遺伝子組み換え作物と知的所有権(生産者を 支配するもの)。 - hituziのブログじゃがー
遺伝子組み換え作物、知的所有権、そして農薬。 - hituziのブログじゃがー
に対する反応です。
このエントリだけ見ても理解できるようにはなっていますが、まずは上記のエントリに目を通すことをお勧めします。
まず最初に取り上げるのは、ヴァンダナ・シヴァのトンデモ発言について。
反遺伝子組み換えグループがこの暴言をまるで英雄的行為のごとく称えているんですが、ヴァンダナ・シヴァの発言内容も、それをもてはやす側の視野の狭さも、はっきり言って反吐が出そうなくらいひどいものです。
このエントリでは、彼女らの発言の何がおかしいかについて取り上げます。
まずは問題の発言内容を見てもらいます。
辻信一(つじ・しんいち)さんとの共著の『そろそろスローフード』で、島村奈津(しまむら・なつ)さんは、「遺伝子組み換えは食べものの世界においてはあり得ない」と いっています。その理由は、つぎのとおりです。ビタミン含有率が高い遺伝子組み換えのゴールデンライスの開発に対して、イギリスのビタミン不足の子どもたちのために開発しているのになぜ反対かと、ヴァンダナ・シヴァさんが責められた。答えは、「そんなものはいらない。リンゴひとつ食べればビタミンは補えるもの」。バランス良く食べれば、そんなものはつくる必要がないし、ほんとうに栄養不足の子どもたちの役にたつわけでもない。そして、ゴールデンライスみたいな画一的な圃場(ほじょう)をつくるためになぎ倒された、たくさんの薬草でビタミンを補給していたインドの子どもたちが、年間4000人失明していると反論していました。もうひとつは、バスマティライスに象徴される特許の話があります。何百年もかけてそこの風土に合う品種を農家の人たちが選抜してきたものと本質的に違うのは、スピードと暴力性。アメリカの大企業が特許をとって、インドの農家がバスマティライスという名前で売れないという状況をつくってしまうというのは、あり得ないと思うんです。
◆ゴールデンライスとは何か?
まずゴールデンライスというものがそもそも何のために作られたかを知るための説明を少し書きます。
ゴールデンライスとは、遺伝子組み換え技術を用いてビタミンAの前駆体であるβカロチン含有量を大幅に高めた米の新品種で、βカロチン色素のため名前のとおり金色をしています。
ビタミンが人間の生存のために必要不可欠な栄養素であることは説明をするまでも無いことでしょう。
人類はその進化の過程の中でさまざまなビタミンの合成能力を失ってきており、そのため食事によってそれらを補給しないと健康障害を起こしたり、死亡したりします。
たとえばビタミンAについて見ると、WHOの統計によれば、現在世界人口のうち1億人が慢性的なビタミンA欠乏状態にあり、毎年数百万の子供がビタミンA不足のために失明したり、死亡したりしています。
このようなビタミン欠乏状態にある者は、その大半が貧困層、すなわち日々の糧を得るだけで精一杯で、栄養まで気を使う余裕が無い者です。
そういった、満足な栄養補給も出来ない極貧層が、大きな負担を強いられることなく最低限のカロリーを補給するついでにビタミンAを摂取する事が出来るようにしようというのが、このプロジェクトの趣旨です。
そしてなぜ米なのかの理由ですが、米はカロチンをほとんど含まないため、ビタミンA欠乏症は米を主食としているアジア一帯で特に蔓延しているからです。
希望の米、ゴールデンライス
グリーンピースはGolden Riceを“間抜けのGold”と呼ぶが、何百万の命を救うと信じている栄養学者は多い。この米はベータカロチンを組み込んだものだが、GM論争の中でイデオロギーという潰れかねない大荷物を背負わされるはめになった。この小さな米粒は最も貧しい人々のためのものだ。
基本的事実を争うものはいない。世界で1億人以上の子供がビタミンA欠乏の影響を受けている。その結果、毎年200万の子供達が死に50万の子供が失明している。この子供達は、途上国の最も貧しい家庭に生まれて、先進国では当たり前になっているバランスの取れた食事が、全くないか摂れてもわずかだ。例えば、アジアの貧しい家族は米を主食としている。赤ん坊はお粥で離乳する。米にはビタミンAの元になるベータカロチンがない。葉や茎には一杯あるが、どの伝統品種にも米粒の内乳核にはない。(玄米にはわずかのベータカロチンがある。)
第42回 ゴールデンライスの教訓
確かに、2000年の段階では、グリーンピースの言い分も理解できるものだった。その当時のゴールデンライスは、g当たり1.6μgのβカロテンしか含まなかったので、2歳の子供でも必要量を補うには3kgも食べなければならない。これでは、ビタミン補給などできないというのが彼等の主張であった。皆さんは、どう思われるだろうか。実は、ビタミンAをすべて米から摂取するわけではなく、たとえ必要量の半分でも摂取できれば、栄養失調を抑えることができるではないか、というのが発明者の理論である。どうも、これも正しいように思える。
しかし科学の進展はすばらしく、新種のゴールデンライスが作られた。このイネは通常のイネの23倍ものβカロテンを含んでいるのである。これを使えば、少量の摂取で栄養不足を補うことができる。これを使えばいいじゃないか、と普通の人は考えるが、行きがかり上、反対派は「遺伝子改変食物反対」を止めるわけには行かないのである。そのためゴールデンライスも、実際はほとんど作られていないのだ。不安だ不安だというのが最近の流行になっているが、ただ反対したために助かるべき人は助からないという現状の責任は、誰がとるのだろうか。
さて、それでは以上を踏まえてヴァンダナ・シヴァ周辺の発言を振り返ってみましょう。
◆「ビタミンAがなければ、リンゴを食べればいいじゃない」byヴァンダナ・シヴァ
まずは多くのバイオ研究者や健康問題に取り組む者達をぶち切れさせたこの暴言について。
「そんなものはいらない。リンゴひとつ食べればビタミンは補えるもの」
この暴言は単に無知の表れであるだけに留まらず、彼女らの主張の根幹的な問題を内包しています。
問題は大きく三つのレイヤーに分かれるので、一つずつ解説していきます。
1.リンゴでビタミンAは補給できない。
まず一つ目の問題点。
リンゴは栄養豊富な果物であるが、ビタミンCは含んでいてもベータカロチンは含みません。
当然いくらリンゴを食べたところで、ビタミンAの欠乏は解消されません。
もっとも、この間違いについてはさほど大きな問題ではありません。
彼女自身「ビタミンA豊富な薬草を食べさせればいい」という発言も行っているため、少なくともゴールデンライスがビタミンA欠乏に対する処方箋であることは理解しているのでしょう。
問題は、彼女の出す対案が、まるでビタミンA欠乏の対処策として役に立たないことです。
たとえリンゴがニンジンに変わったところで、問題は何も変わらないのです。
2.貧困層は主食を手に入れるだけでも精一杯
食について恵まれた環境にある人間には、彼女の発言の問題点はかえって理解しにくいかもしれませんが、彼女の発言の問題点は、単に「リンゴでビタミンAの補給が出来るか阿呆」という話には留まりません。
バランス良く食べれば、そんなものはつくる必要がないし、ほんとうに栄養不足の子どもたちの役にたつわけでもない。そして、ゴールデンライスみたいな画一的な圃場(ほじょう)をつくるためになぎ倒された、たくさんの薬草でビタミンを補給していたインドの子どもたちが、年間4000人失明していると反論していました。
文中にはこうあるのですが、そもそもバランス良く食べられる環境下にあればビタミンA欠乏など起こらないのです。
最大の問題は、彼らに肉類、乳製品やニンジン、トマトなどビタミンAの補給源を購入するだけの経済的余裕が無いことです。
そして農村部ならまだしも、ビタミン欠乏の最大の病巣である都市部の貧困層にとっては、道端の薬草を摘んで食事に添えるという選択肢すらないのです。
野菜や肉類からビタミンを摂取するだけの余裕を持たない層に対し、バランスの良い食事を取ればいいとか、あぜ道の薬草を摘めばいいなどと発言するのは、現状に対する理解をまるで欠いている発言であり、その日の糧に事欠く人間に対し「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言うのと何ら変わりありません。
そして、これが一番重要なのですが、ゴールデンライスの特許は無償公開されています。
最低限のカロリーを摂取するだけで精一杯な層が、それ以上の負担を強いられることなくビタミンAを補給するためのゴールデンライスである以上、これは当然の話です。
度重なるいちゃもん付けの結果、その実用化の日程はずれにずれていますが。
「遺伝子組み換え=企業による支配の道具」という短絡思考に走って、GMと聞けば何でも反対すればいいと勘違いしている人間が多くて研究者は頭を抱えています。実際には小規模農家向け、第三世界向けのGMを研究している研究者も大勢いるのにもかかわらず。
GM反対論者達は、何でもかんでも反対することで、結果的に自分達が守っているつもりの第三世界の貧農・貧困層の首を締めています。
GMO情報:ビタミンA強化米 ゴールデンライスの開発阻害要因 (情報:農業と環境 No.88 2007.8)
ゴールデンライスの開発者の一人である Potrykus 博士(元スイス連邦植物工学研究所)は、本年(2007年)5月、イギリスの非営利団体 “CropGen” のホームページで、「ゴールデンライスの実用化が遅れている最大の原因は資金不足ではなく、科学的根拠に基づかない過度な予防原則による規制が強すぎるため」と述べている。これは2007年9月に発行される世界銀行の 「世界開発レポート2008」 に記されたゴールデンライス開発が遅れている理由に対して、博士の見解を示したものである。「我々は途上国の貧困層のビタミンA欠乏症を解消するため、国際共同プロジェクトを設立して、農民にゴールデンライスを無償で配布することをめざしている。貧困層に利益のある形質を持った組換え作物の研究が少ないのは事実だが、途上国や西側先進国の研究所には、貧困層向けの作物の開発に強い意欲を持った研究者は大勢いる。民間企業にこのような研究を期待するのは間違っている。」
「過去25年間の組換え作物の安全性に関する研究や審査において、組換え技術そのものに由来する特有なリスクがないことは多くの科学的知見から証明されている。もし、反論する人がいるとすれば、その人は科学文献を読んでいないか、嘘をついているのだろう。しかし、(科学的ではなく) 心理的な点からのリスク認識が存在することは認める。」
「国レベルの安全性審査体制が十分に整備されていないことが、研究・開発の遅れの主な原因ではない。審査する行政当局は体制が整っていないからではなく、『過度な予防的規制』 原則のために審査が遅れている。行政関係者は間違いを犯すことを恐れており、このため反対派から批判されるよりも決定を先延ばしにしたほうが良いという心理状態に陥っているのだ。」
「開発が遅れている最大の理由は世界中に定着した 『過度の予防的規制』 システムである。途上国向けの非組換え作物の開発と比べて、ゴールデンライスでは安全性審査のために約2000万ドルの経費と10年間の歳月を費やさなければならない。安全性や機能性検証のためのデータ取り研究を公的機関で10年間も行う余裕はなく、新規性のある研究ではないので、論文として発表できる機会も少ない。イデオロギーや心理的要因によるものではなく、科学的根拠に基づいた規制要件に変わらない限り、研究・開発の遅れは解消しないだろう。」
認可の遅れによって生じたコストと命の損失に対する責任は、果たして誰がとるのでしょう?
3.仮に遺伝子組み換え作物を追放したところで、状況は何も変わらない
最初に引用した記述の根本的に思い違いをしている最後の点は、「遺伝子組み換えは食べものの世界においてはあり得ない」理由として、「スピードと暴力性」なんて挙げている点。
仮に遺伝子組み換え作物を追放したとして、状況は何か変わるでしょうか?
答えは否です。
遺伝子組み換え技術は、あくまでも品種改良の技術の一つに過ぎません。
他の手法に比べ圧倒的にコストパフォーマンスに優れた技術ではありますが、遺伝子組み換えでできることは、基本的に従来技術でも可能です。ただ、かかるコストが比較にならないくらい違うというだけで。
◆遺伝子組み換えからゲノム育種へ
これは微生物屋には有名な話なのですが、ミツカングループが「におわなっとう」という製品を出していることをご存知でしょうか?
納豆 金のつぶ におわなっとう 3P|ミツカングループウェブサイト
この製品は10年ほど前に売り出された製品で、「納豆特有のにおい」が従来製品に比べ格段に抑えられており、現在までに十億食を売りあげる大ヒットとなりました。そのため他のメーカーもこぞって臭わない納豆の開発に向かったことで有名ですが、この製品の開発の影で遺伝子組み換え技術が使われていたことを知るものはそれほど多くありません。
この製品では、当初遺伝子組換えによって臭いの少ない菌を育種していたのですが、遺伝子組換え技術に対する世間の反発を懸念して、わざわざ自然界から20000株の納豆菌をスクリーニングしなおして、その中から臭いの少ないものを選抜、育種して使っています。
遺伝子組換えの株とスクリーニングしなおした株は、同じ遺伝変異を持っており、どちらを使おうと製品の品質に違いはありません。遺伝子組換えという技術に対して消費者の反発が存在するため、わざわざ二度手間をかけたという、バイオ者にとってはあまり笑えない笑い話です。
後続の企業がやったことも似たようなものです。同じようにスクリーニングを行って別の菌を探したり、あるいはどの遺伝子がどう変われば目的の形質になるかは既に分かっていたので、その形質(変異)を持つ菌の育種を行ったり。
たとえ遺伝子組換え菌そのものを使うことができなくても、あらかじめ完成形が見えていればその方向に向けて育種するのはさほど難しいことではありません。
さて、ここまで前置き。
現在モンサントのような多国籍アグリビジネスもまた、同様の方向にシフトしつつあり、研究の主軸を遺伝子組み換え作物から、従来の品種改良技術の延長線上にある新たな育種技術に移していっています。
その技術は、ゲノム育種と呼ばれています。
環境・エネルギー・食料問題の解決に貢献するゲノム育種 1 - 科学技術政策 -
品種改良や育種というのは、一種のばくちです。
その成功は運に左右される部分が大きく、世間では緑の革命やF1品種のような成功例にばかり注目が集まるのですが、その影には何十倍もの失敗例の山が積み重なっています。
リターンは大きいがリスクもまた大きく、おいそれと誰もが手を出せるものではありませんでした。
遺伝子組み換え技術はその点、狙った目をある程度自由に出すことが可能というまさに反則のような技術革新だったわけですが、その分世間の反発も大きく事実上使用不能になってしまいました。
そこで次に発達してきたのが、遺伝子の変異のサイコロを振るのは運に任せて、ベットする前に出た目を覗き見るチート、ゲノム育種です。
ゲノム情報の蓄積によって、コスト面はともかく、品種改良の速度は従来とは比較にならない程早くなりました。
従来の品種改良では、見た目に分かる表現型の変化を元にした育種しか出来なかったのですが、ゲノム育種では表現型によらず一塩基レベルから遺伝子の変化を把握できます。
これがどういうことかというと、一塩基ずつ偶然任せの変異を積み重ねることで、いくらでも任意の遺伝子を作り上げることが可能になるということです。
仮に特定塩基の変異率100万分の1という条件で、300塩基100アミノ酸の新規遺伝子を導入したいと思ったら、従来だと10の1800乗分の1というありえない確率をクリアしなければなりませんでした。
しかしゲノム育種の技術を使い一塩基ずつ変異を積み重ねるのであれば、100万分の1の賭けを300回繰り返すだけで済みます。
例えば1億粒の種を蒔いて目的の変異を持つ株のみを選抜するというルーチンを繰り返せば、コストを負担する覚悟さえあれば任意の遺伝子を好きなように育種できるようになります。
それがたとえ那由他の彼方でも、もはやバイオ技術者には十分に過ぎるのです。
問題は、従来技術ほどではないにせよ、このゲノム育種もやはり資本力がものを言う世界だということ。
そして遺伝子組換えと違いあくまで従来の育種技術を用いているため、何ら規制に縛られないということ。
先頭を突っ走っている会社は優に数年分の技術格差を開いているので、多分このまま行くと独走態勢になります。
そして仮にこの技術を規制で縛ろうとした場合も、従来技術もまとめて縛らざるを得ず、新品種の登録に高い壁がそびえ立つことになってそれだけで零細メーカーは立ち往生します。
どちらに転んでも、現状かなり詰みに近い局面です。
#変異率(サイコロが振られる回数)は従来技術でも様々なコントロール手段があるし、変異の順はどこからでも変異した順に固定していけばよい点、コドンやアミノ酸配列の冗長性による可変性などのため、現実には数百桁は難易度が下がります。面倒なのでいちいち計算はしませんが。
◆誰が殺した遺伝子組み換え技術?
遺伝子組み換え技術が登場した当初、この技術は「夢の技術」であるかのように言われていましたが、その最大の理由は、遺伝子組み換え技術が品種改良のコストを劇的に下げることが出来るからでした。
品種改良には膨大なコストが掛かります。
専門の機関で大量の人員を投入し、10年近い年月と膨大なコストをかけて開発するなんていうこともざらです。
遺伝子組み換え技術はそこに革命を起こし、大学の研究室レベルで容易に新品種を作り出すことを可能としました。
モンサントやシンジェンタといった企業はいち早くその有用性に気付き商業化することに成功しましたが、本来この技術の有用性は、資本力の無い零細種苗メーカーや、大学研究室などの規模の小さな研究機関に対する福音となるはずでした。
資本力に縛られることなく純粋にアイデアだけで勝負が出来るのであれば、彼らが新品種の作出というフィールドで大企業と互角に渡り合えるからです。
事実、90年代ごろには、そうやって作出された新品種がそれなりの数存在しており、モンサントらの成功に続くはずでした。
全部予防的原則の壁と世間の逆風に遮られて消え去ってしまいましたが。
現在従来技術で作られた品種には存在しないにも関わらず、遺伝子組み換え品種にのみ存在する安全証明義務と、うなぎのぼりなそのためのコストは、大資本のみを利しており、零細メーカーや小規模研究機関に対する容易ならざる参入障壁となっています。
ゴールデンライスのように一品種の認可に何十億円も掛かる現状では、投資回収のあてがある大企業以外はどこもおいそれと手は出せません。
新品種の作出までは零細でも可能ですが、その後の認可は資本力のあるところにしか越えられないのです。
そして例え認可を越えた所で、待ち受けているのは世間のGM反対の声と不買運動です。
ここ10年で、幾多もの研究者、零細メーカーがGM作物のみならず、作物の品種改良そのものから手を引きました。
資本力のあるところは、たとえ遺伝子組換えを使えずとも上記のゲノム育種のような代替手段が存在するため技術革新の速度は鈍りませんが、資本力の無いところはそうではないため、もはや競争力を失ったのです。
GM反対論者達が不必要なまでに高くした二重の障壁ですが、彼らには自分達がモンサントのライバルをわざわざ排除してやり支配の体制を整えてやっているのだという自覚はありません。
遺伝子組み換え技術が支配の道具?そうさせたのは他ならない自分達だというのに。
GM反対者達は、遺伝子組み換え技術を社会的に抹殺することには成功しましたが、それは結果的に小規模種苗会社や貧農の首を締め、種苗の一極支配の道を開いたのです。
◆彼らが取るべきだった戦略
GMO反対者達の不幸は、彼らに大局を見て戦略を描ける人材がいなかったことです。
根本的な問題が
1.小規模農家、貧農が有効活用できる作物品種が存在しないこと。
2.コスト、品質の両面で大量栽培向きの新品種と大規模農家に押されてどうしようもなくなっていること。
であるにもかかわらず、たかが新品種を作る技術の一つを封じたところで、状況は何も変わりません。
むしろ、上に書いたように状況は悪化しています。
在来種の見直し?
品質、コストの両面で敗れたものを再び引っ張り出しても過去と同じことの繰り返しです。
id:hituzinosanpoの記事に決定的に欠けているのは、ビジネスの視点です。
自給農、すなわち生産物が市場の競争にさらされる心配をする必要の無い立場、採れたものを自分で食べるだけならば、生産性や品質にさほど気を使う必要はありません。
しかし採れたものを売ろうと考えるのであれば、そうは行きません。
買い手はいくつもの選択肢から、もっともよいものを選択できるからです。
なぜ在来種が廃れたか?
答えはいくつか存在しますが、決定的な要因になったのは、「品質、コスト面で新品種との競争に負けたこと」です。
つまり新品種よりも品質(or/and)値段(コスト)で劣ったために売れなくなり、売れないがために作られなくなった。
農業もビジネスである以上、売れないものを作らなくなるのは当然の流れです。
GM反対運動を行っている者たちが本当に行うべきだったことは、
小規模農家や、有機農家、資本力の無い貧農でも作ることの出来る、彼らのニーズに合った商品価値のある作物を開発することでした。
そこに存在する競争を否定し、技術革新がもたらす新品種の圧倒的なアドバンテージから目を逸らしたところで、待っているのは緩慢な死のみです。
もっとも、彼らが無意味な反対運動にばかりかまけていたせいで、現状では技術格差は開くばかりですが。
上に引用したように、こういった方面に関心を持つ研究者というのは、多数派でこそないものの決して少なくありません。
反対運動にかける熱意の10分の1でもこちらにまわしていれば、現状は少しは違ったはずです。
本気で一部の企業による種子の支配を許さないというのであれば、とるべき道は3つあります。
一つ、完全な自給自足体制のコミュニティをつくり、外で何を栽培していようが無関係な閉じた経済圏を作り出すこと。
生活レベルを犠牲にすることにはなりますが、技術競争からは逃れることが可能です。
二つ、品質やコストでは測れないプレミアを付加すること。もしくは、品質の一点突破を狙うこと。
前者は今現在スローフード運動や地産地消運動がやっていることです。
品質、コスト面で土俵に上がれない場合は決して主流にはなりえませんが、一定の支持を得ることは可能でしょう。
後者は、日本の果樹栽培の成功の理由です。コスト面で見た場合、日本の果物は高すぎて海外製品にかないませんが、品質を突き詰めることで、高級品として海外に輸出されるまでになっています。大量生産品とコストで勝負して勝てるわけが無いので、品質の一点突破を狙うのは、小規模農家の必然の戦略となります。
三つ、モンサントのような多国籍アグリビジネスに対抗できるだけの研究開発能力を持つ、非営利の育種専門の機関・組織を設立もしくは援助し、大量栽培志向とは異なる方向性の作物の開発を行うこと。
その地域にあわせて特化し、なおかつ品質、コスト面で競争力を持つ品種を作り出すことができるならば、そもそもGMだ企業の支配だなどと騒ぐ必要も無いのです。そしてこういった行動を企業に求めるのは間違っています。このマーケットは相対的に小さいので彼らの投資の対象にはなりにくいですから。
日本を含めて先進国は必ず、国家の育種機関を持っており、こうした活動を行っています。それは農産物が戦略物資でもあるからです。反対のための反対でなく本気で企業による独占を阻止したいと言うのであれば、この選択肢が出てこないというのはありえないはずです。
私のお勧めは3つ目です。
すくなくとも、あと10年経てばゲノム育種による新品種が台頭し、反遺伝子組換えという立ち位置は反多国籍アグリのスタンスとしては無意味なものと化します。
そのとき彼らはどうするのか?
F1品種を否定し、緑の革命を否定し、遺伝子組換え技術を否定し、そしてまた新たな技術を否定するのでは何の進歩もありません。
それは単に技術の進歩から目を逸らしているだけです。
いい加減、彼らは技術を自分のものとして取り込み利用することを覚えるべきでしょう。
なお、2番目と3番目の選択肢は別に矛盾するものではないので、並立も可能なはずです。
そりゃねぇ、金持ってればバランスとれたメシが喰えるよ
金がなけりゃとにかく胃袋にブチ込むしかない
安いものを適当に喰うから栄養バランスがめちゃくちゃになって
どんどんデブになっていく
金持ちは貧乏人の苦労が見えないんだよね
いや、見たくないだけか?
ゲノム育種でできることって、一般的にはAという品種にBという品種のCという遺伝子だけを移すとか、Aという品種の狙った遺伝子だけをなくすとか、そういうことじゃないんでしょうか。
そりゃ一塩基ずつ変異させていけば任意の遺伝子を組み込めるかもしれませんが、さすがに手間がかかりすぎてそこまでは誰もやってないのでは?
すでに誰かがやっていればすいません。
結局のところ、国内で自由に使える品種ごとに、品種固有の遺伝子多型を見つけ出して、その多型の効果共々データベース化して、日本語化できれば色々と貢献できるのかなと考えた時期が私にも有りました。
結局、博士課程の就職状況のヤバさに気づいて就職に切り替えましたが…。
私は農家出身ですが、遺伝子組み換え作物、結構じゃないかと前から思ってました。科学オタクの立花隆氏も全然気にしないと発言してますね。
昔、稲作はホリドールという猛毒の農薬を使い、散布後2週間は人が近づかないよう赤い旗を水田に立てる事が義務付けられてました。散布した農夫が中毒事故になったり怖かった記憶があります。子供の頃はその水田脇のあぜ道を通る時は、息をせず駆け抜けたものです。
しっかし、何処の分野でもこういうカルト的輩が居て社会の進歩を阻害してますねえ。
本人は大真面目で狂信的に信じてるから始末が悪い。
反捕鯨団体・日本の野生動物保護団体などにも同じように自分勝手な精神構造を感じます。猿害が過疎地方の農業を疲弊させてる事に動物愛護団体は全く無視ですから腹がたちます。鯨は早く間引きして適性数にしないと漁業資源が痩せてしまうのに。
脱線してすみません。
風媒花であるイネを使う事は、あまり好ましい事のように思えません。
ここからはオカルトになりますが、インドに問題を隠した稲を植えれば、後の世に深刻な食糧危機と引き換えに米食民族全体が小麦主食に切り替えるビッグビジネスを遺せるかもしれません。
私自身は、遺伝子組み換え食品というのは美味しいのかどうか、という点が気になります。
>>6 の方
> 風媒花であるイネを使う事は、あまり好ましい事のように思えません。
具体的にどんなリスクがあるとお考えなのでしょうか?
# 花粉症?
遺伝子組み換えによる作物が、長期的にどんな害があるか分からないという批判は本当に正しいか疑うべきです。
遺伝子組み換えとは、「いままで運に頼るしかなかった品種改良を、自分で操作できるようにしよう」という技術にすぎません。
つまり、既存の品種改良技術で作られた作物でも、長期的に何か害があるかもしれない確率は、遺伝子組み換えによる作物と
なんら変わらないということです。
イネの品種改良はよくて、イネの遺伝子組み換えがダメな理由があるでしょうか?
たとえ味が違うとしても、普通の米にβカロテンがたっぷり入った味がするだけじゃない?
やろうと思えばいろいろ食味を変えた米も作れるだろうが、
今回はビタミンAの補給が目的だからそれ以外をいじってはいけないだろう
変にいじって激マズだったら確実に食糧として使ってもらえない
「長期的な影響」って便利な言葉だ
後の世代に責任を擦りつけることで自分の判断を回避することができる
長年安全だと思って食べていたのに実は毒性アリ、
なんて事例があるのにいちいちそんなことを気にしてはいられないと思うがね
遺伝し組み換えNo!、農薬No!などとのんびりなことをやりながら激増し続ける人口を支えていけるのか?
「長期的な影響を考えると食に困るような輩は淘汰されるべき」と考えている連中もいそうだな
今後食の問題でも「無過失責任」というクレーマーにとってはこの上なく都合のいい考え方がこれから先広がっていくような気がしますね。
医療崩壊と同じように、世界的な食の崩壊が待っているように思えます。彼らの大企業への僻みと科学への無知によって得られる、
無駄な負のエネルギーと行動力によって。
理想論を語る人間のやることは生産性を下げたり、仕事の遣り甲斐を奪う事ばかりです。少しは建設的な思考回路を身に付けて欲しいですね。
組み換えうんぬんの話ではなく、リスク管理の考え方の差を問題としている話ではないでしょうか。
リスクを認識できない事と、リスクが無い事は同一ではないでしょう。
リスクについての考え方は、このサイトで紹介された他ページや本にもイロイロと書かれていると思われます。
「長期的な影響」「人道的」どちらも便利な言葉であると同時に、危険な言葉でもあります。
組み換えうんぬんの話ではなく、リスク管理の考え方の差を問題としている話ではないでしょうか。
リスクを認識できない事と、リスクが無い事は同一ではないでしょう。
リスクについての考え方は、このサイトで紹介された他ページや本にもイロイロと書かれていると思われます。
「長期的な影響」「人道的」どちらも便利な言葉であると同時に、危険な言葉でもあります。
投稿エラーになったのでトライ&エラーを繰り返しながら投稿したところ、先の投稿も有効なものとして登録されておりました。
申し訳ありません。
として有名なものを。
ある病気のワクチンが開発され接種が行われていたが、後年になって発ガン性のあるウィルスが発見され、ワクチンへの混入が確認された。
→有害なウィルスが混入されていないものに切り替えられ、新しい安全基準に改められた。
ある薬の有効成分が、化学式は同じでもその構造がまるで鏡に映したかのように左右対称の2種類が存在し、片方は有用であるがもう片方は有害である事が判明した。
→鏡像を含む薬は使用しない事となった。後に有効構造のみを作り出す技術が確立された。
人類は失敗を糧に更なる前進をすることができる。しかし、時には進歩の代償があまりにも大きい事もある。
耳と目を閉じ口を噤んで孤独に暮らしてみては?
ってか話がずれているんだけど。品種改良と遺伝子組み換えについて、どう考えているのよ?
>>15
それで、具体的に風媒花であるイネにどんなリスクがあるとお考えですか?
# そこが知りたいわけなんですよ私としては。
# パッと思いついたのは 「風媒花…風で花粉を媒介…花粉症?」 ですが、この発想はナンセンスですし。
リスク管理の考え方の問題という点については仰るとおりかもしれません。
『人類は失敗を糧に更なる前進をすることができる。しかし、時には進歩の代償があまりにも大きい事もある。』
こうした考え方が過剰な警戒心を生み、進歩の阻害要因(のひとつ)となるのでしょうね。
ところで、昨年 4 月より、フィリピンにおいて、ゴールデンライスの実地試験が行われているそうです。
早ければ 2011 年にも農家の方がゴールデンライスを栽培可能になる見通しだそうで、成果が期待されます。
Golden Rice: First field tests in the Philippines
http://www.gmo-compass.org/eng/news/358.docu.html
現代文明に寄生しながら現代文明を破壊する寄生虫です。
アメリカを非難しつつ、アメリカのSUVでテクニカル造ったり爆弾テロしたり、金に物言わせて健康な生活を送りつつ、「ビタミンAがなければ、リンゴを食べればいいじゃない」とほざいたり捕鯨船に体当たりしたり。
>12
>「長期的な影響」「人道的」
まさに悪魔の言葉ですね。トピとはズレますが、「民主主義」や「平等」等も同じく悪魔的に思えてきます。
いっそのことこれらを無視した世界の方がよっぽど人道的で文明的な生活を送れるユートピアではないかと本気で考え込んでしまうほどに。
また、誰も遺伝子組み換えを殺すことは出来ませんでした。その証拠にGMOの作付け面積は二桁の伸びを示しています。事実誤認です。
今後数年でGMOに関して起こるであろう変化は、各地域のエリート品種との交配とゲノム育種的手法を使った地域に適したGMOの育種と私は読んでいます。以前NHKの番組で、アフリカでGMOが失敗した。GMOの欠点が明らかになったとの趣旨の番組が放送されましたが、GMOに限らずアメリカで優れた品種を、アフリカに持っていってもまず間違いなく失敗します。その地域に適した品種、また、GMO特有の栽培技術と一体となってのみ成功します。プロでなければ最大の恩恵を得ることが出来ない。これもGMOの特性の一つです。ご感想お待ちしてます。
黒影さんのブックマーク
『医師や科学者の「トンデモ」は「いいトンデモ」と思いこむ「カルト否定派」の論理:生活の中の理性と非合理』
あたりにも、興味深い記述がされています。
なんで赤米、黒米ではなくリンゴなんでしょうね。
収量が少なくて土地効率が悪い事を知っていて避けたのか、「生命現象は全て物理あるいは化学の言葉で説明できるであろう」というシュレーディンガーの予言が現実のものにならなければリンゴも否定しきれないブラックジョークなんでしょうかね。
「風媒」という部分に拘る人はまず確実に「花粉飛散による雑種の発生」を敵視していると考えて間違いない
ペットショップなどで小動物用品として販売されている乾燥させたトウモロコシを見ると、一つの房(と呼ぶのか?)が黄色と黒のまだらだったりする
これと同じように遺伝子組み換え作物が組み換えでない作物を汚染していくと考えているのだろう
組み換えをやろうとする連中も馬鹿じゃないのでその対策くらい考えているが、
どのような対策をしたところで反対派は「それでは十分とは言えない」と言うだけ
それにしても、なぜイネでそんな不安を抱くのか理解できない
それほど交雑が盛んなら、ダッシュ村の稲作などムチャクチャになっているはずではないか
まあ、どの辺がブラックジョークなのか意味がわかりませんがね。
> 「風媒」という部分に拘る人はまず確実に「花粉飛散による雑種の発生」を敵視していると考えて間違いない
なるほど、ありがとうございます。
リスクコントロールって概念がないのかな。
> どのような対策をしたところで反対派は「それでは十分とは言えない」と言うだけ
こういう主張をする人に限って、「じゃあどれだけやれば十分なのか」 は示してくれませんね。
# 反対のための反対なのだから、当然でしょうけど。
味わう事が目的であるカルト信者さんの相手をするつもりはありません。
どちらの立場であろうと客観的な視点で観測された事実を積み重ねようとする
者の邪魔をするだけの無用な存在です。
安直な勝利が目的なのはあなたの方ではないのですか?
例えば 『カルト信者さんの相手をするつもりはありません。』 という発言。
この発言は 「俺はお前らのような低脳とは違うんだ!」 という意思表示であり、
自分の優位を閲覧者に対して示そうとする態度に他ならないでしょう。
安易に書き込みをする前に、ご自身の発言をもう一度推古するべきでしたね。
勝ち負けの話をするなら私の負けですよ。
「風媒」という部分に拘る人はまず確実に「花粉飛散による雑種の発生」を敵視している。
このことを、私はメタボさんに指摘されるまで知らなかったのですから。
と言う事で、まあ何が言いたいかというと。
勝利宣言乙。
残念ながらわが国では当面「民主主義」「平等」といった概念が消え去ることは望み薄ですが、国際社会に目を移すと、民主主義や平等といった理念がごく希薄な為政者を戴く国家も相当数あるとも聞き及びますので、良好な研究環境を確保されるため、それらの国に移住されてはいかがでしょうか。
そういう国では当然ながら政府は「長期的影響」や「人道」にも一切配慮しないことが高い確率で期待されますので、まさに願ったり叶ったり。
その国で数年間じっくりと学究生活を送られ、研究成果を上梓されんことを祈念するものであります・・・・その時まで生存しておられればの話ですが。
ゴールデンライスの企業が取るべきだった戦略として、無用の用という発想と応用を
研究テーマに追加するのはどうだろう。
開発段階では無用な者も後に消費者として必要になのだから。
反対する団体は既に実用化に成功し、効率化の段階に達している。
感情的な反対勢力と一見賛成者に見える勢力の両方を使って、議論をあらぬ方向へ
誘導するなど、お手のものである。
>風媒花であるイネを使う事は、あまり好ましい事のように思えません。
有用と判っていれば活用するのが世の為でしょう。
そもそも最初から絶対に無害であると判っている物はないんだから、問題が判った時点で手を打てばいいじゃん。
有害の可能性を訴えるなら、それが存在する事を証明する必要があるでしょう。
現在の科学技術なら有害性はある程度予測できるのに、有害性が認められない物に可能性だけを訴えて普及を妨害するのは、世の中に不利益を被らせることになります。
有害性があることが判っている場合や後から有害性が判明した物でも、その被害をコントロール可能で利益の高い物なら、活用しても良いと思うけど。
そういう実例も世の中にはありますよ。
公害病や、汚染を起こした企業の態度や、被害者の痛々しい様子を通して自分の身の守りかたを学び、生活の中でも高度なリスクコントロールが実践されています。
食器洗いの洗剤に「有害な成分を含んでいますからよくすすいでください」という注意書きが無くても、多くの家庭では食器をすすぎ洗いするのは良い例ではないでしょうか。
有用な点だけでなく、そうでない点まで十分に研究されてようやく完成とする発想も、もしかすると日本人独自のものなのかもしれませんね。
http://www.gmfreecymru.org/open_letters/Open_letter12Feb2009.html
賛同者は以下
ヴァンダナ・シヴァにイリーナ・エルマコヴァ、アーパド・パズタイ、デヴィッド・スズキと素晴らしいメンバーです。
Prof Malcolm Hooper, Prof David Schubert, Professor Brian Goodwin, Dr Michael Antoniou, Dr Vandana Shiva, Dr Stanley W.B. Ewen, Dr Mira Shiva, Dr Brian John, Dr Phil Davies, Dr Irina Ermakova, Dr Judy Carman, Prof E R Orskov, Professor Leda Raptis, Dr Eva Novotny, Professor Peter T Saunders, Dr E. Ann Clark, Professor Carlo Leifert, Dr Mae-Wan Ho, Professor Ralph C. Martin, Prof. Joe Cummins, Prof David Suzuki, Professor Oscar B. Zamora, Professor David Bellamy, Dr. Ricarda A. Steinbrecher, Aruna Rodrigues, Dr Arpad Pusztai, Lim Li Ching, Karin Turkington, Professor Susan Bardocz, Laurel Hopwood, Dr. Michel Pimbert, Peter Melchett
ほとんどオールスターキャストですね。w
所属は農学系の研究室ですので、ちょっと研究室に広めてみましょうか。w
情報提供感謝します。
リストありがとうございます。
そっち方面で見た事のある名前ばっかりで、これは確かにオールスターですね。
と、子供のころはそんな話を聞いて育ちました。
でも、その「貧困者の食事」は今「ビタミン・ミネラル・繊維質に富んだ食材」として見直されていますよね。
お米って、貧しい人は食べられないものだと思っていましたよ。
お米しか食べられない貧困層という話が、私にはちょっとよくわかりませんでした。
カロチンの多い葉物野菜なら、貧困者当人がありあわせの場所で短期間で育てられてしかも間引きながら食べ続けられるよう、野菜の種を配るほうが即効性・実用性がありそうに思います。
稲なんて生育に半年近くもかかるし、大量生産と配給には大きなプロジェクトが必要でしょうから、大企業が「貧者のために」というより「当社がやってみたいことに大義名分つけた」だけかもという気がしないでもないです。
米は、単位面積あたりのカロリー収量が非常に多く(作物中、圧倒的な一位かも)、栄養学的にも非常に優れた作物です。安くて栄養価が高いとして世界中で重宝されています。
>お米しか食べられない貧困層
世界的にはそれが常識です。
まさか、野菜だけでカロリーもまかなえるとお思いですか?
貧者は、ビタミン類豊富な野菜を十分作る土地すら持たないことが多いでしょうね。
飽食の日本でしたら、カロリーの少ない貧者の食事は向いているでしょうけど。
もうちょっといろいろ勉強しようと思います。
att460さんのおっしゃる「お米しか食べられない貧困層」というのは、どの国のお話ですか?
と書きつつ、「貧困者 食べる 米しか」で検索かけてみましたら、そういう例はベトナムに関しての一件しか見つけられませんでした。
フィリピンの貧困者は「ビスケットやクラッカー」、
北ルソンの貧困層は「鳥を自宅で絞めて」、
ベトナムでは「売るための農業」で搾取や暴落により貧困化が進んだため「食べるための農業」に戻す人が増えたというお話があり、
スリランカの養護施設では「カレー」、
他にはアメリカのイラク派兵関連に雇用された第三国の貧困者たちは、雇い主が配給する「残飯」を食べるために摂氏37度を超える炎天下で行列、というお話、
「残飯」の具体的な内容まではわかりませんでしたが。
こんなものも検索に引っかかりました。
>最近、フィリピンの農民たちに遺伝子組み換え稲についてどう思うか訪ねてみた。
>農民たちのリーダーは「黄金のカタツムリの話」で答えてくれた。
>稲を栽培するフィリピン農民は長らく田圃でとれるカタツムリを食べて蛋白質を補給していた。
>そこへマルコス政権の時代にイメルダ・マルコス夫人が飢餓と蛋白質不足を解消するために
>南米からもっと繁殖力の強いカタツムリを導入することを提案した。
>だけど南米からのカタツムリは不味くてだれも食べたがらず、計画は頓挫した。
>しかし南米産のカタツムリが逃げ出して農村地帯に紛れ込み、大発生して
>在来種の食用カタツムリを全滅の危機に追い込んだ。
>地元の農民たちの大切な蛋白源は失われ、しかも農民たちは南米産カタツムリから
>稲の苗を守るために農薬を使う羽目になった。
>「だから新しい遺伝子組み換え稲についてオレたちが思うのは
>『また別の黄金のカタツムリだよ』とういことだ」
>とその農民は語った
http://journeytoforever.org/jp/foodfirst/report/biotech/belgium-gmo.html
>摂取カロリーが増えれば人口は増えます。
(中略)
>19世紀頃のアイルランドというのは「貧乏なくせに人口が多い国」だったんです。
>でも、昔から人が多かったわけではなく、中世の頃はそんなに人口はなかったんです。
>なぜ増えたかっていうと、新大陸からじゃがいもが伝わったからなんです。
>やせた土地でもたくさん生産できるじゃがいものおかげで食料が増えて、
>そして爆発的ともいえるような人口増加をしたのです。
>これと似たようなことはドイツとロシアでも起こっています。
>つまり人間腹がふくれるとやることやりたくなってくるんですね。
(中略)
>じゃあなんでアフリカ南部のような食料が豊富じゃないところが人口が増えるんだ
>というと、先進国が食糧援助などをやってしまうからです。
>自分たちでちゃんと作物を作らなくても子供を作る気が起きるくらいに
>食べ物が配られちゃうからです。また乳幼児死亡率が高い地域では
>「すぐ死んじゃうかもしれないから、とりあえず産んでおけ」という価値観になります
>(これは昔の日本もそうでした)。
>だから、とりあえずじゃんじゃん作っちゃう。でも食えない。
>でも見殺しにするわけにいかないから支援する。だからまた作っちゃう。この連鎖です。
>最近はこれじゃいけないということで自立化を促す農業支援などに力を入れる方針に
>なりつつあるようですが、これがどうもなかなか上手くいかない。
>あんまり大きな声ではいえないんですが、どうやら南部アフリカ人というのは
>働くっつう概念が薄いらしいです。働いて食料を得るより働かなくても食料が得られるなら、
>それがいいじゃん、それのなにがいけないの?って考えるみたいです。
http://questionbox.jp.msn.com/qa2556584.html
…援助って難しいですね。
お米を主食としているのは、主にアジア地域のようですね。
>お米しか食べられない貧困層
元々の記事では
>2.貧困層は主食を手に入れるだけでも精一杯
でした。改めて検索した結果と記憶をつき合わせたら、どの程度の範囲かは判りかねますが、副菜を買う余裕はあるようですね。
もっとも、私の読んだ記事では、その僅かな副菜を買うお金で「味の素」を購入していることを問題にしていましたが...
それも、昨今の穀物高騰で、副菜を買う余裕は消えているかもしれないですね。
検索した範囲でもフィリピンやハイチで米価格の高騰が貧者を直撃しているようで。
= デラシネ日乗 = : フィリピン:コメ高騰が貧困層を直撃 食糧事務所に行列
http://deracine69.exblog.jp/7875957/
ちなみに、このBLOG記事では特に都市部の貧困層を対象にあげていますね。野菜を作る土地など無いでしょう。
>「貧困者 食べる 米しか」で検索かけてみましたら
http://www.minsai.org/individual/id010.html
タイの事例も出てきました。
探せば、もっと見つかるかもしれないです...
>江戸時代の農民もお米は特別な日しか食べられないものだったと聞きますし…
江戸時代は農業革命が起きた時代でもあります。
さて、人口の大部分を農民が占め、農業生産の大きな部分を稲作が占めているのにもかかわらず、農民が米を消費しなければ、余った米は誰が消費するのでしょうか?
更に言えば、農業は相当な重労働です。それだけの重労働を支えるだけの農民の食料は何で賄ったのでしょうか?
#まあ、私も人のことを笑えませんし、
#そもそも学校の教科書自身が偏見に
#基づいて書かれていたようですから。
#麦飯は何で出来ているのでしょうね?
コメントどうもです。
>「戦中戦後の日本は貧しくてお米のご飯が食べられなかった。さつまいもとか、大根の葉とか、麦や粟や稗ばかりのご飯とか、ありあわせばかり。白いご飯がどれほど食べたかったか…」
>と、子供のころはそんな話を聞いて育ちました。
>
>でも、その「貧困者の食事」は今「ビタミン・ミネラル・繊維質に富んだ食材」として見直されていますよね。
>
>お米って、貧しい人は食べられないものだと思っていましたよ。
>お米しか食べられない貧困層という話が、私にはちょっとよくわかりませんでした。
緑の革命でどれだけ収量が増加したかを見れば良くわかりますが、
品種改良、機械化、化学肥料、灌漑、農業技術の進歩その他もろもろの要素のために価値がひっくり返ったんです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%91%E3%81%AE%E9%9D%A9%E5%91%BD
今スーパーで雑穀と米を買うとして、重量当たりで比較してどちらが高いですか?
たかが稗や粟が当たり前のようにキロ1000円以上しますよ。
単位面積当たりの収量、生産コスト、流通コストなどを勘案すると、
今は雑穀やイモなんかよりコメ、コムギ、トウモロコシなどの主要穀物の方が圧倒的に安いんです。
あと、「お米しか」ではなく正確には記事本文中にもあるように、「主食を手に入れるだけでも精一杯」です。
こちらのサイトに穀物価格の国際推移があります。
>図録穀物等の国際価格の推移
>http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4710.html
近年エタノールフィーバーやら不作の影響やらで倍近く高騰していますが、大体コメの国際価格は平時で1トン当たり200〜400ドル、対して小麦やトウモロコシは1トン当たり100〜200ドル。
日本以外の国では、att460さんが貼ってくれたリンクの記事にあるように大抵は末端価格でも1キロ100円もしません。
>= デラシネ日乗 = : フィリピン:コメ高騰が貧困層を直撃 食糧事務所に行列
>http://deracine69.exblog.jp/7875957/
>ここでは1キロ18.25ペソ(約44円)に統制されている政府米が手に入る
小麦やトウモロコシはさらに安いために飼料穀物として使われたり、粉に挽いて安い食料の材料にもされますね。
貧困層が「ビスケットやクラッカー」を主食にできるのも、米以上に小麦が安いからです。
この記事の本質的な問題は、研究室で「貧困層」の問題を解決できると思っている点にあると思います。というか、言ってしまえば、その傲慢さに。
いろいろな論理は確かにまっとうだけど、結局のところその理屈は、
貧困層は米しか食べられずビタミンが不足していて失明してしまいかわいそうだ。ならば、ビタミンのある米を発明すれば彼らを救える!
という、それはそれは素晴らしい話で、しかも単純でわかりやすいけれど、しかしまったく稚拙な理屈ですね。
ここには貧困をどう解決するかの視点がありません。
急務としてビタミン欠乏症に対処したいのでしょうが、ではなぜ農作物の品種改良なのか。
貧困の対処に特化した作物の生産を、文字通り根付かせることが、なぜ貧困の解決になるというのか。
様々な要因の絡み合った貧困という問題を、いち科学者が研究室で解決策を発案し、邪魔する人々を進歩の阻害だと罵っても、それは科学者の妄想でしかない。
妄想が実現しないことは、その意味で当然です。いかに現実的な努力をしているでしょうか?貧困に対して。
貧困に対して、です。いくら研究をがんばっても、それは研究にすぎず、いくら新品種の開発をしても、それは新品種を開発したことにしかならない。
安全性について科学的に説明されても、ひとの庭で実験されてる感は拭えないでしょう。
現地で汗を流している人々は、いくら善意とはいえ、そんな発明品は必要ない、余計なお世話だ、自分の庭で実験してくれと、しごく単純でまっとうな意見を言っているだけなのではないでしょうか。
だって、記事の通り、最終的に責任を背負わなければいけないのは誰なのか。遠い外国の研究者ではなく、飢え、死に、育て、食す人たち自身じゃないですか。
(実際に、シヴァ氏が現地の人々の代表になりうるかはしりませんが、現地で汗を流している方だとは思っていて書きました)
なんせ大腸菌が偶然にも人間になってしまったと主張するお馬鹿さんの集まりですので、仕方ありません。
私が黒影くんに替わってお詫び申し上げます。
>40
バイオ系の研究者が自身の専門分野でもって問題解決の手助けを試みることがそんなに変ですか? ゴールデンライスは「貧困層の栄誉不足を補う」ものであり、「貧困問題を解決するもの」では無いですね。貧困問題についてはその筋の専門家に任せれば良いかと。
あと研究者は年がら年中研究室に引き蘢っている訳では無いです。必要とあらば現地に視察にも行きますし、現地の学生や研究者を招待したりもします。
貧困層であれ富裕層であれ、最終的な責任を背負うのは自分自身です。