・インテリジェントデザイン理論(ID理論)にはまっちゃった京大名誉教授
・インテリジェントデザイン理論(ID理論)にはまっちゃった産経新聞
今度は筑波大の村上和雄先生ですか。
コメント欄で教えてくれた人がいたので探してみたら、きくち先生がブログで取り上げてました。
村上和雄、IDに利用される?:kikulog
【正論】筑波大学名誉教授・村上和雄 再び接近し始めた「科学」と「宗教」:産経新聞
村上先生も「サムシング・グレート」とか言い出したり船井総研と関わったあたりからちょっとアレなんだよなぁ。
人間的にはいい人だし学者としてもまじめな人なんだが、書いている本は微妙なものばかりだし。
天理教がIDに関わっているというのは聞いた事がないが彼もIDに絡め取られているんだろうか?
この記事も生化学者の立場からこんな記事書かないでくれと思うようなクオリティだ。
うちのブログにちょくちょく来てくれている筑波大の植物バイオやっている人に、学内でのこの記事に対する反応について是非コメントを聞いてみたいところ。
それでは今回も記事の中身を詳しく見ていきますか。
【正論】筑波大学名誉教授・村上和雄 再び接近し始めた「科学」と「宗教」:産経新聞
「いのち」は偶然に生まれるのか
前回の「これは科学」に較べれば随分マシなキャプション。村上先生が自分で書いたのかな?
中身は今回もアレだけど。
いま、アメリカで「科学と宗教の論争」が再燃している。
ブッシュ大統領が「進化論」と「インテリジェント・デザイン(知的設計論)」の扱い方に触れたからである。「公立中・高校では両方の考え方を適切に教えて、論争の趣旨を理解できるようにする必要がある。生徒に異なる考え方を教えることは、教育の一環だと思う」と述べた。これに端を発して、教育界のみならず、各界で熱い論争が始まったのである。
知的設計論とは、いのちやヒトの誕生に「知的な存在」がかかわったと考える理論で、十九世紀初頭から一部の科学者らが提唱してきた。
ここまでは現状認識と事実の記述であり、最後の一行を除けば概ね正しい。
「知的設計論」とはそもそも神学者ペイリーがその著書「自然神学」で主張しはじめたキリスト教由来のものであり、科学の成果から生じたものではなく宗教思想から生じたものである。
村上先生がこれを勘違いしているのか意図的にミスリードしているのかは分からないが、
「十九世紀初頭から一部の科学者らが提唱してきた」というのは間違い。
「神学者が提唱し一部の創造科学論者らが主張してきた」というのが正しい。
この辺のいきさつは以前「ID論の創造論内における分類学的位置付け」で書いたとおりである。
近年、遺伝子研究をはじめとする分子生物学の目覚ましい進歩により、ヒトの細胞の構造が解き明かされてきた。その成果をふまえて、知的設計論者はダーウィンの進化論だけでは到底その複雑さを説明できないと主張している。
これもまあ間違いではない。やはりいくつか大事な事実がトリミングされてはいるが。
この段落はたった2センテンスの短い文章ではあるが、都合の悪い情報を隠し、あたかも最新の科学の成果が知的設計論をサポートしているかのように見せかけるかなり高度な印象操作が施されている。
以前の渡辺氏の文章と較べると雲泥のレベルの差である。さすがは村上先生だ。
どうやら最初の段落も意図的なミスリードだったようだ。
印象操作のためにトリミングされている事実をいくつか補充するならば、
分子生物学の発展はゲノムという有無を言わさぬ証拠を積み上げて進化論を進化生物学にまで高めたという事実。
「ID論者が犯した3つの過ち」でも書いたが、知的設計論者は分子生物学の成果を踏まえて新しい科学の隙間に潜り込んだに過ぎないという事実。
そしてID論が悪魔の証明に嵌まり自説の論拠を示せていないという事実の3つを上げておけば十分だろうか。
これに対し、進化論を支持する多くの科学者は、知的設計論は表向きは聖書の「天地創造説」と一線を画するものの、結局は科学の衣をまとった信仰だと批判している。
これはその通りとしか言えんわな。
実際ID論の母体も支持団体もキリスト教だからね。
ついでに言うと聖書通りの天地創造説とID論は系統が別だから較べた所で意味は無かったりする。
その動きには福音派みたいな原理主義的なグループも乗っかってきているけどね。
ID論の魂の兄弟的な宗教上の立場は別にある。詳しくはこちらを参照のこと。
・ID論の創造論内における分類学的位置付け
・創造論とID論の分類フローチャート
さらに言うと、村上先生は冒頭で大きなミスをしているため、この段落は彼の詭弁振りを曝け出すだけに終わっている。
もしもID論が真に科学理論であるのならば、ID論を巡る争いは科学論争であるはずで宗教が絡む余地は無い。
にもかかわらずID論争が科学と宗教との対立になっている理由は、宗教がID論の仮面をかぶって科学にぶつかってくるからに他ならない。
村上先生は最初の段落でID論争を科学と宗教の対立と書いてしまった。
それは現状認識としては正しいのだが、それを言ってしまうとその時点でID論が宗教であると認めたも同じ、IDが科学であると主張するためには百害あって一利無しである。
ID論が科学であると主張するのであれば、宗教のことなど徹頭徹尾文から排除せねばならないのだ。
ゆえにID論の本家ディスカバリーインスティテュートでは宗教色の払拭にかなり神経を使っている(でも成功してないけどw)
このミスはかなり大きな減点となるのだが、宗教側の立場からIDを論じる人はどうもこの間違いを犯しやすいようだ。
しかし、いくつかの州で、進化論批判も同時に教えるべきだとする動きが起こってきた。今回のブッシュ大統領の発言は、こうした動きに「お墨付き」を与えることにもなりかねず、アメリカのメディアはこぞってこの問題を取り上げている。
これも情報が足りないけど事実。
トリミングされている情報を付け加えるなら、どの州でも「進化論批判も同時に教えるべき」と運動している中心勢力は福音派と呼ばれる原理主義的キリスト教団体であるということを書いておく必要があるだろう。
参考に以下の記事をリンクしておく
・中岡望の目からウロコのアメリカ ≫ アメリカにおける「進化論」を巡る論争再論(1):ブッシュ大統領が「インテリジェント・デザイン」論を支持
・進化論裁判 - Wikipedia
いのちの誕生は、単なる偶然の積み重ねによって進化した結果ではなく、知的な存在によって意図的に設計されたとする説が、最先端の科学者や一国の大統領から出されたことが、このたびの論争の最大の特徴といえるだろう。
仮にも分子生物学者なんだから「単なる偶然の積み重ね」なんてそこいらの無教養な連中のようなことを言わないで欲しい。
「自己複製システムの不完全性から生じる蓋然性が進化をもたらした」くらいは言って欲しいもの。
それに最先端の科学者って誰?まさかデムスキーやビーヒーがそうだなんて言わんよな?
ブッシュ大統領が宗教的信念からID論を持ち出したことなど周知の事実で、だからこそ政教分離に反すると批判されて問題になったのだが。
というか科学を議論するのに「大統領」という無関係の権威を持ち出してどうしようというのだろう?
どうもこの段落は背景事情についての認識も甘い上、文章自体隙がある。
添削に出したら間違いなく2センテンスか3センテンスに分けるよう指導されるだろう。
≪人知超えた不思議な働き≫
では、知的な存在がいのちを設計したという説が、なぜ科学の土壌で議論されるようになったのだろうか。知的設計論が提唱されるはるか以前から、聖書に基づく創造説は広く支持されていた。近代科学の祖であるアイザック・ニュートンは、神を実証的に説明するために自然科学を研究した一人で「私は真理という大海の波打ち際で遊ぶ子供にすぎない」と述べている。
科学史に関する知識の無い人はこれを読んで「ニュートンですらそうなのか、だったら!」とか思わされるのだろうか?
村上先生が科学史に対する知識を持たないとは思えないから、間違いなくこういうミスリードを狙った文章である。
この時代には自然科学はまだ完全には成立しておらず、進化という概念も無く、人々は聖書の創造神話を無邪気に信じていた。
聖書の創造神話が信じられていた時代だから「聖書に基づく創造説は広く支持」されているのは当たり前である。
さらにこの時代の有名な科学者の多くが神学者である事が示すように、自然科学の始まりは世界を創造した神の存在証明であった。
当時の教会は学術機関でもあり、科学者になることは神学者になることと同義であったのだ。
無論ニュートンも神学者である。
つくづく先に「ID論の創造論内における分類学的位置付け」を書いておいて良かったなあと思う。
この段落では都合の悪い事実を巧妙に隠し、事実のトリミングによって当たり前の事実をさも意味ありげに見せかけている。
さらにニュートンという誰でも知っている科学者を持ち出すことで自論の権威付けを行い、読者を誘導している。
これは非常に高度な詭弁のテクニックであり、やはり村上先生は一流の文筆家である。
全編このクオリティを保てたら超一流なんだけどねぇ。
そこいらのお粗末な疑似科学の主張者はこの文章をお手本にして見習うように。
次に行ってみよう。
ところが、ヒトをはじめ、すべての生物は細胞から構成されていることが分かり、さらに、生物は一つの細胞から進化して枝分かれした、という仮説が確固たる学説として広く受け入れられるようになった。
その結果、聖書に基づく創造説は宗教の枠組みに押し込められてしまった。この時点で、科学は宗教から枝分かれした。しかし、科学と宗教は再び接近しつつある。近年の物理学や分子生物学の長足の進歩が、両者の再会を促すことになったのだ。
なぜ進化論が提唱されたかというと、自然界の観察の結果から導き出される結論が創造論者の主張する「固定された種」を否定するものだったからだ。それを理解することなく進化論を語ることは出来ないし、理解しているならばかつて否定されたものに再び戻ることなどありえない事が理解できそうなものなのだが…
宗教と科学が再び近づいているというのであれば、それは宗教の方が変容したのである。
村上先生がその程度も理解していないとも思えないし、このパラグラフは詭弁の無理がたたったのだろうか?
この段落では村上先生は再び大きなミスをしている。
またしても宗教を持ち出してID論が科学に宗教を持ち込む為のものである事を仄めかしてしまっているのである。
繰り返し書くが、ID論が科学であると主張したいのであれば、そこに宗教を持ち込んではいけないのだ。
前段落に較べるとこの段落はどうもぱっとしない。
この辺りからいよいよ記事が斜め上に弾けてくる。
というかここから先は科学と何の関係も無いただの電波である。
二十一世紀の初め、ヒトやイネの全遺伝子暗号が解読された。ヒトの場合、万巻の書物に匹敵する情報が一グラムの二千億分の一という極微の空間に書き込まれている。そして今、私たちの体の中で、いのちの誕生以来一刻の休みもなく整然と働き続けている。
私はこの事実を知ったとき、細胞の誕生や、その後の生物の進化が、単なる偶然だけで出来上がったとは到底考えられなかった。そこには、サムシング・グレートとしか呼べない、人知を超えた不思議な働きがあると思った。
いよいよお得意のサムシング・グレート登場。前半はともかく後半部はただの感想文でしかない。
何を思おうとも個人の自由だが、それを科学で主張するには根拠がいるわけだ。
そしてこの記事にはID論のまともな科学的根拠となるようなものがまったく出てきていない。
さらに続く段落では「あんたは本当に分子生物学者か?」と疑いたくなるようなステキ発言が書かれている。
≪30億乗分の1という確率≫
ヒトのゲノム(全遺伝子情報)は、わずか四つの塩基で構成され、この塩基のペアが約三十億個連なっている。塩基の配列が偶然のものとするなら、私たち一人一人は、四の三十億乗分の一という奇跡的な確率で生まれてきたことになる。
そのようなことは、今の科学の常識ではあり得ない。細胞一個、偶然にできる確率は、一億円の宝くじを百万回連続して当選したのと同じようなものである。
私の記憶では確か村上先生はイネゲノム研究に携わっていたはず。それにヒトゲノムについての本も書いていた。
ならばヒトの個人間のDNA配列の差異はどんなに大きくても0.1%にも満たないことを知っているはずなんだが…
さらにこの差異はコドンとタンパク質2次構造の冗長性で大部分吸収されるから、形質に影響するような差異はもう数桁少なくなる。
奇跡的な確率を主張したいがためにこういうデタラメを書くのは感心しない。
さらに言うなら、母数に関わらず受精というくじを引く行為を行った時点で必ず答えは出る。
たとえ母数が4の300万乗個のくじだろうが大半が当たりではずれの方が少数なんだから。
むしろ致死遺伝子の優勢ホモが生じる確率のほうが宝くじを当てるようなものなんだがな。
どの「当たり」を掴もうが全て確率は4の300万乗分の1であり、こんな物は奇跡でもなんでもない。
もしも別の「当たり」が出ていたらここにいるのが少し違う自分だったということだけだ。
それがこの人にかかるとヒトが生まれてくることは確率的にありえないことになるらしい。
誰かいい病院を紹介してあげてくださいな。
それにしても、このトンデモ主張前にもどこかで見た気がするんだがどこだったかな?この人の本だったか?
このような確率から考えたとき、私は知的設計論者の意見に近い。しかし、私の考えるサムシング・グレートは、単なるデザインの問題ではない。最初に生物を創ろうとする大自然の意志のようなものがあり、それに沿ってデザインがなされ、さらにいまなお一刻の休みもなく働き続けている、全生物の親のような存在と働きをサムシング・グレートと名付けている。
世界中のお金を全部集めても、世界中の科学者を総動員しても、生きた細胞一つ、その構成要素である原子や分子からは生み出せない。私たちは他の動植物の「いのち」や大自然の恵みのおかげで生かされているのである。私は進化論を否定しないが、最初に生まれた細胞やヒトの誕生は、現在の進化論だけでは説明できないと考えている。(むらかみ かずお)
そしていよいよサムシング・グレート説明に…入ったのはいいが尻切れトンボに終わってしまう。
もっとサムシング・グレートを語って欲しかったんだが。
それに途中までは折角いい感じだったのに、最後は結局「ヒトは生命を創造できない」と"God of the Gaps"論に逃避してしまった。
それは過去の創造論者が何度も犯した過ちだというのに。しかも逃げ込む先がよりによって生命創造ですか。
「合成生物学」という文字通り人工生命の合成を研究する学問領域がある。
ここ10年ほどで成立した新しい学問分野だが、既に細胞様の構造物の合成に成功したり、代謝を行わせたりすることに成功している。今は自己増殖というところでつまっているらしいが、おそらくあと10年もすれば微生物のパーツからの再構成が可能となり、生物の1からのデザインが可能となっているだろう。
今はまだ小さい領域で人も金も足りていないから、「世界中のお金を集めて世界中の科学者を総動員」なんてやったら
案外あっさりと人工生命体が誕生するかも知れない。
ちなみにウイルスの人工合成なら既に可能となっている。
ウイルスを生命と定義するならば人類は既に人工生命の創造が可能な領域に達している。
(といっても既存のウイルスをベースにした改造がほとんどだけど)
逃げ込むならば何も既に分子生物学旅団の砲列の照準が合わせられた領域に逃げることは無いのになぁ。
なんかドジョウの地獄鍋を思い出すよ。
インテリジェント・デザイン論者はどうも戦略的判断がうまくないようだ。
◆総括
前半部こそきらりと光る詭弁の冴えが見られたものの、後半部は平凡。
さらに冒頭の大きなミスをはじめ随所に細かい穴があるため、見る人が見ればあっさりとナマス切りになるレベルです。
しかしながらトリミングによる都合の悪い事実の隠匿と科学用語の適切な配置はかなり高いレベルにあり、素人ならばあっさりと引っ掛ける事が出来るでしょう。
科学欄のない産経新聞でならある程度の戦果を上げられるものと思われます。
少なくとも科学の素人にすら批判を受けるほど隙だらけだった渡辺氏の言説に較べれば数段上のレベルにあることは間違いありません。
今後は主張内の科学的なミスを減らし、都合の悪い事実にも正面から取り組むようにすると良いでしょう。
インテリジェント・デザイン論の普及に向け、今後も頑張って下さい。

◆感想
村上先生の文章は論理性よりも雰囲気に流されやすい「ほやや〜ん」とした人に受けがいい。
この産経の記事にしたところで、知識の無い人は「そんなものか」と容易に流されるだろう。
注意深く読めば分かるのだが、書いている内容はともかく村上先生はレトリックと印象操作の達人だ。
その上「筑波大名誉教授」という肩書きを持ち、イネゲノム研究に関わる現役の生化学者でもある。
批判者にとってはそんじょそこらのイカサマ師とは比べ物にならない強敵である。
最近も『遺伝子オンで生きる―こころの持ち方であなたのDNAは変わる!』とかいうトンデモ本書いていたが、これも32万部のベストセラーだし。
彼の語り口の特徴は、出だしは自分の研究分野とか生命科学から始まり、そこから倫理道徳の話に持ち込む方法。
それぞれ別個のものとして語ってくれれば何も問題ないんだが、彼は倫理道徳の根拠に科学を置きたがる。
それをやると自然主義の誤謬に陥るわけで、これは生物学者が社会問題に首を突っ込む時によくやるあやまち。
今回はそういう部分はなかったけどね。
あいにくと今回の産経の記事ではかなり穴だらけだったが、今後態勢を整えてこの記事の一番高いところのクオリティを発揮し続けてくれるようであれば、正体がばれた渡辺先生に代わって日本のID論の急先鋒になってくれることだろう。
トンデモウォッチャーから見るとインテリジェントデザイン業界の期待の新人である。
是非とも今後の精進を期待したい。
それにしても最近の産経新聞のID論への傾斜具合は一体どのあたりに根があるのだろうか?
いよいよ統一教会にでも乗っ取られたのかね?
◆関連記事リンク
・インテリジェント・デザイン論(ID論)関連記事を振り返る
【疑似科学・ニセ科学・オカルト・トンデモの最新記事】
産経新聞とキリスト教右派との繋がりについては以下のページに説明があります。ご参考になれば。
http://beyond.2log.net/akutoku/topics/2005/0812.html
私はまだ「保留」を常に意識しているからマシかもしれないけど。要はもっと勉強せい、で終わりですが(苦笑)
2006/05/03神戸にて村上和雄先生のセミナーがあります。ご興味があればどうぞお越し下さい。
http://www.hado-style.com/kohza5mh.html
先生の遺伝子の研究は、明治時代の天理教教組の残された「人間創造(元の理といいます)」のお話の裏付けをしようと考えられたものです。研究者の理屈になんぞ合っていなくてよいのです。教組を信じるものにとって分かりやすけりゃいいんです。
そこで私がはっきりと感じた事は、村上先生が万人に伝えたかった事は、先生の研究成果の正当性や自らの科学者としての名誉の事では無く、講演を聴いている私たち一人一人が、この大宇宙の中に奇跡的に芽生えた、一つの生命体「人間」としての幸福を、自己実現をするにはどうしたら良いか?、と言うことに付いてでした。
昔から「科学」にしても「宗教」にしても、その時代において、ほんの少し大脳が進歩した人間が考え付いた「理屈」の正当性を守る為の詭弁であるとしたら、いつも斬新でもっともらしい「理屈」に凌駕される運命を持っている事でしょう。そのようなまがい物の「理屈」に起因する危険を察知せねば成りません。
「科学」や「宗教」が、そのそれぞれの「理屈」を守る為では無く、かけがえの無い「尊い生命」を守る為に駆使されることを切望して止みません。
今後の村上先生の活動には注目したいと思います。
そして何よりは、自分自身がこの世界に生れで出でたことの意味を全うするために、精進努力を惜しまない事を決意したいと思います。
自然主義的誤謬という概念自体が誤謬であるという事を申し上げておきます。ダーウィンの進化論だけが進化論ではありません。たとえば京都大学の今西進化論というものがあります。これは…進化は単なる「物事のなりゆきの結果」…という概念では把握できないものです。自然主義的誤謬という概念が正しいなんて信じている事こそアホらしいですよ。
ところで、過去の記事にも目は通してますか?
いらんところで恥をかきますよ。
こんな初歩的な事も知らないで学問云々は止めた方がいい。恥をかくのは貴方の方だと思う(汗)!
これだけなら、「間違っている」と言う保証も根拠もないですよね。
保証も根拠も示さずに、相手に対して「恥をかく」と決めつけるのは、ちょっとあわてんぼさんなのでは?
http://blackshadow.seesaa.net/article/103212061.html
もちろん、いま主流の理論よりうまく説明できるんですよね、今西進化論で。
大腸菌ですか? ハッキリ申し上げますが、実験方そのものに問題があるんじゃないですか。またデータ採取の方法にも問題有りだと思います。科学者の観察が完全なものではない事は今西進化論でも指摘されています。同一の実験が、全く真逆の二つの結論を導き出す事は良くあることです。大腸菌の実験を行った人が手前味噌なデータだけしか使用しなかった可能性が大だと思います。そのうち修正されると思いますよ。罪深い事ですね(笑)。
”今西進化論”とか言うものを補強する、或いは肯定する根拠に、当の”今西進化論”とか言うものを持ち出したら意味がないでしょう・・・
この手の事なら別に”今西進化論”とか言うもの以外でも取り上げているでしょうから、わざわざ、信憑性を低くしてもしょうがないと思いますが。
因みに
>実験方そのものに問題があるんじゃないですか。
>大腸菌の実験を行った人が手前味噌なデータだけしか使用しなかった可能性が大だと思います。
と言う事を、何の根拠もなく断定してしまったら、
「それは貴方の妄想でしょ」
とか、
「自分にとって都合が悪い事から目を背けたいだけでしょ」
とか、
言われても仕方が無いですよ。
”今西進化論”とかいうものがどの様な物かは分からないですが、少なくとも、
8、10、の2つを読む限りはまともに読む物ではないという事はよく分かりました。
肯定的に書いた2つの文章だけで、完全に信用を無くす事が出来るというのは、なかなか文才が有りますね。
同じトピックに何度も返信を書く事はしたくないですが、文才にある種の”けいい”を表して・・・
レベルが低すぎて……もう出て来なくていいです(汗)!
>学問したことないですね
普通に言う「学問」とは違いそうな悪寒。
私も今西進化論についてはよく知らないので、 Wikipedia の今西錦司氏のページを見てみました。Wikipedia を盲信するのは危ないですが、生物学・進化論あたりの記述で私にわかる範囲ではまあまあ妥当なものがほとんどなので、そこそこ信頼できると思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E8%A5%BF%E9%8C%A6%E5%8F%B8
読んだかぎりでは、今西進化論でいまの総合説を相手にするのは分が悪そうですね。
それはそうと、今西錦司氏は今西進化論はアレですが、それ以外のニホンザルの研究など学者としてはかなりまともな人物のように受け取れます。今西氏ならロクに実験の内容も確認せず妄想で問題ありと切って捨てるような愚かな批判はしないというか、最も嫌う行為なんじゃないかと思います。
trebien とかいうひとは今西進化論を擁護しているように見せかけて、実は Lenski 氏だけでなく今西氏まで愚弄してるんでしょうね、自爆テロで。
要するに間違っているか正しいか分からない訳だ。そんないいかげんな物差し「然主義的誤謬という概念」で何を測ろうとするのか? 愚かだとは思いませんか(笑)?
>…文の著者のBlount博士らはそれを行ったわけですが、再現実験楽しかったろうなあ…
自分で確認もしないで…楽しかったろうなあ…ですか(笑)!
こんな品格の欠けた低レベルの人物が何を研究しようと言うのか。ろくな研究は出来ないと思う。
井の中の蛙、大海を知らず だったかな(笑)
自分たちのレベルをシッカリと自覚して再出発だね!
日本的疑科学の実例としてならいいけど黒歴史だよなー