島のサルたちの間でどのように文化が伝播していったのかちょっとデータを読んでみる。
忘却からの帰還: 「百匹目の猿」の原論文には百匹目の猿はいない
結論から先に言うと前回書いたものが一次データで随分と補強された感じだ。
まず、京大の観測チームが幸島のサルを観測し始めたのが1949年。
この時点で幸島にはオス5頭、メス
そしてサルの餌付けの試みが始まり、餌付けが成功した1952年には11頭の子供が増え、
島のサルは20頭を超えていた。
餌付け開始時点での群れは半数以上が3歳未満の子供という、非常に子供が多い
人口構成になっていたことが分かる。(ニホンザルの寿命は20年程度)
次にサルたちがイモ洗いを覚えた年をテキスト化してみる。
Table 1 イモを洗うサルがイモ洗いを覚えた年度と年齢
年度 | Age | イモ洗いザルの数 増加,Total | |||||
1-1.5 | 2-2.5 | 3 | 5 | 6 | Adult(7〜) | ||
1953 | イモ | セムシ | エバ | 3, 3/20 | |||
1954 | ウニ | 1, 4/21 | |||||
1955 | エイ | ノミ | コン | 3, 7/23 | |||
1956 | ササ | ジューゴ | サンゴ、アオメ | 4, 11/25 | |||
1957 | ハマ、エノキ | ハラジロ | ナミ | 4, 15/30 | |||
1958 | ザボン、ノギ | 2, 17/35 | |||||
Total | 6 | 5 | 1 | 2 | 1 | 2 | 17 |
オス | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 |
メス | 4 | 2 | 0 | 2 | 1 | 2 | 11 |
イモが芋洗いを発明したのは1953年。イモが1歳半の時。
その年のうちにイモの母エバと、2歳半のセムシへこの習慣が広まる。
年を追うに従ってイモ洗い文化は若いサルの中に徐々に浸透して行くが、
7歳以上のサルでイモ洗いを覚えたのはイモ洗いを覚えた子供を持つ母ザルのみ。
1958年の段階で7歳以上のサル11頭中イモ洗いを覚えたのはエバ、ナミの2頭だった。
(二匹のメスザルがいつ死んだか分からないが、出産状況から58年には既に死亡したものとみなす)
この世代を便宜上第0世代とする。
この先1962年まで時間が経過しても第0世代からはイモ洗いを覚えたサルが全く出ていないことが、
テーブル2とのデータ比較によってわかる。
1962年での第0世代のイモ洗い普及率2/11。
一方で1958年に1歳半〜6歳だったサル、すなわちイモの姉、サンゴの世代から下は
1958年までに19頭中15頭までがイモ洗いを覚えている。
この世代を第一世代とする。
この世代のサルがイモ洗い文化の普及の中心となったサルたちである。
第一世代のサルからは1962年までに更に2匹イモ洗いを覚えているが、
残り2匹は覚えずじまいのようである。
最終的に第一世代のイモ洗い率は17/19となるか。
1958年の段階で群れ全体のイモ洗い率は17/30となる。
(1957年生まれのサルはノーカウント)
Table 1のデータはここまでだが、Table 2のデータを併せて見ることで
1958〜1962年までの推移も大体理解できる。
1957年以降に生まれた子供の特徴は、第一世代のイモ洗いを覚えたサルの子供がその多くを占めることである。
第一世代のサルたちのサルたちの間ではイモ洗い文化はもっぱら水平伝播で広がったが
この世代では親から子への垂直伝播が大きなウェイトを占めるようになっている。
そこでこの世代のサルたちを第二世代とする。
1957〜1960年に生まれた第二世代のサルたちのうち、
1962年までにイモ洗いを覚えたサルは17/19頭。
イモ洗い習得率自体は第一世代と大差無く、特別な変化が起こった形跡は無い。
1962年の段階で群れ全体のイモ洗い率は38/51(61年生まれのサル9頭はノーカウント)
1958年にはイモを洗わなかったサル13頭のうち、第0世代9頭は洗わないまま。
第一世代では2頭イモ洗いをするようになったが、
第二世代に2頭イモ洗いをしないサルが現れたので、
イモを洗わないサルの数は13頭のまま変化なし。
つまり、イモ洗い文化発生以前の大人ザルでイモ洗いを覚えたのは二匹の母ザルだけ。
しかもそれは1958年よりも前。
イモと同世代のサル以降(1951〜)に生まれたサルのほとんどは徐々にイモ洗いを覚えていったが
二匹の例外を除いて大人ザルは決してイモ洗いをしなかった。
1958年以降はイモ洗いを覚えたサルが親ザルとなったために文化の垂直伝播が始まるが、
イモ洗い文化の受容率自体には大きな変化はない。
1958年における特筆事項とは、親から子への文化の垂直伝播が始まったことであり、
他に何ら特別な事象は観察されておらず、100匹目のサル現象は認められない。
ライアルの主張を見る限り1958年の秋に何かが起こったようなことを言っているが
Table 1、2のデータを見る以上、1958年にイモ洗いを覚えているサルは2頭しかいない。
59年まで視野に入れたとしても、1958から59年にかけてイモ洗いを覚えた可能性があるサルは最大でも6頭。
(つまり59〜62年の間にイモ洗いを覚えた第一世代の2頭+第二世代1957年生まれの4頭。
58年生まれの子ザルはまだ乳離れしていないのでカウントの必要なし)
59〜62年の4年間で19頭がイモ洗い習得というデータから見て、
この期間に実際にイモ洗いを覚えたのは4〜5頭止まりというところだろう。
どう見てもイモ洗いのブレークスルーなどあったとは思えない。
この程度のデータを元によくライアルはこんな大法螺を吹く気になったもんだ。
詳細を検討して改めてあきれた。
一九五八年までには若いサルたちが全員、汚れた食物を洗う習慣を身につけたが、五歳以上の成熟した猿でそうしていたのは子供たちから直接に真似しておぼえたものに限られていた。
異常が起こったのはそのときである。いかんせんこの時点までの研究の詳尊は明白なのだが、残りの話は個人的な逸話や霊長類研究者の間に伝わる伝承の断片から推すしかない。というのも、研究者たちでさえおおむね本当に何が起こったのかは定かではないのだ。真偽のほどを決しかねた人びとも物笑いになるのを恐れて事実の発表を控えている。したがって私としてはやむなく、詳尊を即興で創作することにしたわけだが、わかる範囲で言えば次のようなことが起こったらしい。
その年の秋までには幸島のサルのうち数は不明だが何匹か、あるいは何十匹かが海でサツマイモを洗うようになっていた。なぜ海で洗うようになったのかと言うと、イモがさらに発見を重ねて、塩水で洗うと食物がきれいになるばかりかおもしろい新しい味がすることを知ったからである。話を進める都合上便宜的に、サツマイモを洗うようになっていたサルの数は九九匹だったとし、時は火曜日の午前一一時であったとしよう。いつものように仲間にもう一匹の改宗者が加わった。だが一00匹目のサルの新たな参入により、数が明らかに何らかの閾値を超え、一種の臨界質量を通過したらしい。というのも、その日の夕方になるとコロニーのほぼ全員が同じことをするようになっていたのだ。
さすがはトンデモの巨匠というべきか。
◆関連エントリ
・100匹目のサルの嘘
・思わず苦笑した話−100匹目のサルの町−
・100匹目のサルの町・続報
・「100匹目のサルのウソ」はいかにして暴かれたか
・100匹目のサル・閑話休題 ―2つの100サル物語―
・忘却からの帰還: 「百匹目の猿」の嘘を暴いた"The Hundredth Monkey Phenomenon"by Ron Amundson
・忘却からの帰還: 「百匹目の猿」の原論文には百匹目の猿はいない
おまけ
「成層圏の向こうでは」さんのところでこんな文を読んだので
ちなみに,この記事を書き始める前に,試しに Google で検索したところ,面白いことに,検索語が「100匹目のサル」だと,上位には,割と冷静にこれが作り話だということにも言及している(らしい)ページが,これを素晴らしい実話と思い込んでいる(らしい)ページと同じくらい(か,むしろ作り話派のほうが目立つくらい)ヒットするのですが,検索語を「101匹目のサル」にすると,途端に “素晴らしい実話と誤解派” がほとんどになってしまいます。 「101匹」として広めたおおもとが存在しそうですね。 誰なんだろう??
Google対策用に「101匹目のサル」というキーワードも入れておいてみる。
<9/7 16:00修正>
【疑似科学・ニセ科学・オカルト・トンデモの最新記事】
あ、なるほど。
Fig. 1の数字は1962年夏の時点で生きているサルの内訳なのですね。
納得です。