2007年06月23日

道徳の授業で水伝を取り上げる教師達

「気分さえよければ真実かどうかなど気にしないというのは、金さえ手に入れば汚い金でもかまわないというのと同じくらい倫理的にたちが悪い」
エドマンド・ウェイ・ティール


初等教育における水伝の問題はいつまでたっても続きますねえ。

via 水伝またきた :: 事象の地平線::---Event Horizon---
前野[いろもの物理学者]昌弘のページ:日記兼更新記録

冒頭の格言は、apjさんのところのコメント欄でSCさんが使われていたのを拝借しました。
何も考えずにフィーリングで行動するタイプのトンデモさんにはぴったりな言葉だと思います。
私も今度使ってみようかな。
この記事へのコメント
  1. >気分さえよければ真実かどうかなど気にしない

    それは一般的な傾向です。それを(公的)教育として【どの程度】馴致していくのか、という問に対する解答にはかなり大きな幅があります。

    それは念頭において置かれては如何でしょうか。
  2. Posted by ふま at 2007年06月28日 11:10
  3. >ふまさん
    はじめまして。

    >それは一般的な傾向です。それを(公的)教育として【どの程度】馴致していくのか、という問に対する解答にはかなり大きな幅があります。
    そうですね。
    ただし、それは私がこのエントリで問題としている物とはまた違った話です。
    私が頭記の格言を引用したのは
    「人にものを教える立場の人間がそれってどうよ?」
    という問題提起のつもりでしたので。


    子供に対する教育をどうするかという話なら、私のスタンスはかなり単純です。
    中学の理科か総合教育辺りでクリティカルシンキングの初歩を教えて、あとは当人の歩みに任せるべきという考えです。
    有名な諺にあるとおり、
    「馬を水飲み場に連れて行くことはできても、水を飲むかどうかはその馬次第」ですから。
    教育に出来る事は、せめて水飲み場の存在を知らない生徒を作らないようにする事くらいでしょうね。
  4. Posted by 黒影 at 2007年06月28日 20:50
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