2004年12月19日

ブッシュ家の闇を知る人間は何故か変死するという話

少々危険でアメリカで大きな声で話す事は出来ない話がある。
ブッシュファミリーの闇に触れる話だ。
そこに踏み込む人間は、何故か自殺や事故死する例が後を断たない。


ブッシュ家の闇をのぞいたジャーナリストの末路
CIAとコカイン密売の関係を暴露したジャーナリストが「自殺」
1991年8月10日:BCCIスキャンダル、オクトーバー・サプライズ等(どちらもブッシュ父関連事件)、INSLAW社疑惑(クリントン)の調査報道で知られるジャーナリストのダニー・カサラロ氏(Danny
Casalaro)が、バージニア州マーティンズバーグのシェラトンホテルの浴槽で、死体として発見された。手首が10回ほど切られていることから、警察当局は自殺と断定。カサラロ氏はブッシュ父にまつわる最新暴露本「The
Octopus
」を執筆中であったが、自殺時に所有していたはずの調査資料、原稿は全て紛失していた
2000年3月22日:ニューヨーク・ブルックリン在住のアーティスト、マーク・ロンバルディ氏(Mark
Lombardi)が、自宅ロフトで首つり死体として発見されたロンバルディ氏(享年48)はブッシュ家とビン・ラディン家、サウジ王家、BCCI他の関わる複雑な資金ルートを詳細に調査し、グラフィックアート作品として発表、展覧会を開催して物議を醸した異色のアーティストであった。(作品は書籍「Mark
Lombardi: Global Networks
」として販売されている)
2001年7月18日:アーカンソー州スプリングデール郡のホテルの一室で、ジャーナリストのJ.H.
ハットフィールド
氏(J.H.
Hatfield)が死体として発見された。警察当局の検死により、2種類の薬物過剰投与による自殺と断定された。ハットフィールド氏(享年43)は当時大統領候補として注目を集めていたジョージ・W・ブッシュの経歴を綿密に調査し、1972年にブッシュがコカイン使用で逮捕されていた事実をつきとめ、1999年に「Fortunate
Son: George W. Bush and the Making of an American
President
」(初版1999年刊行)(邦訳は「幸運なる二世ジョージ・ブッシュの真実」(青山出版社/2001年4月刊行、現在絶版)として刊行、ベストセラーとなるが、すぐにブッシュ本人の圧力により出版社が同書を回収し大騒動となった。(ブッシュは自らのコカイン使用疑惑について、結局今日まで事実を明確に否定できないまま、ひたすら疑惑への言及を避けており、「Fortunate
Son」も出版元を変えて再刊されることになった)死亡直前、ハットフィールド氏はブッシュ家とビン・ラディン家のお金の流れを詳細にわたり調査中であったと見られている。(遺稿となった2001年7月3日の記事もそれを示している)

そして今月10日の、ゲイリー・ウェッブ氏の変死。
氏は80年代のCIAとニカラグアの麻薬組織コントラの癒着をスクープし、米国にコカインが蔓延したのはCIAがコントラの活動に目を瞑ったからだと指摘して全米を騒然とさせた。
ブッシュ父は元CIA長官で、80年代はレーガンの下で麻薬の撲滅運動の責任者を務めていた。
しかしその実態は…


無事で済まないのは何もジャーナリストだけに止まらない。
ブッシュ父の抱える疑惑の一つにオクトーバー・サプライズ疑惑というものがある。
ジョン・ケリー快進撃の秘密(3)ブッシュ、ハインツ、ケリーの奇妙な絆
1979年、イランのアメリカ大使館がイラン人学生に占拠され、大使館員70名が人質になる事件が起こった。
このとき、時の大統領カーターはデルタフォースを投入して武力解決を図ったが失敗。
これが次の選挙に大きく響き、レーガンを勝たしめたと言われているのだが、
この在イラン米大使館人質事件当時に、CIA長官退任後、ロナルド・レーガン政権の副大統領へ転身を企むジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)とレーガンの選挙チーム責任者ウイリアム・ケイシー(後のCIA長官)は、1980年10月18/19日にパリで密かにイラン政府関係者と会談し、ホメイニ氏他イラン政府関係者に賄賂と武器供給を約束し、人質解放時期をレーガン大統領就任時まで延長するように交渉したという疑惑がある。この交渉の目的は、カーター大統領の在任中(1977?1981)に人質事件を解決させないことで彼の人気を落とし、レーガン大統領就任時に人質解放を実現することで「強いレーガン大統領」を演出することであった。

ブッシュ父が関わった、レーガン政権の2つの疑惑を総称してイラン・コントラ事件と呼ぶ。

ウイリアム・ケイシーはイラン・コントラ事件の証人として喚問を受ける直前、脳腫瘍で病死。('87年)
密かにパリにとんだブッシュ父に同伴しており、後にレーガン大統領の命にって大統領審議委員会を主催、イラン・コントラ事件を正式に米国政府内スキャンダルと認定したジョン・ハインツ三世は小型飛行機の事故で死亡。('91年)
イラン・コントラ事件を含めたCIAの違法活動の調査のために大統領特別検討委員長に指名されたジョン・タワー議員もまた小型飛行機の事故で死亡。ジョン・ハインツ三世死亡のわずか一日後だった。

さて、やはりジョンという名前を持ち、この疑惑に関わりながらも現在も生存している人物が一人いる。
ブッシュジュニアと大統領選を争ったジョン・ケリーだ。
彼は86年当時、後にイラン・コントラ事件、BCCIスキャンダルの調査に発展する小委員会を主催しており、さらにはジョン・ハインツの未亡人とも結婚している。
なかなか興味深い事実だ。

今回の大統領選の裏では、アメリカの抱えた闇が白日の元に晒されるか否かの戦いが繰り広げられていたということだろうか?
ブッシュ陣営としては絶対に負けられない戦いだったろうな。
万一負けていたらJFKの時と同様になっていたか?


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posted by 黒影 at 19:29 | Comment(1) | TrackBack(0) | 時事問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
  1. ブッシュは元CIA長官というよりは、元CIA職員で、1961年のキューバ、ピッグズ湾侵攻作戦に関与した人物です。そのCIAオペレーションコードはサパタ(ブッシュのサパタ商会)侵攻した2隻の艦船はバーバラ(ブッシュの妻の名)号
    ヒューストン(サパタ商会の所在地)号です。この作戦はJFKが空軍の支援をしなかったためなどにより失敗し、あげく、ダレスCIA長官も首にされました。ことことで、ブッシュはJFKの殺害をサパタ作戦の連中を使い、実行した。
  2. Posted by at 2006年04月04日 10:40
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