もしませんが
科学的根拠ってなんですかね。
どっかの知らない外国人のおじさんが
何とか賞取ってこれはこうらしいと言われても
ピンと来ないし何年か先でそれも違いましたーとか
あるじゃないですか?
科学だって宗教だって私には不確かなものに
感じます。
まぁまぁゆっくりやりましょう。
そこまで熱くなれるなら
世界中のカンブリア層でも
観に行きましょうよ。
きっとハッとしますよ。
ネットの画像じゃなくてね。