2005年06月13日

進化論に関しての通行人氏へのお答え

先日の「インテリジェントデザイン理論(ID理論)にはまっちゃった京大名誉教授
にいただいたコメントへの返信です。
コメント欄に書くにはちょっと長くなりすぎたので新しくエントリを立てる事にしました。
 
 
 
>通行人さん
科学は別に有神論を否定するもの(無神論)ではありませんが
その理論に神の介在する余地はありません。yamanakaさんが補足して下さったとおりです。
これらはあくまでも科学の論証においての前提でして、科学者個々人の思想とは関係がありません。思想として神の存在を信じている、もしくは意識して研究している科学者は、実際に少なくないとは思います。しかし思想がどうであれ、科学とは、事物の存在や現象を説明することを目的とし、仮説を立て、検証を行い、検証結果から仮説を修正し、再度検証を行い……この過程を永遠に繰り返し、よりよい説明を模索していく学問なのです。従って、科学で取り扱われるのは検証可能な事物、すなわち測定可能な現象や観察可能な物体に限定されます。ここに未知の知的な存在が持ち込まれることはありません。

その意味で無神論ではないが非有神論だと表現しました。
分かりにくかったらごめんなさい。
そして補足してくださったyamanakaさんありがとうございます。


進化論の現状に関してですが
進化論はDNAの解析が可能になってから有無を言わせぬ証拠が大量に出てきたので
もはや進化という現象が起こってきたことはまず否定できそうに無い状況です。
具体的な話はリンク先のWikiに非常に丁寧に書いてあり、これ以上のものは書けそうにないのと
書くとなるとただでさえ長いエントリがさらに数倍になるのでそちらをご覧下さい。
進化 - Wikipedia


幸い地球上には進化的に古い生物の子孫もかなり生き残っています。
様々な生物のDNAを解析することで、どの種とどの種が大体いつ頃分かれたか
どのような変異の積み重ねで種の分岐が起こったか
ある種の生物を特徴付ける遺伝子はどのような物だったか
などという実証的なデータを得ることが可能になりました。

ミッシングリンクの存在は中立進化説と断続平衡説で説明がつきます。
中立進化説
断続平衡説
進化論はここ数十年で150年前には得られなかった知見を加え大幅に強化されました。
細かな点ではこれからも修正がなされるでしょうが
もはや大枠では進化という概念は動かしようも無いというのが正直なところです。


ついでに目を取り上げておられるのでこれの説明もいたしましょうか。
>どのように光を認識する細胞が出来たのか。なぜそれが可視光線だったのか。
>完全な目として機能する前はいったい何の役にたっていたのか。
目に相当する器官は微生物から既に存在します。
生物の光センサーの役割はロドプシンと呼ばれるタンパク質が担っているのですが、
このタンパク質は微生物から高等動物に到るまで幅広く存在しており、進化の段階に応じて原始的な感光組織から高等動物の目に到るまであらゆる光センサーの中心的な役割を担っています。
まず微生物では一部微生物の走光性を司るセンサーとして働いていますし
これが多細胞生物になると環形動物(ミミズなど)に見られる原始的な感光細胞
さらに貝類やプラナリア等に残るピンホールと同じ原理を利用した原始的な目
頭足類(イカ、タコ等)になるとピンホール型の目を持つもの以外にレンズ型の目を持つものが現れて脊椎動物と同じレンズ型の目に到るという、単純な物が次第に複雑な物へと変わっていく進化の名残が今でも観察可能です。
目の進化は高校の教科書にも載っているような有名な例なので
ネットにも色々と情報があります。
とりあえずここなんていかがでしょうか?
ゲーリング博士が語る 目の進化の物語

ロドプシンは7回膜貫通型タンパク質なので元々は何か他のセンサータンパク質だった物が突然変異によって感光性を獲得したのでしょう。
さらに知りたければ7回膜貫通型タンパク質についてご自分で調べてみてください。
タンパク質の進化関係というのは現在かなり明らかにされています。
なぜ可視光なのかと言う質問であれば単にその波長領域の電磁波が一番強かったからでしょうね。一番利用しやすいものを利用することが生存戦略上効率が良いことは自明です。
なぜ目が進化したかというのも愚問です。目の見えない動物と見える動物でどちらが外界をより良く認識できるか、どちらが生存に有利かを考えれば答えは明らかです。

>赤外線や紫外線あるいは電磁波や重力波ではなかったのか。
さらに言えば赤外線や紫外線を見る生物というのは存在します。
昆虫の目は紫外線を捉えることが可能だということが分かっていますし、脊椎動物でもヘビなどはピットという赤外線を感知する器官を持っています。
光も赤外線紫外線も電磁波だという突っ込みは置いておいて
電波を感知することで生存に有利になるような環境であれば
macomocoさんの言うとおりそういう器官も出来たかもしれませんね。
(微小電流を感知する動物ならかなりいますが)
それから重力は別の器官で感知していますよ。(三半規管や体細胞)
これは触覚に近い領域になります。

>レンズ体や水晶体がいかにして濁りを取り除いていったのか。
>ピント調節や虹彩の絞り機能はいかにして獲得していったのか。
目の進化については頭足類で詳しく調べられていたと思いますので
ご自分で文献を当たってみてください。


>認識における自然補正機能(これがしばしば錯覚という現象を起こす)
>のプログラムはいかに獲得して言ったのか。
これは脳の情報処理系の問題になってきますので正直専門外のうちでは扱いかねます。
出来れば専門の方に質問して下さい。
私の貧弱な知識で答えられる範囲でということなら
(少なくとも人間の脳では)情報処理量を減らすために記号化が行われています。
自然補正も記号化と関連した機能ですので、限られた演算能力で処理効率を上げるためではないか
と答えさせていただきます。

>個体がそうした機能を選択していったと主張するならそのような
>選択をさせるようなプログラムは如何にして形成されたのか。
個体が進化の方向を選択したのではなく、周囲の環境によって選択圧がかかり進化の方向が決まった
とするのがダーウィン進化論の自然淘汰説です。
方向を決定付けるのは個体の意志ではありません。

>先程例に挙げた目に似た機械としてカメラがありますが、
>バラバラのパーツに分解したうえで必要な全ての工具を用意し
>カメラを見たことも聞いたことも無い人に渡してこれで何か作れ
>といったら見事にカメラを組み立てる確立はどれくらいでしょうか。
…ドーキンスのブラインドウォッチメーカーを読んで下さい。以上です。

あと自己組織化ってご存知ですか?
ある種の分子、特に生体を構成するような分子というのは混ぜ合わせて放っておくと自然に高次構造を形成します。
例えばウイルスなどはそのDNAとばらばらにした外壁タンパク質を混ぜ合わせてやると
勝手に完全体のウイルスが再生されます。
生体組織は単純な確率論で出来上がっているわけではないのです。


最初の部分に戻りますが
>神という宗教用語を用いる必要はないが、自然の背後に
>あるいは進化(無神論を背景とする言葉なのであまり使いたくないが)の
>背景に知的な存在がいるかもしれないと言う視点を加えるだけで
>もはや科学と呼んではいけないの?どうして?
これは科学的実証による裏づけが無いからです。
神がどうとか知性がどうとかそれ以前の問題です。
現在ある理論に異議申し立てをする。
それ自体は何の問題も無い行為ですが、
その拠って立つ根拠がただの主観では科学とは言えません。

・進化論の拠って立つ極めて強固な実証をひっくり返す様な証拠
・進化の過程に何らかの知性が介在している証拠
この二つ、最低でも後者を示して初めてID理論が科学の土俵に上がることが出来ます。
現状のID理論は進化論を打ち倒すことにしゃかりきになっていますが
肝心の後者がおろそかになっています。
たとえ進化論を否定したところで自説を証明できなければID理論が正しいことにはならないのですが
そこのところを勘違いしている人が多いのではないでしょうか。

そんな状況では「出直しといで」と言わざるを得ません。



私から言える事はそれだけです。
上で答えたような内容も半分以上はネットでちょっと検索をかければ分かる程度の内容です。
もうちょっと勉強してきてください。


あと最後に私からの質問ですが
1.ダーウィン進化論を学んだことがありますか?学んだとしたらどこでですか?
2.現在進化論の発展形として出されている中立進化説、断続平衡説について知っていましたか?
3.あなたは古典的創造論を信じますか?
4.あなたはどこでID理論を知りましたか?
5.あなたはID理論の科学的根拠を説明できますか?(これ一番重要)
6.あなたはキリスト教信者ですか?
以上の質問についてお答えいただければ幸いです。



◆参考書籍
盲目の時計職人 いつの間にか改訂されて邦題が変わったんですね。
  新しいのも買おうかな?
この記事へのコメント
  1. わざわざ返答の為に新しいを準備していただいて恐縮です。

    確かにYamanaka さんが指摘されておられるように話が
    かみ合っていなかったようです。また、非有神論という意味も
    分かりました。
    かつては理系の端くれでしたので進化論についても多少の知識は
    ありますが研究者と知識の量を競ってもかないませんのでその点はご容赦下さい。

    結論から言えば改めて上記の内容(リンク先を含む)を読んでみても
    必ずしも納得のいく答えではありません。
    私は古典的創造論を支持する立場ではありませんので上記の内容を
    否定するつもりは一切ありませんが、全ての内容が
    「ロドプシンがある」「情報処理量を減らすために記号化が行われています」
    「自己組織化という現象がある」という“ある”からスタートしていますが
    なぜそれが“ある”のかが問題であって、無批判に偶然の産物とするところに
    問題は一切無いのかという問いかけをしているつもりでいるのですが。

    確かにそうした点を追求しようとすれば実証性と言う点で
    科学の範疇からは逸脱してしまいますね。
    これではかみ合わないわ。

    上記の中で一つだけ見解が異なる部分を書きましょうか。
    可視光が選択された理由として「生存戦略上効率が良い」からとありましたが
    目的を持って可視光を選択したと仮定すれば
    「色彩にあふれた美しい世界を堪能するため」
    といったところでしょうか。生き残る為より良くはないですか。
  2. Posted by 通行人 at 2005年06月13日 23:42
  3. こんにちは

    自分には
    大げさに言えば

    道を歩いていて、石に躓いた時に、何で石があったのか?
    紙の意思では無いか?

    と考えてるように感じました。

    石がなければ転ばなかったし、
    石があっても転ばない時もあるだろうし、
    足がもつれて(他の要因で)転ぶこともあるだろう
    そんな感じなんじゃないでしょうか?
  4. Posted by 通りすがりです at 2005年06月14日 20:38
  5. 面白い議論でしたねぇー^^
    安易にはコメントできませんでした。
    何者かによって現在の生命は創造されたと言うより、大いなる自然の仕組みにより振るい分けられ生き残ったと言うほうがロマンがあって好きです。生命というものの不思議さは未だに想像を絶しているし、だからこそ敬意を持ちたいと思います。もしかしたら、X線を認識する生物もいたかもしれない・・・なぁーんて想像すると これもまたロマンです^^b
  6. Posted by hiro at 2005年06月14日 22:18
  7. いつの間にか終わったことになってますね。

    昨日は観念的なことばかり書き込みましたのでコメントしづらかったと思います。
    改めて議論というか、まともにやりあっても研究者には太刀打ちできませんので
    ご教授いただくという立場で質問をしたいと思います。

    目の発生メカニズムについては良く分かりました。Pax-6というキーになる
    遺伝子についても理解しましたが、このPax-6が種を越えて目または
    目に相当する器官を形作る種となり目が発生するというメカニズムを
    紹介し、それに相当する別の部位の発生メカニズムをどれだけ紹介したとしても
    それが偶発的なものかどうかを証明するものとはなり得ないと思うのですが。
    その部分に関しては仮定または結果からの推測と考えてよろしいですか?

    また、Pax-6は種を越えて目を形成すると言う明確な目的性または方向性を
    備えていると考えられますがそうした目的性や方向性もまた偶発的なものですか?
    自己組織化もまた同様であると思いますがこれも偶発的なものでしょうか。

    進化論の立場ではPax-6のように、例えば頭髪を形成する・鼻を形成するなどの
    種となりうる遺伝子はおのおの独立して派生したものだと思いますが
    それぞれバラバラに形成されたものが一つにまとまり一つの固体の中で調和して
    働く統合性もまた偶発的なものですか?恐らく司令塔的な役割をする遺伝子が
    存在するものと思いますがそれもまた偶発的なものなのでしょうか?

    そもそも進化の原因として偶発性以外の要素は入り込む余地が無いことを
    客観的・実証的・科学的に証明した内容は“進化論の拠って立つ極めて強固な実証”
    の中にあるのでしょうか。

    そしてこれは科学の範疇に入るものではありませんので個人的見解で結構ですが
    もし無神論・唯物論に立脚した進化論が事実であるとすれば人間の存在そのものが
    必然的なものではなくなります。なにしろ偶然の産物でしかないのですから。
    根本的な意味において“私はいてもいなくても良い存在”であるという意味を内包
    すると思います。また、“生存”することが生命の存在理由の中心であるとするなら
    強く生き残るものが正義であるという考えを肯定するものとなると思います。
    もちろんそれらを肯定するための理論ではないわけですが結果的に
    そうした意味を含む内容であることをどのように考えますか?
  8. Posted by 通行人 at 2005年06月15日 01:35
  9.  生物進化における方向性が偶発であるか、「なんらかの意思」によるものであるか、というのは自然科学の取り扱う対象ではありません。

     自然科学では、解らないモノは「解らない」と扱うモノであって、偶発的というのはその表現の一つに過ぎません。今の知見では検出できない要素がその方向性をもたらしたという可能性はありますが、その要素が明らかでない限り、それは「解らない」であって「何らかの意思」とはならないのです。今の時点では「偶発的」としか処理できないと言うだけの話でしょう。



    >そしてこれは科学の範疇に入るものではありませんので個人的見解で結構ですが

     と、いいつつ、書いてある内容は基本的に同じ立ち位置からのものですね。:-p

    >もし無神論・唯物論に立脚した進化論が事実であるとすれば人間の存在そのものが
    必然的なものではなくなります。

     それで何か不都合でも? 人間なんて単なる猿の一種でしょう? 

    >根本的な意味において“私はいてもいなくても良い存在”であるという意味を内包
    すると思います。

     その通りでしょう? ヒトなんかいてもいなくても、地球は回っていますよ。つい最近現れた裸の猿の存在なんて、この物理世界にとってどうでも良いことです。
     更に言うと、あなたの主観外世界では、あなたは当に“いてもいなくても良い存在”以外の何物でもありません。ヒトがこの世界にとって“いてもいなくても良い存在”であるのと同じように。

    >また、“生存”することが生命の存在理由の中心であるとするなら
    強く生き残るものが正義であるという考えを肯定するものとなると思います。
    もちろんそれらを肯定するための理論ではないわけですが結果的に
    そうした意味を含む内容であることをどのように考えますか?

     生物がどのように進化してきたか、という事と、ヒトが人としてどのように振る舞うべきか、というのは全く別の問題でしょう?

     科学の領域の話でないとことわりつつ、科学の領域である進化論を持ち出してそのような問いかけに持ち込む事自体、根本的な意味において何か勘違いをしているとしか評価できませんね。
  10. Posted by Indigo at 2005年06月15日 05:52
  11. >「色彩にあふれた美しい世界を堪能するため」
    >といったところでしょうか。生き残る為より良くはないですか。

    それは大層ロマンティックです。
    通行人氏は、視覚を得る進化のプロセスが偶発によらない可能性を推しておられる様ですから、即ち"美しい世界を堪能する"という進化の指向性を視覚が無い生物が先天的に有していたと言うことであり、その結果として恣意的且つ選択的により良い視覚を得た生物が生き残り、最終的に視覚を獲得する進化を遂げたということですよね?

    ・・・つまり生物は視覚がないときから世界がウツクシイ事を知っていたんだよ!
    な、なんだってぇ!?(AA略


    とまぁ冗談はさておき、「美しい」という心象を今の技術では計測することも実証することも出来ないので、「美しい」という心象から科学議論には発展しません。
    なにせ「美しい」かどうかなど、インクの染みを見て何を思うかを問うロールシャッハテストみたいなもんですので。
    そのうち科学的に解明される時が来るかもしれませんが。
  12. Posted by 佐倉河 at 2005年06月15日 14:04
  13. >・・・つまり生物は視覚がないときから世界がウツクシイ事を知っていたんだよ!

     まさに「先験的」というヤツですな。(笑)
  14. Posted by Indigo at 2005年06月15日 21:33
  15. Indigoさんの書き込みは意図的に人の発言を揶揄することを目的に書かれているようですね。
    ここはきちんとした意見が交換される場かと思っていたのですが・・・・
    先のコメントの補足を兼ねて少し書き足しましょう。

    >自然科学では、解らないモノは「解らない」と扱うモノであって、偶発的というのはその表現の一つに過ぎません。今の知見では検出できない要素がその方向性をもたらしたという可能性はありますが、その要素が明らかでない限り、それは「解らない」であって「何らかの意思」とはならないのです。今の時点では「偶発的」としか処理できないと言うだけの話でしょう。

    ですから「何らかの意思」が働いているに違いないと言っているのではなく
    その可能性を完全に否定できるかどうかの確認をしているに過ぎません。
    「解らない」んですよねと聞いているだけですが。

    >と、いいつつ、書いてある内容は基本的に同じ立ち位置からのものですね。:-p

    継続した話の中で時間の経過とともに論旨が変わるのは単に頭が悪いか
    意図的に相手をだますつもりの場合ではないですか。当たり前のことだと思いますが。

    >それで何か不都合でも? 人間なんて単なる猿の一種でしょう

    Indigoさんはおまえは猿だと言われたいという事ですか?私はお断りです。

    >その通りでしょう? ヒトなんかいてもいなくても、地球は回っていますよ。つい最近現れた裸の猿の存在なんて、この物理世界にとってどうでも良いことです。

    ヒトなんて滅びても構わないということですね。
    進化論者の中にはそれを言っちゃまずいだろという突っ込みを
    入れている人もいるんじゃないかと思いますよ。

    >更に言うと、あなたの主観外世界では、あなたは当に“いてもいなくても良い存在”以外の何物でもありません。ヒトがこの世界にとって“いてもいなくても良い存在”であるのと同じように。

    これはあなたの主観ですよね。自分と意見の合わない人は排除されて
    当然だという風に受け取ってよろしいですか?

    >生物がどのように進化してきたか、という事と、ヒトが人としてどのように振る舞うべきか、というのは全く別の問題でしょう?

    >科学の領域の話でないとことわりつつ、科学の領域である進化論を持ち出してそのような問いかけに持ち込む事自体、根本的な意味において何か勘違いをしているとしか評価できませんね。

    科学の進歩は莫大なエネルギーと共に人類を含む全地球的規模の存続に
    関わるほどの技術革新をもたらしました。それらを行使するにあたり
    同時にそれらを扱うに足る高い倫理観が求められるのは当然の事と
    思います。アインシュタインが言うところの「宗教無き科学は不具である」
    というのはそういう意味だと思います。

    もちろん価値観に属する問題であり専門分野では無い事であるので
    個人的な見解をと限定して意見を述べましたが、派生する問題として
    あるいは思わぬ影響力が及ぶことを考えておくことは重要なことではないかと
    思いましたのであえてコメントさせていただきました。

    またついでに佐倉河さんのコメントについて言えば、

    >・・・つまり生物は視覚がないときから世界がウツクシイ事を知っていたんだよ!

    進化の背後に何らかの意思があったのではないかという観点から
    私は意見していますので、正確には世界の美しさを見せたい意思、
    あるいは美しさを共有したい意思により可視光線による情報収集
    能力が与えられたという表現が良いかと思います。

    既にそうした能力が与えられていたという仮定に立てば
    間接的な意味において知っていたと表現できなくもないとは思いますが。

    >とまぁ冗談はさておき、「美しい」という心象を今の技術では計測することも実証することも出来ないので、「美しい」という心象から科学議論には発展しません。

    どれだけ美しさを数値に置き換えたとしても美しさを感じ取る感性
    そのものに取って代わることは出来ないと思います。分析は分析でしかありません。

    人間が美しさを感じる感性を備えている、あるいは宗教性・こうしたサイトも
    そうですが真理を追究しようという本姓・正しい事を行おうという良心
    もまた数値化しても限界があると思います。
    こうした心に属する内容に関しても進化論では限界があるのではないかと思います。
  16. Posted by 通行人 at 2005年06月16日 01:10
  17. 通行人さんへ
    とりあえず黒影さんの質問を答えたらどう?
  18. Posted by BB at 2005年06月16日 01:58
  19. 世界の美しさを見せたい割には、毎年いくばくか盲目の子供達が生まれているんだよねー・・・

    あと通行人さんは自分をサルと比べてほしくないみたいだけど、生まれながらにサルとして、蛇として、ゴキブリとして与えられた生命は人間のそれとは劣っているのだろうか?人間みたいには美しさを感じられないことだしね。
    (そうそう、可能性を完全に否定できるかどうかの確認をしているに過ぎない、とかいってるけど、
    これってちょっと前に新聞記者の間で流行った「悪魔の証明」ってやつじゃないかな?間違ってたらごめん。)

    なんにせよあなたが求めるものは宗教に他なりませんから、お寺とか、教会とか、モスクとかそういったところに行かれるのがよろしいかと存じます。

    宗教で科学を論破することは出来ません。また逆に科学で宗教を駆逐することも不可能です。そんだけです。
    ID「理論」じゃなくID「教」にでもしておけば誰も文句は無かったと思います。
  20. Posted by はりぼで at 2005年06月16日 03:05
  21. 可視光というのは人間の目に見えるというだけで電磁波としてなんら特別な領域ではありません。

    波動の反射という物理現象を利用する以上、強い反射であるほうがよく「見える」のはあたりまえです。昼活動する生物にとって電磁波の最大の供給源は太陽であり、地表まで到達するもののうち一番強い領域が偶然可視光だったというだけです。

    したがって、紫外線や赤外線を「見る」生物にとってそれはそれで「色彩豊か」だと言えます。
  22. Posted by 祥琥 at 2005年06月16日 03:58
  23. 祥琥さんと趣旨がだぶりましたが書き込んでしまいます(^^;。

    可視光について、その領域だけが色彩にあふれた波長域みたいなイメージを持ってませんか?
    人が赤外域の複数の波長に反応する視覚センサーを持っていたら、赤外域もまた「色彩にあふれた」物であったでしょう。可視光と言う表現は、人の視覚センサーがカバーする範囲を区切った領域に過ぎないのではありませんか。

    色彩を堪能させたいのであれば、たった三種類の波長にしか対応しないセンサーではなく、聴覚センサーのように、もっともっと多くの波長に反応するセンサーを持っていれば、より多彩な「色彩」を堪能できた事でしょう。

    そこまで行かずとも、身近に鳥さんのような例もあります。色彩を「堪能するため」の器官であるとしたら、我々はなんで鳥さんたちが持っているような4種類の色彩センサーを持ってないんでしょうか。

    一番お聞きしたい事としては、提示された仮説が、「生き残る為」より何が良いとお考えなのでしょうか。科学として、その仮説によって何がより良く説明できるようになるとお考えなのでしょうか。お考えをお聞かせいただければ幸いです。
  24. Posted by du@docozo at 2005年06月16日 07:05
  25. >Indigoさんはおまえは猿だと言われたいという事ですか?

     別に私は平気ですが。。。私に私がサルだと誰かがいう場合、それはその発話主体も当然に含んだ人類の分類上の位置付けを主張しているに過ぎませんから。

     ヒトというのは「動物界脊椎動物門哺乳鋼霊長ヒト科ヒト亜科ヒト属ヒト」というのが生物学上の分類で、単なるサルの一種です。一体なぜそれが問題なのです?

    >私はお断りです。

     これは科学的事実であり、客観的事実です。それが受け入れられない時点で科学者ではないですし科学的議論を放棄した態度としか評価不能ですね。あ、別にここで言う科学者、というのは生業として自然科学研究に従事する、という意味ではないですよ。為念。

    >これはあなたの主観ですよね。

     人間の思考はそれがその存在に依存するモノである以上「主観」というタームに収束させる事は一応可能ですが、そういう稚拙な反論をして何の意味が?

    >自分と意見の合わない人は排除されて
    当然だという風に受け取ってよろしいですか?

     科学的思考力のない人は自然科学の議論から排除されるべきだとは思いますね。
     また、自然科学のフリをして、神授的人間至上主義を振り回すような行為も排除されるべきだとも思います。
     そういった行為の危険性は歴史が証明していますからね。いわゆる民族浄化に類する数多の蛮行はその延長にあるものに他なりません。

     まーヒトの特異性をそれこそa prioriな前提としている方には無理な話でしょうが、自ら主張するその「倫理」それ自体、その倫理を浸食する危険をはらむものだということは理解すべきです。


    >こうした心に属する内容に関しても進化論では限界があるのではないかと思います。

     そんなものを「今の」進化論で記述する必要など無いでしょう。

     自然科学の不完全性を以て自然科学の限界を主張し安易に神性を持ち込もうとするのは、それ自体自然科学のなんたるかを理解していない詭弁です。まーIDに限らず、創造系の方々の典型的な論法ではありますね。


     で、どなたかも書いておられるように、黒影さんの質問に回答する意思はないのですか?

     箇条書きになっているのは論点が迷走しないように、という意味もあると思われるので、是非「逐次」回答していただきたいものです。
     わざわざそのためのエントリを立てておられる黒影さんに対し、このような不誠実な態度で臨むあなたに「人の発言を揶揄することを目的に書かれている」などと言われる筋合いはありません。

     ついでなので指摘しておきますが、

    >進化の背後に何らかの意思があったのではないかという観点から
    私は意見していますので、正確には世界の美しさを見せたい意思、
    あるいは美しさを共有したい意思により可視光線による情報収集
    能力が与えられたという表現が良いかと思います。

    「世界の美しさを見せたい意思」は進化の主体外の意思でしょうからまだ良いとして、「美しさを共有したい意思」というのは進化の主体の意思でしょう?

     「まだ見ぬ美しさを先験的に知っているとはこれ如何に?」という佐倉河さんのツッコミはそのまま持続しておりますが。全然反論になってないですよ。
  26. Posted by Indigo at 2005年06月16日 07:50
  27. >どれだけ美しさを数値に置き換えたとしても美しさを感じ取る感性
    >そのものに取って代わることは出来ないと思います。分析は分析でしかありません。
    自らが自らの内に見いだす心象としてはその通りですね。
    数字や論理がその代替にはならないとお考えになるのは、別段間違ってはいないと思います。

    でも、それだと多くの人々が科学的な議論をするために欠くべからざる検証をどのように行うのですか?

    科学とは何かの疑問に対して「仮説をたて・仮説が正しいかどうかを検証し・多くの現象で共通した仮説が検証され・その仮説が一般化(法則化)される」という手順が必要です。
    科学に絶対などありませんが、強いて言えば科学体系を生み出すに当たっては「絶対的」にこの流れに則る必要があります。
    科学的思考とはこの流れそのものを指すからです。
    そしていいですか。
    貴方の仮説に含まれる事象が観測可能なものでない限り、他人が貴方の仮説を検証できないんですよ?
    「自分がこう感じる」というだけでは、科学的な議論も仮説も全く成立しません。
    そして、原則的に検証不可能な事を科学では扱わないのです。

    だからこそ人類は遙か昔から、世界の神秘を解き明かそうと、様々な事象を多岐に渡る手段を以て観測し、それを数値や論理に置き換え、多くの仮説を打ち立て、その中から観測された事象を最も良く説明しているものを体系的に積み重ね、それを「科学」と呼び慣わしているのですよ。
    例えば、フックが手製の顕微鏡を作り上げ、「コルクが小さな部屋からできている」ことを明らかにしたのは、彼が新たな観測手段を得たからに他なりません。

    あくまで事象を観測する手段があって初めて、科学体系が存在するということを忘れないで下さい。

    >人間が美しさを感じる感性を備えている、あるいは宗教性・こうしたサイトも
    >そうですが真理を追究しようという本姓・正しい事を行おうという良心
    >もまた数値化しても限界があると思います。
    >こうした心に属する内容に関しても進化論では限界があるのではないかと思います。

    進化論でそれを求めるのは筋違いです。
    また、その「感性」「本性」「良心」などを解き明かすには、現在の技術水準、もしくはアプローチの方法が圧倒的に不足しているというだけです。
    だからこう書きましたよ?
    「そのうち科学的に解明される時が来るかもしれませんが」
    とね。

    >既にそうした能力が与えられていたという仮定に立てば
    >間接的な意味において知っていたと表現できなくもないとは思いますが。
    予め「世界が美しい」事を知っていなくては、「美しい世界を見るために視覚を得るという進化の方向性」を説明出来ない、というツッコミに対して出たその仮説。
    既に視覚を獲得して「世界が美しい」事を知っていたら、そもそも「美しい世界を見るために視覚を得るという進化の方向性」が付与される、という貴方の発言が成立しなくなるんですが、それを理解して仮説を立てていますか?
    なんか結論ありきで全然論理的じゃないよ、もう・・・

    ------

    以下、マジレス禁止
    >あるいは美しさを共有したい意思により可視光線による情報収集
    >能力が与えられたという表現が良いかと思います。
    「美しさを共有したい意思」を持つには、やはり予め知っていなければ・・・・・ハッ!
    も、もしやそこで全知全能にしてハラショーな神様の出番ですか?(驚愕
    父:「世界は可視光(波長360nm〜830nm(JIS Z8120))的に美しいから、君らは可視光でそれを観察するための進化をしなさい」
    子:「判ったよパパ!(喜」
    とか・・・(*´Д`)
  28. Posted by 佐倉河 at 2005年06月16日 22:29
  29. 佐倉河 樣

    >予め「世界が美しい」事を知っていなくては、「美しい世界を見るために視覚を得るという進化の方向性」を説明出来ない、というツッコミに対して出たその仮説。
    既に視覚を獲得して「世界が美しい」事を知っていたら、そもそも「美しい世界を見るために視覚を得るという進化の方向性」が付与される、という貴方の発言が成立しなくなるんですが、それを理解して仮説を立てていますか?
    なんか結論ありきで全然論理的じゃないよ、もう・・・

    すみませんね。おっしゃるとおりこちらの答え方が間違っています。
    人間の芸術性・美しさへの感性が存在し(と断定してしてしまって良いのでしょうか)
    既に同じ感性を元に展開された世界が存在するが故にそれを感じ取ることが出来る。
    全然科学的な内容ではないですがこう説明すれば良かったのでしょうか?
    結局佐倉河さんがおっしゃるとおり既に「世界が美しい」事を理解しうる感性を
    持っていなくては成り立ちませんね。

    >また、その「感性」「本性」「良心」などを解き明かすには、現在の技術水準、もしくはアプローチの方法が圧倒的に不足しているというだけです。

    不足していると言う点は全く同感です。
    不足している原因として定量化しにくい心の領域については敬遠されがちだった
    というのがあるかと思います。

    >だからこう書きましたよ?
    「そのうち科学的に解明される時が来るかもしれませんが」
    とね。

    そうあってほしいと思います。

    >進化論でそれを求めるのは筋違いです。

    これに関しては意見が異なります。
    素人の域を出ない私が指摘しているくらいですから明快な答えを準備できなければ
    何時までも進化論の弱点であり続けることになりませんか?
  30. Posted by 通行人 at 2005年06月17日 01:09
  31. 心≒性格に関してもある程度なら議論は出来ますよ。
    進化論において繁栄する遺伝子は基本的に生き残れる遺伝子ですので、

    子供を慈しむ→子孫の生存確率アップ。
    集団で生活するほうが有利な環境→協調的、誠実などの性格がのほうが生き残れる。

    などいろいろ考えられます。環境が違えば有利な性格も違ってくるでしょう。医療水準の高い現代はともかく、人が死にやすかった時代にはそれなりに影響していてもおかしくはないかと。
    もちろん心に関しては獲得形質である部分も大きいですから、一概には言えないということも強調しておきます。
  32. Posted by 祥琥 at 2005年06月17日 02:04
  33. >通行人さん
    全ての質問に共通して言えることですが偶然か必然かにえらく拘りますね。
    偶発(偶然)という言葉の使いようについて次のエントリを見てからもう一度お願いします。
    http://blackshadow.seesaa.net/article/4413334.html

    とりあえず答えられる物だけ答えておきます
    >「ロドプシンがある」「情報処理量を減らすために記号化が行われています」
    >「自己組織化という現象がある」という“ある”からスタートしていますが
    >なぜそれが“ある”のかが問題であって、無批判に偶然の産物とするところに
    >問題は一切無いのかという問いかけをしているつもりでいるのですが。
    ロドプシンを含めて7回膜貫通型タンパク質というのは元はケミカルシグナルをキャッチするセンサーです。
    どのようなタイプの環境刺激であれ、それを感知して適切な反応を取れることは
    生物の生存能を飛躍的に高めます。
    他のセンサーからの変異でロドプシンを獲得したことは進化という仕組みの非情に分かりやすい例だと思うのですが。
    なぜケミカルセンサーがというのは同じやりとりの繰り返しになるし、
    じゃあそもそもの大元はといわれるならば化学進化と言われるアミノ酸がくっついたり分解したりというところから生じたとしか現在の科学では答えられません。
    (一応RNAワールドとか初期細胞が発生する前の理論はいくつかあります。
     昔過ぎて証拠となるような物が残っていないためどれも理論止まりですが)

    自己組織化というのは物理化学法則に従って自然に生じる物なので
    「なぜ」を突き詰めるならこの宇宙の物理定数がなぜ現在のようなものであるかという
    根源的な問いにまで行ってしまいます。
    私は物理屋じゃないので大統一理論が完成したら物理屋さんに聞いてみてください。

    ちなみに理論物理では計算上我々の宇宙以外にも複数宇宙が存在し、
    中には物理定数が我々の宇宙と異なるものも存在するらしいです。
    この宇宙外の観測不能な領域の話になるので実証はおそらく不可能ですが。

    >可視光が選択された理由として「生存戦略上効率が良い」からとありましたが
    >目的を持って可視光を選択したと仮定すれば
    >「色彩にあふれた美しい世界を堪能するため」
    >といったところでしょうか。生き残る為より良くはないですか。
    それはあなたの主観であってそれを裏付ける物が無い以上ただの空想です。
    科学に意味論を持ち込むことは無意味です。

    >また、Pax-6は種を越えて目を形成すると言う明確な目的性または方向性を
    >備えていると考えられますがそうした目的性や方向性もまた偶発的なものですか?
    次のエントリを見てからもう一度どうぞ。
    http://blackshadow.seesaa.net/article/4413334.html

    >そもそも進化の原因として偶発性以外の要素は入り込む余地が無いことを
    >客観的・実証的・科学的に証明した内容は“進化論の拠って立つ極めて強固な実証”
    >の中にあるのでしょうか。
    自然淘汰で進化の説明がつき、なおかつ「何らかの意志の介入」を示す証拠がない以上
    「何らかの意志の介入」が進化を起こしたとする理論が排除されるのは当然の事です。
    悪魔の証明を求めるのは止めてくださいね。


    >そしてこれは科学の範疇に入るものではありませんので個人的見解で結構ですが
    >もし無神論・唯物論に立脚した進化論が事実であるとすれば人間の存在そのものが
    >必然的なものではなくなります。なにしろ偶然の産物でしかないのですから。
    >根本的な意味において“私はいてもいなくても良い存在”であるという意味を内包
    >すると思います。また、“生存”することが生命の存在理由の中心であるとするなら
    >強く生き残るものが正義であるという考えを肯定するものとなると思います。
    >もちろんそれらを肯定するための理論ではないわけですが結果的に
    >そうした意味を含む内容であることをどのように考えますか?
    私はむしろなぜ人間の存在が必然でなければならないのかということのほうが疑問です。
    必然だろうが偶然だろうが現在人類は存在しています。
    なぜそれだけでは駄目なのでしょうか?
    私は意味論に何ら価値を感じない人間なので「正義」だとか「生きる意味」だとかを
    わざわざ生命に対して持ち出さなければならない理由がそれこそ理解できないのです。
    別に自分の存在が偶然だったとしてもアイデンティティに影響するほどナイーブじゃありませんし。

    私の好きなガリレオの言葉「それでも地球は回っている」
    後何億年か経ってたとえ人類が滅びていても
    人類の存在があろうがなかろうが宇宙の存在には何ら影響はありませんよ。
    “いてもいなくても良い存在”気楽でいいじゃないですか。
    「人類は〜する使命があるのだ」などと押し付けられるよりもよっぽどいいです。


    あとダーウィニズムを誤解した部分があるので少しだけ補足。
    >強く生き残るものが正義であるという考えを肯定するものとなると思います。
    ダーウィン進化論を曲解した社会学者の中に、
    ダーウィニズムを「強者生存の弱肉強食の論理」と考えている者がいます。
    この考え方はダーウィニズムの本質をゆがめたばかりか
    優性思想に繋がる実に問題のある考え方です。
    「適者生存」と「強者生存」というのはまったく違います。
    ダーウィンは「優れたものが生き残るのでなく、変化するものが生き残る」と言っています。
    恐竜のように繁栄した優れた種でも環境に応じて変化できなくなれば
    「盲目の時計職人」の非情な首切り鎌の露と消えます。
    ダーウィニズムの真の本質は「変化できなくなった種は滅びる」なのです。
  34. Posted by 黒影 at 2005年06月17日 08:15
  35. >強く生き残るものが正義であるという考えを肯定するものとなると思います。

    違います。適者生存とは種が環境に適していれば生きていけるということです。弱肉強食は強い個体が弱い個体を捕食して生きていくということです。主語が「種」と「個体」であって言及している対象が全く異なります。

    ちょっとモデル化して考えてみましょう。ウサギとキツネがいる島があります。この島は特殊でウサギとキツネ(とウサギの餌になる草)しか生きていません。

    そこにそれらの生物が棲息しているということは、それは取りも直さずその環境に適しているということです。適者生存です。

    そして、キツネはウサギを捕食して生きています。これは弱肉強食です。

    しかし、あまりにもキツネが強くなりすぎてウサギを捕り尽くしてしまったらキツネたちは飢えて死ぬでしょう。弱肉強食は必ずしも適者生存とは相容れません。キツネが強くなりすぎたことはキツネが生存のために適さなくなってしまったことに他なりません。

    実際にはキツネが強くなりすぎても大抵の場合はウサギは絶滅などせずどこかで生き残り、キツネも生き残り、捕食者が減ったウサギが大繁殖してキツネも勢力を取り戻します。ですが、もしウサギを捕り尽くしてしまったら、キツネたちを待ち受けている運命は死のみです。

    # 言わずもがなだとは思いますが、いちおう面倒な突っ込みを避けるためのexcuseです。

    適者生存や弱肉強食は自然界に厳然として存在する掟であって正義とかいう価値観は人間が評価して成り立つものです。
  36. Posted by p at 2005年06月18日 00:45
  37. 匿名で失礼します。
    あと、時間がないのでいくつかエッセンスだけ残しておきます。

    生命の誕生がなぜ偶然でダメなのかが分かりません。

    自己組織化というキーワードが出てきていましたが、単純な確率過程の組み合わせで複雑なものが組織化されるというのが自己組織化の面白いところだと思います。

    さて、その自己組織化の話と関連してですが、化学(chemistry)のあり方が僕たちの世界と違ったとしても(例えば陽子と中性子の質量差がもう少し違ったりしたとしても)反応系がある程度の複雑さを持っていれば生命は「偶然」確率過程の結果として誕生しえたのではないでしょうか。生命の定義を何にするかによりますが。

    あと、人間ごときがすべて知ることができるというのは傲慢です。論理を議論の規定におく限りゲーデルの不完全性定理による制約があります。完全な理論は論理的な言明としては永遠に存在しえません。したがって、どこかで「あるものはある」といってしまわなければ何も生産性のある議論はできないでしょう。
  38. Posted by 通りすがり at 2005年06月20日 12:12
  39. >理論物理では計算上我々の宇宙以外にも複数宇宙が存在し、
    中には物理定数が我々の宇宙と異なるものも存在するらしいです。
    人間原理の主張を薄めるための言い訳で実証不可能なので物理ではありません。
  40. Posted by 通りすがり(連投失礼) at 2005年06月20日 12:15
  41. >通りすがりさん
    >人間原理の主張を薄めるための言い訳で実証不可能なので物理ではありません。
    そんなこと言ったら理論物理屋さん達が泣きますよ。
    マルチバース理論が現在のところ実証不可能な理論だというのはそのとおりですが
    その理論の土台となっているのは現在実証済みの物理理論です。

    いくらなんでも日夜宇宙の真の姿を追及している人たちの努力の結晶を
    「人間原理の主張を薄めるための言い訳」というのはあんまりじゃあないかと。
  42. Posted by 黒影 at 2005年06月20日 15:54
  43. >あと、人間ごときがすべて知ることができるというのは傲慢です。

    当然です。誰もそんな事ができるという主張はしてないはずです。少しずつ真理に近づいていけるかもしれないが、真理ははるか遠くにあり決して到達はできないのです。

    >論理を議論の規定におく限りゲーデルの不完全性定理による制約があります。

    ここにゲーデルの不完全性定理を持ちだすのはあまり議論には寄与しません。ゲーデルの不完全性定理とは、

    ・ある無矛盾な体系があって
    ・それが十分に強力であれば
    ・その体系内に証明ができない言明(定理)が存在する

    というものです。ただそういうものが存在すると言ってるに過ぎません。食べ物から細菌類を完全に除去できない限りは食べない、と言ってるようなもので、まあそうしたいのならそうしたら? としか言えません。完全じゃないから駄目だ、では飢えて死にます。

    >どこかで「あるものはある」といってしまわなければ何も生産性のある議論はできないでしょう。

    その通りです。なので量子力学におけるある程度までの知見で「あるものはある」ということでそこから組み上げていった体系がたとえば電子工学です。あなたがインターネットを通じて人と会話ができるのは量子力学のおかげであります。別に、誰に言われるまでもなく生産性のあることはしてるわけです。

    アインシュタインは「神はサイコロ遊びをなさらない」と言って量子力学の体系に反論しようと必死でした。皮肉なことに彼のノーベル賞の対象となった光電効果理論が量子力学の幕開けではあったわけですし、彼の反論によって量子力学は短期間に洗練されました。

    まあそういうわけで、量子力学の分野に至っては(アインシュタインが言う意味での)神は死んだと言ってもいいかもしれません。

    そしてその古典的な量子力学の先にある物は、別に神やら意識やらを仮定しなくても説明がつきそうだということです。別に仮定してもいいですけど、まあそういう存在ってワイルドカードというかなんというか、実はなにも説明してないに等しいんですよね。それでいい人もいるでしょうから、そういう人には何も言いません。が、それを元に「だから科学は…」と云々してくるならば「ちょっと待ちなさいよ」ということになります。

    うーん、なんで量子力学の話をしてるんだろう。なんか話がずれちゃいましたね。すみません。
  44. Posted by p at 2005年06月20日 17:53
  45. >マルチバース
    いや当方宇宙以外の分野の物理屋でして、胡散臭いな…と(以下自粛)

    あと僕は黒影氏ではなくて通行人氏にメッセージを向けたのですが。

    >不完全性定理
    これは数学においていかなる公理を採用するかにかかわってくるもので、ゲーデル以前の数学者は完全に無矛盾な公理を採用したかったのです。しかし、この定理によればそのような条件を満たすと言明できる公理は存在しないという結論が得られるわけです。というわけで目の届く範囲で無矛盾な二つの公理があった場合どちらを採用するかはどちらが便利かということで決めざるを得ずどちらが論理的に優れているかで決めざるを得ないということです。つまり数学のような論理のみが支配しているような分野であっても理論の決定のためには非論理性な決定を行わなくてはならないということが言いたかったのです。

    この事情はほかの自然科学の理論でも同じで、論理演繹のみではなんら生産性のある科学理論は築き得ないということです。そこで自然科学においては経験からの帰納が行われるわけで、ロドプシンの存在と機能を認めた上で議論する階層の科学理論もあるし、ロドプシンの機能を問題とした科学もあるし、そもそもロドプシンの存在自体を問題とした科学もある、ということです。ただやはりそれぞれの議論で興味の対象より深部の構造についてはただあるものとして受け入れて議論しているはずです。科学とはそういうものだということを通行人氏に言いたかったのです。
  46. Posted by 通りすがり at 2005年06月20日 18:58
  47. >マルチバース
    胡散臭いだけだと感情的に判断したように聞こえるので追記。
    マルチバースというのはその定義からして我々の宇宙と一切相互作用を持たない観測にかからない宇宙を仮定しているわけです。そうするとこれは実験のエネルギーが足りないとかその痕跡が宇宙線となってどこかに飛んでて将来には観測できるかもしれないがまだ見えていないとか言うレベルではなくマルチバースの議論が正しいためにはその実証はできてはならないということになります。そのようなものを実証に基づいた科学と呼べるでしょうか。科学哲学では経験的に区別できない議論をごねまわしている人がいますが(自分で「経験的に区別できない」と書いている)、それは物理学者のすることじゃないでしょう。
  48. Posted by 通りすがり at 2005年06月20日 19:12
  49. えらく遅くなってしまいましたが・・・
    >>進化論でそれを求めるのは筋違いです。
    >これに関しては意見が異なります。
    >素人の域を出ない私が指摘しているくらいですから明快な答えを準備できなければ
    >何時までも進化論の弱点であり続けることになりませんか?

    それについては、既にご賛同を頂いていると思いますが、今現在生きている我々が有するそれらの情動を誰もまだ解明していないからです。

    今生きているものさえ、解析し、検証するだけの手段も手法も不十分極まりない状態で、化石しか残っていない時代の知性や情動などの進化について、如何なる仮説が立てられるというのでしょうか?

    祥琥様がご指摘された事に関連しますが、恐竜の巣作りの痕跡などの化石から「子を守る」挙動が一部の恐竜にあったとの仮説により、(内的な情動まではともかく)母性や愛情の片鱗、若しくはその基礎となるものを数億年前に獲得していた可能性はあります。
    ただ、「美しい」などのように情動の多くは内的な変化であり、行動の痕跡から類推するのがかなり困難であろうことは、私のような素人でも推察は可能です。

    なにしろ良く判っているはずの人間同志に対しても、行動だけから内にある情動を類推するのは容易ではありませんよ。
    ましてや解析手段も無く、検証も不可能な現状では、遙かな過去を研究するなど望むべくもありません。

    繰り返しになりますが、将来的には人類を始めとするその時に存在する生物の情動を解析し、それらの検証可能な事実を元に、過去の心理的な進化を体系図付けて、その時代の進化論へ新たな1ページが付け加えられるかも知れません。
    ですが、現段階でそれを進化論・・・いえ、科学体系そのものに対して求めるのは、残念ながら過大な要求であると思われますが、如何でしょうか。
  50. Posted by 佐倉河 at 2005年06月20日 20:07
  51. 秀逸な説明で、何一つ付け加えることはありません。科学とは何かということについて、小職のブログにて紹介させていただきます。
  52. Posted by CAN at 2005年07月10日 03:27
  53. 専門的なことはわかりませんが、通行人さんの意見にほぼ同感するものです。

    黒影さんの意見で気になったのは、ID理論=キリスト教 となっていることです。

    事実、熱心なキリスト教信者の多い米国では、進化論を受け入れがたく感じ、ボノボやチンバンジーなどが英文法を理解できるということなどにヒステリックに反応する基盤があると聞きます。人間は自然界の中でも特別な存在だと信じたいのでしょう。アメリカの研究者がボノボが人間の5歳児くらいの知能をもてるという研究成果を日本で講演したところ、初めて温かく迎えられ感動したということを読んだことがあります。最新の米国の世論調査でも、64%が「人間は神の手で作られたと信じる」と回答したそうです。だからこれらの人々にとってID理論は、反進化論の格好の材料になっているのでしょう。

    ただ本来のID理論は人間が下等な生物から進化した点は認める立場をとっています。「生命の精妙な発展は偶然だけで説明できない」としているのがダーウィン進化論などと違う点だと思います。

    渡辺久義教授をオカルト変人的に色眼鏡で見るのは進化論にヒステリックになるキリスト教信者と変わらないように受け取れてしまいます。
  54. Posted by カンジ at 2005年08月10日 20:35
  55. 素人がレスしてよいものかと悩みながらも書き込み。

    >カンジ様

    本文に書かれていますが、「進化の過程に何らかの知性が介在している証拠」を挙げることができない限りID理論は科学ではないのです。
    人間が神の手で作られた特別な存在だ、進化の過程に知性が介在しているなどと考えることは信教・思想の自由ですから誰も否定しません。ただこれらの考えが科学でない以上「反進化論の格好の材料」にはなりません。

    また、進化論は「生命の精妙な発展は偶然だけで説明”できる”」とは言ってません。これについては黒影様の次のエントリに書かれています。

    論点はID理論と進化論の相違点ではなく、ID理論はそもそも科学の土俵に上がってないために進化論と比べることはできませんということです。

    黒影様は紳士的かつ論理的に対応されていて、私にとってヒステリックと感じられる部分はまったくありませんでした。非常に勉強になった議論でした。ありがとうございました。
  56. Posted by aqua at 2005年09月12日 03:03
  57. ここ数年、世界でもトップクラスの科学者ほど科学の限界を悟り、宗教や哲学に傾倒するそうです。

    いつかは科学で全てが解明できるというのは、2流・3流の科学者達の見解で、もはや古い認識ではないでしょうか。

    もちろん80%〜99%は科学で解明できるのでしょうから、科学を全否定するものではありません。
  58. Posted by カンジ at 2005年09月14日 22:46
  59. >カンジさん
    >ここ数年、世界でもトップクラスの科学者ほど科学の限界を悟り、宗教や哲学に傾倒するそうです。
    科学というものは、それ自体は価値判断基準を内包していません。
    科学自体は、その技術や知識の「進むべき方向」を決定しないのです。
    それは常に科学を使う人間が決めるものです。
    使う方向を間違えればかつてアメリカの科学者が原爆を開発したように、
    あるいはどこかの不届き者がアメリカに炭素菌をばら撒いたように、
    破壊的な方向に進むことも起こりえます。
    それが科学の持つ最大の限界点です。

    ですから一流の科学者であるほど、何らかの形で自らを律すべき規範を必要とすることになります。
    そうでなければただのマッドサイエンティストに成り下がってしまいますので。
    人によっては宗教に、あるいは哲学にその価値基準(規範、道徳、倫理といったもの)を求めます。
    何をなすべきで、何をなすべきでないかというのは科学者を常に悩ませる難題ですから。
    だからそれは別段最近に限った話ではないと思いますよ。


    また、宗教(に限らずイデオロギーなどの価値基準)というものはその独善性ゆえに時に科学者の眼を曇らせてしまいます。
    アインシュタインが「神はさいころを振らない」と自らの信念を元に量子力学を攻撃し、
    結果的に晩年を汚すことになったことは有名です。
    (もっともこれのおかげで量子力学が発展したという側面から評価することも出来ますが)
    http://www.geocities.jp/enten_eller1120/post2/quantum.html
    あるいはソ連においてルイセンコ学説が正しいとされたのもいい例ですね。
    ゆえに、科学者は宗教やイデオロギーによって科学に介入しようとする態度を警戒します。
    事実の積み重ねよりも信念を優先させる考え方は容易にご都合主義の解釈に繋がりますから。
    創造論などはまさにこれに当てはまります。


    ついでに、一流でなくてもまともな科学者ならば、科学で解明できる範囲に限界があることなど百も承知ですよ。
    「科学の万能性」を信じる人がいるのであれば、その人は科学の本質をきちんと理解していないのでしょう。
    それでも科学以上に宇宙・自然をうまく解明できるスキームが今のところ存在しないからこそ、
    自然科学という学問の一ジャンルがここまで大きくなったのだと思います。


    最後にID理論とキリスト教の関係について
    >黒影さんの意見で気になったのは、ID理論=キリスト教 となっていることです。

    正確には主にアメリカのキリスト教右派勢力ですね。
    ID理論がキリスト教の神学者ウィリアム・ペイリーによって提唱され、
    現在もその擁護者の大部分をキリスト教信者、有神論者が占めていること
    http://www.christiantoday.co.jp/template/news_view.htm?code=the&id=70
    アメリカでID理論が盛んな地域はキリスト教右派の勢力が強いところと重なり、
    そこで熱心にID理論を唱えているのがキリスト教右派勢力であること
    http://www.sankei.co.jp/news/050804/kok025.htm
    とりあえず以上二点を補足情報としてあげておきます。
  60. Posted by 黒影 at 2005年09月15日 00:56
  61. >aquaさん
    コメントありがとうございます。
    「非常に勉強になった議論」という感想をいただけるのは、
    ID関連の一連の記事を書いた甲斐があるというものです。
  62. Posted by 黒影 at 2005年09月15日 02:54
  63. 可視光線については、単純に水に透過する波長という説明があったような。
  64. Posted by cru at 2006年03月28日 02:13
  65. 進化論を支えているのは科学的実験や観察や理論や証拠。

    ID・創造論を支えているのは宗教本と思想信条。

  66. Posted by at 2006年04月06日 22:07
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