創造論をその特徴に従って分類するためのフローチャートを以下に示す。
かろうじて科学と衝突しないのは(4)の立場のみであり、残りは皆科学とは相容れない立場にある。
聖書の記述を―→文字通り信じる―┬→創造科学A(若い地球の創造説)┬→フラット・アース派(地球は平らだ!)
│ (1) │ └→ジオ・セントリス派(地球は宇宙の中心だ!)
│ └→キリスト教原理主義派・キリスト教系カルト
│ (進化は元より科学そのものを否定する見解に立つ)
↓
抽象表現として捉える(地球が45億年前に生じたと考える)
│
↓
生命の進化という現象を―→認めない―┬→創造科学B(古い地球の創造説:漸進的創造説)
│ (2) ├→インテリジェントデザイン論A(デザイナーの計画通りに生命は創造された)
↓ └→福音派・プロテスタント系諸派・キリスト教系カルト
認める
│
↓
自然淘汰による進化を―→認めない―┬→創造科学C(神が常に働いて現在の生物たちのように進化させた。)
│ (3) ├→進歩的創造論
│ │ (サルとヒトの共通祖先はいない。大進化や生命の誕生は神による)
│ ├→インテリジェントデザイン論B:主流派ID論
│ │ (サルとヒトの共通祖先はいない。大進化や生命の誕生はデザイナーによる)
↓ └→プロテスタント系諸派その他
認める(4)
↓
│
├→理神論・有神論的進化論(カソリック)
│ (進化は神が物理定数や自然法則を進化が起こるように定めたことによって起こった)
├→進化的創造論
│ (生命の進化も自然淘汰も認めるが、そこには神の意思の介在があった)
└→インテリジェントデザイン論C:非主流派ID論
(生命の進化も自然淘汰も認めるが、そこにはデザイナーの意思の介入が存在)
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また、自然淘汰的なことは創造をしやすくする環境デザインの1つとしてデザイナーは利用したかもしれないがそれが創造的変化の根本ではないと考えます。(ただし、環境対応の小進化的な変化は認めます。)
ただ、たしかにインテリジェントデザインを証明に使いたいとする人の中には極端な奇跡主義的に無から瞬間でと考える人も中にはいるかもしれませんが、基本的には物質を素材とてデザイナーは創造したと考えるので、物理化学法則を崩さない範囲でコントロールしての創造と考える人が多いのではないかと私は思っています。
>聖書には神は地球と人間を創造したことは書かれていますが、宇宙の中心であるとかはかかれていません
あたりまえではないですか、この件に関しましてのみ、インテリジェント様に参堂させていただきます。
この件がID論とどんな関係があるのか私には全くわかりませんが、脇道ということを承知で一言。
「地球は宇宙の中心である」というのは後付思想です。
天動説の原型をつくったとされるプトレマイオスは2世紀頃に生きた人で、プトレマイオスはキリスト教徒ではありません。
聖書にそのようにとれる記述がないわけではありませんが、聖書は人間が書いた物(奇跡を体験したという人間や、それを伝えられた話をもとにして書かれたものの集合ということ)なのですから、人間の視点から描かれたものになるのは当然ではありませんか。 人間(偉大なる存在に愛されているという)の思想を持つ人々には地球(人間)が世界の中心であるというのは全く甘美な言葉であることでしょうね。
で、これがいったいなんの関係があるのですか????
参堂 → 賛同
失礼しました
冒頭に書いてある通り、このエントリは前エントリからフローチャートだけを抜き出したものです。
そしてキリスト教がいつ、何故アリストテレス(プトレマイオス)宇宙像を取り込んだかの経緯は前エントリにきちんと書いてあるのですがね。
前エントリは他のコメント欄で何度も提示していたはずなんですが、ひょっとして読んでいただけなかったのでしょうか?
>そういった思い込みの書かれていない内容を聖書にこう書いてあると説明なしにこういう場でするのはおかしな話だと思います。
事実関係の確認もせず、親記事もろくに読まずに言いがかりをつけるのは止めて下さい。
この発言の撤回を求めます。
>また、聖書には神は地球と人間を創造したことは書かれていますが、宇宙の中心であるとかはかかれていません。
私もこの点だけはあなたの主張に賛同したいのですが、当時の教会は(そして今の一部宗派も)そうは考えなかったということです。
聖書解釈の文句は彼等に言うことですね。私に言われてもどうにもなりませんので。
自分のコメントがまさにこのフローチャートをきれいになぞっていることに気がついていますか?
>インテリジェントさん
まず、他のエントリのコメントからあなたが聖書を抽象的に捉えていると言うのは既に確認済みですし、
>インテリジェントデザインは創造に過程があるのは認めているが、それを進化とはしないということです
というのはまさにID論の特徴である進化否定と漸進的創造論的な主張に他ならない。
さらに
>自然淘汰的なことは創造をしやすくする環境デザインの1つとしてデザイナーは利用したかもしれないがそれが創造的変化の根本ではないと考えます。(ただし、環境対応の小進化的な変化は認めます。)
という部分で小進化を認めつつ自然淘汰が進化の原動力ではないと否定し、大進化は創造だと主張。
きれいにテンプレどおりのID論Bの主張に収まっているわけですが。
あなたのコメントによってこのフローチャートが「使える」ことが改めて確認できました。
本当にありがとうございます。
それから、DembskiやBeheらDIのお偉方にとっては「ヒトと類人猿の共通祖先はいない」というのも譲れない一線らしいので、ID論を主張するならば忘れずこれも主張しないといけませんよ。
渡辺先生はちゃんと忠実にこれを守っているんだからあなたも見習わないと。
聖書の解釈をその当時の上の立場に立つ人間が間違えることはあることで、その間違いで聖書が大きく書き換えられなかったことは不思議なくらいである。要するにそういうこともあってプロテスタント運動が起こったと言う歴史もある。ま
ただ、カトリックの伝統ある神学も歴史的反省が多く見られ聖書に注目している人間としてはそのガイドブックとしては面白い。
やれやれ、それは単にあなたが「ダーウィンのブラックボックス」以外の事を知らなさ過ぎるというだけですよ。
だからあなたは所詮「ID論かぶれ」に過ぎないと言っているのです。
共通祖先が正しいと認めると、ID論にとっては致命的な弱点を曝け出すことになるのですが、それをちゃんと理解しておられますか?
共通祖先が正しいということは、生物が漸進的な進化をしてきたことを意味します。
そしてデザイナーが漸進的な介入を繰り返して進化を導いていたのであれば、それは自然淘汰と見分けが付かず検出不可能ということになってしまう。
だから共通祖先を認めることはID論の根拠を否定することに繋がるのですよ。
なぜなら"デザイナーの大幅な介入による進化の断続"が存在するというのがID論の立場ですからね。
ゆえにID論の本山たるディスカバリーインスティテュートは現在共通祖先を否定する、もしくは共通祖先に関する議論を回避する方向に動いている。
kumisitさんのところでもうちょっとID論を勉強しなおしてくることですね。
忘却からの帰還: インテリジェントデザインと非共通祖先の分離を言ってみるDave Scot
http://transact.seesaa.net/article/13212231.html
私は貴方の書いた内容やあげた論文のある程度の妥当性を認めつつ、自身の主張をしているだけなのだ。もっとも私は科学者でないから、せいぜい文献をあげても大まかな概観の説明で自分なりのコメントを入れて順序づけるのが精一杯であろう。
そうであったとしても、短期間には無理であります。スキルがなくて申し訳ございません。しかし、Gapというが、新しい理論を展開するときは今までの理論の欠点を指摘して補おうとするか訂正するのは当然の作業ではないだろうか?