100匹目のサル関連エントリは一応これがラストとなる予定。
・100匹目のサルの嘘
・思わず苦笑した話
・100匹目のサルの町・続報
実際のところ「100匹目のサル現象」の是非の話は20年も前、1985年に決着がついている。
しかもニューエイジャー自身の手によって否定されるという形で。
何故だか知らんが日本には全然その手の情報が入ってきていないようなので
ちょっと取り上げてみようかと思う。
古い話だからネットに余り情報が残って無いかもしれないが、
英語版のWikiには事の顛末が詳しく書いてある。
Hundredth Monkey - Wikipedia, the free encyclopedia
In 1985, Elaine Myers re-examined the original published research in "The Hundredth Monkey Revisited" in the journal In Context. In her review she found that the original research reports by the Japan Monkey Center in vol. 2, 5 and 6 of the journal Primates differs from Watson's story in significant ways. In short, the 'Hundredth Monkey' phenomenon does not exist; the published articles only describe how the sweet potato washing behavior gradually spread through the monkey troop and became part of the set of learned behaviors of young monkeys. There is no evidence at all of a critical number at which the idea suddenly spread through the whole troop, let alone to other islands, and none of the original researchers ever made any such claim.
欧米において「100匹目のサル」の話を広めたのはご存知ライアル・ワトソンと、
もう一人ケン・キースという男だ。
この二人はニューエイジャーのグル的存在で、
彼等の主張は強い批判を浴びたのだがニューエイジャーの間でどんどん広まっていくことになる。
しかしニューエイジャーの中にも批判精神を持った人間がいた。
彼女はライアルが示した参考論文を丹念に調べ上げ、ライアルの作り話を暴いたのだ。
ニューエイジャーは100匹目のサル現象を広めた中核的な存在だったので、
伝道師自らの手でその存在を否定された事になるか。
この一件の最大のポイントは、肯定派の人間によって否定が行われたというところだろう。
ライアルが何を考えて参考文献を載せたか知らないが、誰も確認するものなどいないとタカをくくったのか、それともきちんと論文を読んでおらず、単に自分の主張との矛盾点に気付かなかったのか。
私は後者だと思っているが、いずれにせよ彼の主張は肯定派自身の手によって崩されてしまった。
ライアルの誤算は、幸島のサルの生態は非常に詳細に調べられており、彼の主張が事実かどうかを確認することは(膨大な論文を読む苦労さえ厭わなければ)そう難しいことではなかったということだ。
何せ幸島は世界ではじめてサルの文化が確認された場所であり、その文化の推移は詳細に観察されてきた。
その記録を丹念に読めば、幸島でイモ洗いの文化がどのように伝播したかはすぐにわかったのである。
なまじ参考文献など公開していたばかりに仇になったか。
さすがに私も自分で全て論文を読むほど暇じゃないので、
ここはライアルのウソを暴いたこの女性の書いた文章を参考にさせてもらおう。
自分の信じた思想を自分の手で壊す事になった不運な女性の名をElaine Myersという。
彼女はライアルが参照した河合氏の論文を読み、ライアルの主張が虚偽であることを知ってしまった。
そしてそれをある雑誌に投稿したのだ。
その文章は現在ではネット上に存在するので、全文を翻訳してみた。
ニューエイジャーの文章という事で時々変な主張も混じるが、
幸島のサルに関する「事実の」記述は公正になされているので一読の価値はある。
Elaine Myers - The Hundredth Monkey Revisited
100匹目のサルの原点に立ち返る
―根本資料に立ち戻ることで、この有名な話に新しい光を投げかける―
by Elaine Myers
文化的変遷に近道をもたらす魔法の鍵は存在するのだろうか?
「100匹目のサル」の話は近年我々の文化の中で社会的変革をもたらす方法として注目を浴びている。この話はライアル・ワトソンが「生命潮流」(pp147-148)の中ではじめて取り上げたが、ケン・キースの「100匹目のサル」の書き出しのバージョンがもっとも良く知られている。この話は日本の小島に棲むサル達の研究に基づいており、その中心的な考えは、「集団内で十分な数の個人がある考えや振る舞いを受け入れた時、外的な経験の接続なしに心から心へ直接この新しい認識が伝達する観念的なブレークスルーが生じ、集団内の全ての個体が自発的にそれを採用する」というものである。
「我々の内の十分な数が真実の何かを持つとき、それは全ての人にとっての真実になるかもしれない。」(ワトソン、p148)
私にはこの考えが非常に魅力的であり、信じられるものだとわかった。ユングの集団的無意識や生物学者の形態形成フィールドの概念がもたらす同様の物語は、我々の想像力の要素を強化する支えとなった。
質量やエネルギーに依存せずにそこに存在する原型、パターンやフィールドは、質量やエネルギーの個々の発現に形を与えることが出来る。これらのフィールドを広げれば広げるほど、現実の物理的なレベルでそれらのフィールドの影響力は強まる。
我々は未来―戦争ではなく平和に基づいた未来―への楽観的なシナリオの可能性を支える証拠を必要とした場合、時に「100匹目のサル現象」に言及した。もし我々の十分な数が正しい考えを持つのであれば、突如として魔法のように、その考えが実現するのだと。
しかし、私がワトソンによって引用された元の研究報告を読んだ時、私はそこに彼の話した同じ物語を見つけることはできなかった。彼が「詳細を即興で創作することにした」と主張する部分には、非常に正確な研究報告が存在した。そしてそれらは「観念的なブレークスルー」を否定していた。
最初、私は失望した。しかし私はこれらの研究成果をより深く調べるにしたがって、真実のサルたちの物語が我々に与えてくれる教訓に対して、より発展した正しい評価を見出した。私が日本モンキーセンター報告書、霊長目2巻、5巻、6巻から学んだ内容に基づき、真実の物語がどのように展開したのかをここに示す。
1958年までのキースの説明は綿密に研究報告に沿っている。しかしグループの全ての若ザルがイモを洗うことを覚えたわけではなかった。1958年3月の段階で、19頭中15頭の若ザル(2〜7歳)と、11頭中2頭の大人のサルがサツマイモを洗うようになっていた。この時点までの革新的な行動の普及は個々の関係(家族関係と遊び友達関係)に拠っていた。
ほとんどの子ザルは1歳から2歳半の間にイモを洗うようになっていった。ただし4歳以上のオスザルで若いサルと接触を持たないものは、この行動を習得することは無かった。
1959年には、サツマイモを洗う行為はもはやこのグループにとって新奇な行動では無くなっていた。青少年の頃この振る舞いを身に付けたサルたちは、成長し、赤ん坊を持つようになっていた。この新世代の赤ん坊達は、サツマイモを洗う行動を、彼等の母親達を真似た若者達の通常の文化パターンとして学んだ。1962年1月、1950年以前に生まれた大人ザルを除き、幸島のグループのほとんどのサルにサツマイモ洗いが観察されるようになった。
大人になるまでにイモ洗いを始めなかったサルは、集団内の若いサルたちの間にどれだけこの行動が広まっても、後からそれを学びそうに無かった。
大元の報告書には、グループが群れ全体に考えを行き渡らせるような決定的な閾値を通過したことを示す言及は全く存在しない。歳を取ったサルは断固として新しい行動を意識しないままであった。同様に、サツマイモ洗いが他のサルの群れへ広範囲に普及したという言及も無かった。時折他の群れでサツマイモを洗う個体が現れたという報告はあったが、このような出来事にはもっと簡単な説明が可能だ。あるグループにイモが現れたのならば、他のグループにもイモのようなサルが現れることは十分ありうる。
(訳者注:幸島のサルの餌付けが成功したのは1952年。そして同年、1歳半の子ザル、イモがイモ洗いを発明した。イモ洗いの発明に掛かった時間は留意されてしかるべきである。)
私は日本のサルの物語は、思考の自然伝達の例としてではなく、トーマス・クーンの「科学革命の構造」にあるようなパラダイムシフトの普及の良い例であると思う。真に革新的な見解は、どちらかといえば青春期と成人期の境界から来るものだ。古い世代は彼等が育った世界観に執着し続ける。古い世代が権力から退くまで新しい考えは一般的にならない。そしてより若い世代は新しい価値観の中で成熟していく。
幸島の例はまた、単純な革新が広範囲な文化的変容をもたらす例でもある。食物との繋がりの中で水を用いることで、幸島のサルたちは環境中の資源として海を開拓し始めた。サツマイモ洗いは小麦洗いに至り、そして海水浴や水泳、さらには海草や魚介類をえさにすることにまでつながった。「従って、食料を与えられたサルは考え方と価値体系の変容に苦しみ、それは前文化的現象の発展の基礎となった。」 (M Kawai, Primates, Vol 6, #1, 1965).
このことは形態形成フィールドと集団的無意識について何かいうことが出来るだろうか?そうでもない。しかし、いずれにせよ「観念的なブレークスルー」はシェルドレイクの形態形成フィールド理論から予言できるものではない。形態形成フィールド理論なら年長のサル(イモを洗わない)の振る舞いもまた確立されたパターンとして認識するだろう。
新しい行動が不十分な個の特異性から確立された選択肢に移行するのに、「臨界質量」の存在が必要とされるというのはもっともだ。しかし新しい選択肢を造ることは自動的に古い選択肢を置き換えはしない。より多くの選択肢をもたらすだけだ。幸島のサルによって確立された「洗う」という選択肢が形態形成フィールドを作り出し、他の島のサルがこの技術を「発見」することを容易にするという可能性はある。しかし実際の研究はこの考えを支持も否定もしない。他の文化的な実験や経験もまたこの疑問を解明しないままである。
しかしながら、この研究が示すものは前向きな考えをもつこと(それ自身は重要なステップだが)それだけでは世界を変えるのに十分でないということである。我々は個人間の直接コミュニケーションをまだ必要とする。我々は考えを行動に移さなくてはならない。そして我々は、我々自身のものと異なる選択肢を選ぶ人々の選択の自由を認める必要がある。
さて、この文章でもっとも重要な事は、河合氏の論文には幸島のサル社会でのイモ洗い文化の変遷の過程が余すことなく書かれていたにもかかわらず、その中にライアルが主張するような「臨界質量を超えてグループ全体がイモ洗いを始めた」というような出来事は存在していなかったという部分にある。
つまりこの時点でライアルが主張する「100匹目のサル現象」というものは否定され、少なくとも幸島のサルを例に「ある臨界値があって、それを超えると全体に広まる」などと主張することはただのホラ吹きでしかないという話になるのだ。
余談だが、この著者が第八段落で何とか「100匹目のサル理論」の崩壊から他の理論を守ろうと苦心する姿、それにも関わらず締めの第九段落では意識の伝播など期待できないから行動しなきゃ駄目なんだと主張する姿には内心の混乱を透けて見ることが出来、何とも涙ぐましいものがある。
第八段落の内容はナンセンスだと思うが、第九段落の内容は第八段落とはうって変わっていい事を言っている。
前向きな考えをもつこと(それ自身は重要なステップだが)それだけでは世界を変えるのに十分でないということである。我々は個人間の直接コミュニケーションをまだ必要とする。我々は考えを行動に移さなくてはならない。そして我々は、我々自身のものと異なる選択肢を選ぶ人々の選択の自由を認める必要がある。
行動しなくても思うだけで何かがかなうなどと甘ったれたことを考えている人間には見習ってほしい姿勢だ。
いずれにせよ、彼女の文章が広まったおかげで欧米では「100匹目のサル」の話は完全に都市伝説、おとぎ話の領域に追いやられてしまった。
しかし日本においてはどうだろうか?
私はこの当時まだ100匹目のサルの話すら聞いたことが無い子供だったので
この件が日本のニューエイジャーたちにどのような影響を与えたかなど知る由も無いが
現在ネット上にこの文章に関する日本語の記述がほとんど無いことを考えるに
日本ではほとんど知られていない(影響を与えていない)ような気もする。
今でも「100匹目のサル」の話をまじめに信じているサイトが山のように存在するしな。
欧米で100匹目のサルが語られなくなったきっかけが日本で知られていないのは癪なので
この話をうちで取り上げてみることにする。
これで少しは広まるだろう。
最後に、Wikiにある「100匹目のサル」捏造発覚後のニューエイジャーに関する記述を。
Despite the factual inaccuracies in the story as told by Watson and Keyes it is still popular among New Age authors and personal growth gurus and has become an urban legend and part of New Age mythology. As a result, the story has also become a favorite target of the Committee for the Scientific Investigation of Claims of the Paranormal and was used as the title essay in The Hundredth Monkey: And Other Paradigms of the Paranormal published by them in 1991.
捏造が暴かれても信じ続ける人々、そしてそのような態度をCSICOP(超常的な主張に対する科学的な調査委員会)という団体に格好の標的にされている彼等に何とも言えぬ哀れみを感じる。
まあ私もCSICOPと似たようなことをしているわけだが。
◆関連エントリ
・100匹目のサルの嘘
・思わず苦笑した話−100匹目のサルの町−
・100匹目のサルの町・続報
・「100匹目のサルのウソ」はいかにして暴かれたか
・100匹目のサル・閑話休題 ―2つの100サル物語―
・幸島のサルのデータを読む
・忘却からの帰還: 「百匹目の猿」の嘘を暴いた"The Hundredth Monkey Phenomenon"by Ron Amundson
・忘却からの帰還: 「百匹目の猿」の原論文には百匹目の猿はいない
【疑似科学・ニセ科学・オカルト・トンデモの最新記事】