いや、いっそ進化生物学そのものに対する無知に満ちていると言ってしまった方がいいかもしれない。
私がそう思った理由が、前回のエントリの内容に続くこの文章だ。
#ちなみに、前回記載し忘れたが、この文章は「生物と文学のあいだ 福岡伸一 川上未映子」という、雑誌「文學界」の対談記事のものである。
Liber Studiorum: 福岡伸一 vs. ダーウィニズム(2)
福岡のダーウィニズムに対する攻撃はさらに続く。さらにいえば、たとえば視覚が進化の過程でどのように生まれたかを考えてみると、ダーウィニズムの最大の問題点が浮かび上がります。眼は、光を集めるためのレンズ(水晶体)、像を映すための網膜、その背後にあるたくさんの神経線維が脳細胞につながって……という風にさまざまな部位が組み合わさってできている。何億年もかけて試行錯誤して、少しずつ改良していけば、そういう複雑な機能もできるというのがダーウィンやその後継者であるドーキンスの考え方です。彼には『ブラインド・ウォッチメイカー』という著作があるんですが、眼の見えない時計職人でも、非常に長い時間をかけて部品をいじっていれば、いつかは時計を組み立てることができる、それと同じだというわけです。ところが視覚というのは、さきほど言った部位が一斉に揃わないと成り立たない。水晶体だけが改良されてもダメだし、網膜だけが改良されてもダメなのだから、「進化の過程でだんだん眼が見えるようになる」なんてことはありえない。眼が眼として機能しない以上、それが有利な形質として自然選択されようがないから、そこへ向けた進化も生じないはずです。そこにダーウィニズムの単線的な考え方の落とし穴があります。もっと複合的な要因が働いていると考えなければいけないのでしょうね。
アホか、と言うしかない。
ドーキンスは、他ならぬ『ブラインド・ウォッチメイカー』(『盲目の時計職人』)の中で、ダーウィニズムに対するそのような批判に対して明確な回答を提出しているのである。
このブログでも以前似たような主張をする創造論者が来て返り討ちにしたことがあるのだが、福岡氏のこの主張はまったく同レベル。
まともに進化生物学を学んだことがある人間からしたら、これはまさに「アホか」の一言で片付けられる程度の主張である。
実際には、眼の進化はかなり詳細にその内容が明らかにされているのだから。
a-geminiさんのエントリではさらにブラインド・ウォッチメイカーを引いて福岡氏の主張がいかに的外れなものかを説明しているが、このブログでは大学レベルの生物学の教科書を引いて、福岡氏の主張のどこが間違っているのか指摘してみよう。まあ内容は変わらないが一応念のため。
キャンベル生物学 P.545〜P.546
ダーウィンの進化の概念は、主要な形態学的変形の説明にも拡張できる。多くの場合、複雑な構造は、ほぼ同じ機能を果たすもっと単純な構造から漸次的変化により進化する。
たとえば、人間の眼を考えてみよう。目は像を作り、脳に転送するために強調して働く多数の部品からなる。人間の眼は、ゆっくりとした変化の蓄積でどのように生じたのであろうか。もし、眼が機能するために、全ての構成要素が必要なら、発達途中の眼は祖先でどのような役割を果たしていたのであろうか。
この議論の弱点は、ダーウィン自身が気付いていたように、複雑な眼のみが有用であるという仮定にある。実際、多くの動物が、我々のものよりもずっと単純な眼に頼っている(図24.14)。知りうる限りもっとも単純な眼は、光感受性のある光受容体の塊である。この単純な眼は、単一の進化起源と思われ、現在小さな貝類であるツタノハガイ類(軟体動物門の一員)のようなさまざまな動物に見られる。その眼は、レンズやその他の像を合焦させる装置を持たないが、明暗を区別することは可能である。ツタノハガイは、上空に影が落ちると、よりしっかり岩にしがみつき、捕食の危険を減らすような行動的適応をとる。ツタノハガイは長い進化の歴史を持つので、その『単純な』眼は、生存と繁殖に役立っていると結論することが出来る。
動物界では、さまざまなタイプの眼が、独立に何度も基本的な構造から進化してきた。イカやタコを含む軟体動物には、人間や他の脊椎動物と同じくらい複雑な目を持つ動物もいる。両者ともに祖先的な光受容体細胞の単純な塊から進化してきた。この分化は、それぞれの段階の眼で所有者にとって利益になるような一連の漸増的変化により起きた。この進化的変化の証拠として、眼の発生のマスター遺伝子として働く遺伝子が、全ての眼を持つ動物で共通であるという系統学的解析結果がある。
福岡氏の犯した間違いは、まさにこの「複雑な眼のみが有用であるという仮定」である。
単純に光受容細胞が集まった光を感じ取れるだけの眼でも、実際には役に立つのである。
"Nothing in Biology Makes Sense Except in the Light of Evolution"
彼の言う「ところが視覚というのは、さきほど言った部位が一斉に揃わないと成り立たない。」というのはナンセンスもいいところだ。
最初の眼は単純に光受容細胞が集まった光を感じ取れるだけのものであり、それが窪んで眼点や眼杯と呼ばれる光の方向を感じ取れるものに、さらに進んでピンホールカメラになった。そこに角膜という蓋が付いてごみが入らないようになり、さらにレンズが出来てピント調節が可能となりという眼の進化の歴史は、独立に複数回起こっていることが化石やゲノムに確認できる。現在でもそれぞれの段階の目を持つ動物が存在するし、さらに遺伝子解析を通じて、どのような変異が眼の進化につながったかもある程度確認できている。
福岡氏の言うような『複合的な要因』なぞまったくお呼びじゃないのだ。
そして福岡氏が批判する『ブラインドウォッチメイカー』にも、ちゃんとこうした説明が書いてある。
a-geminiさんがエントリのラストに掲げる疑問は、私にも共通しているものだ。
一体福岡氏はまともに『ブラインド・ウォッチメイカー』を読んだことがあるのだろうか?
福岡は本当に『ブラインド・ウォッチメイカー』を読んだのだろうか?
ドーキンスがダーウィニズムへの批判の典型的な例として取り上げ反論している主張をわざわざ持ち出してダーウィニズムを批判しようとしているのだから、全く分けがわからない。
それ以前の問題として、教科書にも書かれているような典型的な間違いを犯すようでは、福岡氏は今一度学部レベルから勉強しなおすべきだろう。
#もっとも、福岡氏の場合、進化論への敵意から意図的にこれをやっている可能性もあるのだが。
◆関連書籍
福岡氏の主張があまりにもとんでもないので、進化生物学を学ぶために有用なまともな本を何冊か紹介しておく。
一般向けに眼の進化を平易に説明したものだと、パーカーの「眼の誕生」などがよいだろうか。

眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く: アンドリュー・パーカー
もちろんブラインド・ウォッチメイカー改め「盲目の時計職人」も良い本だ。
こちらは進化全般について語っている。

盲目の時計職人: リチャード・ドーキンス
<修正>a-geminiさんの名前を勘違いしていたので修正。
【疑似科学・ニセ科学・オカルト・トンデモの最新記事】













↓
すみません、ド素人です。
よくわからないのですが、
どうして上のようなことから進化論が正しいっていえるのでしょうか??
私は進化論を全く信じていません。
証拠などありませんから。
種内での進化はありえても、種を超えた進化って証拠はないですよね。
今の進化論て、種内の多様性を説明しているだけのように思うのですが・・・。
同じように、ID論なんかも当然まったく賛成する気にはなりません。
旧約聖書の原点には神なんてかかれていませんから。
おバカですみません。。。
移行する途中段階では機能しないためだと。。
そう言いながら、次のページでは、1000個のさいころが同じ数を出すことは、まず起こりえない、と言っていますね。
結局、体内の体制が変化することは、まず不可能だということではないのでしょうか?
この本を読んでてよく分からなくなってしまいました・・・
はじめまして。
>よくわからないのですが、
>どうして上のようなことから進化論が正しいっていえるのでしょうか??
簡単です。
「盲目の時計職人」すなわち偶発的な変異の積み重ねが、生命の進化を引き起こしていった結果が生物のゲノムに確認できるからですよ。
例えばヒトとチンパンジーのゲノムの差が何パーセントで、何万年前に分岐したか、どの遺伝子が強い淘汰を受けているか、という研究がここ数年でずいぶん進んでいます。
幻影随想: チンパンジーの全ゲノム解読完了
http://blackshadow.seesaa.net/article/6456724.html
幻影随想: We are still evolving―我々はまだ進化を続けている―
http://blackshadow.seesaa.net/article/8468990.html
>種内での進化はありえても、種を超えた進化って証拠はないですよね。
いいえ、あります。
生物のゲノムそのものが進化の歴史を記録した生き証人です。
生命の分子系統樹をご覧になったことはありませんか?
あれは多様な種が共通の祖先から変異を積み重ねて分岐してきたからこそ作成可能なものですし、今ではゲノムから大まかな種の分岐年代の推定も可能となっています。
Tree of Life Web Project
http://tolweb.org/tree/phylogeny.html
他にも実験レベルだと大腸菌の種分化を繰り返し行う実験や植物の倍数性進化の再現実験などがありますし、フィールドレベルでもシクリッドという魚の種分岐を現在進行形で観察できたり、ダーウィンフィンチの進化を観察したりという実証があります。
幻影随想: 大腸菌4万4千世代の進化―Evolution in Test Tube―
http://blackshadow.seesaa.net/article/103212061.html
cichlid
http://www.evolution.bio.titech.ac.jp/f_research/cichlid/cichlid.html
私からも一つお聞きしたいのですが、なぜご自分で「ド素人」とおっしゃるのに、
何も知らぬまま「進化論をまったく信じていません」などと断言できるのですか?
あと、進化論に限らず科学理論は信じる信じないの次元で語るものではありません。
どのような証拠があり、どこまで証明できているかで語るものです。
眼の誕生の件ですが、本をしまった場所が見つからないのでまた明日お返事します。
お待たせいたしました。
「眼の誕生」のお尋ねの部分ですが、収斂進化の起こりうる条件と起こりえない条件の違いについて述べた部分ですね。
「外部形態」は関わる遺伝子の数が少ないものが多く、また眼の例のように中間段階でも機能するため収斂進化が起きやすい例に挙げられますが、一方で「体内の体制」は、関わる遺伝子の数が多く、しかも変化の許容度が小さい。
ゆえに例えばAという体制がBという体制に変化するために通過しうる中間点は限られており、そのためには多くの遺伝子が一度に変化しないといけなく、確率的に収斂進化が起こりうる可能性はほとんどないということです。
tokioさんのコメントを読むまで意識していなかったのですが、確かにこのあたりの文章は進化生物学をある程度理解していないと意味が取れないかも知れませんね。
もう少し簡単な入門書も探してみます。
「体内の体制が変化することは、まず不可能」なら、「神の手」(インテリジェント・デザイナー?)でしか「体内の体制」が作られないのじゃないかという事ではないでしょうか?
おそらく「眼の誕生」に書かれてるのは、口と消化管と肛門が単なる管(くだ)としてあるような簡単な体制から次第に進化して現在の我々のような複雑な体制を持つに至ったのですが、それはいまさら変えられないということではないでしょうか。
簡単な体制から少しずつ進化してきたのであって、いっぺんに作られる必要があったわけではないのですね。単にいったん複雑になってしまったら、グランドデザインの変更が不可能になったということです。
たとえば、昆虫は、脳から伸びた神経管が腹側、口から伸びた消化管が背中側にあるために、首の辺りでそれらが交差するというややこしい体制になってますが、簡単な形態から進化する過程のどこかでそのように進化してしまったので、いまさら整理できない…といったようなことですね。
あと、必ずしも進化の理論は一つとは限らない(決めなくてもいい)ような気もするのですが。例えば、逆転写酵素を持ってる生物と、そうでない生物とでは異なる可能性とかあり得るかなとも、思うのですが。このあたりはどうでしょう?
魚と、イカとタコなどの眼は、外見上は似てる
のですが発現している遺伝子が全然違います。
実のところ、それまでの時代に既に眼の原型
(目に似た機構を持ち、光の方向を感じる機構)は出来ていたのですが、わずか100万年で目にまで
一気に進化してしまいます。
最初に目を持ったのは三葉虫の類だといわれて
いますが、全員が盲目の中で一人だけ目を持つ
ってのは、どれだけアドバンテージがあるかと
考えるとまぁすごいことになりますね。
こうして喰う側喰われる側全てに目が備わるのも
あっという間のことでした。
詳しくは黒影さんもお勧めの「眼の誕生」を。
ただ、生物学的にはともかく、地球科学的には
原因は分かりません。
鬼の首を取ったかのように非難してるんですよ
それも文章ではなく対談の「お話」からね
しかし、果たして進化がすべて、自然淘汰で説明できるかどうかは証明されていない
福岡は、自然淘汰以外に、別の有利な形質の伝達もあるのではないかと「仮説」を
おしゃべりしているに過ぎない
「仮説」をしゃべってるだけで「非科学的」と非難するものこそ「非科学的」といわれてしかたない
福岡も本当に進化が自然淘汰のみだと証明されたらそれに従うだろう
しかしそれまでは、色々な仮説を検討するのは全然非科学的ではない
「プリオン説は本当か」でも福岡は極めて旗色の悪い「ウイルス説」を持ち出しているが、絶対に
プリオン説が間違っているとは書いておらず、その証明が完全ではないという点は強調しており
あれを読んでウイルス説が有力だと思ったとしたら、読みが雑ということになる
プリオン説がコッホの3原則を1つだけ満たしていないと書いてるけど、ウイルス説は全部満たして
いないんだから
私が福岡を批判する理由は、彼が進化生物学の知見に対する無知と誤解を平然と垂れ流しており、生物学者の肩書きでこんなことをやられると迷惑だからです。
彼の主張は進化生物学に関する部分では明白に間違っており「仮説」がどうとかそれ以前の問題です。
そこのところを理解されていますか?
ところでこのエントリにも前エントリにも、プリオンのプの字も出てこないのですが、後半は一体どこに向けての文章なんでしょうか?
ちなみに私の「プリオン説は本当か」に対する評価は、「本当はウイルス説が正しいのだ」という誤解を一般にばら撒いておいて、おまけにその後ろくにフォローもしていないという理由でかなり低いです。
専門家ならアレを読んでも誤解しないでしょうが、ブルーバックスという一般向けの書籍であの構成は、誤解してくれと言っているようなものでしょう。
>進化生物学の発展の歴史の中で一体どれほど進化論の検証が行われてきたと思っているのだろうか。
一体どれほど突然変異による新たな形質の獲得とその再現の実験が行われてきたと思っているのだろうか。
つい最近も他段階の進化の再現実験に成功したばかりだというのに。
こんなもののどこが進化論における自然淘汰説の一般的な証明になってるんだね
君は科学的に完全なうそをついたわけだ
非科学的な科学本を垂れ流している人間はいるし、それを捕まえて、自分が一段上に立って威張って見せ、正義感ぶって嫉妬を隠蔽するという言説ももはやありふれている
そういう既成のフォーマットにのっかった創造性に欠けた君らしい吹き上がりだが、福岡氏に対しては絶対に不当である
ずいぶん上から見下ろしたようなポーズをとっているが、福岡氏の著作と活動(ロハス、科学啓蒙)を公平に見てそこまで居丈高になれるとしたら、君の人格は狂っている
はっきりいってかなり高質な啓蒙書を書いており、実際読んで面白く、読まれない科学書を読まれるようにしようという福岡氏の誠実な活動はすばらしい
まあ君は一般人が誤解するかもしれないから評価を下げるなどという端から福岡を敵視した不遜な態度で物を見てるからしょうがないだろうが
そういう卑しいことを正義感などという嘘で隠蔽して平気な君を地上から消し去ることこそ正義ではないか?
とりあえず一つ指摘を。
あなたはこのエントリおよびコメント欄のやり取りをきちんと読みましたか?
福岡氏の進化生物学に対する誤解は教科書にも載っているぐらい典型的なものであり、どう間違っているかとそれに対する批判は本文中に具体的に書いてあります。
そして
>進化生物学の発展の歴史の中で一体どれほど進化論の検証が行われてきたと思っているのだろうか。
>一体どれほど突然変異による新たな形質の獲得とその再現の実験が行われてきたと思っているのだろうか。
>つい最近も他段階の進化の再現実験に成功したばかりだというのに。
という部分の詳細もこのエントリとコメント欄のやり取りの中にちゃんと出てきているのですが。
あなたが福岡氏を擁護したいのであれば、彼の間違いを認めずに無謬性を主張するようなやり方は逆効果ですよ。
福岡氏に対する評価を道連れにさらに恥を晒したいというのであれば止めませんが。
人間失格君
卑しいねえ
いくつか疑問に思うのですが
>揚げ足を取ろうという妬みがなければ言ってることはきわめてもっともなことですよ
はたして揚げ足を取るしかも黒影さんが言うようにかなり不適切な例を出すひとをどうして
>実際読んで面白く、読まれない科学書を読まれるようにしようという福岡氏の誠実な活動はすばらしい
というように誠実な活動をしていると見なせるのでしょうか?
あなたは揚げ足や妬みと誠実が矛盾することなく両立するとお考えですか?また、福岡氏の科学啓蒙の実績にはどんなものがありますか?
あと、あなたは自分に対して誤解を招く発言をする人に対して迷惑という感情を抱かないのですか?
以上どういうわけか人間のなかで最も卑しいとされる難癖でした(w
>人間失格君
>卑しいねえ
自己紹介ですね。わかります。
俺は福岡さんの著書は面白く読めたけど、実際無知な人ほど面白く読めるような気がする。
逆に眼の誕生は難しくて理解ぜずに流してしまったところが多い。
その学問に取り組む姿勢の違いだな
段階的な進化(ドーキンス)と飛躍的な進化(福岡伸一)という感じでしょうか。まあ、段階的な進化はこの記事で説明されている通りで付け足し付け足ししながら進化していくという段階を踏む進化ですよね。一方、飛躍的な進化は、段階を経ずに、まるで完成したイメージがあって、そのイメージに合うようにいきなり実物を作っちゃうという感じでしょうか。完成したイメージなんて持ちようがないはずですが、でも、何か意図があるように感じられなくもないという感じ。
例えば、遺伝子の仕組みとかはどうなんでしょう?二重ラセンにも進化の過程があったのでしょうか?二重ラセン以外の遺伝子の仕組みってあるのでしょうか?それとも、仮に生命の起源の生物が最初は単純な自己複製する細胞みたいな生き物だったのが、いきなり、二重ラセンの遺伝子の仕組みを持ったのでしょうか?まあ、そもそも単純な自己複製から、最初から設計図(=完成したイメージ)を持つ遺伝子への進化自体が飛躍的な進化と言えなくもないかもしれません。
すべての進化が段階的な進化で、飛躍的な進化は存在しないと言い切れるかどうか。私には飛躍的な進化ってありそうな気がしますが。というのも、進化すること自体が何らかの方向性=意図を持っているように思えるからです。無作為に放置しているだけでは進化は起こらないのではないかと思います。方向性がある中で試行錯誤することで進化は起こるのではないでしょうか。
何の根拠も無いコメントですみません。