・インテリジェントデザイン理論(ID理論)にはまっちゃった京大名誉教授
・インテリジェントデザイン理論(ID理論)にはまっちゃった産経新聞
修論や引越しでばたばたしていたためあまりきちんとお相手する事は出来なかったが、
進化論に対する誤解以前にID論や創造論に対する理解すら随分とアレなのでどうしたもんかと思案中。
考えてみればID論や創造論の背景部分をこれまできちんと書いてこなかったのに気が付いたので
まずはそこから書いていくことにする。
◆創造論の起源
ヒトはどこから来てどこへ行くのか。
これは有史以前から長らくヒトにとっての大きな謎であり、その存在意義に関わる問題でもある。
ヒトは好奇心に溢れた生き物で、あらゆるものに「なぜ?」を考える。
ゆえに古くから世界とヒトの成り立ちを説明する多くの理論が作られては消えていった。
古代世界において生まれたこうした理論の多くはやがて一つの体系にまとめられていき、
その中でも最も成功した存在が古代神話や哲学である。
特に神話の媒体である宗教は古代において哲学であり、倫理であり、権力であり、世界を説明する理論体系でもあった。
古代ギリシャのように宗教と独立して世界の成り立ちを説明する試みがなされた例もあったが一時的なものに止まり、世界を説明する理論体系の座はやがて宗教によって占められることになる。
世界各地に発展した宗教はそれぞれ独自の創造神話を発展させ、中でも砂漠の宗教と呼ばれる古代ユダヤ教からキリスト教へと受け継がれたそれはやがて世界に大きな影響を与えるものとなった。
◆中世キリスト教の影響
中世においてキリスト教はヨーロッパを中心に世界に大きく勢力を広げ、
世界の成り立ちに関する意識形成に大きな影響を及ぼす存在となっていた。
当時の教会には最先端の知識が集められており、神学者の手によってそれらの知識が研究され、まとめられていった。
神学者等はイスラム世界から取り込んだギリシャ哲学やイスラム科学をベースに研究を進め、スコラ学派のトマス・アクィナスが神学大全においてアリストテレス哲学を神学体系に取り込むことに成功。天動説もこの時にキリスト教に取り込まれた。
(実はそれ以前に於いては聖書の記述と矛盾すると言う理由でアリストテレス哲学は教会から否定されていた。)
神学者等は天動説の概念を取り込むことで、宇宙の中心に地球がありそこに神が住まうという説明をし、聖書に世界と人間、神の関係が記述されていると証明しようとしたのだ。
科学理論と世界の成り立ちの説明を利用して宗教に権威付けしようとする創造論の試みはここに端を発している。
もっともこの試みはその目論みとは裏腹に、後に天動説の否定という形でキリスト教の権威にひびを入れる結果に終わるのだが。
福音派(根本主義派)が現代もこの過ちを繰り返しているのは皮肉なことだ。
キリスト教の創造神話はこの時期に神学者の手によって旧約聖書の記述を元に一つの体系にまとめられており、これが後の創造論の元となっている。
現在の創造論やID論、その亜流もほぼキリスト教の創造神話から派生したものである。
◆科学の発達と創造論の先鋭化
17世紀には科学革命と呼ばれる重大なパラダイムシフトが起こる。
コペルニクスに端を発する天文学の飛躍的な発展が地球から宇宙の中心の座を奪い取り、神は地上から追放されたのである。単に地球が太陽の周りを回っているという意味での地動説であれば教会はそれほど問題視しなかった。教会は太陽を自身の象徴としていたからである。
しかし太陽が宇宙に存在する多くの恒星の一つでしかないというガリレオの主張や真円軌道を否定したケプラーの主張は、地球が宇宙の中心であり真円という完全さが神がここに在る根拠であるとする教会の主張とは相容れないものであった。
そしてこの時から科学と宗教の長い対立の時代が始まった。
この時代の有名な科学者の多くが神学者である事が示すように、自然科学の始まりは世界を創造した神の存在証明であった。当時の教会は学術機関でもあり、科学者になることは神学者になることと同義であったのだ。
地動説の提唱者であるコペルニクスはカソリックの司祭であったし、万有引力の法則の発見者ニュートンも神学者であった。
時代は下がるが進化論の提唱者として一部で忌み嫌われているダーウィンも実は神学者の出身である。
『哲学原理』で物理学から神を追放したデカルトもまた神学者だった。
余談だが世に溢れる数々のトンデモを切って捨てるのに非常に有益なオッカムの剃刀も神学の産物だ。
科学・哲学の母体として神学はこの当時高度に発展していたのである。
しかしながら、科学の発達は着実に自然科学と神の距離を遠ざけていった。
18世紀以降も科学が発見する証拠は教会の主張を否定する一方であった。
天文学の更なる発展は地球を完全に宇宙の片隅のちっぽけな存在に格下げしてしまい、
地質学と古生物学は天地創造の主張にすら疑問を投げかけた。
ニーチェには「神は死んだ」と「ツァラトゥストラかく語りき」で死の宣告すらなされてしまった。
ことここに至ると聖書の創造神話を信奉する勢力は動揺する自説を補強する必要に駆られた。
そして一部では聖書の記述に科学的根拠を求める方向に動いた。
こうして作られたのが創造科学A(若い地球の創造説)である。
この創造科学Aは聖書原理主義的な創造論であり、地球の年齢は6,000年、神が6日間で地球を創造したというものである。
そしてこの主張に科学的根拠があるとしている。
しかしこの創造科学という代物は当時の水準の科学から見てすら穴だらけでお世辞にも評判のいいものとは言えず、教会側からさえも批判されていた。
自然科学がキリスト教から乖離し独自の体系を作り上げるにつれて、それまで当然のものとして受け入れられていた創造神話は再構築の必要に駆られた。こうして作られたのが創造論であり、創造科学である。
これ以降、自然科学の成果を取り込むことによって神の存在証明を行おうとする報われることの無い長い戦いが始まるのである。
◆進化論という最大のインパクト
地動説以来の最大の衝撃を創造論に与えた存在。それがダーウィンの進化論である。
「進化」という言葉を語る際には少々注意が必要だ。
「進化」と「進化論」では意味が異なる上に、世に多くの誤解が蔓延っているためである。
まず当時の世の中の生物種についての理解から述べていこう。
19世紀当時の理解では生物の種とは不変のものであると考えられていた。
世の中はまだキリスト教の世界観に支配されていたために、種は神が創造して以来不変だと信じられていたのである。
しかし博物学が収集した膨大な生物資料や古生物学の化石の研究は、多くの科学者達にある疑念を抱かせるに至った。
「生物は独立に作られた不変の存在ではないのではないか?」
地理的な種の分布の変遷、多くの中間種の存在、化石種の存在、品種改良という人為的な種の変異などがこの着想を後押しした。ダーウィンもまたこの疑問に取り付かれた科学者の一人であった。
彼はビーグル号の航海中に観察した生物相の変遷やガラパゴス諸島の生息環境ごとの鳥類の変異から生物の進化の着想を得た。更にその後品種改良の研究から選択と淘汰の概念が自然環境にも適応できることに気が付き、進化論を唱えるに至ったのである。
当時同様の考えに至っていた科学者は他にも大勢いたが、豊富な物証と整然とした理論に支えられたダーウィンの進化論が一番完成度が高かったのである。
「進化」とは生命が不変の存在ではなく、何世代にもわたる変異の蓄積の結果、異なる種に分岐・変化することを意味する。
「進化」の否定とは即ち「種の不変性」を主張することに他ならない。
よく勘違いされるのだが、「進化」と「進歩」は同義ではない。
退化も中立的な変化もまた「進化」である。ゆえに言葉の原義としては「変化」や「変異」に近い。
そして「進化論」とは生物の「進化」と「進化」を起こす原理についての理論である。
ダーウィンは生物の「進化」が普遍的な現象であることをはじめて体系的に説き、
生物の観察結果から「進化」の原動力として「自然淘汰」や「性選択」という原理を説明した。
これが「ダーウィンの進化論」である。
当時の科学レベルでは変異の本質(ゲノム)まで突き止めることは不可能だったが、彼は中立的な変異の存在や進化論の課題についても多数の言及を残しており進化論の大枠はダーウィンによって固められたと言っても過言ではない。
まれにダーウィン以降の学者によって進化論に多くの追加理論が加えられたことをもって
「ダーウィンの進化論は否定された」などと頓珍漢なことを言ってくる人がいるが、
これは相対性理論の成立をもってニュートン力学は否定されたというトンデモさんと同じくらい的外れな主張である。
相対論がニュートン力学をより厳密にしたものであるのと同様に、現在の進化論もダーウィン進化論を下敷きに最新の生物学の知識で厳密化したものに過ぎないんだが。
生物の進化という現象や進化の原動力としての自然淘汰が否定されたことなど一度も無いのだが、一体どこからこんな考えにたどり着くのやら。
歴史上科学の理論革命は例外なく「理論拡張」であり、既定の理論を包括もしくは理論不備を指摘し、既定の科学現象を内包してより高度な論理として証明する形になっている。
創造論が科学になりえるとしたらそれは既存の進化論を吸収してそこに+αをもたらした時以外にありえないのだが、それを理解できていない人間が多すぎる。
創造論者の多くが「進化」と「進化論」の違いすらろくに理解していないのは非常に嘆かわしいことである。
忘却からの帰還: 「FAQ:進化論についての誤解」というより「反進化論」対策
忘却からの帰還: 創造論者が使ってはいけない論 by AiG
話を戻そう。
ダーウィンの時代には地質学的な証拠がさらに積み重ねられ、若い地球の創造説は更に立場が悪くなっていた。
そうして軌道修正の必要に駆られて生まれたのが創造科学B(古い地球の創造説)の立場である。
古い地球の創造説では聖書の記述は比喩的表現であるとし、地球と生命の創造に要した歳月を科学に合わせ45億年とするも生物の進化は認めないという立場であった。
この「漸進的創造論」と呼ばれる立場はフローチャートの(2)および(3)に共通するものである。
これもすぐに進化論のおかげでガタガタになる訳で、まったくご愁傷様としか言えないのだが。
19世紀末の時期になるとキリスト教内部でも意見が割れ、あくまでも創造論にこだわるグループと、
創造論に距離を置き、神を讃えるのに創造論にこだわる必要は無いとする理神論・有神論的進化論的な立場に立つものも出てくる。
また創造論のグループでは18世紀の神学者ペイリーの主張を引っ張り出し、これが後にID論の元となった。
科学哲学を宗教体系に取り込んだのは元はといえば神の権威を高めるためであった。
にも関わらずいつの間にか手段が目的に変容してしまい、その主張を庇うために次から次へと新しい理論を必要とし、かえって権威の失墜を招いているのはなんとも皮肉な話だ。
借金を返すために更に借金を重ねるサラ金地獄を連想させる。
ちなみに現在のバチカンはこういう立場。
忘却からの帰還: バチカンの理系聖職者は語る「インテリジェントデザインは神を小さくする」と
他宗派がずるずる創造論を引きずる中でいち早く科学と神を切り離したのは賢明といえるだろう。
◆現代の進化論とID論
20世紀の科学の発達は生物の進化に関する山ほどの証拠を積み上げるにいたり、創造論は進化を認める方向に再度軌道修正を迫られることになる。
こうして生まれたのが下のフローチャートの(3)の立場。即ち生物の進化という現象は認めてもそれは神の計画であるとする立場である。
インテリジェントデザイン論という主張もこの(3)の立場から生まれた。
インテリジェントデザイン論を含めこの立場は自然淘汰を認めず、ヒトとサルの共通祖先を否定し、進化は超越者(神、デザイナー)のグランドデザインに従うものであるとする。
特徴としては(2)と非常に近い漸進創造説的な考え方だが、(2)とは違って部分的に進化を認めるという点に特徴がある。
現在の進化論は突然変異と自然淘汰・中立的変異によって進化が起こることを実験その他で実証済みである。
生物のゲノムに刻まれた突然変異と淘汰の痕跡は進化の道のりを辿るに十分であったし、
遺伝子の変異が形態の変異を起こすこと、種間のゲノムの差異が形態の差異をもたらす事が明らかになったため、実験室内で進化を再現することも可能となった。
しかし自然淘汰や中立的変異によって進化が起こると証明することと、地球の生命史において起こった進化が自然淘汰によるものであると証明することはイコールではない。
化石やゲノム比較による研究は自然淘汰・中立進化を強く示唆しているが、時代を遡るほど進化に関する情報は少なくなっていく。
特にカンブリア以前の情報は非常に少なく、そこで何が起こっていたかの詳細はいまだによく分かっていない。
そしてその間隙に滑り込もうとしているのがインテリジェントデザイン論である。
このような科学の未解明の隙間に潜り込もうとするトンデモ科学の論理を"God of the Gaps"論と呼ぶ。
"God of the Gaps"論とは一口に言えば「科学で未解明な■■は●●のせい」という論理である。
■■には科学の未解明領域の問題を、●●には神様でも宇宙人でも好きなものを入れればいい。
インテリジェントデザイン論の場合■■に「進化」を、●●に「デザイナー」を入れるわけである。
忘却からの帰還: インテリジェント・デザインは"God of the Gaps"ではないと言い訳するが
"God of the Gaps"論が科学になりえない理由は単純である。
なぜならそれは「■■が科学で未解明だ」という以上の事を言っておらず、
科学に必要な証拠に基づく証明が出来ていない。その代わりに好き勝手な理屈をこねくり回しているだけだからである。
例えばインテリジェントデザイン論者は
「▲▲はデザイナーの介入によって出来た」という主張はするが証明をしていない。
「▲▲がデザインによらずに出来たとは考えられない」という主張はするが、
やはり「デザインによらず自然に▲▲が生じることはありえない」という証明もしていない。
というかこれは事実上証明不可能な悪魔の証明で、
証明不可能な主張をしておいて科学だと言い張る時点で立派な擬似科学なんだが。
まあ向こうが悪魔の証明に挑戦すると言う無謀なことばかりするので、
▲▲があるという証拠一つ出せば済むから楽と言えば楽だ。
鞭毛然り、免疫然り、カンブリア爆発然り、彼等は"God of the Gaps"と見ると情勢もわきまえずすぐに飛びつく傾向がある。
彼等が飛びつくほど知られた生物学の課題であるという時点で、それは既に解決目前であったり実はもう解決されていたりするんだが、彼等はそれと気付かず自爆する。
それ以前の問題として、ID論者の大半がID論の根拠とされる論文すら知らなかったりするのだから始末におえない。
彼を知らず、己を知らずの状態で突撃して来るのは無知の無知だ。
・Evolution of the bacterial flagellum
・Evolving Immunity
◆ID論の系統的位置付け
一口に創造論と言っても、個々に見ていけばその主張は千差万別である。
ID論もまたそれは同様で、進化論を攻撃するために複数の主張が呉越同舟状態で集まっているのはいいが
互いに相容れない主張が同床異夢を見ており、その辺の軋みから来るドタバタは
「忘却からの帰還」のkumisit氏が詳しく取り上げている。
現在のID論者は大きく分けて三系統存在する。
その主張内容がそれぞれ異なるにもかかわらず皆インテリジェントデザイン論を名乗っているためややこしいが、
生じた順から言うと本来ID論と呼ばれるべき存在はインテリジェントデザイン論B、
すなわち生命の進化は認めるがそれはデザイナーのデザインに基づくものだ、自然淘汰は否定すると言う説である。
このインテリジェントデザイン論Bはさらに大きく分けて3つの系統的源流を持つ。
一つは打倒進化論と創造論の科学教育への取り込みを目指す福音派
二つ目は福音派とやや被る創造科学B、Cからの転向組
そして三つ目はキリスト教とは直接関係の無いニューサイエンスの流れを汲む神秘主義者。
もっともこの本流ID論にも共通祖先の否定というID論Aとしか思えない言説を行っているものもいる。
ID論Bの特徴として、ヒトと類人猿の共通祖先を否定する。小進化は認めても大進化は認めない。自然淘汰による進化を否定する。という3点が挙げられる。
忘却からの帰還: 共通祖先を肯定しようとしたが、やっぱり否定にもどった?Discovery Institute
忘却からの帰還: インテリジェントデザインと非共通祖先の分離を言ってみるDave Scot
二つ目のID論は、インテリジェントデザイン論が勢力を拡大し始めた頃にそのムーブメントに便乗して来た古い地球の創造論である。インテリジェントデザイン論Aは古い地球の創造論者がほぼそのまま移行したグループである。
このグループは生命の進化そのものを認めないのだが、進化論を攻撃するためにインテリジェントデザインを名乗っている。それ以外の主張はID論Bとほぼ同じである。
ID論への理論的貢献はあまり無く、言い方は悪いが主流派ID論のコバンザメである。
(余談だが若い地球の創造説は一応インテリジェントデザインと共闘姿勢を示しているがどうも相容れない仲の様で、時々衝突している。)
忘却からの帰還: インテリジェント・デザイン vs 若い地球の創造説
ID論ABはどちらもID論から宗教色を消すために躍起になっているが、今のところ大して成功していないようだ。
渡辺センセにしろDIの人にしろみんな墓穴掘りすぎ。
忘却からの帰還: Luskinは語る「インテリジェントデザインは神の議論ではない」と (1)
そして三つ目のインテリジェントデザイン論が、進化も自然淘汰も認めるのに何故かID論を名乗っているよく分からないグループ。
どうもID論の中身をよく理解していないままにID論のムーブメントに乗っかっている様に見える。
主張内容は海外で言うところの進化的創造論や有神論的進化論と実質的に変わらない。
ID論の本質を理解しているならばすぐさま手を切るべきだと思うのだが。
◆創造論とID論の分類フローチャート
創造論をその特徴に従って分類するためのフローチャートを以下に示す。
かろうじて科学と衝突しないのは(4)の立場のみであり、残りは皆科学とは相容れない立場にある。
(4)的な考えに基づくSFが2001年宇宙の旅やスタートレックだったりする。
聖書の記述を―→文字通り信じる―┬→創造科学A(若い地球の創造説)┬→フラット・アース派(地球は平らだ!)
│ (1) │ └→ジオ・セントリス派(地球は宇宙の中心だ!)
│ └→キリスト教原理主義派・キリスト教系カルト
│ (進化は元より科学そのものを否定する見解に立つ)
↓
抽象表現として捉える(地球が45億年前に生じたと考える)
│
↓
生命の進化という現象を―→認めない―┬→創造科学B(古い地球の創造説)
│ (2) ├→インテリジェントデザイン論A
│ 漸進的創造説 │(デザイナーの計画通りに生命は創造された)
↓ └→福音派・プロテスタント系諸派・キリスト教系カルト
認める
│
↓
自然淘汰による進化を―→認めない―┬→創造科学C(神が常に働いて現在の生物たちのように進化させた。)
│ (3) ├→進歩的創造論
│ │ (サルとヒトの共通祖先はいない。大進化や生命の誕生は神による)
│ ├→インテリジェントデザイン論B:主流派ID論
│ │ (サルとヒトの共通祖先はいない。大進化や生命の誕生はデザイナーによる)
↓ └→プロテスタント系諸派その他
認める(4)
↓
│
├→理神論・有神論的進化論(カソリック)
│ (進化は神が物理定数や自然法則を進化が起こるように定めたことによって起こった)
├→進化的創造論
│ (生命の進化も自然淘汰も認めるが、そこには神の意思の介在があった)
└→インテリジェントデザイン論C:非主流派ID論
(生命の進化も自然淘汰も認めるが、そこにはデザイナーの意思の介入が存在)
◆関連記事リンク
・インテリジェント・デザイン論(ID論)関連記事を振り返る
忘却からの帰還: 簡単にインテリジェントデザインを語ってみる
創造論 - Wikipedia
【疑似科学・ニセ科学・オカルト・トンデモの最新記事】
ID論の何たるかがやっと分かったような気がします。ご苦労様でした。ID論者との長い対話をまだ読んでいる途中ですが、これはいいガイドブックになりそうです。
けれど、自分の頭では理解するのが非常に難解です。
じっくり時間をかけて読んでいこうとおもいます。
ここは、貴方の土壌なので貴方の好きにしてください。
聖書の書かれた時代を考えてみれば、量子論だの、エントロピーなどという、分野が盛り込まれて書かれるわけがないでしょう。
神の存在や、その痕跡が科学的に証明できるというなら、神自体が科学の法則の中に収まる程度の存在存在という事になってしまい、「全てを超越した存在」ではなくなりますが・・・。
神の存在証明を問われ、「信じる心」と言い放てる者こそ、揺ぎ無い信仰を持つ本物のクリスチャンでしょう。
私がクリスチャンなら、「聖書の記述が科学的に矛盾するのは、神が信仰心を試されている」と、解釈しますけどね。
ある現象が科学的に証明されたとすれば、
条件さえ整えてやれば、誰でもその現象を再現できるはずである。
仮に、「イエスが水の上を歩いた」という奇蹟を科学的に証明できたとすると、
条件さえ同じにすれば、我々もイエスと同じく、水の上を歩けるはずである。
人が誰でも原理的には水上歩行が可能であれば、水上歩行は「奇蹟」でも何でもなくなってしまう。
「聖書の奇蹟は科学的に証明できる」と主張する人々は、
奇蹟をごくありきたりな物理・化学現象に還元しようとしているのである。
ただし、本人たちにはそのような自覚がなく、
奇蹟が科学的に証明されることで信仰が強められると信じているようである。
もともと、奇蹟とは人間の理解を超えた超常の業だったはずである。
「えーっと、こうやってこうやると、ほら水の上を歩けるでしょ?」となってしまえば、
奇蹟でも神秘でもなくなる。
しかし、そうすることが正しい信仰のあり方と信じて止まない人たちもいる。
また、「水上歩行は科学的には不可能」と指摘されると、信仰心を傷つけられたと憤る人たちもいる。
しかし、科学的に不可能なものは不可能と指摘するしかない。
それでも信ずるのは各人の自由である。信仰を否定しているのではなく、
「水上歩行は科学的に証明できる」という説を批判しているのであるが、
その区別がつかない人たちがいる。
「聖書は神の言葉」とするのはかまわないが、「聖書の一語一句は科学的にも正しい」とすれば、
擬似科学となり、科学者から批判を受けることになる。
擬似科学に対する批判を信仰に対する批判と同一視し、
「反キリストだ」とか「救われない」といった非難を、
擬似科学を批判する科学者に浴びせる人たちもいる。
生まれる理由なしに生まれたのでしょうか。
進化したのなら、なぜ進化したのでしょう?
進化する理由は何だったのでしょうか。
理由なしに、ただ進化してきたのでしょうか。
昔教科書に出ていた人間の胎児の挿絵ですが、
「魚の赤ちゃんなどに似せるために、本来ある部分を取り去って書いてある」と聞いたことがあります。本当でしょうか。
原始の海はメタンとかがいっぱいだったと子どものころ習いましたが、それは大いに違っていたことを最近科学の雑学読本で読みました。
原始の海の状態で、簡単にできるとされていたアミノ酸は、新しいデータの海でも簡単にできるのでしょうか。
そして、アミノ酸がどう刺激を受けると生命になるのでしょうか。最初の生命から、現在の生命になるまでの確立は、スクラップ置き場からピカピカのジャンボジェットができる確率だと聞きました。
そんな低い確率のものがなぜここまで来られたのか不思議です。
そして、単純なものから複雑なものへ、不完全なものから完全なものへと進んでいけるのなら、私たちもこれから完全なものに変わって行けるのでしょうか?
素人なのでよくわかってない状態で質問しています。
ごめんなさい。
>結局、生命が生まれた理由は何なんでしょう?
>生まれる理由なしに生まれたのでしょうか。
「地球に生命が生まれ得る条件が整っていたから」というのが科学の答えになりますかね。
もっともその「条件」の詳細については科学者の間でも意見が統一されていませんし、生命誕生の再現にもまだ成功していませんが。
参考にこれでもどうぞ。
生命の起源 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90
>進化したのなら、なぜ進化したのでしょう?
>進化する理由は何だったのでしょうか。
>理由なしに、ただ進化してきたのでしょうか。
生物のように不完全な自己複製系を持つものは必然的に進化しますよ。
まず進化とは何かを理解するところからはじめられると良いかと。
進化論 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AB%96
>昔教科書に出ていた人間の胎児の挿絵ですが、
>「魚の赤ちゃんなどに似せるために、本来ある部分を取り去って書いてある」と聞いたことがあります。本当でしょうか。
デタラメです。
どこでそのような事を聞いたのか知りませんが、医学標本の胎児やその写真を見たことはありませんか?
グロなので見るには覚悟と度胸も必要なため、リンクは張りませんが。
>原始の海はメタンとかがいっぱいだったと子どものころ習いましたが、それは大いに違っていたことを最近科学の雑学読本で読みました。
>原始の海の状態で、簡単にできるとされていたアミノ酸は、新しいデータの海でも簡単にできるのでしょうか。
アミノ酸にしろ核酸にしろ、宇宙空間にも存在するありふれた物質ですし、熱水噴出孔とかでは普通に生成されます。
日本財団図書館(電子図書館) 「海洋科学から見る水惑星の多角的視点にたつ基礎研究」研究報告書
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2000/00824/contents/084.htm
>海底熱水噴出孔の特徴を見てみると、第1の特徴は高温(200-350℃)、高圧(200-300気圧)の環境であることである。有機物を合成するにはエネルギーが必要である。熱水噴出孔からは大量の熱エネルギーが絶えず供給されている。冷海水が地殻の裂け目からしみ込んでマグマ溜りで急激に熱せられ、上昇し、冷海水の中に噴き出し、冷却される。高温で合成された有機物は直ちに冷却されるので、熱による分解をさけることができる。熱水噴出孔は一種の流動反応炉とみなすことができる。
>
>第2の特徴は還元的な環境であることである。熱水噴出孔からはメタン、水素、硫化水素、アンモニアなど多量の還元ガスが噴き出している。一般に有機物は酸化的ガス(二酸化炭素、窒素)からはできにくく、還元的ガス(メタン、アンモニア、水素)からはできやすい。だから、海底熱水噴出孔は有機物のできやすい環境といえる。
>
>そして、アミノ酸がどう刺激を受けると生命になるのでしょうか。最初の生命から、現在の生命になるまでの確立は、スクラップ置き場からピカピカのジャンボジェットができる確率だと聞きました。
>そんな低い確率のものがなぜここまで来られたのか不思議です。
その考えが間違っている事は以前別の方への説明でも行いました。
返事で書ききれるような分量ではないので、その記事を紹介させていただきます。
幻影随想: 進化のアルゴリズム
http://blackshadow.seesaa.net/article/4413334.html
>そして、単純なものから複雑なものへ、不完全なものから完全なものへと進んでいけるのなら、私たちもこれから完全なものに変わって行けるのでしょうか?
進化≠進歩です。
完全な生物など存在しないし、これからも現れませんよ。
ある環境に完全に適応しきるというのは、他の環境に適応できる余地が限りなく少なくなることを意味します。
こういう生物は環境が変化したときに生き残る事が出来ません。
過去に滅んだ多くの生物同様に。
>素人なのでよくわかってない状態で質問しています。
>ごめんなさい。
お気になさらず。
進化論についてwikiを読んだのですが、
「変わっていこう」と、生き物たちが考えていたのでしょうか?
偶然生まれたのなら、そのまま死んでしまってもよさそうに思えるのですが、
なぜ生きようとするのでしょうか。
なんで海から陸に上がろうと思いついたのかとか、
敵から身を守るためにトゲトゲを持っている貝などは
生まれた一番最初の先祖から長いトゲトゲだったのかな?とか不思議がいっぱいです。
本で有性生殖は、色んなパターンが生み出されるから、
生存確率が上がると書いてあったのを読みました。
一番最初の生命から、長いことかかったにしても、
どうやってそんなことを考えついたのか、不思議です。
また、ウイルスみたいな生物かどうかわからないものさえ、生き物の体内で増えようとしているのは、
なんででしょうか?
増えなくちゃいけない理由を持っているとしたら、
いったいいつから、どこに持ったのでしょうか。
私は死にたくないと思いますが、それはどうしてでしょうか?
機能的に停止するだけなら、なんでそれが怖いのか自分でも不思議です。
幼稚な質問だとは思うのですが、説明していただけたら嬉しいです。
>進化論についてwikiを読んだのですが、
>「変わっていこう」と、生き物たちが考えていたのでしょうか?
違います。
幻影随想: 進化のアルゴリズム
http://blackshadow.seesaa.net/article/4413334.html
の中でも言っていますが、生物進化は目的論的なものではありません。
ていうか生命はそうしようと考えて進化してきたわけではありません。
>偶然生まれたのなら、そのまま死んでしまってもよさそうに思えるのですが、
>なぜ生きようとするのでしょうか。
生きようとするから生きているわけではなく、生きやすい形質を持っているから生きています。
>なんで海から陸に上がろうと思いついたのかとか、
>敵から身を守るためにトゲトゲを持っている貝などは
>生まれた一番最初の先祖から長いトゲトゲだったのかな?とか不思議がいっぱいです。
>本で有性生殖は、色んなパターンが生み出されるから、
>生存確率が上がると書いてあったのを読みました。
>一番最初の生命から、長いことかかったにしても、
>どうやってそんなことを考えついたのか、不思議です。
自然に不思議を感じる感覚は重要なものだと思います。
幸い進化論関係では良書がたくさんあるので、それをお読みになってはいかがでしょう?
なお、有性生殖はそれこそ細菌にまでその起源が求められますが、「考えついた」のではなく「生じた」のです。物を擬人化して考える傾向は、科学思考にはマイナスなのでお気を付けください。
>また、ウイルスみたいな生物かどうかわからないものさえ、生き物の体内で増えようとしているのは、
>なんででしょうか?
>増えなくちゃいけない理由を持っているとしたら、
>いったいいつから、どこに持ったのでしょうか。
別に理由などありません。
単にそうでないものは生き残らないという単純な話です。
>私は死にたくないと思いますが、それはどうしてでしょうか?
>機能的に停止するだけなら、なんでそれが怖いのか自分でも不思議です。
>幼稚な質問だとは思うのですが、説明していただけたら嬉しいです。
死を恐れ忌避する形質は生存に寄与するという進化心理学的説明でよろしければ、その手の本を読めばいくらでも書いてあります。
ただ、この問題は多分に精神的な物なので、あなたがご自分で納得のいくまで答えを探してみるのがいいのではないかと思います。
物事に意味を見出すのは、考える葦である人の特権なのですから。