2005年09月02日

100匹目のサル・閑話休題 ―2つの100サル物語―

昨日「一応これがラストとなる予定」と書いたばかりであれなんだが
どうも100匹目のサル関連の記事はまだしばらく終わりそうに無い。
そんなわけで今回は閑話休題。


100匹目のサルに関して漂泊言論の福田氏が書くものを読むに付け、
どうにも拭いきれない違和感があったのだが、
今回彼が書き送ってきたものを読んでようやくその違和感の正体が判明した。
 
 
 
◆「100匹目のサル現象」の話は2パターン存在した
福田氏は次のように書いている。
まず「『他地域への距離を越えた意識の伝播』をメインに主張されるというのであれば、それはライアルの『100匹目のサル現象』という主張とは別物です」と述べていらっしゃいますが、例えば同エントリでも言及した河合雅雄氏のインタビュー記事において河合氏に投げかけられた問いは「ある数を越えたら全然関係ない土地のサルもイモを洗いだしたって話」に関してだし、河合氏もそれに対して「文化は離れた地域でも同時発生する、そういうものなんだ」と応答しているわけですから、この文脈では「他地域への距離を越えた意識の伝播」をメインとして扱っていると思われます。またネットを検索してもウソ派ホント派にかかわらず、「他地域への距離を越えた意識の伝播」が「100匹目のサル現象」のメインであると捉えている記事が数多く出てきます。

私はライアル・ワトソンの生命潮流でしか100匹目のサルの話を読んだことが無かったので
「100匹目のサル現象」といえばライアルの主張しか思い浮かばなかったのだが
言われてみれば確かに日本では「他地域への距離を越えた意識の伝播」を「100匹目のサル現象」のメインであると捉えている主張が多数存在する。
しかし本家のライアルの主張では「他地域への距離を越えた意識の伝播」の扱いは「意識のブレークスルー」のおまけ程度の扱いであり、事実海外での認識は今でもこうなっている。
「集団内で十分な数の個人がある考えや振る舞いを受け入れた時、外的な経験の接続なしに心から心へ直接この新しい認識が伝達する観念的なブレークスルーが生じ、集団内の全ての個体が自発的にそれを採用する」

日本でもこちらの認識を持っている人間はいるのだが、これとは別に「他地域への距離を越えた意識の伝播」に重きを置いている人がおり、現在はそちらが優勢になっているようだ。
海外のいくつかのサイトを見る限りではこのような変質は見られなかったので
日本に「100匹目のサル」の話が輸入された時、どこかで話の内容が置き換わっているのである。


同じ「100匹目のサル現象」という言葉を語りながら、その中身は人によって微妙に違ってしまっている。
このような認識の違いというのは実に面白い。
同じ100匹目のサルを語りながらも、考える中身は決してシンクロしないようだ。
昔ながらのニューエイジャーは前者、ライアルの認識を共にしているが、そうでないものがいる。
何がこの差を産み出す元になったのか?

このような微妙なズレを生じた理由を調べるのは拍子抜けするほど簡単だった。
ライアルの100サルブームに便乗して微妙にアレンジした100匹目のサルの話を流した人間がいたことがすぐに分かったからだ。
その張本人とは誰あろう、船井幸雄氏だ。
Amazon.co.jp: 本: 百匹目の猿―「思い」が世界を変える



つまり、日本で流通している「100匹目のサル」の話は2パターンあった。
一つ目は生命潮流におけるライアル・ワトソンの「臨界値」と「意識のブレークスルー」をメインとする主張。
「集団内で十分な数の個人がある考えや振る舞いを受け入れた時、外的な経験の接続なしに心から心へ直接この新しい認識が伝達する観念的なブレークスルーが生じ、集団内の全ての個体が自発的にそれを採用する」

これをライアル版「100匹目のサル現象」としよう。

船井幸雄氏はライアルの主張を微妙に捻じ曲げて、
ライアルの主張が「他地域への距離を越えた意識の伝播」にあるとした。
http://web.miyazaki-cci.or.jp/cgi-bin/cl_dtl.cgi?cmd=0&db_id=000000000000258
百匹目の猿現象とは・・・宮崎・幸島の1匹の猿が芋を洗い始め、それが他の猿に定着した後、大分・高崎山でも芋洗いの行動が始まり広がっていきました。この猿の芋洗い現象が遠く離れた幸島から高崎山へ伝播した現象を、ライアル・ワトソンが著書「生命潮流」で「百匹目の猿現象」と名付け発表しました。

ライアルの本来の主張にあった「臨界値」と「意識のブレークスルー」の要素が削られており、
かなり趣の変わった主張に変質していることがわかる。
この「他地域への距離を越えた意識の伝播」をメインに持ってくる船井氏の主張を
船井版「100匹目のサル現象」としよう。

日本で「100匹目のサル」が語られる場合、
その中身はライアル版と船井版の二通りのパターンが存在したのである。


私はライアルの主張を元に、ライアル版「100匹目のサル現象」を批判したのだが、
(というか船井版「100匹目のサル現象」はそもそも眼中に無かったのだが)
最初に引用したようなことを言ってくるからには、福田氏はどうやら船井氏に引っ掛けられたクチのようだ。
道理で話が噛み合わないと思った。




…ところで今気が付いたら河合氏の論文データが福田氏のところに寄せられているではないか(笑)
「大学の図書館まで原文を読みに行かないと駄目かな、面倒だなぁ」と思っていた矢先だったので
通りすがり氏と「忘却からの帰還」のKumicit氏には大いに感謝したい。

忘却からの帰還: 「百匹目の猿」の嘘を暴いた"The Hundredth Monkey Phenomenon"by Ron Amundson
忘却からの帰還: 「百匹目の猿」の原論文には百匹目の猿はいない

この二つの記事があれば私が付け加えなければならないようなことは無いな。
最初に「まだしばらく終わりそうに無い」と書いたがこれは間違いだったようだ。
思いがけなく週末の予定も空いた事だし、どこかに出かけてこようか。
この記事へのコメント
  1. こんにちは。トラックバックをたどってきました。
    日本でこれほど「百匹目のサル」が知れ渡っているのは船井の著書によると思います。サンマークから出ている喰代栄一の本に書かれているらしいので、船井の情報源は喰代なのでしょうが(未チェック)。本家ワトスンは「百匹目のサル」や「グリセリン結晶」のような現象を起こすシステムをcontingent systemと呼んだわけですが、喰代はこれを形態形成場の例としてとりあげているようです。そんなわけで、日本ではワトスンの創作であるにもかかわらず、シェルドレイクと関連づけて語られることが多いのではないでしょうか。
  2. Posted by きくち at 2005年09月02日 09:38
  3. >きくち先生
    こんにちは。コメントありがとうございます。
    >日本でこれほど「百匹目のサル」が知れ渡っているのは船井の著書によると思います。
    やはりこれが一番影響が大きかったみたいですね。
    それにしてもElaine Myersの文章にあるように、海外ではシェルドレイクの支持者からは「100匹目のサル」は否定される事態になっているのですが、彼等はその辺どう折り合いをつけているのでしょうか。
  4. Posted by 黒影 at 2005年09月02日 15:26
  5. |ヽ。)<初おじゃまします@こちら

    >この二つの記事があれば私が付け加えなければならないようなことは無いな。

    多分「ライアル版は否定できても船井版が否定できた事にならない」とか
    「河合氏は何も疑問に答えていない」とか言い出す希ガス
    というか、そういう先方の反応を期待する俺ガイル

    >むしろ河合氏の発言も「仮説でしかない」
    とか某所でいっちゃうくらいの凄腕さんですから(ナイアガラ瀑布汗
  6. Posted by 超破瓜 at 2005年09月02日 19:57
  7. 身も蓋もない言い方ですが、「ビリーバーは折り合いなんか気にしない」のではないでしょうか。整合性が気になるようでは、ビリーバーなんてやってられないと思います(^^;
  8. Posted by きくち at 2005年09月02日 23:08
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ちっ、だまされちまったよー!
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