100%のガン探知とプレコックス感とにおいの科学 - 地下生活者の手遊び
化学的メッセージには多くの種類がある。あるものは時間をこえて作用し、先に行った個体に何かがおこったことをあとからくる個体に警告する。
中略
私はひじょうに多くの成功例をもつすぐれた臨床家である精神分析医と嗅覚的メッセージについて論じたとき、この臨床医が六フィートあるいはそれ以上遠くから患者の怒りのにおいを明瞭に識別できることを知った。精神分裂症患者を扱っている人は、この病気の患者が特有のにおいをもっていると昔からいっている。このような博物学的観察は一連の実験を生んだのであるが、その中でも、セント・ルイスの精神科医であるキャスリーン・スミス博士は、ネズミが容易に分裂症患者と非分裂症患者のにおいをかぎわけることを示した。化学的メッセージ・システムの強力な効果を考えてみれば、怖れとか、怒りとか、分裂症的な恐怖とかが、近くにいる人の内分泌系に直接に作用するのではないかともみられよう。案外そのようなことが実際におこっているかもしれない。
P73 第4章 空間の知覚-----遠距離受容器 目、耳、鼻 より
精神分裂症(統合失調症)における「特有のにおい」などといわれると、プレコックス感が連想されますにゃ。私が研修医時代に教わった精神医学用語のうち、いちばん釈然としなかったのがこの言葉である。
「プレコックス感」とは、1941年ごろにオランダのリュムケという精神科医が言い出した言葉であり、簡単に言えば分裂病の患者と面と向かったときに感じるなんとなくいやーな感じのこと。なぜそんなものに「プレコックス感」などという大仰な名前がついているのか、私にはさっぱりわからなかった。しかも、それが分裂病の診断に有用だときいて私はのけぞった。
「なんとなくいやーな感じ」で分裂病を診断していいんかい、おい。
二種類の精神医学事典で「プレコックス感」を引いてみたが、載っている説明はおそろしく歯切れが悪い。「分裂病者に相対したとき観察者のうちに起こる一種言いようのない特有な感情」(弘文堂)、「〈その感じ〉は言葉ではなんとも表現しがたく、表情のかたさ、冷たさ、態度のぎごちなさ、感情疎通性のなさ、奇妙な唐突さなどとともに〈分裂病らしさ〉として分裂病者の人格全般から直観的に把握される総合的な感じ」(講談社)だそうだが、両方とも「一種言いようのない」「言葉ではなんとも表現しがたく」とはなから定義をあきらめているし、〈分裂病らしさ〉なんてのはトートロジーもいいところ。そういや「プレコックス感」という言葉自体、もともとは「分裂病的な感じ」という意味だったっけ。
なんでも言語化不可能な微妙な「感じ」らしいのだが、そんなもので診断されてはたまらないと思うのは私だけではあるまい。
http://homepage3.nifty.com/kazano/precox.html
ここに続く引用で、「サイコドクターあばれ旅」氏は「私は今まで百人を超える分裂病患者を診てきたが、「プレコックス感」がどんな感情なのか、いまだによくわからない。」と言っていますにゃ。でももしかして、このプレコックス感って患者の臭いなんじゃにゃーのか?
地下に眠るMさんは、以下がん検知犬の話につなげつつ、もしかしたらこの精神科医も「臭い」で患者を判別していたのではと続けるのだが、私はこの意見にはかなり懐疑的。
ガスクロによる呼気のがん検診というのがあるくらいなので、ガン検診犬というのは十分ありうるけれど、HPの記述を見る限りではクレバーハンス効果がどれだけ考慮されているのか不安に感じるし、このプレコックス感についても、もっと適切な説明があるのではと思う。
クレバーハンス効果についてはこの辺を参照のこと
・オリバー・ウッドのイギリス動物日記 : 賢いハンスの話
・超常現象の謎解き:クレバー・ハンス
余談だが、賢いハンスのように相手の微細な「サイン」を読み取る能力に長けている職業が占い師であり、この「サイン」を能動的に引き出し利用する技法はコールド・リーディングと呼ばれている。
これは個人差によるところが非常に大きいのだが、賢いハンスに限らず、人間でも占い師のように「サイン」を読み取ることに長けた人というのは存在する。
そして、その「サイン」を読み取る対象というのは別段人に限らず、動物だったり自然だったり、あるいは文章だったりする。
その能力は、通常こう呼ばれることが多い。
すなわち「勘」である。
引用元の記事にコメントした内容とかぶるのだが、私の知り合いの医師に言わせると、「勘」というのは非言語的な瞬間的な判断の産物なのだそうだ。
彼は「複数の条件判定文が頭の中で一斉に作動して、ひらめきという形で表れる」という表現を使っていたが、医者は訓練と経験をある程度積むと、患者やレントゲン画像、CT画像なんかを前にしたときに、一瞬でそこに「サイン」を読み取り症状の判断が付くようになって来るそうだ。
そしてそれが「非言語的な一瞬の判断」なので、ひらめきの理由を一つ一つ言語化するのは中々難しいとも言っていた。
微細な「サイン」を読み取り「勘」を意識的に働かすにはある程度の訓練がいるのだろうが、この能力は誰しも少なからず持っているものである。
「ピンと来た」とか「〜臭がする」という表現を使ったことがある人間は多いはずだ。
勘というのは、経験と理論に裏付けられた立派な才能である。
話をプレコックス感に戻すと、恐らく引用元に出て来る臨床医やリュムケの持っていた判別能力も「勘」と同類のものである。
経験と知識から脳が「統合失調症患者にありがちなサイン」を患者から一瞬で読み取り、それを臭いとか「プレコックス感」という言葉で表していたのだと思われる。
臭いで患者を判別できる超人が存在する可能性を否定はしないが、恐らく彼らはハンスのように、必要な視覚情報や聴覚情報を遮断された状態では、患者の判別が出来なくなったはずだ。
犬や馬も持っているように、基本的に「勘」というのは本能的なレベルで存在するものなので、これを言語化するのはなかなか難しい。
ゆえに昔の精神科医はこれを「臭い」とか「プレコックス感」と表現したのだと思われる。
ちなみに、この「勘」という能力は、それが正当な「サイン」に対して発揮される場合は非常に有効なのだが、誤った「サイン」に対して発揮されてしまうと、なまじそれが言語化できていない本能的なレベルのものだけに問題がこじれる原因となる。
上記引用先でサイコドクターあばれ旅氏が反発を感じているのも恐らくそういう部分ではないだろうか。
専門家は正当な「サイン」を読み取ることが出来るように訓練されてはいるが、必要なときにはその成否を検証可能なように、「勘」の中身を言語化する能力もまた必要なのだろう。
なおこの「勘」という能力は、先日のエントリ「人はなぜ信じるのか―迷信と疑似科学―」で取り上げた、「原因と結果の間に結びつきを見出す能力」と同根のものである。
経験の裏打ちによって勘が鍛えられた方が、名医と呼ばれるようになるんだろうなと思います。
件のサイコドクター氏には知人がかかったことがありましてね、私も同席したりもしたのですが、思い出したくも無いです。
※中傷ではありません。
これは違うでしょ。
経験と理論が、勘の蓋然性を担保しているわけでは
ないのですから。
ある一定量以上の理論を理解し、
なおかつそれに見合った十分な量の経験を積んだ人間には
それらを元にした一種の勘と呼ばれる判断を行うことがある
・・・・ってな話ですね。
第六感と科学的直感を区別する記述も必要でしょう。
そして、大事な点は、
1)非言語領域にあるので検証が不可能
2)誰でも勘を使っている
3)外れた時のことを忘れがち
ということでしょう。
よって、勘が素晴らしい、というより、
むしろ、人の備え付きの感覚である勘を
いかにコントロールするかのほうが大切かと。
精神科医であれば、勘がハズレも深刻な事態に
ならないでしょうけど、
わたしの現場では、勘が外れたら人が死にますので、
わき上がってくる勘をどう処理すべきか、
を考えさせるようにさせています。
勘は鍛えることができるようなものではなく、
結果として、ゆっくりと利用可能な領域に入ってくる存在であり
その扱いは、かなり厄介である、、というところでしょう。
勘という言葉は誤謬を生みやすいので
科学的直感という言葉のほうがいいと思います。