コメントをポストしようとしたら長すぎて弾かれたので。
・幻影随想: 趣味レベルとはいえ…
・幻影随想: 科学と非科学の境界
>shinpei02さん
まだ「評価」がよくわかりません。
これについての解説をスルーされてしまって困ってます。
天動説の「評価」についてはsatoさんへのレスの部分で書いたつもりでしたが、
どうもそうはご理解いただけなかったようなので、
そう仰るのであればもっと分かりやすく書いてみます。
まずギリシャ時代の天動説ですが、これは明白に科学とは呼べません。
無論当時の地動説もこれは同じです。
ギリシャ時代の天文学のレベルでは、天動説と地動説という二つの対立命題のどちらが正しいとも間違っているとも証明することができませんでした。
対立仮説を反証し自説を証明することが出来ていない以上、仮に当時の科学水準に自然科学のプロセスを当てはめてみたところで、どちらも科学理論とは呼べません。
どちらも未だ科学に至らないもの、プロトサイエンスとするのが妥当な評価だと思います。
さて、時代は進んでローマ時代、プトレマイオスは当時の天文学の知識の集大成である「アルマゲスト(MegaleSyntaxis tes Astronomias:天文学大系)」を編集しました。
この本は以後中世では天文学のバイブル的な扱いを受けることになります。
ただ残念ながら彼は天動説に立つ人間だったのでアルマゲストの記述は天動説を中心とするものになっており、地動説については扱われていません。これが以降ヨーロッパで天動説が主流となる一因となります。
天動説がヨーロッパで公認の学説となったもう一つの原因は、ローマ帝国滅亡後、ギリシャ自然哲学の流れが途絶えたことです。キリスト教の権威化に伴い神の教えにそぐわないものは端から排除されていき、これによって実証主義的に自然を観察し解釈する自然哲学はヨーロッパから追放されてしまいました。いわゆる中世暗黒時代というやつですね。
その後キリスト教の権威付けのために神学とアリストテレス哲学の融合を図り、その過程で天動説がキリスト教に取り込まれたりという紆余曲折があるのですが、ギリシャ自然哲学の流れを引きイスラム世界で発展していた科学が十字軍の遠征によって再輸入されるまで、ヨーロッパの科学の火は消えたままでした。
無論天文学もまた、この間停滞し続けました。
この辺の話は創造論との絡みでこっちのエントリでも少し書いています。
幻影随想: ID論の創造論内における分類学的位置付け
さて、11〜13世紀の十字軍遠征によって引き起こされたイスラム文化の流入は、14〜16世紀にかけてヨーロッパにルネサンスの夜明けをもたらすのですが、これにより天文学の研究にも再び火が灯ります。
イスラム世界は古代ギリシャの自然哲学をほぼ無傷で受け継いでおり、さらに発展を重ねていました。
その中にはヨーロッパでは忘れ去られていた地動説も含まれており、後のヨーロッパの天文学者達に影響を与えることになります。
ジャビール・イブン・アフラ - Wikipedia
イブン・アル=シャーティル - Wikipedia
コペルニクスの活躍の少し前の状況が大体こんな感じですね。
イスラム科学の流入がヨーロッパにもたらした最大の影響が、自然哲学の復権でした。
イスラム天文学は、少なくともプトレマイオスモデルがおかしいというところまでは到達していましたが、残念ながらまだ天動説VS地動説の決着はついていませんでした。
無論の事ながら、この時点でも上に書いたのと同じ理由で、まだ天動説地動説共に科学理論とは言えません。
この決着には舞台がヨーロッパに移ってから、さらに1世紀ほどを必要とします。
satoさんへのレスにも書いたことですが、観察と実証による証明という科学的な方法論に従って天動説を証明しようとした代表例としてティコ・ブラーエの名が挙げられます。彼の観測データは非常に精度が高く、彼はこのデータをもとに天動説のモデルに大きな変更を加えました。
当時明らかになりつつあったプトレマイオスモデルの明白な誤りに気付きつつもそれに手を加えることができなかった他の天動説学者に比べれば、彼は明らかに一線を画しています。
ブラーエは自分が集めた膨大なデータを整理しきる前に亡くなりましたが、もし彼が長生きしていたら、弟子のケプラーがそうであったように楕円軌道や地動説モデルに到達し、地動説を科学足らしめた天文学者の一人として名を残していた可能性は高いでしょう。しかし残念ながら歴史は彼にその時間を与えませんでした。
彼の残したモデルは不完全なものであり、弟子のケプラーによって棄却されてしまいます。
何度も繰り返し言っていることですが、科学的方法論の視点から見た場合、上記のような理由によって天動説が科学理論と呼ばれるだけの体裁を整えたことは一度もありません。
ティコ・ブラーエのときには何とか方法論としての体裁は整っていましたが、弟子のケプラーによる検証で否定されてしまいましたしね。
これでまだ分からないとおっしゃるのであれば、一度天動説が科学理論だと言えると考える理由を書いてみてもらえませんか?
それを見れはまた何かいい説明を思い付けるかもしれません。
なお、天文学史関連ではWikipediaの記述が非常に充実しており、リンクをたどっていけば下手な本を読むより勉強になるので、他の人への参考用にもリンクを張っておきます。
天文学史 - Wikipedia
天動説 - Wikipedia
地動説 - Wikipedia
つづき
もはや議論は科学哲学の方向へと走ってしまっているのですが、一応、僕の元々の発言の趣旨を確認させてください。
1.ニュートンは科学というものに誠実であった。
2.それでもニュートンはいくつかの間違った理論(時空間軸が不変であるなど)を発表してしまった。
3.ニュートン力学は近似的には正しいが、厳密に言うと「正しい物理法則」ではない。
これっておかしいですかね?
それはそうとして僕は「ニュートン力学は間違った科学理論だ!」と大上段に構えているのではなくて「ニュートン力学だと微妙に誤差が出てその誤差は相対性理論で説明できる」と言ってるだけです。それは間違ってますかね?「どのような条件でも誤差が出ない」のであれば完全に僕の誤解だったと理解できるのですが、どっちなんでしょう?
三つ間違っています。
一つ目の間違いは「どのような条件でも誤差が出ない」というナンセンスな仮定です。
>「ニュートン力学だと微妙に誤差が出てその誤差は相対性理論で説明できる」と言ってるだけです。
と書いておられますが、ご自分の書いたことの意味を理解されているとは思えません。
ニュートン力学は変化のない(歪みが無い、もしくは一様に歪んでいる)時空にのみ適用可能であり、時空の変化がある領域に無理に適用したら誤差が出るのは当たり前です。
もし相対性理論とニュートン力学とで「どのような条件でも誤差が出ない」のであれば、それは時空が歪まないことを意味し、相対性理論が間違っていることを意味しますがそれを理解されているのでしょうか?
水星の近日点移動や重力レンズ効果など、様々な物証によって「予測と観測に理論通りの誤差が出ること」=「相対性理論の示すような形で時空が歪むこと」が確認されたからこそ相対性理論の正しさが証明されたわけです。
二つ目の、そしておそらく最大の間違いは「正しい物理法則」という考え方です。
shinpei02さんの書き方を見ていると、あるかどうかすら定かでない「宇宙の全てを説明する真の物理法則」を「正しい物理法則」と仮定して、「ニュートン力学よりも相対性理論の方が「正しい物理法則」に近いから、ニュートン力学はもはや「正しい物理法則」とは言えない」という考え違いをされているように見えます。
あいにくこの考え方は間違いで、ニュートン力学も相対性理論も、等しく「正しい物理法則」です。
繰り返しになりますが、ニュートン力学を「時空が変化する(歪んだ)領域」に適用すれば誤差が出るのは当たり前です。本来は適用できない領域なのですから。
一方で適用領域が「時空が変化しない領域」であればニュートン力学と相対性理論に誤差は出ず、両者は等価です。
相対性理論の方が適用可能範囲が広いためかshinpei02さんのように両者の間に優劣があると勘違いする人がいるのですが、本来ニュートン力学が適用可能な範囲で両者に差はないため、この二つの理論が同等に正しい理論であると扱われているわけです。
三つ目の間違いは、かもさんも書いているところですが相変わらず理論と理論を作った人の背景思想の区別が付いていないところです。
>それでもニュートンはいくつかの間違った理論(時空間軸が不変であるなど)を発表してしまった。
これも繰り返しになりますが、ニュートンが絶対時空を信じていたことは、何らニュートン力学の正しさに影響を与えません。
というか微妙に発言の趣旨を変えられましたね。前は括弧の中はニュートン力学でしたよね。
ニュートン力学が間違った理論であるという主張は撤回されたと思ってよいのでしょうか?
おまけ
「俺が理解できないのはお前らの説明が下手だからだ!」
という馬鹿な文句を言いたくなってしまいました。
私は全然かまいませんので、どこがわからないのかどんどん言ってください。
そうすればどんどん説明がブラッシュアップされて、議論のログも含めて良コンテンツになるでしょうから。
<10/21 修正>
リンクの修正
ただ、背景というか、前提というものを整理すればと思います。
それぞれの理論の既知と未知かな?
かなり大雑把に。
仮にビリヤードの玉を突くという行為をモデルにするとして。<天体の運動に相当します
玉を突く力、ラシャの摩擦抵抗、他なんやかんやで運動をモデル化できたとします。<テーゼ的な力学仮にA理論
手元の時計での観測では誤差がありませんでした。
でも時代が進み、観測のレベルが上がります。
微妙に誤差が発生する・・・。
誰かが気付く。ラシャの生え方か?<時空の歪み等、未知であった要素 <これはアンチテーゼ?
誰かが試行錯誤する。
新しくモデルが出来る。<ジンテーゼ的な力学仮にB理論
それぞれのモデルは実際の玉の動きを近似しますが完全には一致しません。
B理論ですら未知の要素があるからです。
でもそれぞれの理論は正しく科学理論である、というのが今回の話題かと思います。
誤解をおそれずに言うなら、たぶんshinpei02さんはそれぞれの理論で何が既知・未知であったか、というのを理解されてません。
その事を再三指摘されても言葉が専門用語的にややこしくて伝わりません。
どうでしょうか。
軽い内容なのに長文ですいません。
なんとなくshinpei02さんが感じていることは分からないでもないのですよ
たとえば相対速度の計算式がニュートン力学で導くと
Vab=Va+Vb
特殊相対性理論で導くと
Vab =(Va+Vb)/(1+((Va×Vb)/C^2))
で、「現実の世界」では特殊相対性理論で導かれる式の方が【より近似的に正しい】
と教えられればニュートン力学が間違っていると思ってしまうのも無理もないかと
思いますよ。
(まぁ思い込みは仕方ないとして聞く耳を持たない態度はどうかとは思いますが)
たぶん
「ある定義下において正しい正しくない」という概念と
「実際の生活上当てはめてみて正しい正しくない」の概念が
(生活上は「使える」「使えない」という言葉のほうが適してるかもしれません)
ごっちゃになっているのでしょう。
たとえば富士山レベルの山にトンネルを「なるべく直線に」掘るという問題で
ユークリッド幾何学から定義される直線で掘っちゃうとトンネルの真ん中に
水が溜まって使い物にならないトンネルが出来上がります。
ここは非ユークリッド幾何学(そのうちの球面幾何学)における直線の定義を
適応して弦状にトンネルを掘るのがより正解ですよね
じゃ富士山のトンネルを掘る際にユークリッド幾何学が使えなかった
という事だけでユークリッド幾何学は与太だの間違いだと喚くのは
ナンセンスだという事です。
私の質問もスルーされて困っていますw
shinpei02は、
>1.ニュートンオリジナルの三法則を便宜的に「ニュートン力学」と称する。
の意味で「ニュートン力学」という言葉を使っていんですよね?そして、
>ニュートン力学(?)がいまいち正しくない」と発言しているのです。
とおっしゃっている。
それでは、相対性理論の登場で、ニュートンの3法則(慣性の法則、運動方程式、作用・反作用の法則)のどこがどう「いまいち正しくない」と言われるのか具体的に教えてください。
補足ありがとうございます。
>でもそれぞれの理論は正しく科学理論である、というのが今回の話題かと思います。
Vanさんからも同様の趣旨でコメントを頂きましたが、結局この部分がうまく伝わっていなかったんですよね。
>Vanさん
その説明分かりやすくていいですね。
参考にさせていただきます。
>通りすがりさん
議論に参加されるつもりであれば、他の人と区別可能なハンドルネームを使っていただけるようお願いします。
こう言ってくれるのはありがたいです。
>>まだ「評価」がよくわかりません。
>天動説の「評価」についてはsatoさんへのレスの部分で書いたつもりでしたが、
僕が引っかかっているのは「天動説をどう評価するか」ではなく、「科学の手順における評価の定義」です。
>>これですが、確信が示せるまでは「科学ではない」のか、「常に探し続けなさい」という努力目標なのかどちらでしょうか?
>こういう言い方をするのであれば前者ですね。
このように黒影さんが答えられているのですが、「本当にそんな定義でいいの?」と僕は疑問を持っています。なぜそのような疑問を持つかというと、「その定義だと世の中に科学なんてものは存在しなくなってしまうんじゃないか?」と感じるからです。
質問をまとめると以下のようになります。
1.確信を示すということは実現可能なのか?
2.1が是だとすると、確信を示すための基準はどういうものなのか?
3.1が是だとすると、確信が示せていないが棄却もされていない状態では科学ではないのか?
4.「1が否だとすると世の中に科学と呼べるものはなくなる」は正しいのか?
>あるかどうかすら定かでない「宇宙の全てを説明する真の物理法則」
これはあるんじゃないんですか?「発見できそうもない」や「発見できても証明できるかどうか分からない」ならわかるんですが。
>というか微妙に発言の趣旨を変えられましたね。前は括弧の中はニュートン力学でしたよね。
「趣旨を変えた」と言うよりも「言葉遣いを変えた」が近いです。僕は最初からこの議論の問題点は言葉の使い方が違うことであると言っており、よりコミュニケーションが成立しやすい言葉遣いに変更することにやぶさかでありません。
じゃあ、なぜ言葉遣いを変えたのかということになりますが、それは僕が「ニュートン力学が間違っているという言い方はどうもニュートン力学が科学理論として間違っていると受け止められるらしい」と感じたからです。僕はニュートン力学が科学理論だと思っているし、天動説も(棄却された)科学理論と思っています。
さらに言うと、僕は僕で「科学理論とは宇宙を説明する真の法則だ」と素朴に感じていた部分が変化しています。しかし昔の僕は賢明であり「ニュートン力学は間違った『科学理論』だ」というような決定的に非難されるような言葉遣いはしていないので、やっぱりここまでけなされることには納得がいかなく感じています。
次になぜその言葉遣いに変えたのかということになります。ここまでいろいろな話を聞いた結果、ニュートン力学が20世紀初頭に「宇宙の全てを説明する真の物理法則」から「理想空間(?)での運動法則」へと変質したと感じたからです。それを象徴する言葉としては「時空間軸が不変であるなど」が正しい言葉遣いなのかなと思っています。
※天動説に関しては黒影さんの説明によって「科学理論であったことはない」に変化するかもしれません。
はたしてニュートンは「宇宙の全てを説明する真の物理法則」としてニュートン力学や万有引力の法則を提唱したのでしょうか?
むしろ熱心なキリスト教徒であり「神の行いについて、人間の持つ理性では理解不能である」という思想の持ち主だったと聞きます。
また19世紀最後の年である1900年の元旦、イギリス王立アカデミーで行われた講演において、
当時の物理学界の指導的立場にあったケルヴィン卿は、次のようにニュートンの物理体系の最終勝利を宣言したという話があります。
曰く『今日の物理学の視野の中には、もはやごくわずかな暗雲しか残っていない。すでに我々はこの宇宙のすべての事象を、
既知の物理法則のみによって完全に記述できる段階に達した』と
この宣誓をどう捕らえるかですが、やはりニュートン力学が成り立つ「絶対時間」「絶対空間」の広がりとして定義された
宇宙の中で、その時に観測できた殆どの現象が万有引力の法則とニュートン力学だけで説明できたという評価だと思われます。
「月の運動」「惑星の運動」「恒星間の相互作用」「銀河の構造」「銀河間の相互作用」などなど
つまりはニュートン物理学は最初から「宇宙の全てを説明する真の物理法則」として発表されたのでもなく、
後の数々の科学者がさまざまな検証を行った結果「【概ね】宇宙の全てを説明する真の物理法則」であるという
評価を得たというのが正解でしょう。
結局「ごくわずかな暗雲」は相対性理論の登場を待たねば払拭できませんでしたが
こちらも特異点定理における相対性理論への矛盾等新たな「暗雲」が発生しましたし
おそらく相対性理論と量子力学を統一した新たな理論が成立する所を待っている状態でしょうね。
いまだにshinpei02さんのサイトには
http://d.hatena.ne.jp/shinpei02/20070412/1176369503
「例えば19世紀の大科学者であるニュートンはニュートン力学というガセネタを発信している。」
という記述があります。
「未知の現象を解決するためにこんな宇宙モデルとその定義の中で成立する法則を提唱するからみんなで検証してね♪」
と提唱し当時の物理現象の殆どを解明したた理論をガセネタと断定する神経が(以下自粛)
これだけ議論があって、いろんな方からコメントや意見がでているわけですが、shinpei02さんは「ニュートンはニュートン力学というガセネタを発信している」と(ブログの記事に)書いた部分を修正するつもりはないのでしょうか?
shinpei02さんが、大まかにニュートン力学や相対性理論、量子力学の関係を理解しているという事は掲示板のやり取りで理解できます。しかしですよ、ニュートン力学が近似理論として確立しているのに、それをガセネタと書く事は無神経にも程があるのではないでしょうか。
大学で物理学を学んだものとしてshinpei02さんの記事は全く受け入れることができません。
shinpei02さんは、我々現代社会がガセネタに基づいてビルや鉄道を作っていると思っているのですか? GPSに相対性理論の効果を入れないといけないから、ニュートン力学はガセネタなんですか?
なぜアインシュタインはガセネタであるニュートン力学を抱合するような理論の定式化をしたのですか? (ところでアインシュタインの論文、または解説書を読んだ事がありますか?)量子力学も知っているようなので言いますが、どのように量子力学が生まれてきたか学びましたか、または真剣に考えた事がありますか?
shinpei02さんの記事は、科学の歴史を踏みにじるような、無神経な言葉使いに満ちています。
「ニュートンはニュートン力学を超えて相対性理論を発信すべきだったということは、言葉の上では…」等の発言も、まったく的を外しているし、科学史を理解していないか、過去の偉人の業績を無視しています。科学の発展は、ある日スーパーマンがやってきて、「はい、究極理論です、どうぞ」と作られるものではないでしょ? 過去の偉人たちが築き挙げた土台の上に積み重ねられてきたものだし、これからもそうであろうと思われます。
ある日あなたがより自然の真理に近い理論を作ったら、ニュートン力学や相対性理論が、その日からガセネタや与太理論になるものではないのですよ。それともshinpei02さんの思想は、自分が新しいものを作ったら、それまであったものは全て否定するというつもりなのですか? (掲示板の議論で、個人の人格まで問うつもりはありませんが。)
ガセネタと「(究極の理論としては受け入れらない)近似理論」は全く次元が異なることでしょう。何故それらを区別しないのですか? もう少し、そこら辺の配慮をしないと、ここで吊し上げに近い状態になる事は必至だと思いますよ。
私がshipei02さんに対して書いた事は質問ではないのですが、少し言葉遣いを見直して欲しいと思います。
ケルヴィン卿のくだりはたしかアジモフのエッセイでしたよね。shinpei02さんにもおすすめです。読み物としても面白いし、内容も古さを感じさせないどころかむしろ当時の時代背景がわかって面白いです。
こんばんは。毎度のことながら、即座にレスを返せず申し訳ありません。
それではいつものように、ご質問に対する回答から。
> 僕が引っかかっているのは「天動説をどう評価するか」ではなく、「科学の手順における評価の定義」です。
>1.確信を示すということは実現可能なのか?
可能です。
>2.1が是だとすると、確信を示すための基準はどういうものなのか?
検証可能な範囲を一通り検証して反証が上がらず、対立仮説を棄却できた時点で十分な確信が得られたと考えます。
念のためにお聞きしますが、『科学が帰納的に論を構築しているものであり、また人の知の範囲が有限である以上、必然的に完全な証明は不可能であり、常に「反証可能性」が残る』ことはご存じですよね?
ちなみに余談ですが、疑似科学の中にはこの検証範囲を恣意的に狭めて検証されたと装うものがあります。
「ギリギリ科学少女ふぉるしぃ」はこの辺の機微を実に見事に歌っていると思います。
幻影随想: ギリギリ科学少女ふぉるしぃ
http://blackshadow.seesaa.net/article/46980637.html
>3.1が是だとすると、確信が示せていないが棄却もされていない状態では科学ではないのか?
本文中でも述べている通りです。
前エントリのコメント欄で書いた言い方なら「プロトサイエンス(未科学)」となります。
>4.「1が否だとすると世の中に科学と呼べるものはなくなる」は正しいのか?
科学の定義には反しますし、反証可能性も無くなりますが、仮に『100%完全な証明をされなければ確信が得られたとは言えない』とするならば、科学と呼べるものは無くなりますね。
ついでに…
>しかし昔の僕は賢明であり「ニュートン力学は間違った『科学理論』だ」というような決定的に非難されるような言葉遣いはしていないので、やっぱりここまでけなされることには納得がいかなく感じています。
と仰っていますが、Vanさんご指摘の「ガセネタ」の部分や、一番最初に問題になったエントリ内でニュートン力学を『与太理論』呼ばわりしていること、
>ノウハウ直接知財 与太理論の流通 その1 - 3歩先の経済学
>http://d.hatena.ne.jp/shinpei02/20070412/1176369503#20070412fn1
次に
幻影随想: 趣味レベルとはいえ…
http://blackshadow.seesaa.net/article/52495592.html
でのコメント内容、
>「与太理論」というのも(あまりうまくできたものではないが)専門用語なのでその専門用語の意味を知っていない人に「ニュートン力学を与太理論と呼ぶのは許せん!」と言われても正直困ってしまいます。
>「ニュートン力学を与太理論に分類するのは許せん!」という反論ならば話はかみ合うのですが、それに対して僕が「ニュートン力学は天動説と同じような与太理論だよ」と再反論しているところです。
そして別の日のエントリの以下の部分などは、あなたの言葉を借りるなら「決定的に非難されるような言葉遣い」でしょう。
そう言えば『与太理論』という『専門用語』の意味の解説はまだでしょうか?
>あなたは
>>「情報という財」としてのニュートン力学が正しくないということを主張しているのだと主張するための前ふりです。
>と言い訳していますが、この言い訳は4月12日のエントリには適用できても3月3日のエントリには当てはまりません。
>
>こういう文を書いておいて、今更見苦しい言い訳はしないでくださいね。
>http://d.hatena.ne.jp/shinpei02/20070303/1172889581#20070303fn1
>>*1:たぶん22世紀になるころには新しい物理法則が発見されて量子力学に取って代わるだろう。場合によっては量子力学そのものが完全に間違いであるとされてしまうかもしれない。実際、我々に馴染み深いニュートン力学も「光速と比べて非常に遅い速度で運動する物体において近似的な解が得られる」が正しい物理法則ではない。今のところ物体の運動において正しいのは相対性理論であり、例えばカーナビ等でなじみの深いGPSは相対性理論でなければ正常に運用できない。
哲学の主張をする場合、発表する人は一から全部一人で理屈を作り上げたうえで、その理論自体が閉じた体系となっていることが求められます。
そして、Aさんの理論を発展させたBさんの理論が登場する場合「Aさんの理論は不完全である。ゆえにゆえに正しくない」といった話になりやすいですよね。
一方、物理学というか自然科学の場合、ぶっちゃけていえば「現実をそれなりにうまく説明できる理論」がいい科学理論となりますし、大抵の新科学理論は、先陣のたどってきた話を含んで発展した形で現れます。
ですので、新しい理論が出たからといって、必ずしも古い理論が間違い、という話にはなりません。
むしろ、古い理論は新しい理論の特殊なケースになっていて、人間が住んでいる周りに当てはめると、ほとんどの場合が古い理論で間に合ってしまう、ということになります。
というわけで、ニュートン力学の場合、ニュートンが生きているうちはおろか、相対性理論がほぼ正しいとなった今でも、有効性は否定されていません。地球の周りでは大抵の計算はニュートン理論(というか古典力学)で間に合いますし、重力が大きい場合や超精密に計算する場合(GPSの時刻計算などなど)相対論効果を入れて計算すればいいのです。
というわけで、ニュートン理論を与太理論としてしまうと、多くの人はなんじゃこりゃ、となってしまうわけです。
ニュートン力学がどれぐらい成功したかを体験するには、
いちど解析力学の本を読んでみると面白いと思います。
数式はめったやたら出てきてつらいのは確かですが、ニュートンが発想した原理から、ここまで話が発展するのか!という驚きは、知って損はないと思います。
そして、量子力学や相対性理論が登場したのも、ニュートン後いろんな人が力学を研究した成果があってのおかげ、ということが体験できるでしょう。
そういえば、以前のエントリでおすすめの物理啓蒙書ってな話が出ていましたが、先日いろいろな物理本を読んでいたら、
ファインマン物理学シリーズ(岩波書店)
なんか、結構いい線いっているのでは、と思いました。
理論物理の第一人者がカリフォルニア工科大の学生向けに書いた本物の物理の教科書ですので、難しいっていえば難しいのです。
ただ、物理学って何やっているの?? っていう疑問に正面切って応えてくれる本ですので、文系の方々も読んでみては、と思います。
ところでshinpei02さんの、
>>あるかどうかすら定かでない「宇宙の全てを説明する真の物理法則」
>これはあるんじゃないんですか?
これには驚きました。今まで私が学んだ科学の本にはそのような話は無かったものですから。
それから、
「確信が示せるまでは科学ではない」
という考え方にたいしてshinpei02さんが、
>「その定義だと世の中に科学なんてものは存在しなくなってしまうんじゃないか?」
と感じた事に、興味深いものが有ります。
一部で取りざたされている、「極端な相対主義」とはこの事かなと思いました。
私としては近似や程度問題について色々考える、良い機会となりそうです。
それでは失礼します。
近似や程度問題について考える場合は統計学について勉強してみるのが近道ではないかと思います。
入門書としては「今日から使える統計解析」(講談社サイエンティフィク)をお薦めします。
この本は数学がそれなりに出来るという方には退屈かも知れませんが。
ちなみに「確信が示せるまでは科学ではない」という言い方は統計学をかじった人間ならまず言わないことです。
↓は参考までに。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E6%84%8F
>>有意であるというのは「偶然ではない」と言い切れる事ではなく、「偶然とは考えにくい」というに過ぎない。従って例えば有意水準5%で有意といった場合には、「実際には偶然に過ぎないのに、誤って『意味がある』と判断している」可能性が多くて5%あるという事である。逆に有意でないといった場合には、あくまで「偶然かもしれない」という意味であって、「偶然である」と言い切る事は出来ない。
名無し農学板の住人さん、本のご紹介ありがとうございました。
早速探して読んでみたいと思います。
ティコ・ブラーエがなぜ今から考えると天動説と地動説の折衷案のように思える奇妙な仮説をたてたかというと、地球が動いているとしたらあるはずの年周視差が観測されなかったからです。まあこの辺のことは「科学と非科学の境界」のコメントでも書かれているので承知の上なのだとは思いますが。
歴史的には年周視差よりの年周光行差の方が先に観測されたのですが、この年周光行差が観測によって確かめられた地球が動いている最初の証拠でしょう。
あと万有引力の法則から太陽と地球の運動を考える場合に、地球が太陽を周回しているというのは厳密には間違いで、地球と太陽の共通重心を地球は周っていて、太陽も周っているというのがより正確な表現でしょう。だから、太陽を中心とした地動説も厳密には間違いと言うこともできるかなとか思ったりもします。
ただその共通重心がどこにあるかというと、太陽の中なんですが…。
「Aという前提条件でBという行動を行うとCという結果が発生する」という理論Dがあり、A・Bを正確に入力したにも関らずCという結果が発生しなかったとします。そしてCが発生しなかった原因が偶然や測定誤差ではなくDにあった場合(つまりDが正しくなかった)、その理論Dは与太理論である。
ただし「与太理論」という単語自体は単なるシニフィアンにすぎず、別の表現がより適切にこのシニフィエを表現できるのであればそれにシニフィアンを切り替えることは当然だと思っています。
この議論の根本部分はAという前提に関して黒影さんが「Aは理想空間に決まっている。物理学の世界では常識だ」といっているのに対して、僕が「Aは現実の宇宙空間のことだ。ニュートンはそう考えていたと思う」と言っていることです。そして「Aが理想空間なら理論Dは正しい」ということを僕が理解したあたりまで来ています。
もしも僕が「物理学という科学においてニュートン力学は間違っている」と発言していたならば黒影さんの主張するAを適用するべきなのですが、僕は別に物理学において新しい主張をする気など毛頭ないので黒影さんのAを絶対的に適用する必要はないと思っています。
>>ニュートン力学も「光速と比べて非常に遅い速度で運動する物体において近似的な解が得られる」が正しい物理法則ではない。
ただし僕はここで「物理法則」と言ってしまっており、これに関しては例えば「宇宙の法則」などに訂正するべきだと思っています。なぜなら「物理法則」という単語はやはり物理学での言葉の使用法に合わせるほうがいいと思うからです。しかしまだ適切な言い換えの言葉を思いついていないのでもう少し考えてから修正します。
※シニフィエとシニフィアンに関してはこちらを参照してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A8
Vanさん
>はたしてニュートンは「宇宙の全てを説明する真の物理法則」としてニュートン力学や万有引力の法則を提唱したのでしょうか?
僕はそうだと思っています。「これは真の物理法則ではないかも」とニュートンが思い至るための知識を彼が持っていたと考えるほうが不自然です。
僕のこの認識は僕が直接ニュートンの発言を調べて抱いたものではありません。ましてやニュートンに直接問いただしたわけでもありません。僕がこの認識の根拠としているのは、ニュートン力学を学んだ19世紀あたりの物理学者の言動です。ラプラスやVanさんが例に出しているケルヴィン卿のように多くの物理学者が「ニュートン力学は真の物理法則である」と信じているらしい発言をしています。つまりニュートンの発表した理論はそのように読解されることが普通であるような表現がされていたとみることができます。
現代の我々は実際の宇宙において物体の運動はニュートン力学を利用する限り近似的な予測しかできないという常識を有しています。その常識を持った人間がニュートンの発表した理論を読み解くと「これは理想空間における運動法則だ」と読み取れるかもしれません。しかし相対性理論の存在すら知らない人間が現代の物理学者と同等の読解ができるとはとても思えません。それができるのは一部の天才とそれよりも多数の疑似科学者だけだったでしょう。
「ニュートンはニュートン力学の適用範囲の限界を知っていた」も「知らなかった」も同等に不可知にはまり込む議論です。我々が知ることができるのは「ニュートンがニュートン力学では近似的な予測しかできないと明言していないこと」と「もうすぐラプラスの悪魔を召還できるんじゃないかと19世紀の物理学者が浮かれていたこと」くらいです。
>>「例えば19世紀の大科学者であるニュートンは…」
19世紀じゃないじゃん。17世紀じゃん、ニュートンは。これは後でまとめて修正します。
もう一度黒影さん
「評価」におおまかな定義に関しては納得がいきました。僕も基本的には同意見です。しかしもう少し細かく確認させてください。
>検証可能な範囲を一通り検証して反証が上がらず、対立仮説を棄却できた時点で十分な確信が得られたと考えます。
1.「科学理論」は「今のところ棄却されていない仮説」である。
2.「検証可能な範囲」は現時点で知られている検証対象と現時点で利用できる観測制度で変化する。
3.後日、「検証可能な範囲」が広がった場合、改めて検証する必要がある。
4.3で反証が行われた場合、科学でなくなる。
5.4で否定された場合、過去に渡って科学ではなかったことになる。
6.科学者は科学理論が4のように将来棄却される可能性を常に意識している。
7.「この実験装置が稼動するとさらなる検証ができる」状態の理論は科学か?
8.「新実験装置での検証はひとつ終了したが、この実験装置を使った別の検証項目が残っている」状態の理論は科学か?
9.7・8が否だとすると理論は科学と未科学の状態を行き来するものなのか?
10.「こんな実験装置を作ればさらなる検証ができるけど建設資金がない」状態の理論は科学か?
>前エントリのコメント欄で書いた言い方なら「プロトサイエンス(未科学)」となります。
「検証実験なんて実験屋に任せていればいいじゃん。俺はとにかく新しい世界を探すんだ。もちろん俺の作った理論が反証されたらそれを真摯にうけとめるけどね。」という理論屋はプロトサイエンティストに分類されるのでしょうか?
質問が多くて大変かもしれませんが、satoさんの質問にもコメントしてあげてください。もちろん時間がかかるのはお互い様です。
誤読なのか恣意的なのか分かりませんが私ごときの文章も理解できていないようで・・・
また恣意的に私の書き込み一部だけ引用し反論の材料としている所からもまともに議論しようという姿勢が感じられません
>僕はそうだと思っています。「これは真の物理法則ではないかも」とニュートンが思い至るための知識を彼が持っていたと考えるほうが不自然です。
>「ニュートンはニュートン力学の適用範囲の限界を知っていた」も「知らなかった」も同等に不可知にはまり込む議論です。
貴方が「わざと無視した」? 私の書き込み
>むしろ熱心なキリスト教徒であり「神の行いについて、人間の持つ理性では理解不能である」という思想の持ち主だったと聞きます。
をちょっと追求&普通に解釈すれば答えは明確だと思うのですが・・・?
ニュートンは物理学者でもありましたがその前に優れた数学者でもあったのですよ?
#もっとも「ある定義下で閉じて正しい」という概念が理解できない人には理解出来ないだろうなぁ・・・
#「1+1はなぜ2なの?」っていう質問をしてみたい
>僕がこの認識の根拠としているのは、ニュートン力学を学んだ19世紀あたりの物理学者の言動です。ラプラスやVanさんが例に出
>しているケルヴィン卿のように多くの物理学者が「ニュートン力学は真の物理法則である」と信じているらしい発言をしています。
>つまりニュートンの発表した理論はそのように読解されることが普通であるような表現がされていたとみることができます。
「読解」「表現」という言葉に失笑してしまいました。
物理学で理論を表現して読解するってマジで書いてるんですか?
貴方が「わざと無視した」?私の発言
>つまりはニュートン物理学は最初から「宇宙の全てを説明する真の物理法則」として発表されたのでもなく、
>後の数々の科学者がさまざまな検証を行った結果「【概ね】宇宙の全てを説明する真の物理法則」であるという
>評価を得たというのが正解でしょう。
への具体的な言及や反論は無いんですよね? 「検証」という言葉は脳内で無視ですかそうですか
もう議論に負けない為に手段は選ばないといった段階でしょうか?
そんな貴方にこのAAを進呈します
〃〃∩ _, ,_
⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ ボクノ カイタコトニ イチャモンツケルナンテ
`ヽ_つ ⊂ノ
ジタバタ
_, ,_
〃〃(`Д´ ∩ < ボクヲ ヒハンシテイルトコロニ ノリコンデ ハンロンシタケド サラニイチャモンツケラレターヨー
⊂ (
ヽ∩ つ ジタバタ
〃〃∩ _, ,_
⊂⌒( つД´) < カキコムタビニ イチャモンガ ワイテクルー
`ヽ_ ノ ⊂ノ
ジタバタ
∩
⊂⌒( _, ,_) < モウハンロンデキナイヨー
`ヽ_つ ⊂ノ
ヒック...ヒック...
∩
⊂⌒( _, ,_)
`ヽ_つ ⊂ノ zzz…
∩ _, ,_
⊂⌒( ゚∀゚) < ソウダ ココノ コレヲ ムシシテ コウシタラ マダハンロンデキル
`ヽ_つ ⊂ノ
また新しいエントリを立てたので、誘導を入れておきます。
幻影随想: それは間違ってすらいない―Not Even Wrong―
http://blackshadow.seesaa.net/article/64490908.html
質問者と回答者の問答を読んでとても感心しました。
質問者は、物理学にたいそう意欲を燃やす開拓者のようです。
おもいっきり体当たりしている、すがすがしさを感じました。
その姿勢は、高く評価したい、うらやましい限りです。
勉強不足だかといって恥じることもない!
わびる必要などない!
自分だけで、勉強不足を自覚して
回答者を踏み台に羽ばたいてほしい!
それを願って回答者は、返答しているのが、
痛いほど感じる返答でした。
回答者に感謝に感謝いたします!
両者の問答を読んで、質問者の姿勢がない私を恥じております。
ありがとうございましたーーーー
質問者と回答者の問答を読んでとても感心しました。
質問者は、物理学にたいそう意欲を燃やす開拓者のようです。
おもいっきり体当たりしている、すがすがしさを感じました。
その姿勢は、高く評価したい、うらやましい限りです。
勉強不足だかといって恥じることもない!
わびる必要などない!
自分だけで、勉強不足を自覚して
回答者を踏み台に羽ばたいてほしい!
それを願って回答者は、返答しているのが、
痛いほど感じる返答でした。
回答者に感謝いたします!
両者の問答を読んで、質問者の姿勢がない私を恥じております。
ありがとうございましたーーーー
キリスト教徒と天動説が結びついたのはアラビア科学が流入してからです。それ以前のキリスト教は天動説か地動説か明確な立場は取ってないです。
さらにイスラム神学はキリスト教より先に天動説と結びつきました。イスラムの基本的な立場も天動説です