2007年10月08日

科学と非科学の境界

忙しさにかまけているうちに延び延びになっていたshinpei02さんへの返事をUPします。
科学と非科学の境界線をどう引くのか、なぜニュートン力学が科学であり、天動説がそうでないのかとかそういった話です。

一応独立したエントリとして機能するように仕立てているつもりですが、
背景事情として以下のエントリのコメント欄でのやり取りを読んでから読むとより理解が深まると思います。
幻影随想: 趣味レベルとはいえ…
世の中には様々なトンデモ理論があふれていますが、その中の一つに、
「アインシュタインの相対性理論の成立によってニュートン力学は否定された!」
というものがあります。

物理系のトンデモ理論の一つ、相対性理論の成立に伴うニュートン力学の否定について取り上げたものですが、
このエントリのコメント欄でshinpei02さんのブログ記事について言及したのが始まりでした。 
 
さて、議論のそもそもの始まりはnobokさんのコメントと、リンク解析をたどってきたのであろうshinpei02さんご本人の登場です。
私も
http://d.hatena.ne.jp/shinpei02/20070412/1176369503
にニュートン力学が「与太」呼ばわりされていたのにコメントしましたが、どうもわかってもらえなかったようです。
Posted by nobok at 2007年08月25日 16:06

>nobokさん
そもそも科学とはどういうものかをきちんと理解していないと、そこんとこ勘違いしやすいですよね。
まあ義務教育でもそういうことは習わないのですが。
Posted by 黒影 at 2007年08月26日 02:15

nobokさんがコメントした相手のshinpei02です。
すいません。人のブログのコメント欄ですが、少しだけ反論させてください。

僕は僕のブログで、
1.ニュートンは誰かを錯誤させる目的でニュートン力学を発表したわけではない。
2.しかしニュートン力学はいくつかの部分で完璧ではない。
3.このような形で間違った情報を発信してしまう場合があるから気をつけましょう。
という主張をしたつもりです。
僕の主張の2の部分にnobokさんが反応したことは分かるのですが、その部分は僕の意見も理解してもらったつもりだったのですが。
これで議論が足りないようでしたら、僕のブログにコメントしてください。
Posted by shinpei02 at 2007年08月27日 18:06

あいにくnobokさんはコメント後うちのブログに来ていなかったのと、
ツッコミどころ満載な記述内容に思わず私がツッコミを入れたことで議論がスタートしました。
と言ってもほとんど話は平行線を辿ったのですけどね。

詳しいやり取りはあっちのエントリのコメント欄を見てもらうとして、すれ違いの一番の原因は科学というものの捉え方にあると私は感じました。
ここのところが噛み合ってないので議論以前の問題だと。


◆天動説はなぜ科学理論足りえないか?
さて、まず天動説が絶対に科学理論と呼ばれないのは何故かという話。
このコメントに対応する部分ですね。
えーと、じゃあ皆様の使われている言葉では天動説は「正しい科学理論」でしょうか?
Posted by shinpei02 at 2007年08月29日 23:37

>shinpei02さん
自然科学成立のはるか以前からの「素朴な自然観」を科学理論かと聞かれたら、そりゃNoとしか答えようがないのですが。
というか、天動説VS地動説の論争が自然科学を生み出す土台の一つとなったことをお忘れなきよう。

自然科学 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%A7%91%E5%AD%A6#_ref-2
天動説 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8B%95%E8%AA%AC

Posted by 黒影 at 2007年08月30日 00:43

shinpei02さんはこのように書いていますが、これこそ科学のプロセスに対する無理解の表れと言えます。
でも、天動説は地上から観測している限り近似的に正しいですよね。
ニュートン力学が近似的に正しいこととどう違いますか教えてください。
ちなみに僕は両者に決定的な違いがないと思っています。その理由は、
1.観測結果が近似的に正しい。
2.精密に観測すると現実と理論値の差が確認できる。
3.それを否定する(拡張する)理論が発見されている。
4.日常生活において利用されている。(「太陽が昇った」など)
となります。

天動説が科学足りえないのは、一言で言ってしまえば天動説というモデルが科学的実証の下で棄却されたからなのですが、もうちょっと詳しく書きましょうか。

科学的方法論において、理論の確立と実証は以下のようなプロセスに基づいて行われます。
科学的方法 - Wikipedia
観察 (Observation)
現象を観察する、あるいは読み取ること。観測、調査、測定。
仮説 (Hypothesis)
 観察事象について思索を巡らし、仮説を考案すること。(仮説とは、推測ではあるが、観察した現象や事実の束を説明できるもの)
予測 (Prediction)
 仮説の論理的結果を使い、新しい現象や新たな実験の測定結果を予測すること。
確認
 予測が正しく生じるかどうかを検証するために予測の検証実験を実施すること。
評価
 推測が確実な説明であると確信が示せるまで、観測結果に対する可能性がある別の説明を探すこと。
公表
 結果を他者に伝えること。良質の科学雑誌では、論文の査読を第三者(専門分野での独立した科学者)が論文を出版する前に行う。このプロセスはピア・レビューという手法(2000年イギリスで行政の業績評価手法として採用)として知られる。
追証
他の科学者が、公開された論文を調査し、結果が再現することを確認すること。追証できないときは元の論文は認められない。

さて、天動説というのは前にも言ったとおり科学成立以前の素朴な自然観に基づくものです。
上記のプロセスで言うと、観察に基づく仮説を立て、未熟ながら予測を行うことにも成功しています。
しかしこれは科学とは呼べません。
最大の理由は当時まだ科学の方法論が確立されていなかったからですが、
それを除いても天動説が抱える矛盾、弱点が山積みだったからです。


16世紀、コペルニクスが地動説を提唱したとき、天動説と地動説のどちらもまだ科学ではありませんでした。
理由はこの二つの相反するモデルのどちらが正しいかを確認できるほど、観測精度が良くなかったからです。
当時はまだ肉眼による観測のレベルですからね。
しかしコペルニクスのモデルがこれまで天動説が解決できなかった問題(外惑星の軌道)を解決したことは間違いなく、17世紀のティコ・ブラーエはコペルニクスの影響を強く受けた天動説モデルを発表しています。
200px-Tychonian_system_svg.png
時代は進んで17世紀、ケプラーの法則が発表され、ガリレオが木星の衛星を発見したことで天動説は大打撃を受けました。
望遠鏡の発明と普及による観測精度の向上が、地動説の傍証となる観測データを次々にもたらしたからです。
この時点で既に天動説は命脈を絶たれたと言っても過言ではないでしょう。
最終的にニュートンが万有引力の法則を発見して『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』において天体の運動を公式化したことで、天動説は止めを刺されることになります。
天動説 - Wikipedia

結局のところ、天動説は最初から最後まで一度も科学であったことはありません。
無論これは近代科学の成立以前のことだったからでもありますが、同時に近代科学成立の過程において、天文学者達の検証によって、天動説というモデルそのものが科学的実証に基づき棄却されたからです。
近代天文学や物理学の成立に多大な影響を与えたという意味では、天動説も地動説と並び重要な理論ではありますが、これを「科学理論」とする科学者はいません。

ついでに言っておくなら、現在でも天体の運動の完全な予測が不可能なのは多体問題のせいであり、モデルがどうとかいうのとは別次元の話です。
shinei02さんのブログやコメントを読む限り、この辺の問題の切り分けができていないように思います。
多体問題 - Wikipedia


◆ニュートン力学はなぜ科学理論足りえるか?
さて、次にニュートン力学について。
どうもニュートン力学という物についてもshinpei02さんはおかしな誤解をされているようなので…
しかし、かも ひろやすさんからの言葉の使い方へのつっこみがあったので、「ニュートン力学」という単語の示している(この議論においての)対象範囲を変更したいと考えています。案としては、
1.ニュートンオリジナルの三法則を便宜的に「ニュートン力学」と称する。
2.19世紀あたりの「当時の人たちが完成された理論と考えていた力学法則」を「ニュートン力学」と称する。
3.21世紀の今、大学等で教えられている「相対性理論を利用して適用範囲を限定した、時空間が不変のものと仮定して近似値を計算するための力学法則」を「ニュートン力学」と称する。
4.「相対性理論が発見されていない」「観測結果から誤差の存在が明らかになっている」という仮定の世界で、しかたなしに使用されている力学法則を「ニュートン力学」と称する。
5.いっそのこと「時空間が歪んでいない想像上の時空での力学法則」と称する。

5はかなり馬鹿な案ですが、議論用に定義することは可能です。
3は僕としては「それってすでに相対性理論じゃないの?」と違和感を感じてしまいます。
僕は1、2ないし4の意味で「ニュートン力学」という言葉を使っていますし、もしもそれを「古典ニュートン力学と言い換えろ」と言われるのならば、「世間一般ではニュートン力学と簡便に称されているが、物理学者の中ではそのように呼称されていない力学法則」と言い換えてしまってもかまいません。

これに対する私の返事はこんな感じでした。
わからない人には不親切だったので今回はもう少し詳しく書きます。
次にこの部分ですが、丁度次のエントリの主題に当たる部分なので一つだけ。
>「ニュートン力学」という単語の示している(この議論においての)対象範囲を変更したいと考えています。

ヒントを出すなら、あなたの挙げた1〜3のニュートン力学の間には[3⊇2⊇1]という関係が成り立つのです。
1,2が後に3によって「適用範囲を限定」されたにもかかわらず3の部分集合となる理由が分かれば、あなたが科学理論の何を誤解しているか理解できるはずですよ。
私がエントリを書いている間に、ご自分でも考えてみてください。

#2だけはちょっと定義が微妙ですけど「19世紀のニュートン力学」という意味で受け取らせていただきました。
#前回はあえて言いませんでしたが、誰がどう評価しているかで意味が変わる科学理論なんてありえません。
#当時ニュートン力学は「完璧な」理論じゃないかと考えていた人が大勢いたのは事実ですが、それが「どういう意味」なのかも次回まとめて書きます。

Posted by 黒影 at 2007年09月05日 01:57

まず最初に強調しておかなければならないことは、「ニュートン力学」という言葉が指すものは、通常は
1.ニュートンオリジナルの三法則を便宜的に「ニュートン力学」と称する。
3.21世紀の今、大学等で教えられている「相対性理論を利用して適用範囲を限定した、時空間が不変のものと仮定して近似値を計算するための力学法則」を「ニュートン力学」と称する。

のどちらかしかありません。
少なくとも科学における定義はそうです。
#3の定義は少し変ですけど。

2.19世紀あたりの「当時の人たちが完成された理論と考えていた力学法則」を「ニュートン力学」と称する。

というのも便宜的に含めても構いませんが、2≒1です。
そして『1〜3のニュートン力学の間には[3⊇2⊇1]という関係が成り立つ』のです。

さらにニュートン力学3が相対性理論の部分集合であり、ニュートン力学1を包含する以上、
ニュートン力学1もまた相対性理論の部分集合です。
『3は僕としては「それってすでに相対性理論じゃないの?」と違和感を感じてしまいます。』
と仰ってますが、1も2もそうです。
違和感を感じるということはニュートン力学と相対性理論の関係性を正しく捉えていないということです。
ちなみに、ニュートン力学というものはそもそも時空間軸が不変であることを前提とした力学ですから、5はあながち外れてもいません。


あとどうでもいいことですが、科学者の中にニュートン力学を以下のような定義で使う者はいません。
shinpei02さんが4の意味でニュートン力学を使っているのだとしたら、それは実際には存在しない都合のいい幻をサンドバッグにしているようなものです。
いわゆる「わら人形論法」というやつですね。
4.「相対性理論が発見されていない」「観測結果から誤差の存在が明らかになっている」という仮定の世界で、しかたなしに使用されている力学法則を「ニュートン力学」と称する。

shinpei02さんのコメントを読んでいると、どうもこの部分の理解にすれ違いがあるようなので、
なぜ[3⊇2⊇1]となるかの部分についてもう少し詳しく説明します。


◆ニュートン力学と相対性理論の関係
まず強調しておかなければならないことは、ニュートン力学は時空間軸が不変の力学系において適用される法則であるということです。
これは別に相対論に対応して変更されたものではなく、ニュートン自身が最初から言っていることです。
興味がある人はニュートンとライプニッツの時空に関する論争について調べてみるといいでしょう。
ニュートンは絶対時空の擁護者でした。
空間 - Wikipedia
無論実際の宇宙には時空が歪んだ場所もあることが明らかになっていますが、人類が時空の歪みを観測できるようになったのは20世紀に入ってからであり、当時は時空が歪むという概念は存在しなかったのです。


科学理論は通常、前節で引用したようなプロセスの元に検証されるのですが、このようなプロセスを仮説演繹法といいます。
仮説演繹法によって構築された科学理論は、コアとなる事実とそこから導き出される理論(モデル)、そして理論から予測される現象の3点から成り立ちます。
そして容易に反証されることなく存続する仮説こそが良い仮説と言えます。
theory1.jpg

ニュートン力学の場合、時空間の不変性を前提として物体の運動を記述します。
このモデルは非常に強力であり、様々な力学体系に拡張されていきました。
電磁気学との不整合があらわになるまで、ニュートン力学は200年近く物理学の中心を占め続けていたわけです。
shinpei02さんは『19世紀あたりの「当時の人たちが完成された理論と考えていた力学法則」』という表現をしていますが、このあたりの時期が丁度その時期に当たるでしょうか。
この当時の科学者には確かに、力学はニュートン力学として完成されたと考えるものがいました。
今から振り返れば、不変の時空という井戸の中のカエルだったわけですけどね。
theory2.jpg


さて、ニュートン力学の反証として良く挙げられるのが水星の近日点移動や光速度不変の法則です。
ただし、誤解されがちなのですがこれらは『ニュートン力学が間違っている』ことを示す証拠ではありません。
これらは『ニュートン力学で説明できない事象が存在する』『時空間が変化する』ことを示す証拠、
すなわちニュートン力学だけでは宇宙を説明できないことを意味する証拠です。
それまで『不変の時空』の中で生きてきた人類は、これらの事象にぶち当たることで初めて『変動する時空間』を意識しました。

反証主義というのは実に扱いが難しくて、Aという理論に反する事象が発見されたとき、それは必ずしも理論Aが間違っていることを意味しません。
例えばかつて天王星の軌道がニュートン力学の予測からずれているという問題が発見されたとき、それがニュートン力学が間違っている証拠となったかというと、そうではありませんでした。
そのずれは天王星のさらに外側を回る惑星、海王星の影響によるものだったからです。
しかし海王星の存在が確認されるまでの間、天王星問題は宙吊りのままでした。

水星の近日点移動や光速度の問題も話は同様です。
この場合、問題はこれらの事象が不変の時空間というニュートン力学の前提を共有していない部分にありました。
すなわちこれらの事象が、そもそもニュートン力学で取り扱える範囲の外にあったのです。
無論水星の近日点移動や光速度の問題が発見された時点では真の理由は分かりません。
その理由が真に明らかになるには相対論の成立を待つ必要がありましたが。
理論の反証というのは―それがニュートン力学のように非常に良く確立された理論の場合は特に―非常に難しいものです。
ニュートン力学の場合、結局反証が反証でないことが分かり、現在も生きながらえているわけです。


前エントリのコメント欄でも書きましたが、相対性理論は『電磁気学と統合し変化する時空に対応できるようニュートン力学を拡張したもの』です。
相対性理論の成立の前後で、ニュートン力学それ自身には何の変化もありません。
相対性理論によって宇宙の時空が変容することが明らかになったことで、これら時空の歪んだ領域にはニュートン力学を適用することができないと分かっただけです。
ニュートン自身は『時空は常に絶対不変』と考えていたようなので、彼のこの考えは間違っていたと言っていいですが、ニュートン力学はこの間違いの影響下にはありません。
ゆえに『変動する時空を扱えない(想定していない)からニュートン力学は間違いだ』という考えは誤りです。


余談ですが、修正ニュートン力学なるものは既に存在します。
ニュートン力学のうち万有引力の部分に修正を加えたものになります。
もしこの理論が正しければ『ニュートン力学は間違っていた』と言ってもいいでしょうね。
大部分の科学者は与太と見ていますが。
修正ニュートン力学 - Wikipedia


◆ニュートン力学と天動説の差
さて、ここまで来ればニュートン力学と天動説の違いが見えてきたのではないでしょうか?

天動説は、成り立ちはともかく最終的には科学となることを指向した理論ではありますが、
しかし科学的方法論の確立と共に反証され棄却された理論です。
天動説は一度も科学理論となったことはありません。

一方のニュートン力学は時空の不変を前提に確立された力学体系であり、時空が歪んだ領域に適用することができないという縛りはありますが、成立時から現在に至るまで、数多の検証を突破してきた科学理論です。
ニュートン力学は力学体系の基礎にあたり、その重要性は現在も決して薄れることはありません。
また、地動説の成立に当たり、天体の動きを説明する理論的背景となった科学理論でもあります。

この二つを同列扱いするのはいくらなんでも科学理論のなんたるかを理解していない所業だと思います。
前エントリでのコメントの理由をご理解いただけたでしょうか?



posted by 黒影 at 21:58 | Comment(38) | TrackBack(0) | サイエンストピックス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
  1. 話を逸らすようで申し訳ありませんが、
    >さて、まず天動説が絶対に科学理論と呼ばれないのは何故かという話。

    天動説が科学理論でないというのは、いくらなんでもギリシャ人に対して失礼ではないでしょうか。
    天動説も実際に観測との矛盾は都度修正されていたわけですから、観察、仮説、予測、確認・・・というプロセスは執っていたといえると思います。
    エントリ中の絶対時空に倣って言うならば、天動説は空間軸だけなく原点も不変であるとした理論だと考えることは出来ませんか。天動説は、地球を原点として他は原点足り得ないとしていたのに対して、原点は絶対的ではなく何処にあっても物理法則は同じ(等価)であるはずだといったのがガリレイであるという流れだったに過ぎず、天動説以前は科学は無かった的な言い方はあんまりだと思います。
  2. Posted by ひとよひ at 2007年10月09日 23:09
  3. 天動説が科学であったかというのは興味深いですね。天動説はその理論から予測を行うことが出来ました。来年の火星の位置とか。反証可能でもありました。位置の予測が間違えば反証されたわけです。おそらく反証とモデルの修正を繰り返したと思われますが、ギリシャ時代からケプラー直前までを通して、それなりの精度で予測できるモデルがあったのかどうか、興味深いです。
    もうひとつ言えば、ニュートン力学と天動説を同列で比較すると決して意味のある点に到達できない気がします。ニュートン力学はモデルに数学的な後ろ盾を持っていますよね。でも、天動説は円という、よく好まれた図形をモデルとして採用する試みでしかありません。
    むしろ、ニュートン以前のケプラーのモデルが科学理論足りえるかのほうが興味深いです。最終的にはニュートン力学の後ろ盾を得たわけですが、ケプラーのアプローチ自身は楕円と言う既知の図形をモデルとして採用する試みだったわけです。
  4. Posted by すの at 2007年10月10日 12:28
  5. >天動説が科学理論でないというのは、いくらなんでもギリシャ人に対して失礼ではないでしょうか。

    >天動説以前は科学は無かった的な言い方はあんまりだと思います。

    「科学」と「科学理論」の定義の問題でしょうが、『「天動説」は「科学理論」です』とは言えないでしょう。
    所謂「17世紀科学革命」で、「天動説」が「地動説」によって否定される過程で、「科学理論」の概念・定義ができてます。
    「科学理論・科学的方法論」は17世紀にできたもので、これ以前にはなかった概念です。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E9%9D%A9%E5%91%BD

    「天動説」が「科学理論」として扱われる事はなかったし、現在も過去においても科学的検証に耐える説ではありませんでした。
    確かに「天動説」は人々の生活に役立っていたでしょうが、それは「科学理論」が確立される前の事です。

    ついでですが、現在の「科学」の歴史はここを見ればわかると思います。
    http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/t1.html
  6. Posted by e10go at 2007年10月10日 20:43
  7. 予想通りというか、レスもわりとモヒカンな議論の流れになってますね。

    私としては、この本がお勧め。
    「疑似科学と科学の哲学」
    伊勢田 哲治

    ベイズの定理マンセー。
  8. Posted by Cru at 2007年10月11日 01:10
  9. >ひとよひさん
    大体e10goさんのおっしゃるとおりです。
    科学という言葉を『自然科学』の意味ではなく『科学史』の扱う『広義の科学』として捉えるなら、ギリシャ科学も科学と言って差し支えありませんが、それでもやはりe10goさんの書いているような理由で天動説を『科学理論』とは言いません。

    >e10goさん
    補足ありがとうございます。

    ついでに、紹介してくださったe10goさんには申し訳ないのですが、
    ご紹介のリンク(下の方)は論の進め方が少々乱暴なので、私は科学史の入門にはあまりお勧めしません。
    あらかじめ知識を持った上で読むならそれなりに楽しめますけど。
    私のお勧めはこの本です。
    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000270958
    一七世紀科学革命 (ヨーロッパ史入門): 本: ジョン・ヘンリー,東 慎一郎

    >Cruさん
    「疑似科学と科学の哲学」良いですよね。
    私の本棚にも置いてあります。
  10. Posted by 黒影 at 2007年10月11日 02:27
  11. 17世紀に「科学」という概念が作り出されたのだから、17世紀以前に科学は存在しなかった。
    というなら、
    1758年にリンネによって「哺乳類」という概念が作り出されたのだから、それ以前に哺乳類は存在しなかった。
    ということになりますよね。全くナンセンスだと思いますが。

    科学方法論の確立によって、科学とは「観察、仮説、予測、確認、評価、公表、追証というプロセスに従った知識の体系」であると定義された訳ですよね。だとすれば、「天動説は科学ではない」と主張するなら、その根拠は「天動説はこのプロセスに従っていなかったから」というものでなければなりません。もちろん、現代の目から見れば、全てのプロセスにおいて天動説の科学性は否定されるのでしょう。しかし、地動説が発表されるまではどうだったのでしょうか。プトレマイオスは肉眼による「観察」に基づき、星が地球の周りを回るという「仮説」を作り、星の動きを「予測」していたのですよね。そして彼の体系は以後千年以上星の動きの予測のために使われたそうです。ということは千年以上「確認」「評価」「追証」されたということなんではないですか?

    天動説は、観測技術の発展やニュートン力学の確立によって「最終的には棄却された科学理論」というのが妥当な評価なのではないかとおもいますがどうでしょう。
  12. Posted by sato at 2007年10月11日 03:43
  13. しまった。出遅れた。

    長文の説明をありがとうございます。
    こちらもコメントを作成中なのですが、長文になってしまい時間がかかっているところです。長文のコメントはマナー的によくないと分かってはいるのですが、互いの文化的基盤が大きく異なっているために仕方がないかと思っています。

    それはさておき、ちょっと分からないところがあるので詳しい説明をしてもらえればと思っています。
    >評価
    >推測が確実な説明であると確信が示せるまで、観測結果に対する可能性がある別の説明を探すこと。
    これですが、確信が示せるまでは「科学ではない」のか、「常に探し続けなさい」という努力目標なのかどちらでしょうか?
    前者だとすると、現在の量子力学は科学でなくなってしまうような気がするのですが?
  14. Posted by shinpei02 at 2007年10月11日 07:56
  15. >1758年にリンネによって「哺乳類」という概念が作り出されたのだから、それ以前に哺乳類は存在しなかった。

    存在しなかったのは“「哺乳類」という概念”であって、現在哺乳類といわれている犬やネコや人が存在しなかったわけではないです。
    これらは家畜とか動物とか人間とか白人とか、哺乳類以外の分類法(いまでも有効なもののある)で認識されていただけです。
    なので全然ナンセンスではないと思いますが。
  16. Posted by みん at 2007年10月11日 13:48
  17. 天動説が科学理論でないのはなぜかといえば、ギリシャや中世にそう唱えていた人たちが、それを「科学理論」と考えていなかったから、ということに尽きると思います。

    そして、天動説と地動説、どっちが正しいかを決着させようとするなかで、「科学理論」という考え方が生まれた。
    そして、最新の観測事実を積み上げていくと、結局天動説はダメだった。
    そういう流れになると思います。

    また、仮にギリシャ時代の観測データしかないなかに「科学理論」という考え方を強引に当てはめるとするなら、「天動説は弱点の多い仮説だが、地動説も同様に弱点を抱えていた。どちらが正しいかは、観測データが貧弱なため明らかにできない。そうしたなか、教会などの権威は天動説を正しいと(科学とは無関係に)決めていたことから、多くの人が天動説を信じた」となるのではないでしょうか。
  18. Posted by とむけん at 2007年10月11日 19:22
  19. 上のコメントについて、
    ギリシャ時代→中世
    に訂正してください。

    古代ギリシャ時代には教会なんてあるはずなないですよね。失礼しました。

  20. Posted by とむけん at 2007年10月11日 19:25
  21. >e10goさん
    >「科学」と「科学理論」の定義の問題でしょうが、『「天動説」は「科学理論」です』とは言えないでしょう。

    >黒影さん
    >科学という言葉を『自然科学』の意味ではなく『科学史』の扱う『広義の科学』として捉えるなら、ギリシャ科学も科学と言って差し支えありませんが、それでもやはりe10goさんの書いているような理由で天動説を『科学理論』とは言いません。

    確かに定義の問題と言われれば納得します。エントリを読んだ時、
    ニュートン以後が科学であり、それ以前は神話にすぎないので見る価値はない。
    と言っているようなニュアンスを感じたので反射的にコメントしてしまいました。少し反省しています。
     結局は積み重ねがあってこそなので、蔑ろには出来ないでしょうと言いたかっただけです。エントリの主旨とは違うことは何となく気にはしていたのですが、申し訳ありません。
  22. Posted by ひとよひ at 2007年10月11日 21:45
  23. 近代科学とそれ以前の科学という形態の違いがあるんでしょうね。
    「1500年くらいまえは神の作った世界の調和を知るための学問が天文学幾何学数論音楽だったんだ」(千秋真一氏w)
    そうです。
    つまり当時の科学というのはより神学とか哲学に近いものでしょう。んでキリスト教会というのは無知な民衆を導かねばなりませんから、これこれの理由で天動説は正しいと認定したわけです。

    でもガリレオみたいな人が「あれ天動説おかしくね?」とか気付きだすとこれは大変です。自分達が誤ってる=不完全な神ということですから、がんばって否定したり拷問したり尋問したり破門したりもしたけど、結局「あーだめだオレらこの戦線からは撤退して科学者に任せようぜ、カエサルのものはカエサルにって言うしね」ということで近代科学が生まれたんですね。

    あってますかね?
  24. Posted by SLEEP at 2007年10月12日 12:37
  25. >shinpei02さん
    こんばんは。
    私も即座にレスできる状態ではないので、ゆっくりで構いませんよ。
    せっかくブログを使っているんだから、コメントが長くなるようならトラックバックという手もありますし。

    >>評価
    >>推測が確実な説明であると確信が示せるまで、観測結果に対する可能性がある別の説明を探すこと。
    >これですが、確信が示せるまでは「科学ではない」のか、「常に探し続けなさい」という努力目標なのかどちらでしょうか?
    >前者だとすると、現在の量子力学は科学でなくなってしまうような気がするのですが?

    こういう言い方をするのであれば前者ですね。
    きちんとした物証を示さないと仮説から科学理論へと昇格できませんから。
    ちなみに、量子力学はすでに十分な物証を積み上げていると思います。


    >ひとよひさん
    >ニュートン以後が科学であり、それ以前は神話にすぎないので見る価値はない。
    >と言っているようなニュアンスを感じたので反射的にコメントしてしまいました。少し反省しています。

    それはこういう話をするときの結構難しい問題です。
    17世紀科学革命以前の古い科学は、現在の自然科学の基準から見れば基準を満たしていないものが多いのですが、それでもこれらが自然科学の母体となったことは間違いなく、科学史的には重要なものです。
    しかし現在自然科学として確立された科学体系について話す時は、どうしても扱いが悪くなってしまうんですよね。

    ひとよひさんのコメントのおかげである程度フォローできたので、むしろお礼を言わせてください。

    >SLEEPさん
    そうですね。
    昔は科学という言葉が学問一般を指す言葉だったし、ニュートンの頃にはまだ自然哲学という言葉を使ってましたから。
  26. Posted by 黒影 at 2007年10月12日 23:31
  27. 種を蒔いておきながらご無沙汰してすみません。
     丁寧な議論を積み重ねてくださってありがとうございます。自然科学の考え方、というのは、実際の問題を解きながら系統的に学んでいくと、実感として身につくのですけれど(たとえば物理でしたら、力学、電磁気、相対論、量子力学というように)、抽象的な概念だけで書物から知識を得るのでは理解するのは難しいのでしょうか。
     「わかる」とは何か、という哲学的な問題につながりますが、ある意味、自然科学の考え方の訓練は、スポーツや工芸・芸術の技能の鍛錬に似たところがあるのかも知れません。議論がなかなか噛み合わないのを見てそのような感慨をもちました。
  28. Posted by nobok at 2007年10月13日 11:33
  29. >「1500年くらいまえは神の作った世界の調和を知るための学問が天文学幾何学数論音楽だったんだ」(千秋真一氏w)

    どこかで読んだフレーズの様な気がしましたが、もしかしてのだめ?千秋真一ですものね。

    このような場でのだめが出てくるとは、思わなかった!

    失礼しました、ROMに戻ります。
  30. Posted by street man at 2007年10月14日 10:13
  31. だってもやしもんにのだめ菌出てくるし・・・
  32. Posted by SLEEP at 2007年10月14日 21:43
  33. んーと、まだ「評価」がよく分からないです。

    >きちんとした物証を示さないと仮説から科学理論へと昇格できませんから。

    仮説は「今のところ棄却されていない仮説」までしか昇格できないような気がするのですが、物理学ではそうではないのでしょうか?

    >ちなみに、量子力学はすでに十分な物証を積み上げていると思います。

    コペンハーゲン解釈、多世界解釈、パイロット解釈といった推測はそれぞれ「確実な説明であると確信が示せ」ていないように感じるのですが?
    波動関数は実際の物質の運動(?)を正しく予測でき、どの解釈にも合致した計算結果が出るらしいのですが、計算結果が正しければ前提とする解釈が間違っていても科学としては正しいのでしょうか?

    僕は量子力学に関しては下記のサイトで説明されている程度のことしか知らないので的外れな疑問かもしれないです。そのときはどのへんが的外れかも説明していただけるとありがたいです。
    http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/saiFrame.html


    あともう一つの疑問というか質問です。
    satoさんが先に質問していたので僕は静観していたのですが、黒影さんから具体的な解説がないのでちょっと蒸し返します。
    黒影さんにとって天動説が科学理論ではないのは以下のどれを理由とするものなのでしょうか?
    1.>天動説はこのプロセスに従っていなかったから(satoさん)
    2.>ギリシャや中世にそう唱えていた人たちが、それを「科学理論」と考えていなかったから(とむけんさん)
    3.>最新の観測事実を積み上げていくと、結局天動説はダメだった(とむけんさん)
    4.>17世紀に「科学」という概念が作り出されたのだから、17世紀以前に科学は存在しなかった(satoさん)
    5.それ以外

    ちなみに僕は天動説は「最終的には棄却された科学理論(satoさん)」であり、科学理論の一つであると考えています。
  34. Posted by shinpei02 at 2007年10月14日 22:23
  35. nobokさん
    nobokさんは、黒影さんたちは「実際に科学を学ぶ過程で、正しい科学のイメージをつかんでいる」人間であり、sato(shinpei02さんのことですか?どっちでもいいけど)は「本だけから科学を学んだ」人間である、とおっしゃる訳ですよね?それが事実だとして、だったら何なんですか?そんなのは単なるレッテル貼りにすぎません。発言者はどんな人間か?そんなことはどうでもいいのです。発言の内容だけを問題にすべきです。建設的な議論がしたいなら、sato(あるいはshinpei02さん)のコメントのどこがどうおかしいのか具体的に指摘すればいいのです。もちろん、議論に参加するつもりなどなく、単なる野次馬気分なのだとしたら、レッテル貼りでもして楽しんでいればよいと思います。

    黒影さん
    >16世紀、コペルニクスが地動説を提唱したとき、天動説と地動説のどちらもまだ科学ではありませんでした。
    >理由はこの二つの相反するモデルのどちらが正しいかを確認できるほど、観測精度が良くなかったからです。
    この点について疑問があります。
    観測精度の良し悪しなど、相対的な問題なのではないですか?問題なのは、その理論が提唱された時点における最善のデータ、知識に基づいているか否か、だと思います。伊勢田氏の本の48ページに「(19世紀初頭の創造論者)キュビエの仮説とアーカンソー州法に定義された創造科学は内容的にはほとんど同じである。(略)キュビエの仮説は科学的だが現代の創造科学はもはや科学的ではないと感じるだろう。」とあります。キュビエは当時最善のデータに基づき理論を作り出した訳ですが、現代の創造論者はキュビエ以降に発見された多数の創造論に対して否定的なデータを「基本的には無視(p.49,l.8)」しているからこそ科学的だと言えないのである、と書いてありますよね。中世の天文学者も、肉眼で観察していたのだから非常に貧弱かもしれませんが、当時最善のデータに基づき天動説を採用していたはずです。「16世紀、コペルニクスが地動説を提唱したとき、天動説と地動説のどちらもまだ科学では」なかったのではなく、「どちらの科学であったが、当時のデータではどちらが正しいのか判定できなかった」だけではないのですか?現在でもそのようなことはいくらでもありますよね。例えば、ダークマターの正体に関してニュートリノ説やブラックホール説などいろいろあるそうですが、現在の観測技術、知識ではどれが正しいのか判定できない訳ですよね。ニュートリノ説やブラックホール説は科学ではないのですか?たしかに、「確立された科学理論」ではないでしょう。だからといって、「科学理論でない」というのも不適切なのではないですか?

    要するに、黒影さんは「完全に確立された理論」のみを「科学理論」と呼んでいるように見えます。そのような「科学」という言葉の使い方は素朴すぎるのではないでしょうか。伊勢田氏の本をお持ちなら、悲観的帰納法もご存知ですよね。12世紀当時に科学方法論があったとすれば、天動説は「完全に確立された理論」と見なされていたことでしょう。それが、17世紀に棄却された。同じように量子力学だって、21世紀現在の知識水準からすれば完全に確立されているように見えるかもしれませんが、25世紀の知識水準からすれば棄却されるかもしれません。ですから、「完全に確立された」という概念を使うべきではないと思います。そうではなく、「科学方法論に基づき、現時点で棄却されるか否か」を基準にすべきなのではないでしょうか。天動説は「現時点で棄却された科学」、量子力学は「現時点で棄却されていない科学」と呼べばいいと思います。
    もちろん、「現時点で棄却された仮説は科学と呼ばない」という立場というか、言葉の使い方もわからないではありません。ただ、なぜ私が天動説を科学と呼ぶことにこだわるかというと、疑似科学のことが気になるからです。もし単純に「天動説は科学ではない」といってしまうと、「天動説は科学ではない。創造科学も科学ではない。では天動説と創造科学の違いは?」という気分になってしまうのです。天動説と創造科学はだいぶ違いますよね。要するに、「疑似科学」と「棄却された科学」は区別すべきものだ、と思っているのです。

    shinpei02さん
    なぜ天動説とニュートン力学を同列に扱ってはいけないのか、二つの説明をしてみます。
    (1)shinpei02さんは「地上から観測する限り、天動説は近似的に正しい」といってますが、なぜそのように観測手段を限定するのですか?現代最高の観測技術を持って観測すべきです。そうすれば明らかに天動説は棄却されます。それに対してニュートン力学は、適切に範囲を限定すれば、現代最高の観測技術を持ってしても棄却できません。

    (2)天動説に対して、地動説という根本的にメカニズムの異なる理論が存在しています。そして、地動説は天動説で正しく説明できる星の動きも説明できるし、天動説で説明できない星の動きに関しても正しく説明できます。要するに、地動説の方が精度、説明範囲ともに優れているのです。それに対して、ニュートン力学と根本的に異なるメカニズムを持ち、ニュートン力学以上の精度、説明範囲で物体の動きを説明できる理論は(適切に範囲を限定すれば)存在しません。

    したがって、天動説とニュートン力学は同列に扱えるものではないのです。

    やたらと長いコメントですいません。これもスルーされるならromに戻ります。
  36. Posted by sato at 2007年10月15日 13:22
  37. >shinpei02さん

    なんでこんな簡単なことがおわかりになられないのか本当に不思議なのですが、貴方の上げている1〜4は全部正しい、というか同じことなんです。
    つまり「近代」科学という概念が中世以前はないんです、今の私らから見ればアリストテレスは「科学者」だよね、と言えますが当の本人は科学、なんじゃそりゃ?俺は神の作られたこの世のあり方を解き明かしてるんだ、でしょう。そしてアリストテレスのような大学者の考えこそは神の作られた法則に決まってる、その他の考え方は全部異端だ!というのがかつてのキリスト教会(イスラム含めその他大勢)です。
    科学の成立そのものは17世紀ではやや早すぎて、完全なるモノはやはり啓蒙主義の18世紀以降であろうと考えますが、それは別にある日突然そうなったわけではありません。むしろ耕地増大による知識階層の増加という社会的要因に促されての遅々たる歩みではなかったかと思います。なぜ日本でのみ産業革命が起こったかというのも、知識人たる武士階級や庶民の高い識字率、それを支えた豊かさを考えるべきなんでしょう。
  38. Posted by SLEEP at 2007年10月15日 20:22
  39. 「天動説が科学理論でない理由」ではないんですが、どうも私には shinpei02 さんは天動説と地動説の違いを単に地球が動いているかどうかの違いでしかない、というように考えているようにみえます。

    Wikipedia にも「それには当時の哲学や思想が盛り込まれている。神が地球を宇宙の中心に据えたのは、それが人間の住む特別の天体だからである。」と書かれているように、天動説ではたとえば地上でボールを投げるときと天体が地球の周りをまわるときとではまったく違った法則が働いていると考えられていたわけです。予測の精度を上げるために周転円や離心円などを導入し、モデルを修正していってもこの点は変わりませんでした。

    それに対して地動説はコペルニクスが唱えたころはまだ天動説とたいして変わりがありませんでしたが、ガリレオが木星のまわりを衛星がまわっていることを発見、また重い物体も軽い物体もおなじように落下することを実証し、ケプラーの法則が発見されて天体が楕円軌道を描くと考えるとより観測に合致することがわかり、そしてニュートンの法則によってそれらが統合され、地上のボールにも天体にもおなじ法則が働いている、ということがわかったのです。
    こうして地球は太陽のまわりをまわっていることになったのですが、それだけでなく、同時に太陽も地球との共通重心(ほぼ太陽の中心にありますが)をまわっていることにもなったわけです。

    こうやって考えると、天動説と地動説が単純に対比できるようなものではなく、「天動説は科学理論ではない」というのも私にはごく自然に納得できることなのでした。
  40. Posted by Seagul-X at 2007年10月16日 00:11
  41. 量子力学について。

    方程式から導かれる解は山のような実験結果に合致していて、量子「力学」の妥当性には今のところ疑う余地がありません。物理学の世界で「力学」と言った場合、それは物理量や状態の関係を記述する法則(主に数学体系)のことを指します。その力学を見出す動機となった世界観も、力学の結論から連想される世界観も、力学自体の妥当性とは関係がありません。
  42. Posted by Yamanaka at 2007年10月16日 08:01
  43. >shinpei02さん
    >コペンハーゲン解釈、多世界解釈、パイロット解釈といった推測はそれぞれ「確実な説明であると確信が示せ」ていないように感じるのですが?
    >波動関数は実際の物質の運動(?)を正しく予測でき、どの解釈にも合致した計算結果が出るらしいのですが、計算結果が正しければ前提とする解釈が間違っていても科学としては正しいのでしょうか?
    物事の成立の順序が逆です。
    量子力学(波動力学)の基礎方程式であるシュレーディンガー方程式から導き出される世界の解釈の仕方が、おっしゃるような解釈です。
    シュレーディンガー方程式自体は既存の物理学(古典力学)から導出可能なものです。
    量子力学の基盤は古典力学であり、それらの解釈を前提としておりません。
    詳しくは下に紹介するテキストを読んで頂ければと思います。

    それらの解釈のうちどれが正しいのか(あるいは今は知られていない他の何かが正しいのか)の確認は、科学の今後の課題の一つですね。


    なお、前エントリのコメント欄で他の人へのレスにも書きましたが、
    そこのサイトは結構適当なことが書いてあるし、論の進め方も乱暴なので、勉強には全くお勧めしません。
    それを承知の上で読み物として楽しむのであれば別に構いませんが。
    量子力学の教科書ならネットで公開されているものもありますので、ご紹介しておきます。
    いろもの物理学者こと前野先生のテキストです。
    http://www.phys.u-ryukyu.ac.jp/~maeno/qm/qm.pdf


    >黒影さんにとって天動説が科学理論ではないのは以下のどれを理由とするものなのでしょうか?
    1〜4の全てが含まれます。というか別にこれらは相反する内容ではないと思います。
    あえて重みづけをするとしたら、1と3重視になるでしょうか。
    理由は以下のsatoさんへのコメントを見て頂ければある程度納得していただけるのではないかと思います。
  44. Posted by 黒影 at 2007年10月17日 02:21
  45. >satoさん
    前回のコメントにもまとめてレスします。
    >プトレマイオスは肉眼による「観察」に基づき、星が地球の周りを回るという「仮説」を作り、星の動きを「予測」していたのですよね。
    そうですね。そしてその予測は少なくとも惑星に関してはしょっちゅう外れてました。
    だからこそ惑星は「(観測者を)惑わす星」と呼ばれたのですから。
    プトレマイオスの体系はこんな感じに太陽とそれぞれの惑星が独自の軌道(従円)を回っており、
    少なくともこれが間違いであることはブラーエの頃には既に周知でした。
    http://www.nararika.com/butsuri/kagakushi/tentai/putores.jpg
    しかし天動説はブラーエがモデルを修正するまでその間違いが明らかなモデルを使い続けていました。
    理由は色々とありますが、一番の理由はプトレマイオスの体系が絶対視されていたからです。


    ちなみに私は、彼の理論は結局科学理論になれなかったものの、ティコ・ブラーエは間違いなく科学者であったと考えています。
    彼の観測データは肉眼のそれとしては最高レベルの精度でしたし、年周視差が観測できなかったことを地動説モデルを棄却する理由とするなど、彼の研究姿勢は科学のプロセスを取っていたと言えますから。
    エントリ中で引用した彼の体系図を見れば明らかなように、彼のモデルは地球と太陽の関係をひっくり返せば天動説モデルとほとんど変わりありません。
    彼もまたコペルニクスと並んで当時絶対視されていたコペルニクス体系を修正するという偉業を達成した一人です。

    ただ惜しむらくは、彼が天動説や真円軌道という当時の常識の打破にまでは至らなかったところでしょうか。
    彼の観測データには十分それが可能なだけのものがあったんですけどね。
    彼の死後、彼の研究データをまとめ直した弟子のケプラーが、その部分を修正した新たな地動説モデルを提唱したのは歴史の皮肉と言えます。
    ヨハネス・ケプラー - Wikipedia
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC


    >中世の天文学者も、肉眼で観察していたのだから非常に貧弱かもしれませんが、当時最善のデータに基づき天動説を採用していたはずです。
    と書かれていますが、これも少し違います。
    中世当時は「最善のデータに基づき天動説を採用」していたのではなく、単に「天動説に代わる天体の運行モデルが存在しなかった」だけです。
    ゆえに当時の天文学者は、モデルに合わない動きの理由をモデルの間違いに求めることなく、単にその都度星表の修正を行うにとどまっていました。
    だからこそカントは『純粋理性批判』の中で「コペルニクス的転回」という単語に『「認識の枠組み」の打破』という意味合いを持たせているわけです。
    そしてコペルニクス以後の人であるブラーエもまた、上に書いたように壁を突破できなかった一人なわけです。


    さて、
    >ただ、なぜ私が天動説を科学と呼ぶことにこだわるかというと、疑似科学のことが気になるからです。
    >もし単純に「天動説は科学ではない」といってしまうと、「天動説は科学ではない。創造科学も科学ではない。
    >では天動説と創造科学の違いは?」という気分になってしまうのです。
    >天動説と創造科学はだいぶ違いますよね。
    >要するに、「疑似科学」と「棄却された科学」は区別すべきものだ、と思っているのです。
    と書いておられますが、これは私ももっともなことだと思います。
    ひとくくりに「科学でない物」と言っても、その中には迷信や疑似科学から未検証の科学予測までいろいろな物が含まれてしまう訳で、その中に区別があるべきだという意見には私も賛成です。
    で、この手の議論はすでに先人がさんざん行っておりまして、迷信や疑似科学と分けるカテゴリとしてプロトサイエンス(未科学)という用語が提案されています。
    プロトサイエンス - Wikipedia
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9
    私としては天動説が含まれるのはこのカテゴリが適当だと考えているのですがいかがでしょうか?
    #ただ「過去における」未科学であって、現在入れるべき適切なカテゴリかと言われると難しいところです。
    #「棄却された仮説」というカテゴリをプロトサイエンスと同じレベルに設けるべきなのでしょうか。
  46. Posted by 黒影 at 2007年10月17日 02:22
  47. Posted by a at 2007年10月17日 08:58
  48. まだ「評価」がよくわかりません。
    これについての解説をスルーされてしまって困ってます。
    仮説は「今のところ棄却されていない仮説」以上に昇格できるのでしょうか?

    Yamanakaさんと黒影さん
    >量子力学について
     Yamanakaさんのおかげで現在の量子力学が科学であるために解釈問題は関係ないことが理解できました。
     しかし「山のような実験結果に合致していて」いなければ科学ではないのでしょうか?
     もちろん実験結果が合致していなければまずいのですが、「山のように」実験しなければ科学にならないのでしょうか?そしてどれだけ実験すれば「山のように」と見なされるのでしょうか?

    黒影さん
    >>黒影さんにとって天動説が科学理論ではないのは以下のどれを理由とするものなのでしょうか?
    >1〜4の全てが含まれます。
     じゃあ、てこの原理は科学になりますか?
     天動説は「このプロセス」に従って科学として成立し、その後「このプロセス」で棄却されたと思うのですが、そうではないのでしょうか?どのプロセスに従っていなかったのでしょうか?
     棄却されてしまった科学理論は「最初から最後まで一度も科学であったことはありません」ことになるのでしょうか?

    satoさん
    >なぜ天動説とニュートン力学を同列に扱ってはいけないのか、二つの説明をしてみます。(1)ニュートン力学も「適切に範囲を限定」するのならば天動説も範囲を限定してもいいのではないでしょうか?
    (2)こっちはけっこう腑に落ちます。しかしそうするとニュートン力学と相対性理論が同列になることが理解できないのです。「時空間軸が不変」であることと「時空が歪ん」でいることは根本的な違いではないのですか?


     これは単なる思考実験ですが、実は地球が静止していて自転軸(いや自転してないから自転軸は存在しないんだけど)を中心に円筒形に回転する未知の力が働いている宇宙を想定したときの力学体系はどうなるでしょうか?この未知の力は宇宙の中心部(つまり地球)近辺では反転してコリオリ力などを発生させるとすればどうでしょう?しかもこの未知の力は光にも物質にも等しく作用するとすれば、光や物質を媒介として観測することもできなくなります。
     この不思議宇宙での力学体系は天動説に座標変換するとニュートン力学での運動方程式そのものになってしまいそうな気がします。方程式が演繹できるというのはその科学理論が正しいことの証明にはならないと感じるのは僕がひねくれすぎているのでしょうか?


     もはや議論は科学哲学の方向へと走ってしまっているのですが、一応、僕の元々の発言の趣旨を確認させてください。
    1.ニュートンは科学というものに誠実であった。
    2.それでもニュートンはいくつかの間違った理論(時空間軸が不変であるなど)を発表してしまった。
    3.ニュートン力学は近似的には正しいが、厳密に言うと「正しい物理法則」ではない。
     これっておかしいですかね?
  49. Posted by shinpei02 at 2007年10月17日 20:20
  50. ちと改行ミスです。
    >なぜ天動説とニュートン力学を同列に扱ってはいけないのか、二つの説明をしてみます。(1)ニュートン力学も「適切に範囲を限定」するのならば天動説も範囲を限定してもいいのではないでしょうか?



    >なぜ天動説とニュートン力学を同列に扱ってはいけないのか、二つの説明をしてみます。
    (1)ニュートン力学も「適切に範囲を限定」するのならば天動説も範囲を限定してもいいのではないでしょうか?
  51. Posted by shinpei02 at 2007年10月17日 20:23
  52. 「それでもニュートンはいくつかの間違った理論(時空間軸が不変であるなど)を発表してしまった。」は、典型的なよくある誤解ですね。実際には、ニュートン力学はガリレイ変換で不変です。
  53. Posted by かも ひろやす at 2007年10月18日 03:41
  54. その1〜3はとても相変わらずですね。
    もしかして、shinpei02さんは、仮説と科学理論を混同しているのでは?気のせいだと良いのですが。(本文に書いてあるし・・・。)

    まぁとりあえず、自分は科学のことを知っている!というわけの分からない自信を、まずもって捨てるべきだと考えます。ここの人々と見事なまでの平行線を描くのは、これが第一の原因だと思いますよ。議論を修正したいと言っておきながら、一向に進展しないのはそのためでしょう。

    僕なんかは、しばらくROMってて正直、「何も知らん素人が玄人顔してたら、プロに突っ込み入れられて、自分の素人度数を披露しに来てるわ」って感覚で見てました。
    気分を害されると思うので、ごめんなさい。
    でも、今でも同じこと思ってます。本当にごめんなさい。

    アインシュタインの相対性理論の成立によってニュートン力学は否定された!なんて低難易度の内容が、ここまで膨らむとは・・・。
  55. Posted by | 冫、)ジー at 2007年10月18日 05:40
  56. shinpei02さんは、科学理論と科学者個人の自然観の区別もついていないでしょう。現に、「ニュートン力学」と「ニュートンの自然観」が区別できていないことが、1〜3からまるわかりですから。

    shinpeii02さん、「ガリレイ変換で不変」って意味わかります? もし、わかっていないなら、これ以上深入りしても傷が深くなるだけだから、黙って撤退したほうがいいですよ。本気でこの件について考察を続けるつもりなら、ちゃんとした物理学の教科書(啓蒙書はダメ)を読みましょう。ここで議論(?)することは、教科書を読むことの代用にはなりません。「ガリレイ変換」をググるのも、同様にダメですよ。

    以上、公開おせっかいでした。
  57. Posted by かも ひろやす at 2007年10月18日 05:58
  58. はじめまして。お邪魔します。
    元ビリーバーで、正しい科学を身につけるべく、ただ今勉強中の者です。
    黒影さんのこの記事、大変興味深く拝見しました。

    >「アインシュタインの相対性理論の成立によってニュートン力学は否定された!」

    これはつまり、「ニュートン力学なんて古い、これからは相対論を常に意識して生活しよう」という事でしょうか。
    私は日常生活ではニュートン力学で十分事足りる、と単純に考えていました。(まだまだ修行が足りないようです。頑張ります。)

    nobokさん、
    >抽象的な概念だけで書物から知識を得るのでは理解するのは難しいのでしょうか。

    今現在、私は入門書ですら悪戦苦闘中です。(若い頃トンデモ本しか読まなかったためまともな科学知識ゼロ)
    それでも、「科学全体の大まかな歴史」「各時代の科学者個人の経歴」「科学者同士のやりとりの記録」、「理論が確立された時代背景」などを学んでいる内に、
    正しい科学の考え方がおぼろげながら分かってきました。
    正しい科学を身に着けたいという強い気持ちがあれば、輪郭だけでも見えてくる様な気がします。

    コメント欄の活発な議論を見た後は、有意義な時間を過ごしたという実感が湧きます。
    黒影さん、そして各位の皆様方の科学に関するご意見、これからも楽しみにしています。


    それでは失礼します。
  59. Posted by TAKA at 2007年10月18日 16:04
  60. 私もここまでROMっておりましたがなんだか「本よんで出直してこーい」が出ま
    したのでひとこと

    ここでの議論(特に議論のかみあわなさ)は「ちゃんとした物理学の啓蒙書」
    が少ないことにも原因がありそうですね。私の知る範囲で文系理系問わず読め
    る基本的なものとして「科学の思想と論理」
    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4595271050
    が適切と思われましたが残念ながら絶版のようです。現在ユーズドでも(現実
    的な価格のものは)1冊しかないようですが、これは放送大学の教材なので図
    書館などで閲覧できるかも知れません。内容の一部を紹介しますと、

     1章 近代科学の誕生
      1.2 近代科学について −−a近代とは−−b科学とは
      1.3 古代の科学、中世の科学−近代科学の違い
     6章 近代科学における証明
      6.1 古典的意味での科学性−実験と観測
      6.2 検証と反証
      6.3 観測の役割
      6.4 実験の意味
     9章 理論の階層性と包摂関係
      9.1 異なる理論体系の間の関係
      9.2 ニュートン力学と相対性理論
      9.3 古典力学と量子力学

    9.2で「ニュートン力学は死んだ」とする言説が明確に批判されています。ガリ
    レイ変換、コリオリの力については8章の法則表現の普遍性に解説されています。
    皆さんの解説は十分に丁寧かつ誠実なものではありますが、これらを体系的に議
    論する手段としてブログのコメント欄は不毛かも知れません。
    <不思議宇宙での力学体系、<方程式が演繹できるなどというユニークな概念を
    導入されても返答に困りますし、そのことをもって「やつらを論破した」などと
    いってもらっては困るのです。

    「売ってない本よんで出直してこーい」では始まりませんので、どなたか現在容易
    に入手できるよい文献をご存じでしたら教えてくれませんか。(私にも)



  61. Posted by pmmppm at 2007年10月18日 16:20
  62. 「俺が理解できないのはお前らの説明が下手だからだ!」
     という馬鹿な文句を言いたくなってしまいました。
     僕がAという質問をすると「Aなんて質問をする奴は何も分かってない馬鹿だ。ぷぷぷ」と返されてしまうととても困ってしまいます。

     それはそうとして僕は「ニュートン力学は間違った科学理論だ!」と大上段に構えているのではなくて「ニュートン力学だと微妙に誤差が出てその誤差は相対性理論で説明できる」と言ってるだけです。それは間違ってますかね?「どのような条件でも誤差が出ない」のであれば完全に僕の誤解だったと理解できるのですが、どっちなんでしょう?

     で、それとは別にいろいろと「お前は科学が分かってない!」と言われたから「じゃあ、科学ってなんなの?」と聞いたら「そんな質問をすること自体が馬鹿の証拠だ」と返されてしまっています。別に僕が馬鹿でもいいんですが、できれば僕の質問に個別に答えてくれるとありがたいです。
  63. Posted by shinpei02 at 2007年10月18日 21:21
  64. 横から失礼

    shinpei02さん
    >「ニュートン力学だと微妙に誤差が出てその誤差は相対性理論で説明できる」と言ってるだけです。それは間違ってますかね?

    そんなコメントをすること自体、「Aなんて質問をする奴は何も分かってない馬鹿だ。ぷぷぷ」と笑われる理由なのです。
    それはまさに黒影さんがこのエントリで

    『shinpei02さんが4の意味でニュートン力学を使っているのだとしたら、それは実際には存在しない都合のいい幻をサンドバッグにしているようなものです。
    いわゆる「わら人形論法」というやつですね。

    4.「相対性理論が発見されていない」「観測結果から誤差の存在が明らかになっている」という仮定の世界で、しかたなしに使用されている力学法則を「ニュートン力学」と称する。』

    と書いていることでしょう。そして

    ◆ニュートン力学と相対性理論の関係

    以下で黒影さんは図付きで説明しています。

    『ニュートン力学は時空間軸が不変の力学系において適用される法則であるということです』

    この日本語がわかりますか?わかればそもそも「ニュートン力学だと微妙に誤差が出て」なんて質問が出てくるわけはないのですが。
  65. Posted by T.M at 2007年10月19日 00:13
  66. こんばんは。お邪魔します。

    元ビリーバーから立ち直るべく科学の勉強を始めた時、様々な疑問が一斉に湧きました。
    その当時、誰かに質問をするという発想は何故か全くありませんでしたので、
    答えがありそうな科学雑誌を手当たり次第買ってきて深夜まで読みふけりました。
    素人の私が疑問に思うことは大抵の場合本に出ており、科学の素晴らしさに感じ入ったものです。
    同時に自分で調べ、答えを見つけて解決する喜びも知りました。

    質問するのは取り合えず自分なりに調べてからでも遅くはないな、という考えに至った所です。

    それでは失礼します。
  67. Posted by TAKA at 2007年10月19日 00:37
  68. http://d.hatena.ne.jp/shinpei02/20070412/1176369503
    >ノウハウ直接知財 与太理論の流通 その1
    >世の中にはうんざりするほどガセネタが流通している。これらのガセネタのうちのいくつかは発信者の能力不足によって運悪くガセネタしか作成できなかったというものだ。例えば19世紀の大科学者であるニュートンはニュートン力学というガセネタを発信している。

    与太よた【与太】[名・形動]《「与太郎」の略》
    1 愚かで役に立たないこと。また、そのさまや、そのような人。
    2 いいかげんなこと。でたらめなこと。また、そのさまや、そのような言葉。
    3 素行のよくない人。(大辞林)

    ガセネタ がせねた
    でたらめな情報。〔補説〕「がせ」はにせものの意、「ねた」は「たね(種)」の倒語(大辞林)

    >僕は「ニュートン力学は間違った科学理論だ!」と大上段に構えているのではなくて「ニュートン力学だと微妙に誤差が出てその誤差は相対性理論で説明できる」と言ってるだけです。

    科学的態度(科学哲学)の問題ではないような気がしますが、気のせいでしょうか?
  69. Posted by pmmppm at 2007年10月19日 00:50
  70. >shinpei02さん
    こんばんは。
    返事をまた新たなエントリに起こしましたので、誘導を入れておきますね。

    幻影随想: 天動説が科学でない理由
    http://blackshadow.seesaa.net/article/61339979.html
  71. Posted by 黒影 at 2007年10月19日 01:58

  72. 黒影さん
    >一番の理由はプトレマイオスの体系が絶対視されていたからです。
    なぜ天動説が絶対視されたのでしょうか?
    http://www.nararika.com/butsuri/kagakushi/tentai/tentai.htm
    このページの解説には、古代においても地動説は存在したが、
    「地球が動くのならどうして鳥や雲は取り残されないのか」
    という疑問に答えることができなかった。故に天動説が信じられた、とあります。確かに天動説にも問題はあったのかもしれません。しかし、地動説にはもっと致命的な問題があったのです。要するに、当時の知識水準の下で、地動説は棄却されたと解釈するべきなのではないですか?

    >中世当時は「最善のデータに基づき天動説を採用」していたのではなく、単に「天動説に代わる天体の運行モデルが存在しなかった」だけです。
    なぜ天動説に代わるモデルが存在しなかったのか。それは上に書いたように、古代において、地動説という代替的なモデルが棄却されたからである。
    と解釈すべきなのではないかという気がしますが。

    以下は、言葉遣いにかんする感想です。プロトサイエンスといった概念を新たに導入するのは構わないんですが、「科学と非科学の境界」というタイトルと比べると細かすぎるように思います。こんな感じですよね。

    A.科学的方法に従って形成され、完全に実証された理論。
    B.科学的方法に従って形成されたが、実証されていない理論。
    C.科学的方法に従って形成されたが、既に棄却された理論。
    D.科学的方法に従っていないにもかかわらず、科学であると称される理論。

    ティコブラーエの天動説への評価からわかるように、黒影さんはAのみを科学と呼び、BCDは非科学であるとおっしゃる訳ですよね。それに対して、私はABCを科学と呼ぶべきだ、と主張している訳です。線引き問題ですからどっちでもいいんですけど、私の線引きの方が適切であると感じます。その理由は以下の三つです。
    1。AとDには大きな距離がありますよね。ではB、CはAとDのどちらにより近いのでしょうか。BCは明らかにDよりもAに近いと感じるのですがどうでしょう?
    2。現場の科学者は、(Aに基づいて)Bを研究しているのですよね。黒影さんの言葉遣いだと、「最先端の科学者は科学を研究していない」ということになってしまいます。別にいいんですけど、一般的な感覚とはズレてしまうような気がします。
    3。線引きをするめための基準として反証可能性とか「プログラムが前進的か後退的か」といったものがありますが、これらは「完全に確立された理論」以外にも適用可能ですよね。

  73. Posted by sato at 2007年10月22日 12:31
  74. >satoさん
    こんばんは。レスが遅れて申し訳ありません。
    >このページの解説には、古代においても地動説は存在したが、
    >「地球が動くのならどうして鳥や雲は取り残されないのか」
    >という疑問に答えることができなかった。故に天動説が信じられた、とあります。確かに天動説にも問題はあったのかもしれません。しかし、地動説にはもっと致命的な問題があったのです。要するに、当時の知識水準の下で、地動説は棄却されたと解釈するべきなのではないですか?
    これは少し違いますよ。
    確かに「地球が動くのならどうして鳥や雲は取り残されないのか」という問題が、ニュートンによる万有引力の法則の発見まで常に地動説のアキレス腱であったのはその通りです。
    しかしギリシャ時代の段階で、既に太陽が地球よりはるかに大きいことは観測事実から判明しており、アリスタルコスのように水星や金星が太陽の周りをまわっていることに気付くものも現れていました。

    プトレマイオスのモデルはこうした都合の悪い事実を黙殺することで成立しています。
    こうした観測事実は天動説モデルでは説明がつかず、故に観察事実を元に地動説モデルを主張する学派はギリシャ時代常に存在したし、観察と実証というギリシャ自然哲学の流れを受け継いだイスラム圏でも途絶えることがありませんでした。
    結局のところ、ギリシャ時代からルネッサンス時代に至るまで、両者ともに致命的な弱点を抱えていたために、互いに互いを棄却することはできなかったというわけです。
    もっとも「観察と実証」の精神が一度途絶えたヨーロッパ圏では、プトレマイオス天動説の致命的欠点を指摘できる者はいなくなり、地動説は一旦消滅しますが。

    >>中世当時は「最善のデータに基づき天動説を採用」していたのではなく、単に「天動説に代わる天体の運行モデルが存在しなかった」だけです。
    >なぜ天動説に代わるモデルが存在しなかったのか。それは上に書いたように、古代において、地動説という代替的なモデルが棄却されたからである。
    >と解釈すべきなのではないかという気がしますが。

    中世ヨーロッパで地動説が一旦途絶えたのは、上で書いたような理由からです。
    それが証拠に、イスラム圏ではちゃんと存続していましたからね。
    この辺の話は次エントリ「天動説が科学でない理由」で結構詳しく書いたつもりです。

    以前のコメントで、こう書いておられますが
    >伊勢田氏の本をお持ちなら、悲観的帰納法もご存知ですよね。12世紀当時に科学方法論があったとすれば、天動説は「完全に確立された理論」と見なされていたことでしょう。
    私は彼の本は入門書として良い本だと思っていますが、
    あの本の中で伊勢田氏の書く科学の話からは、ギリシャ→イスラム→ヨーロッパという科学成立の流れのうち、ギリシャ→イスラム→の部分がかなり抜け落ちていることには留意しておかれるべきだと思います。


    >ティコブラーエの天動説への評価からわかるように、黒影さんはAのみを科学と呼び、BCDは非科学であるとおっしゃる訳ですよね。それに対して、私はABCを科学と呼ぶべきだ、と主張している訳です。線引き問題ですからどっちでもいいんですけど、私の線引きの方が適切であると感じます。その理由は以下の三つです。

    私がBCを科学と呼ばない最大の理由は、Bには少なくない頻度で疑似科学が入り込むことができ、それゆえにCにもかつて棄却された疑似科学が含まれているという事実があるからです。例えば私の専門である生物の分野ならかつての自然発生説やルイセンコ学説、今西進化論などなど。物理学ならポリウォーターや、何度もガセネタが出現しては検証で否定されている常温超伝導、常温核融合などなど。
    水からの伝言とかインテリジェントデザインみたく分かり易いものならいいのですが、疑似科学はDの段階ではねられるものばかりではありませんから。

    先に
    >ただ、なぜ私が天動説を科学と呼ぶことにこだわるかというと、疑似科学のことが気になるからです。
    と書かれていますが、BCを科学に含めてしまうと、かつて棄却された疑似科学やこれから科学に挑戦してくる疑似科学もまた科学と呼ぶことになってしまいます。

    前のコメントの時も迷ったのですが、結局Cの中で疑似科学とそうでないものを明確に分けることはできないのですよね。
    >天動説と創造科学はだいぶ違いますよね。
    >要するに、「疑似科学」と「棄却された科学」は区別すべきものだ、と思っているのです。
    というのには私も賛成なのですが、正直うまい区別の仕方が思いつきません。
  75. Posted by 黒影 at 2007年11月07日 02:57
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