幻影随想: 疑似科学と「空気」の研究(その1)
幻影随想: 疑似科学と「空気」の研究(その2)
リチャード・ドーキンスはその著書『盲目の時計職人』のまえがきで「それはあたかも、ダーウィン主義を誤解し、信じがたいと思い込むように、人間の脳そのものが特別にデザインされているかのようですらある。」と書いているが、実際ヒトという動物は、多かれ少なかれ遺伝子レベルでこうした性質を生まれ持っているらしいことが、徐々に明らかになりつつある。
今日はそんな内容の記事を一つ。
Superstitions evolved to help us survive - being-human - 10 September 2008 - New Scientist
迷信は我々の生存を助けるために進化した
ダーウィンは道を横切る黒猫や、梯子の下をくぐることや舗装のひび割れを踏むことに注意したりはしなかったが、彼の自然淘汰の理論は、なぜヒトがこのようなたわごとを信じるかを説明してくれる。
ハーバード大学の進化生物学者ケビン・フォスターはこういう。
「原因と結果の間に誤った結びつきを見出す傾向―迷信―は時として有効である。」
「たとえば、有史以前の人間は音を立てている草で捕食者の接近を連想し、隠れるかもしれない。ほとんどの場合においては風が音を立てただけだろう。しかしもしライオンの群れがやってきているのだとしたら、そこから逃げ出すことには巨大な利益がある。」とフォスターは言う。
進化心理学分野(ヒトの心理メカニズムの多くは進化生物学の意味で適応であると仮定しヒトの心理を研究するアプローチ)の最近の研究成果によって、ヒトの持つ性質に対する遺伝的な影響についてそれなりのデータが蓄積されつつある。
その中で私が特に関心を引かれたのがこの、ヒトの持つ迷信という心理的な働き(原因と結果の間に誤った結びつきを見出す傾向)についての研究だ。普段からこのブログを読んでくれている人なら、疑似科学を信じてしまう人達にこの性質が当てはまるケースが多数存在することが容易に理解できるだろう。
単純化された振る舞い
幸運のウサギの足からマヤの数秘術に至るあらゆる迷信を可能な限り正確に記述するよりも、フォスターとコッコは、動物とバクテリアさえ含む迷信の単純な定義と数学言語を用いて研究を行った。
彼らは迷信が適応的である情況をモデル化した。迷信を信じることによる損失が真の関連性を失うことによる損失よりも少ない限り、迷信的な信条は支持される。
「一般的に、動物は正しい振る舞いのコストと間違った振る舞いのコストのバランスをとらねばならない」とフォスターは言う。
「風ではなく本物のライオンがカサカサと音をたてている可能性を投入すれば、あなたは迷信的な信条を予測することができる」
複数の潜在的な"原因"がある出来事の前兆となる場合、正しい関連性と間違った関連性はさらに分別が付かなくなってしまう。カサカサなる葉と、例えば満月がライオンの到来に先立つかもしれないとき、一つの"原因"がそうするよりもいっそう迷信の方向へバランスを傾ける。
これが迷信が成立する基本モデルである。
フレーザーの呪術理論との関連性を見ても面白いな。
私の個人的見解では、この迷信モデルが成立するパターンは大まかに分けて以下の3通り考えられる。
1.迷信を信じることによる損失がほとんどなく、また正しい知識を持たないことによる損失も小さい場合。
陰謀論系統がこの代表事例に当てはまる。
動機となる感情が「正義感」や「善意」であるあたりが困りもの。
アポロ陰謀論だのケムトレイルだの、主張者は陰謀論の真偽に関わらず別に大したリスクを追うわけじゃないし(精々周りから白い目で見られ友人がいつの間にかいなくなる程度)、正しい知識を得たからといって何か得するわけでもない。
以前911陰謀論関連で、きくちさんが連中を「陰謀論をもてあそぶ人」と批判していた。実際に彼らはリスクを負う覚悟なく、その自覚もなく陰謀論をもてあそんでいるが、それだけでなく彼らは自分の心理的特性を把握せずに「安易に信じる人」でもある。
2.迷信を信じることによる損失がほとんどなく、逆にそれを信じることによるメリットがあると当事者が思い込む場合
代表事例としては「水からの伝言」が挙げられる。
水伝信者のお決まりの主張「科学的には間違っているとしても、道徳的に云々」という奴を知っていれば納得できるはずだ。
実際には「私はネギを背負ったカモです」と主張するに等しいわけだが。
インチキ医療系や水商売もこの系統に入るか。
3.正しい知識を手に入れるためのコストが高すぎ、逆に迷信を手に入れるコストが十分安い場合
疑似科学全般がこれに当てはまる。
科学が高度化、専門化するにつれて個人がその全体像を把握することは不可能になりつつある。
ただ一つの専門を突き詰めるだけでも長期間の高等教育を受ける必要があり、正確な知識に基づく判断力を手に入れるのは並大抵のことではない。
一方で疑似科学の特徴は、素人でも理解できる簡単な論理と明快に白黒つける断定だ(無論それが正しいことを意味しない)。
科学と疑似科学のどちらを選ぶべきかを判断できるだけの情報を持たない人間が、入手コストの差によって一定数疑似科学に流れることになる。
この迷信モデルは現代でもかなりきれいに成立しており、例えば代替医療系統の数多くのインチキ医療行為などが2、3の複合事例となる。
現代では、迷信は代替医療やホメオパシー治療の信仰として姿を現す。
「おそらく彼らの大部分は何もしないが、一部は確実に問題を起こす」と彼は言う。
より数学的でない言語でではあるが、スケプティックマガジンの出版者であるマイクル・シャーマーは、このような信仰に対して似たような説明を提案した。
「我々の頭脳はパターン認識機械であり、我々が自然の中に見出したと考えるパターンによって、点をつないで意味を作り出す。ある場合においてはAは実際にBにつながっており、別の場合にはそうではない」と彼は言う。
「つながりがない場合には、我々はつながりがあるものと思考を誤る。しかし、ほとんどの場合、このプロセスは遺伝子プールから我々を取り除きそうになく、そして、それゆえに、呪術的思考は常に人間の条件の一部である」
繰り返し書くが、ヒトが疑似科学的なものを信じる性質は生得的なものだ。
そうであるがゆえに、これをどうにかしようと思ったら、こうやってその正体を少しずつ丸裸にしていくしかない。
少なくとも相手が何者かを知れば、対策の立てようもあるからだ。
<9/13 タイポ修正>
【疑似科学・ニセ科学・オカルト・トンデモの最新記事】
>正確な知識に基づく判断力を手に入れるのは並大抵のことではない。
複数の専門分野にまたがる問題になると、余計に難しくなりそうですね。
>「我々の頭脳はパターン認識機会
機会 => 機械でしょうか?
マルチ商法等の問題商法と似非科学の関係に興味があるのですが、興味深い話でした。
マルチ商法等の場合は、2.のパターンでしょうか。
タイポの指摘感謝です。修正しておきました。
>マルチ商法等の場合は、2.のパターンでしょうか。
マルチ自体はまた別の要素が絡んでくると思いますが、その「商品」には2や3の要素を持つものが結構あるかと。
マスコミにとって迷信を植え付ける事は、信じる系譜を増やして、統制に繋げる意味がある.
不正論文を発表したり、研究不正を行っている可能性が高い。
名古屋市立大学の岡嶋研二教授 = 育毛商法(カプサイシン+イソフラボン育毛法など)
http://blog.goo.ne.jp/nagoya-cu
琉球大学の森直樹教授 = フコイダン商法
http://blog.goo.ne.jp/naoki_mori
鳥取大学の汐田剛史教授 = 還元水商法
http://blog.goo.ne.jp/tottori-u
九州大学の白畑實隆教授 = 還元水商法、フコイダン商法
http://blog.goo.ne.jp/kyushu-u/
論文捏造
http://blog.goo.ne.jp/netsuzou